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ウィッチ・クラフト  作者: 新谷時
season2

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第26話 初めての遺跡

 二人が遊び終えた後、クロは心の中にユキをしまった。


「精霊だったんだね。びっくりだよ」

 大岩の上に腰を下ろし、濡れたシャツの裾を力任せに絞りながら、多香音が言う。

 逞しい腕が動くたび、生暖かい水滴が灰色の岩肌に散っていった。彼女は濡れて泥を噛んだ足の裏を適当に払うと、そのまま靴下の中へ無理やり押し込んでしまった。


「もっと遊びたかったのに……だっくしゅっ!」

 豪快にくしゃみをし、鼻水をシャツでこすりながら、多香音は悪戯っぽく笑う。


「大丈夫ですか? 戻って体を拭いたほうが……」

「やだ」

 鼻息を鳴らし、彼女は岩から地面へ軽やかに飛び乗った。

「めんどくさいもん。濡れたくらいで死にはしないし」


 クロの気遣いを意に介さず、多香音は天高く拳を掲げる。

「さっ! 冒険を続けよー!」

 もはや、彼女は本来の目的を忘れていた。


 クロも旅を続けたいところだが、既に日没が近く、景色はいつの間にか橙色に染まっていた。多香音が進んでいく先には、最初の遺跡がある。その探索で、今日は終わりを迎えるだろう。


「あ、そうそう。奥にさ。変な建物? みたいなのがあるの」

「……何かいたりとかしませんか?」

「えっ?」

 妙な問いに、多香音は一度足を止めた。


「まぁ、虫とかはいるよ。あ、そうだった! 珍しい虫を探してたんだったね。そっちの用事もそれなの? おじいちゃんが言ってたやつ」

「そんなところです。遺跡にしか生息していないみたいで」


 何とか誤魔化せた。隠し事は本望ではないが、本当の目的を隠したまま、魔族の痕跡を調査できる。

 そして、最初の遺跡に辿り着いた。


「……これが、遺跡?」

 想定から大それていた。建物という割には、森林で開けた地形に、瓦礫が散乱しているだけだ。唯一形を保っている長方形の柱は地面に埋まっており、大きな影を作っている。


 クロは思わず駆け出し、壁に手を触れた。

「何も書かれてない……」

 指先に伝わるのは、ただの風化した岩の感触だけだった。


 どの壁も同じだ。いくら見返しても、魔族の謎に迫るような痕跡はない。実際に怨霊を発現させたクロでさえ、何も感じ取れなかった。

 もし、別の遺跡も同じだったら――。


「大丈夫?」

 壁にもたれかかるようにしたクロは、後ろの多香音から心配された。

 我に返り、クロは首を振る。

「すみません。なんでもないです」

「変なのー」


 疑わしげに口を尖らせながら、多香音は壁の上に乗った。

 もう日が落ちる。彼女の赤髪すら見えなくなっていく。遺跡の先には巨大な崖が待ち構えていた。これ以上は進めない。


「……夜ですね。一旦村に戻りましょう」

 すると、多香音は腕を組み、悩ましそうに鼻を鳴らした。

「いや! 今日はここで野宿しよう!」

「の、野宿? ちょ、待って」


 クロの呼び止めに耳を貸さず、多香音は森林を突き進んだ。

「ずっと燃えそうな枝。どれだろ。よく見えないなぁ」


 後を追いかけると、多香音は腰を下ろし、枝を探していた。

「ちっちゃい枝を探してる。こんくらいの」

 多香音は指を広げて大きさを示した。暗くて全く見えないのは言えない。


「野宿には焚火がつきものじゃん? よし、手分けして探そ。私はあっちいくから。クロはそっちね。あの変な岩のとこで落ち合お!」

 軽快に手を振りながら、彼女は呆気なく常闇へ消えていった。


 今度こそ取り残されたクロは、バックの紐を強く握る。

 暗い場所は苦手だ。おまけにすぐそばには得体の知れない遺跡がある。


 何も見えない常闇を、手を伸ばしながら進んだ。もし急に虫に噛まれたら――そんな妄想で背筋が凍る。魔器の炎で照らすこともできるが、森林に燃え移る可能性がある以上、絶対にできなかった。


「どこだ。ここどこー……」

 地面に手を走らせ、必死に枝を探す。


 いくつか手頃な枝を見つけるたび、片手に収めた。その動きを繰り返していくにつれ、緊張が和らいでいく。思いのほか、簡単に集まる。とつぜん誰かに襲われるなんてこともなかった。


「ひっ!」

 後ろの茂みから、物音がした。

「だ、誰ですか? 多香音さん? そうですよね?」

 返事はない。


 クロは後退りする。茂みは今も動いており、まるで怯えるクロを誘っているかのようだった。

 肌にまとわりつく蒸し暑い空気の中で、冷たい汗が頬を伝い落ちる。爪先を立て、茂みの奥を覗こうとした。


 ――何かいる。


「ばあっ!」

 聞き覚えのある大声と共に、多香音の顔が飛び出した。

 クロは小さく悲鳴を漏らし、その場で腰を抜かす。


 彼女は満更でもない顔で、茂みから手を突きだす。そこには、溢れんばかりの植物が握られていた。

「見て。きのこ」

 あまりにいつも通りの彼女に、クロは文字通り拍子抜けした。


 ◇


「いやぁ! 大量だね」

 多香音は収穫した野菜や木の枝を乱暴に投げ入れる。クロの集めた物を足すと、小盛りの山ができあがった。それを、遺跡に囲まれた地面に集める。


「ちなみに、どうやって火を起こすんですか?」

 いざとなれば、魔器の炎を使う。背中の柄へ手を伸ばした瞬間、多香音は不思議そうな様子で言った。


「ん? そんなの決まってるじゃん」

 多香音はマッチに火をつけるように指を鳴らす。すると、本当に指先から炎が宿った。


「火なんて魔法で簡単に作れるよ?」

「……そうでした」

 当然の事実だったが、クロには無縁の世界だった。


 多香音は火種を木々の山に投げ入れる。鮮やかな炎が爆ぜるように立ち上がり、真っ暗な空間を照らした。

 彼女は続けて遠隔で火力を操作する。やがて熱源が安定していき、炎が自立を始めると、多香音はそっと支配の糸を解いた。

 ファイヤー・クラフト。基本の術を、彼女は当たり前のように熟した。


「あったかいね。枝が全然ないとさ。ずっと火を見なきゃいけないから面倒で」

 多香音は近くの石柱に背をもたれ、ぼんやりと炎を見つめる。その向かいでは、クロが小さく背を丸めて座り込んでいた。


「夜ご飯にしよ! もうお腹ぺっこぺこ!」

 多香音が集めた植物。そして村長から預かった食材を枝に突き刺し、焚火で炒めた。

 料理と呼ぶにはあまりに粗末なものだったが、実際に口にしてみると、存在に腹を満たしてくれた。事代家や学園の豪華な食事とは、また違った味だ。


「空! きらきらだよ」

 多香音はかじりかけの野菜を掲げ、夜空を仰いだ。クロもそれに釣られて顔を上げる。

 一面に広がる星は、誰にも邪魔されることなく、己の輝きを証明していた。


「私ね。何度か本島に行ったことがあるんだけど」

 ふと、多香音が独り言のように語り始めた。

「なんか冷たい目で見られて。私ってそんなに変? って思って」


 クロは言葉を呑み、嫌な光景を想像してしまった。彼女の服装は薄着で活動的だが、ゆえに露出も多い。端麗な身なりを好む本島の人間には異質に映ったのかもしれない。


「でもこれだけは言えるんだ。本島なんかよりも、この森から見た星のほうが、ずっと綺麗だから!」

 多香音は腕に力を込め、誇らしげに胸を張った。

 その横顔を見て、クロの口元にも自然と笑みがこぼれる。


「素敵ですね。ここには光がないから、本当の光が見えてきます」

「……よく分かんないけど、褒めてくれてるんだね!」

「はい。すみません。変なこと言って」

 クロは照れくさそうに、そっと後ろ髪を掻く。


 すると、多香音は自分の膝の上に顎を埋めた。その瞳には、企みを含むようだった。

「クロも。多分本島の人なんだろうけど、私はいい人だと思うよ」


 パチパチ。火花が静かに散る。

「あと五歳上だったら、お嫁さんにしてもよかったかも」


 沈黙。クロは言葉が返せず、視線を斜め下へ逸らす。

「……あの」

「え?」

「それだと、僕が女の人になっちゃいます」

「あ」


 多香音はそのおかしさに気づき、途端に笑い出した。

「そうじゃん! 変なのー!」


 天真爛漫な声が、夜空の果てまで届きそうなほどに響き渡る。

 しばらくして、笑い疲れたように石柱に頭を預け、ゆっくりと目を閉じた。


「さっきのは嘘だから、気にしないでね」

 ようやく落ち着きを取り戻した彼女は、悪戯っぽく頬を緩めていた。

「でも、いい人って思ったのは、ほんとだよ」


 程なくして、安らかな寝息が聞こえてきた。その足元には平らげた串が散乱している。

 クロはそれらを拾い集めて炎の中へ投じると、空になった鞄を毛布代わりに彼女の体へ被せた。


 本でも読もうかと思い立ったが、焚き火の勢いは見る間に衰えていき、自分の指先すら見えなくなる。諦めて本を閉じ、他の荷物と共に石柱の上へ置くと、静かに瞼を閉じた。

 眠りに落ちる頃には、焚き火は完全に消えていた。

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