第24話 埃が入った器
不安を抱きながら、クロは村長の屋敷へ足を踏み入れる。
案内された卓につくと、老人は手慣れた所作で一杯のハーブティーを差し出した。湯気と共に、心を落ち着かせる清楚な香りが鼻先を撫でる。予想だにしない出来事に、生唾を飲んだ。
「……いいんですか?」
「きみ次第じゃよ」
向かいの席に座る老人は、何食わぬ様子で言う。
クロはカップを摘まみ、音を立てないようにすすった。考えてみれば、旅に出てから何も口にしていない。途中で買った菓子も黒猫に取られてしまった。事代家の指導で断食には慣れているが、冷水ならたちまち飲み干していた。
「――時に」
クロがカップの底を見つめていると、村長が口を開いた。
「しばらく部屋に放置した茶に、埃が入っていたとする。君ならどうする? 埃には菌が含まれているが、それでも飲むかね?」
唐突な問いに首を傾げる。しかし、クロは彼の意に従い、簡潔に答えた。
「飲みます。捨てるのも、もったいないので」
「なら、ワシは君を信用しよう」
今の答えで何が伝わったのか、村長は断言した。
「いきなり妙な質問をして申し訳がない。これもワシの性じゃ。人の本質を見抜くときに、よくこういった場を設けておる」
老人も手元のカップを摘まみ、口へ運んだ。
「たかが小さな埃で、不治の病にかかるわけがない。そう思い込んだ者から、失うものが増えていく。だが、君は受け入れると即答した。であれば、ワシも君と同じようにする」
一切の動揺も見せず、村長はカップを皿の上に置いた。
「村人の失礼を詫びよう。して、其方はこの村へ何の用が?」
「多香音さんに呼ばれてきました」
村長はその答えに腑に落ちない様子だった。
「質問を変えさせておくれ。この島に踏み入れた理由は?」
「えっと。珍しい昆虫が見たくて」
「嘘はつかなくてもよい」
クロは胸を打たれ、わずかに椅子を揺らす。
「君が携えているのは、魔器だな」
装備の正体を知られては、誤魔化しようもなかった。クロは姿勢を整え、今まで隠し続けた目的を告げる。
「……僕は、魔族の謎を追っています」
村長は、わずかに瞳を揺るがせた。
「なるほど。これまた何かの因果か……」
残念に思いクロを憐れんでいるのか。はたまた、純粋な意思に興味をそそられているのか。どんな意図にも読みとれる言葉を述べた。
「何か知っていることが?」
「そういうわけではないのじゃ。ワシは、知ろうとした。君の事情は知らんが、ワシも君のように謎を追い求めていたよ」
過去を思い起こすように、老人は語る。
「――“天上天下の乱”」
ある英雄によって、未遂に終わった大戦争。半世紀前の天上天下の乱を境に、魔族は封印された。痕跡だけが残され、行方は誰にも分からなかった。その英雄も、同じように消えた。
「あれから、ワシらは真相に手を伸ばしたが、何ひとつ掴めなかった。次第に謎を追う者も減り、ワシも道半ばで膝を折った」
絞り出すような村長の声には、今でも消えない後悔が含まれていた。
「差し支えなければ、具体的に教えていただけますか?」
「……魔族の言語は、ワシら人間とは似つかないのじゃ」
それが事実ならば、想定よりも困難だ。遺跡を調査し、痕跡を見つけたところで、意味が読み取れなければ話にならない。
「それに、痕跡はこれといって確かなものはなかった。文明を受け継ごうとするような種族でもなかったからの」
「それでも、自分の目で確かめたいです」
クロは確固たる意志で言い放った。新たな情報が得られる望みは限りなく薄い。それでも、後には引き返せない。
すると、村長は喉を鳴らし、ゆっくりと腰を上げた。
「この島の地図を貸してやろう。かつて、ワシが調査した遺跡の座標も記されている」
本棚に収納された表紙の数々を眺める。
「なんだか、助けられてばかりで。何かお礼とか――」
「良い。乗り掛かった舟と思っておくれ」
「ですが……」
当てもなく言葉を並べようとした瞬間、クロの横から怯えたような声が聞こえる。横を見てみると、小さな影が壁際を横切った。
姿が見えなくなってしまったが、確かに子供がいた。奥の部屋から、先ほどの紫髪の少女が再びこちらを覗いていた。
「ああ」
村長は納得したかのように頷いた。
「まだ紹介していなかったか。あの子はワシの孫娘じゃよ。名は千里。人見知りだが、これでも肝は据わっておる」
そういえば、屋敷に来る前、村長は孫が起きているから争いはやめてくれと訴えていた。村長と二人で暮らしているようだ。本棚をよく見れば、子供がよく見るような絵本が差し込まれていた。
「あった。これじゃ」
村長は咳き込みながら、本を運ぼうとする。
そのとき、クロよりも早く、孫娘の千里が飛び出し、村長の腰を支えた。村長は礼を言いながら、ゆっくりとクロの席へ向かう。クロもいてもたってもいられず、おのずと村長へ歩み寄った。
「この本に地図がある。持っていきなさい」
「でも、本当にいいんですか?」
「言ったじゃろう。乗りかかった船と思ってくれれば――」
その言葉を遮るように、扉が凄まじい勢いで入れ違いに蹴破られた。外の光が急激に差し込み、クロたちは思わず目を細める。肩を跳ね上がらせた千里は、部屋の奥へ一目散に逃げ出した。
逆光が差す入り口から、喚き声の混ざった息切れが聞こえてきた。
「村ちょおぉ!」
現れたのは多香音だった。彼女の顔や体には、紫色の液体がべっとりと付着している。手には先ほど拾っていた薬草の一部が握られていた。
「……何度も言うが、扉を開けるときはノックしてくれ」
「それより聞いて! この薬草、なんか変なの! いつもみたいに茹でたらさ、なんか紫色の泡で一杯になって、爆発したんだけど!?」
多香音は詰め寄りながら、乱暴に草を揺らした。根元に残った土が室内に巻き散らされているが、本人は気にする様子もない。村長は深くため息をつきながら、彼女の元へ歩み寄る。
「多香音。これは隠密草じゃ」
差し出された植物の正体を、村長はすぐに見切った。
「えぇ!? なにそれ聞いてないんだけど!」
「まだ与えていないな?」
「ま、まあね。長老に聞くまであげないっておばさんが」
「賢明な判断じゃ。人体に害を与える。すぐに捨てるように」
多香音が手に入れたのは、風邪に有効な薬草ではない。一定の温度で化学反応を起こす毒草だった。外見だけでは、本物の薬草と見分けがほとんどつかない。
「せっかく見つけたのに! これ、ムカつく!」
多香音は一度きびすを返し、村の外れへ隠密草を勢いよく投げ入れた。草はあまりに軽く、大して遠くへは飛ばない。根元に残った土が舞い上がり、多香音の口に入り込んだ。
「げっ! おえっ! べっ、べっ! もういい!」
泥を必死に吐き出しながら、多香音は再び森へ駆け出した。その背中を眺めながら、村長が困り果てたように声を出す。
「……旅の者よ。彼女を呼び止めてくれんかの」
「わ、分かりました。多香音さん! 少し待ってくれませんか!?」
「少し? どれくらい待てばいい!?」
「戻ってきてくださいってことです!」
多香音を戻し、クロたちは村長の話を聞いた。
「薬草と隠密草は、ほとんど見分けがつかん。じゃが、区別できるポイントがある。葉脈の色が違うんじゃ」
「うんうん。それで、ようみゃくって何?」
「……旅の者。少し話をせんか?」
村長に誘われ、クロは千里のいた台所へ向かった。
「私も入れて!」
「お主は汚した床の掃除をしておれ」
当然のようについてこようとした多香音の愚痴を遮るように、村長は強く扉を閉めた。村長は息をつき、クロへ視線を向ける。
「見ての通り。あの子は頭が悪い。だから、頼みがあるのじゃ」
彼女が物置から箒を取り出す忙しない音をよそに、村長は告げた。
「一緒に薬草を探しにいってくれんかの」
「……あの、助けたい気持ちは山々なんですが、僕には時間が」
自分の脱獄が、いつ政府に発覚するか分からず、既に事が起きている可能性もある。元より人との接触を避ける旅だ。
「ただ助けてとは言わない」
「お礼という話では……」
「そうではない」
村長は声を抑えて言い続ける。
「あの子には、ワシが話をつけておく。この島は自然が険しいが、あの子は詳しい。きっと役に立つ。薬草を探しながら、遺跡の調査をしておくれ。身勝手な頼みじゃが、ワシもあの子が心配なのじゃ」
「……分かりました」
数秒の沈黙の後、クロは断れずに頷いてしまった。




