表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウィッチ・クラフト  作者: 新谷時
season2

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/49

第33話 花びらを落とす

 廊下に出たクロは、隣の病室にいる多香音のもとへ向かった。

 木製の床から、ひんやりとした感触が足裏に伝わってくる。

 扉の前に立つと、控えめに中指を打った。


「やっと来た! ノックとかいらないから!」

 中から響いたのは、怒りに燃える声だった。

 どうやら、自分で話せるほどには回復したらしい。

 扉を開くと、赤髪の後ろ髪が目に飛び込んできた。


 失礼します。その頭文字すら許さず、多香音は背を向けたまま怒鳴る。

「遅いよ! ずっと待ってた。早く持ってきて!」

 彼女は腕を組み、機嫌が悪いことを隠しようともしなかった。

 クロには思い当たる節がない。誰かと勘違いしているようだ。


「あの、多香音さん?」

 渋々と声をかけると、多香音は弾かれるように振り向いた。

 扉の傍らに立つクロの姿を認めた瞬間、彼女は目を皿のようにして固まる。しばらく唇を痙攣させていたが、やがて顔を真っ赤にして言い放った。


「なんでいんの!」

「えっと! あの――」

「なんで。ねえ」

 多香音は叫ぶなり顔を毛布に埋め、手近にあった枕を力任せに投げつけた。

 クロは避けようともせず、それを受ける。柔らかい感触が、まるでビンタを受けたような衝撃となって肩を叩いた。


 床に落ちた枕を拾い上げると、彼女の姿はいなかった。

「なんでいんの」

 小盛りの毛布の塊から、くぐもった彼女の声が響く。

「お見舞いに来た、つもりだったんですが。嫌でしたか?」

「知らない! どっか行って」

 うめき声を交え、彼女はそう吐き捨てた。


「わ、分かりました。失礼します」

「……待ってぇ!」

 申し訳なくクロが背を向けた瞬間、はっきりとした声に呼び止められる。多香音は毛布の端から、目元だけを覗かせていた。

「……やっぱなし。今の嘘」


 ちゃぶ台返しのような勢いで毛布を跳ね除けると、彼女はそのままベッドに背中を落とした。しかし、後頭部に当たるシーツの感触が気に入らないのか、不満げにクロを指差す。

「ん!」

「えっと、これですね」

 クロは意図を察し、抱えていた枕を差し出した。だが、彼女は受け取ろうとせず、代わりに首を震わせながら自力で頭を持ち上げた。病み上がりの体に追い打ちをかけるような強情さに、苦笑いを禁じ得ない。


 再び意図を汲み取り、クロは後頭部とシーツの隙間に枕を押し込む。満足したのか、多香音はしばらく何も言わなかった。

 次に彼女が目を向けたのは、ベッドの脇に立つ木の棒だった。そこに吊るされた冷水の入った袋を求めたが、手が届かない。

 すると、多香音は得意げに鼻を鳴らした。


 クロは吊り棒の裏に回り込み、仕掛けに手をかける。

「これ。どうやって動か――」

 金具から紐を取り外した瞬間、紐が勢いよく上へ吸い寄せられる。吊り下げられた冷水の袋が多香音の額を直撃した。


「あっ。ああーっ! ごめんなさい!」

 クロは真っ青になって袋を持ち上げたが、漏れ出た水滴が彼女の瞳を無情に突き刺す。多香音は嘆きの声を上げた。

「もういやぁぁ。いいことないぃ」

 クロは必死に袋を抱え直す。紐の先を辿ると、吊り棒に固定された滑車に行き当たった。どうやら長さを調整するための金具らしい。取り外せば落ちるのは当然だった。


 原理を把握したクロは、今度こそ袋の高さを調整し、熱い額の上へそっと乗せる。だが、彼女の機嫌をさらに損ね、クロは口を噤んでしまった。

 やがて、多香音が苛立ちをぶつけるように布団を強く叩いた。

 クロの肩がびくりと跳ね上がる。


「……座って」

 少し戸惑った後、クロは大人しく腰を下ろした。

 多香音から何かを訴えかけるような眼差しを向けられ、クロは思わず顔を逸らした。妙な違和感が胸で蠢く。


 乱雑に結ばれていた長髪は、今では淑やかに流している。土汚れに染まった皮膚も清められ、露出を抑えた純白の寝巻が、彼女をいっそう儚げに見せていた。

「風邪っていいことない」

 ふと、彼女がかすれた声で呟く。


「死ぬほど頭痛いし。お腹らへんも痛いし。熱いのに寒いし。意味分かんない。しかもみんなに文句言われるんだよ? ひどくない? こんなに可哀そうなのに」

 ゆっくりと上体を起こし、縋るような視線を向けた。

「……そんなこと言わないよね?」

「は、はい。当然です」

 クロは気圧されるように、何度も深く頷いた。


「なんで風邪なんて引いたんだろ」

「弟さんのがうつったとか?」

「近づいてないもん」

「やっぱり、川で遊んだ後に体を拭かなかったから――」

「そんなのしょっちゅーだし」


 彼女の話では、真冬に同じ無茶をした時ですら、鼻水ひとつ出さなかったらしい。風邪を引いたのは初めてのことだった。

「……てか、今のひどくない」

「え?」

「責めてるみたいだった。こんなに辛いのに、私のせいだって」

 多香音は今にも零れそうな涙目で、クロを睨みつけた。


「そっちだって悪いし! 私が風邪ひいたのも、そっちのせい!」

「どうして!?」

 クロは本心をそのまま口に出した。

「もう傷ついた。動けない。ねえ。代わりにおかゆ持ってきて」

「おかゆ、ですか?」

 クロは首を傾げる。そういえば、室内に入る前に、彼女がそんなことを言っていた気がする。


「食堂のおばちゃんにお願いしたのに、全然持ってきてくれないの。だから代わりに持ってきて」

 それくらいなら安い御用と答えたかった。

『あたしの食堂には来させないよね!』

 しかし、クロはあの婦人から人一倍恨みを買っている。


「……他の方に頼んでも――」

「ダメ! クロじゃなきゃやだもん」

 念のために尋ねたが、分かり切っていた回答だった。きっと婦人との対立は避けられない。クロは肩を落としながら、出口の扉へ向かった。


「クロ」


 ふいに名を呼ばれ、クロは立ち止まって振り返った。

 時間が止まったように感じた。カーテンから入り込んだ風が、上体を起こした彼女の前髪を撫でた。そばに生けられた花瓶の撫子が、一枚の赤い花びらを落とし、白いベッドのシーツへ舞い落ちる。


 その瞬間は、二度と忘れられない。そう思わされる。

「……早く戻ってきてね」

 胸を打たれたように、クロは目を見開いた。

 それから、しばらく口を閉じる。


「早く元気になるといいですね」

 クロは穏やかに笑みを浮かべるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ