第23話 アネモネ村
片繰から魔器を譲り受けたクロは、手帳を開いた。それは、彼から授かったものではなく、学長からのものだ。
『それを見つけるとは。侮ってはいけないようだな』
地下で見つけた手帳を、学長から預けられていた。怨霊と魔族の関連性。手帳の表紙にはそう記されている。
『怨霊の持つ力は、かつて魔族が振るった力と酷似していた』
その記録が、手帳に詰まっている。
森を進みながら、クロは熟読する。怨霊の力と魔族の力は、性質が似ている。しかし、破壊を課す怨霊に対し、魔族は創造する魔法を扱っていた。性質が同一かどうかの真偽は曖昧なようだ。
各島には、かつて魔族が残した遺跡が点在している。過去に政府が調査したが、真相に関わるような成果は何もなかった。その記録が手帳に延々と綴られている。
『確かに、君にしか分からないことがあるかもしれない』
学長は言った。実際に怨霊を発現させたクロなら、新たな発見があるかもしれない。もし魔族の謎を解き明かせば、ユキを浄化する方法も見つかる。
魔器を手に入れた。次は各島の痕跡の調査だ。次の旅に想像を膨らませながら、今度は片繰の手帳を開いた。
◇
「助けてぇぇ!」
それから森を進んでいくと、奥から助けを求める声が木霊した。
「誰かぁぁ!」
内容は切迫しているが、声音から察するに、誰かに襲われているわけではないようだが、放っておくわけにもいかない。クロは駆け足になり、周辺を探し始めた。
次第に乱暴に切り落とされた草木の数々を見つける。人が踏み入れた痕跡もあるが、姿はどこにも見当たらなかった。
「ちょっと! そこ!」
不意に、頭上から降ってきた声に足を止めた。
首の骨が鳴るほどの角度で見上げると、そこには赤髪の少女が木の枝にしがみついていた。額にハチマキを巻いており、今にも泣き出しそうな視線を下ろしてくる。
「お願い。なんとかしてぇ!」
「だ、大丈夫ですか? 降りられますか?」
「あれ見て! 同じこと言える!?」
少女が指を差す。太い枝の根元が、今にも折れそうなほど曲がっていた。
「なんとかして!」
「とにかくじっとした方が――」
身悶えした揺れで、木の枝が金切り声のように軋んだ。
「おわっ! 落ちる。落ちるって。きゃあぁ!」
少女の体が半回転する。折れ曲がった枝は、わずかな繊維だけで繋がっていた。今にも千切れそうな命綱を必死に掴み、少女は手足をばたつかせる。
「死ぬ! ほんとに死んじゃう!」
ついに繊維が耐え切れず、少女は放り出された。
クロは考えるより先に駆け出す。
次の瞬間、鈍い衝撃が森に響き渡り、野鳥が一斉に羽ばたいた。
「……あれ?」
ぎゅっと目を瞑っていた少女は、想像していた痛みが来ないことに困惑した。尻の下にあるのは、硬い地面ではない。柔らかく温もりがある、人間の肉の感触だ。それが誰かの背中であることに、少女はすぐに気づいた。
「だ、大丈夫ですか?」
喉の奥までこみ上げてくる激痛を必死に堪え、下敷きになったクロは声を絞り出す。昨夜の戦いで強打したばかりの背中に、更なる追い打ちをかけられた。彼女を救う方法はこれしか思い浮かばなかった。
「そっちだって! 私のために――」
突然、少女は吹き出す。
「下敷きにっ……」
「あの、降りてくれると――」
「あっはははっ!」
クロの心配を掻き消すような笑い声が、頭上から降り注いだ。彼女はしばらくの間、腹を抱えながら肩を震わせ、クロの背中から退こうとしなかった。礼を受けたのは、ずいぶん先のことだった。
◇
彼女の名は多香音といった。近くにある集落へ案内したいと言われ、クロは半ば強制的に行動を共にしている。
なるべく人との接触を避けるように諭されていたクロだったが、彼女の凄まじい勢いに断り切れなかった。
少なくとも、内なるユキの反応は見られない。
多香音は大きな木製の荷車を引いており、その荷台には馬の餌が積まれていた。彼女の話によれば、クロと出会う前から森で集めていたらしい。
クロの隣を歩く多香音は、上機嫌な様子だった。こうして肩を並べて歩くと、体格の差が歴然としている。クロとはいくつか歳が離れていた。
旅の途中、クロは旅の経緯を彼女に訊かれた。
「へぇ! 珍しい昆虫を探しに来たんだね」
怨霊を浄化する旅ということは伏せた。
「私はね。おつかい頼まれてたんだ。馬の餌でしょ。あとねぇ。弟を治す薬草! ほらぁ。見てよ」
多香音は自慢げに薬草の束を振り回した。まるで自分の手柄のように胸を張っているが、彼女が木の枝から落ちた衝撃で、たまたま落ちてきたものだ。
「弟さん。何かあったんですか?」
「風邪! 薬草あった方が早く治るって言うんで、飛び出していったの! 私っていいお姉ちゃんだと思わない?」
「ですね。とっても――」
「でもあいつ酷くてさぁ。いつもみたいに抱っこしようとしたら、めっちゃ怒ってた! 何がいけなかったんだろ。私もずっとムカついてる」
「喧嘩したんですか?」
「そんなのしてないよ。私がいじめられただけ!」
多香音は頬を膨らませ、荷車を引く力を強めた。
長い林道を抜けると、視界が一気に開け、眩い草原が広がった。多香音は機嫌を取り戻したのか、小さな歌を口ずさむ。ゆるやかな丘を越えると、遠くに小さな集落が見えてきた。
「来るのは初めて?」
クロは頷く。
「なら教えてあげる。あのでかいやつが病院みたいな家。馬がいるのは馬小屋で、奥のでかいのが食堂! あと、あの紫色の屋根が村長の家ね。他にもいっぱい家があるでしょ! ほら、井戸もあるし!」
多香音は手当たり次第に、目に入った建物を指差していく。途中で彼女の肘がクロの頬を直撃した。
「いった……」
顔を押さえるクロをよそに、多香音は楽しそうに村を見つめていた。
「あの柵まで競争だよ!」
多香音は集落の入口を指差したかと思うと、次の瞬間には駆け出していた。クロも後を追いかけるが、重い荷台を運んでいるはずの彼女の背中は、みるみるうちに遠ざかっていく。クロの足ではとても追いつけなかった。
「私の勝ち! ようこそ!」
彼女は誇らしげに両腕を広げ、肩で息をするクロを歓迎した。入り口の柵に立てかけられた看板には、アネモネ村と刻まれている。多香音は近くにあった馬小屋の前に荷車を下ろすと、薬草を握りしめて言い放った。
「私はこれを渡してくる! また後でね!」
軽快に手を振り、先ほど指した病院へ駆け込んでいった。
「誰だ? あいつ」
「見かけない顔じゃ。よそ者かね」
多香音はクロを歓迎した。しかし、他の住民はそうでもない。訝しむような視線が、クロの肌を刺した。中には中年たちがクロの姿を見るなり、何かを囁き合っている。
どうにも心地が悪く、クロは逃げ場を探すように辺りを見渡す。
ふと目に留まったのは、紫色の屋根だった。多香音が村長の家と言っていた建物だ。せめて挨拶くらいはした方がいいだろうと、クロは歩み出す。建物に近づくと、決心を胸に扉を叩こうとする。
「村長に用でもあんのかい?」
そのとき、後ろから声が投げかけられた。
「なにもんだい。招き入れた覚えはないんだけど」
小太りの中年女性が立っていた。汚れが目立つエプロンを着こなしており、魚の生臭さが染みた小斧を担いでいる。嫌悪に染まる視線には、歓迎が欠片も感じられない。
「えっと、怪しい者ではありません。多香音さんから教えてもらって」
その名を聞いた瞬間、女性は忌々しげに舌を打った。
「まったくあの子ったら。また面白がって人に迷惑を……」
女性は肩から斧を下ろすと、欠けだらけの刃を差し向ける。
「いいかい。私たちはよそ者が嫌いだ。くだらない気まぐれで危害を加えてほしくないの。それになんだい? その物騒なものは」
村の人々に警戒された本当の理由が、頭から抜けていた。背中に括り付けた魔器だ。鞘に納めているとはいえ、周囲の人間からは不審に映るだろう。
いつの間にか、人混みができている。よそ者のクロを追い出すような視線を向けた。
「もしまた私たちから日常を奪おうってんなら、容赦しないよ!」
「その辺にせんか」
そのとき、扉の奥から聞こえる濁った声が、空気を払う。声の主は、扉をゆっくりと開いた。
「村長!」
斧を構えていた女性が、縋るような声を上げた。
「ちょっと聞いてよ。こいつが突然現れて――」
「孫が起きておる。争いごとはよしてくれ」
杖を震わせながら諭す。ずいぶんと年配の人間のようだ。
「この方の話は私が取り次ぐ。諸君は持ち場に戻れ」
「……あたしの食堂には来させないでよね!」
女性も諦めたのか、不満げに言いながら背中を向ける。それを合図に、寄せ集まっていた他の村人も、元の場所へ散っていった。
取り残されたクロは、村長の峻烈な眼差しに射抜かれる。
「中に入りたまえ。話をしようではないか」




