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ウィッチ・クラフト  作者: 新谷時
season2

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32/49

第31話 勘違い

「……」

 最後の身魂を討ち果たしたクロは、魔器を下ろすことなく、じっと固まっていた。

 肉を断つ感触を覚え、魔器を鞘に戻し、両手を合わせる。


 身魂を倒し切ったことで、森に漂っていた憎しみの念が完全に消え去った。まるで長年の呪縛から解放されたようだ。かつての重みはもうない。

 あの身魂たちにも、還るべき場所があるかもしれなかった。


「どうか、報われてください」

 強く祈りを捧げ、クロはゆっくりと手を下ろした。


 精神が落ち着いてくると、途端に疲労が押し寄せた。先ほどの遺跡を調査したいところだが、今は村長に事変を伝えるのが先決だ。

 わずかな月光を頼りに、クロは森を抜ける。せせらぎが聞こえてきて、三本の川に辿り着いた。多香音と休憩した水滴の跡は、もう消えている。


 水面に足を踏み入れると、凍えるような流れが容赦なく足を攫おうとする。クロは必死に濁流を押し分け、何とか対岸を渡り切った。

 こんなとき、多香音がいてくれたら。

 そう思っても、彼女の朗らかな声が聞こえてくることはなかった。


 残りの道も楽ではなく、山林が果てしなく続いていた。どれほどの時間が経過したことだろう。今すぐ横になりたいという衝動を抑え、見覚えのある光景を何度も横切っていく。やがて、最初の遺跡に辿り着いた。


 そこには、多香音と囲んだ焚火の跡が残っている。

 力無い欠伸をしながら、クロは歩みを進めた。


 いつしか月が沈み、遠くの稜線から橙色の柔らかな光が差し始める。ひと休みした川の音を拾い、林道には大岩が聳えている。

 ようやくここまで来た。村までの距離は近い。


 村に到着したら、まず村長の家に寄る。少し休んだら、旅を再開する。

 魔族に関する情報は何も掴めなかったが、それよりも重大なことが起こった。脳裏に過ぎるバケモノの姿。


 朝日の光が目元まで伸びてくる。うつむいていたクロは、眩しさに顔を上げた。

 その先で、人が倒れていた。


「……え? あれ」

 現実離れした光景に、クロの口から呆気ない声が漏れた。

 次第に事の重大さを理解していき、鼓動が早くなる。


 勘違いしていた。平穏は、いつまでも続かない。

 森の出口だ。道に伏せるようにして、人が倒れている。


 クロの位置からは遠く、姿がよく見えない。人形のように微動だにしなかった。

「あの、大丈夫ですか――」


 声を張った瞬間、足元がぐらりと揺れた。

 足元には何もないのに、躓きそうになった。油断すれば気絶する。クロにも余裕がなかった。


 重荷となった鞄をその場で脱ぎ捨て、鞘から引き抜いた魔器を杖代わりにして歩く。その姿が鮮明になっていく。

「――」


 声にならない悲鳴が溢れ出した。

 傷だらけのブーツ。土汚れに染まった素肌。大きな影が体格を物語っている。地面に埋めている顔の先から、赤色の髪が広がっていた。


 多香音だ。


「た、多香音さん」

 舌が震える。クロは疲労を忘れ、彼女へ駆け寄った。

 激しく揺れ動く視界に、痛ましい現実が突きつけられる。紛れもなく多香音だった。


 彼女の傍らに辿り着いたクロは、硬い地面に膝を落とした。意識を呼び覚まそうと、祈るような心地で手を伸ばす。

あっ――っ!?」


 指先が彼女の素肌に触れた瞬間、まるで炎に触れたような刺激が走った。体温が尋常ではない。

 顔を近づければ、塩を蒸したような匂いが鼻を突く。全身が大量の汗に浸っていた。


 クロは素肌を避け、シャツを掴んで必死に揺さぶった。

「……ぁ……」


 かすかに聞こえてくる、弱り切った声。まだ生きている。

 束の間の安堵を切り、彼女の体を横へ転がした。泥に染まった頬は、熟した林檎のように赤く染まっている。


「む、村は?」

 とっさに顔を上げる。遠景にある村は、変わり映えのない様子だった。異常があるのは多香音だけだ。

 村へ連れて帰り、誰かに診てもらえば、きっと助かるはずだ。


 彼女の太い腕を掴み、火傷しそうな熱さを堪えながら、無理やり自分の肩へ担ぐ。そのまま立ち上がろうとした瞬間。

「――重っ!」


 凄まじい重圧がのしかかり、思わず地面に手をついた。

 クロと彼女の息切れが交わる。多香音の腕から垂れ落ちた汗が、クロの背筋を冷たく伝った。


 陽炎のような熱が意識を掻き乱す。今この瞬間に両膝を折れば、背負った重みに押し潰される。

 今の彼女を救えるのは、自分しかいない。その確信が、折れかけた精神を繋ぎ止めた。


 震える四肢に渾身の力を注ぎ、強引に押し伸ばす。自分よりも一回り大きな多香音を支え、泥を蹴って大きく足を踏み出した。

「大丈夫です。多香音さん!」


 肩に回した彼女の熱い手を、強く握り直す。天を仰ぐように顔を振り上げると、叫び出したい衝動を飲み込み、村へ向かって走り出した。


 地獄を走っているような感触だった。せり上がってくる胃酸を必死に喉の奥へ押し込む。村まであと少しだ。しかし、村人たちは誰もクロに気づけていない。


 ぐらつく意識を持ちこたえる。眩暈がし、馬小屋が四つに重なって見える。足がもつれる。何度も転びそうになるが、そのたびに耐えた。

 ――諦めるな。数え切れないほどに繰り返す。


 朝の作業をしていた村人と、クロは目が合った。

 その瞬間、不意に足が浮き上がる。ついに力尽きて倒れた。力が逃げていく。立てない。


「――ぁ……――っ!」

 誰かの声だろうか。何か叫んでいる。よく聞こえない。


 背中が重い。

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