第2話 無力な器
学園の鐘が鳴ると、担任の先生が教卓の前まで歩いてきた。
「おはようございます。ただいまから出席を取ります」
先生が教卓の上に乗せたのは、大量の巻物が入った木箱だ。
教室にいる生徒たちは、共通の予感がよぎった。
「今から以前お伝えした初期成績を配ります」
「朝からかよ。せめて帰りに渡してくれよなぁ……」
クロの前にいる竜胆が、机に突っ伏した。
それを見たクロは宥めるように微笑むが、すぐに緊張で腹を抱えた。優秀な成績を取らなければ、家族に失望されてしまう。だが、前回までは及第点を取れていた。今回も大丈夫なはずだ。
「久土さん」
竜胆が名を呼ばれ、席から立ち上がる。
教卓から巻物を受け取り、中身の成績を広げると、彼は笑いを溢した。
「――事代さん」
彼が席に戻ると、すぐにクロの名が呼ばれる。
今までよりも先生の声が低まった気がした。
クロは教卓へ向かい、成績を待つ。木箱からクロの巻物を手に取った先生は、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべるのだった。
◇
「まあ、仕方ないよな」
窓の外を眺め、竜胆が肩をすくめる。
クロが机上に広げた成績は、最低評価だった。
学園に入学してから四年が経つが、これほど低い成績は初めて見る。低学年から上がった影響で、査定の基準が厳しくなっていた。
「評価の基準はほぼ実技だけど、クロには難しいもんね」
「おい、もっと言い方があるだろ」
「いいんだ。ありがとう、二人とも」
クロは力無く口角を上げ、竜胆と美琴を宥める。
「行こうぜ。次の授業に遅れちまうよ」
促されるまま、クロは椅子から立ち上がった。
廊下を歩き、二人の会話を聞きながら、クロは下を向く。
クロは無為体だ。実技を熟せるわけがなく、筆記で稼ぐしかない。学園での通学を続けるため、クロは事代家の命から自分の体質を偽っていた。
そして、次の授業は実技室で行われる。
今のクロにとって、最も避けたい場所だった。
◇
「みなさんは本日、成績を配布されたでしょう。中には結果に満足できなかった生徒もいるかもしれません。成績で最も重要なのは実技です」
漆黒の衣装をまとった中年の女性教員が、冷徹な声で告げた。実技室は長い机が並び、周りの棚には様々な道具や作品が並んでいる。
「そこで、魔法についてのおさらいをしましょう」
教師は黒板の前を何度も往復しながら語った。
「魔法とは、脳内に念じた像を具現化すること。生物の脳に備わっている“魔材”によって発生します。しかし、才や教養が低ければ、水の一滴を生み出すことすら困難です。つまり、構築者のモチベーションによって左右されます。よって、今回の授業では実技の課題を出します」
教室のあちこちから、歓喜の声が上がる。
「お静かに」
教師がステッキを振り、黒板に叩きつけた。
「時間はありません。普段と同じ班になってください」
教師が指を鳴らすと、生徒たちは一斉に席を立った。
クロは深く肩を落としながら、重々しく腰を上げた。他の生徒にとって実技は歓迎の嵐だが、魔法が使えないクロにとっては存亡の危機だ。
実技の授業が始まると、教師は室内を旋回しながら言葉を重ねる。
「魔材で創造してよいのは、これまでの学習範囲内です。《《この世界の理に背く》》ものも禁じます。また、作品として認めるのは、個人の製作のみとします」
生徒たちの熱気に掻き消されながらも、教師は淡々と制約を告げる。長机に並ぶ生徒たちは、既に各々の作業に没頭していた。
「さっき、先生が何か言っていたような……」
「よし、俺たちは共同で作品を創ろう」
教師のほうを振り向くクロをよそに、同じ班の竜胆が宣言する。
「共同なら、クロが悪目立ちすることもないだろ」
彼の提案に、同じ班の美琴と晃も同意した。
「あんたにしては、珍しく頭を使ったじゃない」
「いいと思う! クロくんはアイデア担当だね」
「……みんな」
彼らの優しさが、クロの胸に沁みていく。
だが、助けられてばかりの罪悪が、常に過ぎっていた。
「早く始めるわよ。何を作るの?」
美琴に促され、クロは連想したものを小声で伝え合う。
時計の針が九時を回り、彼らは作戦を始めた。
「まずは俺からだな」
竜胆は肩を回し、得意げに手をかざす。
プラント・クラフト オリジンルート。
彼から溢れ出した魔材は、木の根を創り出した。手の向きを巧妙に変えながら、伸び続ける枝の軌道を操作する。複雑に絡み合い、模型を支える骨格が形成され、中の空洞を埋め尽くしていった。
「……ふう。できたぞ。どうよ」
「いいと思うよ」
クロを割り込み、美琴たちが顔を近づけた。
「なにこれ。雑すぎない? 太った蛇にしか見えないわよ」
「で、でもちょっとかわいいかも」
その変形した木像は、本来なら竜の形をイメージしていた。
「仕方ないか。あんたの魔法が雑なのは昔からだもんね」
美琴はどこか自慢げに言い放つと、その場から退けと言わんばかりに竜胆を押しやる。彼女はしなやかに手のひらを構えた。
「よく見てなさい」
ウォーター・クラフト マテリアルアクア。
落ち着いた声で唱えると、収束した魔材が小さな水の球体へ変換された。
美琴はその極小のマテリアルを、模型の口元へ導く。木像に咥えさせると、細く澄んだ水流が吹き出し、木の器へ溜まっていく。
「オマエだってションベンみたいな」
無言で竜胆の頭を殴り、美琴は視線を晃へ向ける。
「仕上げに晃ちゃん。お願いね」
「や、やってみる」
ファイアー・クラフト!
木像の目から伸びた草に、晃の炎が移る。懸命に生み出された小さい熱は、まるで瞳に命が宿ったかのように煌めいた。
「えっと、魔法の名前なんだっけ?」
「晃ちゃん。あなたは天使なの?」
「それより見ろよ、完成したぞ!」
抱き合う女子たちに構わず、竜胆が誇らしげに作品を指差した。太い首の竜が口から清流を注ぎ、その瞳には紅蓮の炎が宿っている。
少し離れた場所から見守っていたクロが、ふと尋ねた。
「作品名はどうする?」
「そうだな。『自然の神』なんてどうだ?」
その時だった。
「なんですか、これは」
騒ぎを耳にした教師が、忙しい足音を立てながら現れた。四人の間に割り込むようにして顔を出し、机上の作品を冷ややかに覗き込む。
「俺たち四人で創りました!」
「割と自信があるんですよ?」
「ど、どうでしょうか。先生……」
三人は口々にアピールした。その熱意の傍らでは、クロが力なく立ち尽くす。
魔法が苦手なクロを庇うために、竜胆は共同作であることを強調した。これなら、クロが一人だけ追い詰められることもないはずだ。
そんな思惑も、次の瞬間に打ち砕かれた。
「話を聞いていなかったようですね」
威圧的な声が、三人の意気を一瞬で沈めた。
「作品として認めるのは、個人の製作のみ。私は先ほどそう述べました。この作品を課題として提出することは認めません」
教師がわざとらしく大きな声を出したので、生徒たちの視線が集中した。
「……そんなこと言ってたっけ?」
竜胆の呑気な囁きに、美琴は耳を貸さない。室内に視線を走らせると、他の班にも共同で作品を創り上げた者がいた。しかし彼らは、教師の言葉を聞いた途端、ひっそりと作品を破壊し、個人の作成に切り替えた。
「――あいつら」
美琴が舌を巻いた瞬間、教師の顔がさらに間近へ迫る。
その光景を、クロは一歩引いた場所から見つめている。自分の無能さを隠そうとしてくれた友人たちが、飛び火を受けている。このままでは駄目だ。
「いいでしょう。これも良い機会です」
クロが足を踏み出した瞬間、教師は誇示するように手を打ち鳴らした。
「ただいまから、この班の生徒一人ずつ、私の前で作品を創ってもらいます」
クロの心臓が跳ねる。無為体であることが浮き彫りになってしまう。壁の時計を見るが、鐘が鳴るまで時間がある。大人しく謝罪するべきだ。
「ほう。バイオリンですか」
既に検証は始まっていた。美琴は小さく舌打ちを漏らすと、手のひらから水の球体を生み出し、バイオリンの模型へ見事に変形させた。
関心を失ったかのように、教師は次の生徒へと視線を移す。
「あ、あわやぁ」
半ば涙目になりながらも、晃はリンゴの形をした炎を浮かせた。
クロの顎から冷や汗が伝い落ちる。教師がクロの正面へ歩み寄った。
「待てよ!」
ついに我慢の限界に達した竜胆が、大声を挟んだ。
「こんなのおかしいだろ!」
「言いつけを破ったことの罰です」
「なら最初に言えよ! 見世物にしやがって。ていうか、そもそも個人作成なら、班に分ける意味もないし。ただの嫌がらせじゃないか!」
「ちゃんと聞かなかったあなたが悪いのです。別に従わなくて構いませんよ」
教師の声音には、一切の慈悲もなかった。
彼女の顔に気味の悪い陰影が広がり、怖気づく竜胆へ迫る。
「ただし、あなたが学園のルールを破ったことを知れば、ご両親はどう思うでしょうね?」
竜胆は呻き声を漏らし、後ずさった。悔しさを押し殺すように下唇を噛みしめながら、彼は魔法で木の枝を伸ばし、弓矢を形作る。
「よろしい。あなたは口の利き方も矯正した方が良いでしょう」
教師は冷たく言い放ち、竜胆を下がらせた。
すれ違いざま、彼はクロにだけ聞こえる声で呟く。
「クロ。悪い……」
「いや、そんな。竜胆のせいじゃ」
悪いのは、魔法を使えない自分だ。
教師の足が、立ち尽くすクロの影を踏み入れる。
「最後に、あなたです。早く始めてください」
もう逃げ場はない。藁にもすがる思いで、クロは両手を突き出した。
何も起こらない。クロはそのまま両手を下ろす。
「……できません」
「いいでしょう」
やがて教師は、興味を失ったようにクロに背を向けた。
助かった。淡い希望も一瞬で潰える。
「明日もこの授業があります。そこで、あなたには課題を提出してもらいましょう。それまでに、自宅でしっかりと練習をしておくことです」
その忠告を最後に、校内で鐘が響き渡るのだった。
明日の時間、また同じことが起こる。何度やっても結果は変わらない。
何より、友達を巻き込んでしまった。
「……なぁ、クロ」
生徒たちが次々と教室を出ていく中、竜胆がクロの肩に手を置いた。
「なんとかしよう。放課後、みんなで一緒に考えようぜ」
その言葉に救われかけるが、クロは自ら振り切った。
「きっといつか、魔法を使えるようになるから」
「――もう僕のことは、助けなくていいよ」
クロは両拳を強く握りしめる。
「そのほうが、みんなのためだから」
彼らの呼び止める声に耳を塞ぎ、クロは教室を駆け出すのだった。




