第17話 旅立ちの決意
次に目が覚めたとき、クロはベッドの上で横になっていた。
古びた生地は肌触りが悪く、天井も隅に埃が溜まっている。しかし、地下牢のような薄暗さはなかった。
「ここは私室だ」
疑問が浮かぶより早く、傍に立っていた学長が声をかけた。
「今はもう使っていないが」
耳を傾けながら上体を起こそうとすると、右胸が痛んだ。
しかし、あの結界で受けたほどの痛みはない。
「もしかして、助けてくれたんですか?」
「あれから、君の一命を取り留めるのに必死だった」
学長は結界を崩壊させた後のことを語った。意識を失ったクロの応急処置にあたるため、学内に滞在していた医療の適材者を招集した。
それでも、完全には消せなかった。
「我々も全力を尽くした。残りは君の決断の代償だ」
怨霊の力は破壊。原型を留めているだけでも奇跡だった。宿主だから力が極限まで弱まったのではないかと、学長は推察する。
「すみません。色んな人に迷惑をかけてしまって……」
「勘違いしないでもらいたい」
うつむくクロへ、学長が正した。
「私は君を認めていない。君は怨霊を制御できなかった。あくまで力を肩代わりしたまでだ。結果的に証明は失敗に終わっている」
それを聞き、クロの意思はさらに消沈する。
「だが、認識を改めた」
その言葉に、希望を拾い直した。
「君はこれまでの反逆者とは違っていた」
「じゃあ……」
「いくつか、条件を出させてくれ」
クロは体の向きを整え、真剣に耳を傾ける。
「まず、私が黙認したことは、口外しないことを守ってくれ。保身に回るようで情けないが、本来なら君を止める立場だ。君はあくまで政府が見落とした存在。いずれ脱獄した反逆者として狙われる」
それでも、君は行くのか。
彼の問いが頭の中で無数に響き、クロは整理した。怨霊を浄化する旅は、想像を絶するほど険しいものだろう。何も成果を出せず、脱獄犯として政府に捕らえらえたら、程なく死刑が実行される。
後戻りは許されない綱渡りだ。
「……怨霊を浄化する方法を、必ず見つけてきます」
不安は最後まで拭いきれなかった。
それでも、やるしかない。
「まだ条件の提示は終わっていない。次に、怨霊を絶対に人の前に出すな。過度な強制はしないが、君自身も人との接触を避けてくれ」
「分かりました」
「そして、最後に」
学長は歩み寄り、目を瞑りながら告げた。
「自分の身を第一に考えろ」
「えっ?」
予想だにしなかった条件だ。
「先の出来事は、本当に偶然の賜物だ。自分を犠牲にすることが正解とは限らん。同じ過ちを繰り返すのなら、機会を見誤るな」
「……」
クロは返事をせず、力無く頷いた。
「要件は済ませた。準備へ取り掛かれ」
何事もなかったかのように、学長は凛々しく体の向きを変え、ベットのある部屋の扉を開いた。取り残されたクロは、ベットから足を下ろそうとする。
そこで、着ている衣服が自分のものではないことに気づいた。先ほどまで袖を通していた制服から一風変わり、古い衣装を身に纏っている。
「若い頃に使っていたものだ。あいにくそれしかなくてな」
上着の懐を裏返しながら、クロは問い返した。
「使っていいんですか?」
「耐久性は保証する」
「でも、学長が疑われるんじゃ……」
「何を言っている?」
学長は厳かな口調で続けた。
「君は自分の意思で脱獄する。衣服が誰のものかなど関係ない」
厳しい言葉ではあった。しかし、クロはやがて優しさと受け取った。学園の制服よりも、目立たない服装の方が身柄を隠しやすくなる。
クロもベットの部屋から出る。
玄関の近くにあるタンスで、学長が何かを探していた。
「それから、これを授ける」
差し出されたのは、頑丈な革のブーツだった。至る所に傷はあるが、外からの光を表面が反射するほどに整っている。年季が入っているが、決して侮れない貫禄があった。
クロの小さな足に、その靴は丈が合っていなかった。学長は別の引き出しから麻縄を取り出し、クロへ仕向ける。自分の足の大きさまで強く縛り、もう一度その姿を見せた。
「今後はどうでしょうか」
「……若い頃を思い出す」
クロはわずかに相好を崩した。
「出発の前に、いくつか君に語りたいことがある――」
◇
「……行って参ります」
廊下に出たクロは、玄関で見送る学長に深く礼をする。健闘を祈るという彼の言葉を最後に、彼の自室から続く回廊を歩き始めた。
見慣れた教室を通ると、他の生徒も見えてくる。クロは上着の襟を立て、顔を半分ほど隠す。怪しまれる前に、駆け足になって正門を目指した。
制服とは異なる衣装のため、注目の的になったが、自分が騒動を起こした反逆者であることは悟られていない。
やがて、通り過ぎた群集から、聞き覚えのある声がした。
竜胆や美琴、晃が自分の真横を通った。昨日、学園から脱出するときに助けてくれた。クロは立ち止まり、彼らの背中を眺める。
何気ない会話をしている。身近なようで、とても遠い光景のように感じた。あのことを謝りたい。その思いを胸に秘め、クロは再び前を向いた。
クロは学園の正門へ辿り着く。
監視塔は無人になっていた。
『私が持ち場から離れるよう仕向ける。後はよしなにしたまえ』
クロは感謝を込め、誰にも見られることなく巨大な門をくぐった。
小さな一歩を、外界へ踏み出す。もう後には戻れない。
これから、孤独な旅が始まる。
「ご主人様!」
孤独を否定するように、自分の内側から声がした。
緊張を孕んでいたクロの顔は、そこで初めて和らいだ。
「ありがとう。ユキ」
一人ではない。ユキの意思と共に、旅は幕を開けた。
自分の憎しみの塊であるユキを、浄化する。
その方法を理解するために。
第一編 完。




