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ウィッチ・クラフト  作者: 新谷時
season2

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第29話 剥がされた憎悪

 夕焼けと溶け合う森林。足音が自分のものだけになると、途端に不安が胸を締め付ける。すぐ近くで聞こえた頼もしい音は、どこにもない。

 これでよかった。クロは自分に言い聞かせ、鞄の紐を握る。


 次の一歩を踏み出した瞬間、背筋に氷を押し当てられたような悪寒が走った。震える唇を必死に閉じながら、その鬼気を実感する。やはり、気のせいではなかった。


 奥深くの闇に潜む遺跡が、禍々しい気配を放っている。

「……うう!」


 拳を握りしめ、緩やかな坂を一気に駆け上がった。足を動かすたびに、自分を奈落へ突き落とすような畏怖が足元から這い上がってくる。振り絞った最後の力を、終点で踏みつけた。


 先に待ち受けていたのは、想像を絶する物寂しい光景だった。

 剥き出しの平地に、一枚の石壁が孤立していた。たったそれだけだ。


 これまでの遺跡は、どんなに小規模でも数多くの瓦礫が散乱していた。ここには崩れた破片ひとつ落ちていない。未曽有の鬼気を感じさせた遺跡の正体が、本当にこれだったというのか。


「……何か書いてある?」

 その石壁には、天井が影を作っている。姿を隠すかの如く、小さな文字が掘られていた。極めて小さく、目を凝らさなければ目視できない。


「なんだろう」

 関心を寄せ、クロは歩を速める。

 普段より冷たく響く足音が、地中へ吸い込まれていく。その残響に反応するように、土の奥からうめき声が聞こえた気がした。


 無意識のうちに、クロは背中の鞘から魔器を引き抜いていた。そして、クロは天井の下に踏み込む。

「……あれ」


 何が書かれているか読める。人間の言葉で掘られていた。

 あり得ないことだった。魔族が使う言葉は、人間のそれとは異なっており、解読も不可能だ。村長はそう言っていた。これまでの調査の記録でも、文字の存在など明記されていない。


 辛うじて読み取れる文字を、クロは口に出してみた。

「……嘆きの声よ。我が眼前に響け」


 からっ風が落ち葉を吹き荒らし、おどろおどろしい反響音が木霊する。

「穢土の傲慢に侵されし不治の奴隷よ。(めい)を覚えよ」


 紡がれる言葉ひとつひとつに、重みがのしかかる。心臓が早鐘を打ち、肺の空気が奪われていく。それでも、口は止まらない。


「我は汝を求む。汝の行進を我が意のもとに、示せ――」


 それは言霊となり、クロの声に答えた。

 文字に気を取られたクロでさえ、瞬時に感じ取った異変。背中に突き刺さる気配に、クロは吸い寄せられる。


 何もない空間に、次元のほころびが口を開いた。光と闇を束ねる破片が散乱し、漆黒の歪みがひび割っていく。そして、黒い腕が這い出てきた。

 現世に投げ出されたのは、名もなき怪物だった。


「……な、なに?」

 クロは後ずさる。背中が冷たい石壁に触れる。

 得体の知れない恐怖に飲み込まれる中、ただ一つの命令が聞こえた。


 武器を構えろ。本能に従い、クロは魔器を構えた。

 地にひれ伏す怪物は、この世のものとは考えられない声を出す。そして、クロに襲い掛かった。爪を立て、こちらへ跳び込んでくる。


 ――どうやって止める。殺すことは、できない。


 黒い霧に染まる怪物は、クロの頭上を横切った。

 その先にあった壁が突き破られ、石が崩壊する。頭上から天井が降り注ぎ、屈み込んだクロはとっさに身を投げ出した。


 その刹那、背後の壁が大きな音を立てて崩れ落ちる。砂埃が舞い、視界が白く霞んだ。

 転倒した衝撃にうろたえながら、クロは必死に呼吸を整え、刮目する。まだ、怪物がいる。


「くうっ!」

 小鹿のように震える足を叩き起こし、クロは魔器の柄を握りしめる。鉄を這い上がる炎が、黄昏を照らした。


「ァ……ァァ……」

 考えるより早く悟った。あの怪物は、話の通じる相手ではない。


 あれは、魔族なのだろうか。歴史書や手帳に記録された特徴とは、似ても似つかない。魔族には理性もあったようだが、あの怪物にはない。そもそも、魔族は半世紀前に封印されたはずだ。


 殺すべきなのか。その権利が、果たして自分にあるのだろうか。考える猶予は、そこで途切れた。


 異形は四足獣さながらに大地を駆け抜け、黒い爪を翻す。最初の一撃を紙一重で回避するも、間髪入れずに追撃が襲った。

 必死に攻撃を見切ろうとするが、爪先が頬に届き、糸のような血が宙を舞う。


「ご主人様!」

 胸の内のユキが叫ぶ。


 どうすればいいか、分からない。

 回避を続けながら、刀身を震わせる。やはり、自分にはできない。この魔器も他者を守るために作られた。自分のために命を奪う無機物ではない。ユキにも責任を押し付けたくはない。


 それに、この怪物にさえ、愛すべき家族がいるかもしれない。

 家族。その言葉に、アネモネ村の住民の姿が過ぎる。つい先ほど別れた多香音は、今もこの近くにいる。本当の家族が滅ぶかもしれない。あの笑顔は、奪われるべきではない。


 ――迷いを断ち切るように、クロは地面を踏み砕いた。

 次の一撃を控える怪物の首元を捉える。刀身から突きだした炎は、色鮮やかに激しさを増し、空間を震わせた。


 ファイアー・クラフト (まん)(どう)(とう)


 立ち昇った業火が一閃の軌跡を描き、絶望の首を断ち切った。


「ハア……ハア!」

 鉄の剣から、炎が散っていく。

 首が泣き別れになった怪物は、死骸になって動かなくなった後、灰燼と化して空へ消えていった。


「やっぱり、人間じゃなかった」

 頭では理解していても、柄を握りる手のひらに、汗がにじんでいく。剣を伝う感触は、あたかも人間の首を切断したように生々しかった。


 怪物の消滅により、遺跡に漂っていた空気の重みが緩和されていく。

 だが、全てが消え去ったわけではない。森の奥から、同じ気配が漂い始める。


 それは、ひとつではない。数え切れないほどの憎悪が息を潜めていた。

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