第27話 攻守交代
次に目が覚めたのは、多香音に耳元で叫ばれたときだった。
彼女は起き上がるなり、遺跡の先にそそり立つ崖を登ろうと息巻いた。安全な回り道を提案するクロには耳を貸さず、迷いなく絶壁を登り詰めていく。
荷物をまとめたクロは、ひと足先に進む多香音に遅れ、手を伸ばした。冷たく湿った岩に、震える指先を走らせる。頭上の多香音が蹴り落とした小石が、真下のクロへ直撃した。
なんとか頂上付近まで登り詰めたが、最後の一手が届かない。苦悩していると、多香音が手を差し伸べて助けてくれた。
その先では、茨の森が広がる。クロが魔器を振るい、行く手を阻むツタを取り除いていく。しかし、慎重なクロに痺れを切らした多香音が魔器を奪い取り、凄まじい速度で森を突き進んだ。
終点に孤立する、第二の遺跡。そこでも、何も得られるものはなかった。
茨の森を抜けると、巨岩が点在する広大な草原が待ち受けていた。
多香音は剥き出しの黒い岩石をよじ登り、手庇を作って辺りを見渡す。彼女が指差した方角に、薬草がある予感がしたらしい。
緩やかな丘を降ると、三本の川に出くわした。
多香音にとっても初めての光景らしく、子供のように瞳を輝かせている。小さな魚の群れが筋を描くように泳いでいた。素足になった多香音が踏み込むと、一斉に逃げ出してしまう。
その様子を面白がった彼女の後ろでは、クロが肩を落としていた。
多香音に手招きされ、クロもブーツや靴下を脱ぎ、冷たい水に足を踏み入れた。
すると、飛沫を上げながら向かってきた多香音が、強引に手を掴む。彼女は水を割るような勢いで、自然を突き進んでいった。
二本目の川を過ぎた瞬間、多香音の指がクロの腕から滑り落ちた。彼女は振り返ることなくクロを置き去りにし、対岸へ渡り切ってしまう。
三本の川を抜けた頃には、二人はずぶ濡れになっていた。
◇
「いやあ! 楽しかった!」
川沿いに腰を下ろし、多香音は足を投げ出した。
体を乾かすため、二人は肩を並べて休憩した。
「毎日こうだといいんだけどな」
遊泳する雲を眺めていると、多香音の声がふと弱まった。
「こうやって誰かと遠くまで行くのは、あんまないかも」
「普段は一人なんですか?」
「村のみんなはケチだから付き合ってくんない。弟もノリが悪いし」
つま先をぴんと伸ばし、多香音は川の水を軽く蹴る。その横顔に隠し切れない寂しさに、もう少しだけ耳を傾けていたかったが、雲の動きは止まらない。
クロは決心して本題を切り出した。
「……ところで、薬草の場所は分かりましたか?」
「え?」
心当たりがないかのように、多香音は喉を鳴らす。
「さっき、この辺りに気配があるって」
その言葉を頼りにしてきた。多香音の目的は、弟の風邪を治す薬草を探し直すこと。だが、彼女は何事もなかったかのように身を乗り出した。
「ねえ。次はどこ行く?」
川のせせらぎが、先ほどよりも遠く聞こえる。
「私、あっちのほうも気になるんだよね!」
彼女は弾けるように立ち上がり、小高い山を指差した。次の遺跡とは真逆の方角だ。
「あの、多香音さん。村長さんの話を覚えてますか?」
クロも立ち上がり、彼女と視線を合わせた。
「僕も別件で用事があって」
「それは虫でしょ? もうよくない? いないって」
笑い飛ばしながら、多香音は次の目的地を目指しようとした。
確かに今までの道は、彼女に助けられてきた。しかし、このままついていけばキリがない。学園を脱獄してから、既に二晩を過ごした。もはや不在が発覚していないと考えるほうが不自然だ。
それでも、彼女を傷つけたくもない。歯がゆい選択に決別がつかず、クロは虚ろに歩き出す。やがて、ある決心をする。クロは顔を上げた。
「ここからは、分かれて行動しませんか?」
腑抜けた声を漏らし、多香音は振り返る。
「僕はあの先の遺跡を見てくるので、多香音さんは薬草を探してきてください。お互い目的を達成したら、またここで落ち合いましょう」
「どういうこと?」
「えっと。ですから。多香音さんはあっち。僕はこっちに行きます」
「……私一人で?」
「は、はい」
「そんなのやだよ!」
多香音は叫び、クロの手を強く引っ張った。
「一緒に行くの。用事なんて明日でいいじゃん」
力が強く、足取りが奪われる。
「わ、分かりました」
その声に、多香音は力を抜いた。
「でも、先へ進ませてください。一緒に薬草を探すので」
赤く腫れた腕を押さえこみ、クロは深く頭を下げた。
「お願いします」
「……分かった」
多香音は背を向け、不満げに声を漏らした。
「許してあげる」
クロは力無く微笑み、次の目的地へ視線を向けた。
◇
クロは地図を開き、森林を歩いていた。三本の川を越えた先の深い森林。そこに、三つ目の遺跡がある。
これまでの遺跡は、何も情報を得られなかった。急がなければ。もう後がない。
クロは薬草を探りながら、遺跡の在りかを目指して視線を回した。
「ねえ。それってそんなに大事なものなの?」
後ろを歩く多香音が、退屈そうに言う。
「大事かどうかを確かめるために行ってるんですよ」
「虫なのに?」
唇を尖らせ、子供のように問いを重ねる。
「じゃあ、私とどっちが大事?」
唐突な問いに戸惑ったが、クロはすぐに答えた。
「もちろん多香音さんです」
「じゃあもっと寄り道しようよ! 話が違うじゃん」
(それは天秤にかけているのが多香音さんではなく寄り道だからでは……)
クロは説得を重ねながら、足を速めた。
「すみません。もちろん多香音さんとの時間も大切です。でも、これだけは僕がこの島に来た意味でもあるんです」
魔器の重みを確かめながら、クロは続ける。
「ですので――」
その瞬間、クロは足を止めた。
「どうしたの」
「……多香音さん。やっぱり寄り道しましょう」
それを聞いた多香音は、飛び跳ねた。
「よかったぁ!」
機嫌を取り戻し、彼女は来た道をスキップで駆け戻っていく。
「まだ、一緒にいられて……」
彼女はクロの届かない声で、密かに息を漏らした。
その後ろ。クロは鼓動が鳴り止まず、吐き気すら伴った。後ろから、誰かが迫っている気がしてならず、冷や汗が滝のように流れる。
この先に、間違いなく遺跡がある。
しかし、近づいた瞬間、悍ましい鬼気に襲われた。抱え切れない殺意を間近で向けられたようだった。他の遺跡からは感じなかった異変。
多香音が危ない。クロも平常心を保てる自信がなかった。無関係な人間を巻き込むわけにはいかない。
遺跡に向かうのは、多香音と別れた後だ。




