表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウィッチ・クラフト  作者: 新谷時
season2

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/49

第34話 かけがえのない宝

 靴を借りて外に出ると、クロは作業中の村人に駆け寄られた。

「あの子を助けてくれてありがとう!」

「お主がいなければ、どうなっていたことか……」

「命の恩人だ!」


 素直に受け取れず、クロは不器用に手を振った。

 体調が悪くなっていく一方で、人だかりは増していく。最後まで困惑を秘めながら、群衆を掻き分けるようにして食堂へ急いだ。


 扉を開くと、涼やかな鈴の音がする。薄暗い室内には使い込まれた丸机や椅子が数多く並んでいた。人の姿はないが、奥に続く調理場らしき一室からは、香ばしい匂いが漂ってきた。

「誰だい? まだ開いてないんだけど」

 野太い声が飛んできた。あの婦人だ。


「あの、すみません。旅の者なんですが……」

 声を低めた途端、強い力が床を叩いた。重い足音が続くと、台所の暗がりから、エプロン姿の中年女性が現れた。

「なに」

 獲物を追い払うような鋭い眼差しを、クロへ向ける。


「多香音さんからお願いがあって。おかゆは――」

「作ってるとこ! どれだけ手間かかると思ってるの?」

 婦人は苛立たしげに腰に手を当てる。

「どうせ急かされたんだろ。昔っからそう。人の気も知らないで、こんなよそ者よこしやがって。いつまで経っても成長しないね」


 クロの指先が、勝手に動いた。

「あなたは、多香音さんに成長して欲しいんですか?」

「急に何。答える義理はないよ」

「……教えてくれたら、消えますから」


 婦人は心ならずも答えた。

「面倒が減ってくれんなら。さっさと大人になってほしいもんだ」

「なら、ちゃんと見てあげてみるのはどうですか?」

 婦人は隣の壁を殴った。クロの肩が跳ねる。


「説教のつもり? よそ者に何がわかんのさ」

「…………何も分かりません」

 それが、答えだった。


 彼女と過ごしてきた時間は、決して穏やかなものばかりではなかった。自分の望み通りにならなければ平気で喚き、自分の立場を押し通そうとする。大変だと感じることが何度もあった。

 ――それでも。彼女は自分の時間を、クロに譲ったのだ。成長しないと切り捨てられるのは、納得できない。


『でもこれだけは言えるんだ』

 本当の光は見えてこないのだから。

「分からないと、もったいないと思います」

「なにそれ。答えになって――」


 婦人が歯を見せた瞬間、台所から弾ける音が響いた。

「かまど。火つけっぱだった」

 彼女は駆け足になる。爪先で椅子を突き飛ばしても気に留めず、台所へ向かった。そこから忙しい音が続き、婦人の苛立った声が響く。クロはその場で立ち尽くした。


 やがて、婦人が再び顔を出す。手には軍手をつけ、煮込まれたおかゆの器を持っていた。湯気に混ざった卵の香ばしい匂い。料理の腕は、紛れもなく一流だった。

『ダメ! クロじゃなきゃやだもん』

「僕も多香音さんに頼まれて」


 無言で通り過ぎようとする婦人に、クロは踏み出した。

「私が持っていって悪い!?」

 しかし、拒絶された。

「あの子はね。私がずっと面倒を見てきた。よそ者なんかに、あの子は渡さない! あの子の気持ちが分かるもんか!」


 婦人は扉を蹴り、多香音の待つ屋敷へ向かった。

 取り残されたクロは、うつむくのだった。


 ◇


「ほら。持ってきたよ」

 病室の扉を開いた婦人は、寝たきりの多香音に言い放った。

「……うう、お腹いたい……」

 多香音の容体は再び酷くなっていた。額に乗せられた袋は中身の氷が溶けており、彼女の荒い呼吸が室内で響いている。顔は林檎のように火照り、うわごとのように小さく唇を震わせていた。


 婦人は何も言わず、枕元の机に器を置く。そして、はだけかけた毛布をそっと整えながら、複雑な顔で彼女を見つめた。部屋に充満するおかゆの湯気に混じった()()()()に、婦人は深くため息をつく。

 おかゆの匂いに釣られ、多香音はうっすらと目を開いた。鼻腔をく強く刺激したのは、出汁の効いた美味しそうな匂いと、慣れ親しんだ古臭い婦人の匂い。

 それは、多香音が最も求めていた匂いではなかった。


「……クロは?」

 その名を耳にした直後、婦人は不満げに眉を寄せた。

「なんであんなよそ者招き入れたの」

「どういうこと? クロはどこ?」

「もう帰ったよ」


 きっぱりと言い、婦人は背を向けて立ち去ろうとする。

「待って……待って――」

 多香音は激しく咳き込みながら、苦しげに背中を呼び止めた。

「止めてきて。お願い」


 婦人は振り返らない。屈強な肩が次第に震え始める。

「約束したから。一緒にでかけるって、クロと約束したの」

「聞き分けを持ちなさい!」

 その怒号が室内に轟き、世界の時間が止まった。


「約束したのはアタシだって同じだよ! もう本島の人間とは関わらないって、アタシと決めた! どうせあいつが何か唆したんだ。一発ぶん殴ってやる」

 婦人は怒りに任せて袖をまくり上げ、鼻息を荒くする。

「やめて。違うよ」

「何が違うのさ。あんたもいい加減に、大人に――」

「分かった」


 絞り出された声は、あまりにも弱っていた。

「分かりました」

 多香音は力無く繰り返す。婦人は横目を流し、小さく悲鳴をこぼした。


 ベッドの上で、多香音の大きな瞳から流れた涙が、白いシーツに絶え間なく染みを作っていく。手で顔を覆い隠しても、止まらない涙や鼻水が容赦なく顎を伝い落ちた。しゃっくりを上げるたびに、華奢な体が跳ねる。

「ちゃんとっ。言うこと聞くか、らぁ。ごめんなさい……」


 ――どうして、悪者のように言う。


 婦人の心中で、大きな音が立てられた。今までの多香音なら、すぐに反発した。生意気にも謝ろうとせず、何も言い返せなくなったら森へ逃げ込んでいた。わざわざ夜通しで駆け回っても、礼の一つも来やしない。

 今の多香音が分からない。そう思ってしまった。


「ご、ごめん。冗談だから。殴らないって」

 婦人は戸惑いながら歩み寄り、彼女の熱い頭を撫でた。

「ほら、泣き止んで。アタシが悪かったから」

 手を握る。やがて、彼女の泣き声が少しずつ収まっていった。

 どこか、懐かしかった。


「おばさん……ありがとう」

「……うん」

 それを聞いたのは、いつぶりだろうか。


 そもそも、自分は何がしたかったのだろうか。


『分からないと、もったいないと思います』

 誰よりも理解していた。そのつもりだった。

 今度こそ傷つけないと誓ったというのに。大事な子供を、知らずのうちにこの手で閉じ込めていた。多香音は自分にとっての宝物を、既に見つけていたのだ。

 それは、ゆかりのない世界だった。


 おかゆを届けた婦人は、心に大きな穴が開き、覚束ない足取りで戻る。まだやることは沢山ある。まず、村のみんなの食事を作って。いや、その前に掃除をしなくては――。

 食堂の入り口には、箒が立てかけてあった。

 婦人はいつも、地面に転がしていた。


「……なんで?」

 食堂の中は、貴族の屋敷と見違えるほどに綺麗になっていた。埃ひとつなく、古びた机や椅子が磨かれている。台所を覗くと、先ほど自分が散らかしたはずの器具や食器などが、完璧なほどに片付けられていた。

 これほど器用なことができるのは、少なくとも村にはいない。


「まさか」

 あの少年の姿は、どこにもなかった。


 ◇


「……本当に、もう出発するのかね」

 村長の屋敷。着替えを終えたクロは、そう尋ねられた。

「まだ元気がないように見えるが」

「体調は回復しました。きっと、気のせいですよ」


 力無い笑顔を見せるが、村長の不安は潰えなかった。

 クロの古びた装備は、光を反射するほどに磨かれている。洗濯から乾いた装備は、村長の家に保管されていた。

 村長は確かに休養を終えたら取りに来いと命じたが、ここまで早く旅立つとは思っていなかった。


「そんなに急いで、そなたは何がしたいのじゃ」

「それは、言えません。ごめんなさい」

 深々と頭を下げた。魔族の謎を追っていることは彼に明かしたが、その理由である怨霊の浄化までは話していない。


 クロは脱獄し、政府から追われている身だ。タイムリミットは刻一刻と迫っている。だが、村を発つ理由はそれだけではない。

 自分はただの通りすがりの旅人。そのはずが、村の日常を脅かしている。もし自分が嵐なら、早く過ぎ去るべきだ。


「……多香音さんには、申し訳なく思います」

 約束を守れなかった。だが、これが正しい選択だ。

 クロはそう言い聞かせ、未練を断ち切るように背を向ける。


「少しいいか」

 重みのある声が、踏み出そうとした足を止めた。

「君は多香音を救ってくれた。心から感謝しておる。この村にとっての宝だからじゃ。君のことも、無事でいて本当に良かった」


 村長が語る間にも、台所から孫の千里が顔を覗かせていた。

「当然のことをしたまでです。村の方々からも、十分すぎるほどのお礼を頂きましたから」

「……その中に、お主のことを心配する声はあったか」


 クロは押し黙った。気づかないふりをしていた。食堂へ向かう道すがら、熱狂する村人たちに囲まれていた時。村長も彼らの声を傾聴していたのだ。

 人々は皆、多香音の無事を喜び合い、感謝を伝えた。

 クロが無事でいたことは、誰も気にしていないようだった。


 老人は力強く杖を突き立てる。

「許されていいはずがない」

 彼の頭は震えていた。


 ふと、かつての会話を思い起こす。

「いつだったか聞いたな。埃が入った茶を、君は飲むと」

『飲みます。捨てるのも、もったいないので』

 あのとき、クロは迷いなく答えた。


「だが、仮にもし。入った埃がとてつもなく大きく、器の中身を全て吸い尽くして、その重さに耐えきれず器すら壊れてしまったら」


 ――君はどうする。


 その質問に、クロは答えられなかった。

「……すまない。変なことを聞いた。忘れて構わない」

 老人は後退りし、クロの旅立ちを送り出す姿勢を見せる。


「だが、これだけは言わせておくれ」


 俺はただ、あんたが心配だ。


 その眼差しには、かつて数多の修羅場を乗り越えてきた冒険家としての、真実を見抜こうとする強い意思が宿っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ