第18話 雨に導かれて
『まず、他島にある鍛冶屋を目指しなさい』
街道を歩いていたクロは、学長の言葉を思い出す。出発する前、いくつかの方針を託されていた。
『この世界でも稀な、魔器の工作に携わっている者がいる。名は片繰湯月』
歴史の魔導書を通じて、その存在をクロも知っていた。
魔器とは、他者の魔材を外付けで備えた特殊な道具だ。本来なら魔材を生成できない無為体でも、魔器を介せば魔法を行使できる。
しかし、魔器は古来より忌避された技術だ。
ゆえに、現代でも工作している者は少ない。
『どうして魔器を?』
『君は戦いを避けたいだろう。しかし、無為体の君は自分を守る手段が限られている。杞憂かもしれないが、武器の確保は必須だ』
学長との会話により、旅を始める前に魔器の確保を目標に定めた。
『彼の作業場はカルミア島。港付近の森林にある』
島間は船での移動が不可欠なため、クロは北の港へ向かった。
慣れないブーツの感触を確かめ、人通りを絶えた道を進む。やがて歩調を速めた。いつクロの脱獄が発覚されるか分からない。今でも捜索が始まっているかもしれない。
やがて、クロは路面電車の停留所に着く。
懐に潜ませた布袋を取り出し、残高を確認した。
『忘れないうちに渡しておくよ』
財布は学長から渡された。自分が拘束された時、懐に潜ませていたところを政府に押収された。その管理権が学長に渡っていたらしい。
これは事代家の財産だ。学園に通うために、父上から預けられた。私用に使うことは決して許されず、発覚したら処罰が待っている。
汗を伝いながら、クロは銅貨を取り出した。
呼吸を落ち着かせる。遠くから電車の鐘が聞こえた。
◇
ようやく辿り着いた北の港で、クロは呆然と立ち尽くした。
「次の出航は、四時間後……」
掲示板に示された時刻は、昼の便が出た後であることを示した。
カルミア島への便は、朝昼晩の三度しかない。
そのとき、遠くから人の声を耳にした。朗らかな会話を交わす通行人が近づいてきている。今は誰とも接触したくない。クロはとっさに近くの路地裏へ身を隠した。
薄暗い路地の奥から、不意に物騒な物音が響いた。
びくりと肩を跳ね上げる。心臓の鼓動に押される。
暗がりから、一匹の猫が飛び出した。
「……びっくりした」
安堵が漏れる。猫はクロを一瞥すると、尾を揺らしながら狭い隙間へと消えていった。
外では複数の声が聞こえてくる。見つかればユキの暴走の被害者になるかもしれない。怪しまれる可能性だってある。
残り四時間。先が恐ろしく長い。内海を渡るには船しかない。
(ひとまず、ここから出ないと)
頭上の窓が開き、重苦しい煙草の匂いが路地に充満した。
路地の陰に隠れていても、姿を見られたら却って不自然に思われる。群集に溶け込みながら、人を避けたほうがいいだろう。
クロは上着で顔を隠しながら、外界へ足を踏み出した。
人の数は少ない。散歩のフリをして周辺を出歩くことにした。
歩道を彷徨っていると、目の前で二人組と向かい合った。
「でな。女房が怒り狂ってフライパンを掴んだわけよ」
「どうなったよ。殴り合ったか?」
「フランスパンで応戦したよ」
豪快に笑い飛ばす二人を、クロは平然を装いながら通り過ぎる。
一瞬、彼らの足が止まった気がする。
気のせいだ。そう言い聞かせ、足早になった。
太陽の位置は高く、空を泳ぐ灰色の雲に隠れた。出航の時刻はしばらく先であることを実感し、胃が痛くなった。
それから、クロは港町の散策を続ける。
不意に、手の甲に鋭い感触が突き刺さった。
頭上の空模様は、今にも嵐を起こさんばかりに灰色が寄せ集まっていた。地上に叩きつけられる音は次第に増していき、ついには雨が視界を埋め尽くした。
「わっ! わわっ!」
頭上を手で覆い隠しながら、クロは近くの古びた軒先へ転がり込んだ。
逃げた先から、甘い匂いが漂ってきた。影に染まる室内には、色とりどりの駄菓子が並んでいる。
クロが軒先から顔を覗かせると、にわか雨は衰えることを知らず、滝のような激しい勢いをもたらした。外では同じように雨宿りの場所を探して人が駆け回っている。
行く手を阻む雨の壁を前に、クロは立ち尽くすしかなかった。
「これはまた、凄い雨ですねぇ」
後ろから、可愛らしい老いた声がする。
入ったときは気づかなかったが、 帳場には人形のように静かに腰を下ろしている老婆がいた。まるで珍しいものを見据えるかのように、クロとその後ろの外を眺めている。
「すみません。すぐに出ます」
「待ちなさいな」
呼び止められ、クロの目じりにじわりと汗が伝った。
「ゆっくりしなされ。風邪を引いてしまいますよ?」
「えっと……はい」
老婆の声に悪意はなく、善意に満ちていた。
クロは拳を握りしめ、入り口の前に佇む。雨を眺める中で、肩を揺さぶった。
嫌な想像をしてしまった。
もし、あの老婆がユキに殺されたら――。
「家出ですか?」
不意に、老婆が質問してくる。
答えに困り、クロは後ろ髪を掻きながら渋々口にした。
「そんなところです」
「辛いことがあったんですか?」
「……そんなところです」
「大変ですね。でも、ご家族は心配しますよ」
その言葉に、肩を並べて蔑みの視線を向ける家族の姿が過ぎる。
クロは振り向き、老婆と向き合った。
「家族は、心配なんてしないです」
返事をせず、クロは再び外へ視線を向ける。
どうにかして、逃げる方法を探った。
「そんなの、分かりませんよ」
思考が遮られる。
クロは左肩を、老婆へ向けた。
「ちゃんと話してみないと」
「……そう、かもしれません」
それから、クロは口を閉ざし、傍らの席に腰を下ろした。
老婆も何も語らず、ただ静かに、見守るように座り続ける。
胡蝶の夢、そんな時間が続く。やがて、猛烈だった雨音が弱まった。雲の狭間から流れ出る光線は、夕暮れの色を帯びている。
もうすぐ出航の時間だ。
「――あの」
立ち去ろうとしたクロだったが、雨宿りの礼をしようと思い立ち、老婆に声をかけた。
「お菓子、買ってもいいですか?」
「いいですよぉ。しがないものばかりですが」
クロは気遣いで首を振りながら、店内を物色した。乾燥した果物を蜜に浸したものや、辛味のある粉末を贅沢に使ったものもある。
それらをいくつか手に取り、帳場へ持っていった。
金額を言われ、クロは布袋から銅貨を取り出す。
「どうか忘れないでくださいね。私の言葉」
老婆は最後に、祈るようにそう言い残した。
クロは深く感謝を込めて一礼すると、まだ街道に残る雨水を踏み散らしながら、港へと急いだ。




