第14話 過去に葬られた命
どれほど歩いたか分からない。底の見えない学園の地下。石床を踏みしめる音と、ユキと繋いだ手の感触を頼りに、クロは進んでいく。
あるものを見つけ、ふと足を止めた。
一か所の壁から、かすかに紅色の一閃が走っている。近づいていくにつれ、それが扉の先から漏れ出した光だと気づいた。
同じ景色が続く回廊に、部屋がある。警戒を強めながら、クロは一歩ずつ足を動かし、そっと部屋の奥を覗いた。
「……なんだろう。本?」
狭い室内は、本棚に囲まれていた。その中央には祭殿のような机が佇み、蝋燭が風前の灯火を揺らしている。人の気配はなかった。
クロは扉の端を掴み、音を立てないように開く。足を踏み入れると、その粛然さがより伝わった。机の上には筆が立てられ、硯の中では墨が鮮やかに光っていた。
そして、傍らに置かれた一冊の本。
反逆者の記録。
表紙に刻まれた題字を見た瞬間、顔の産毛が泡立った。
自分に関することだろうか。そんな予感が過ぎる。しかし、本の厚さは丸めた拳に収まりきれないほどだった。
震える指先で、紙の端をゆっくりとめくる。
そこに記された年代が、最初に目に入った。
「……百五十三年?」
歴史上初めて観測された反逆者。
現代ではない。六百年もの前の話だ。
紙面を埋め尽くす情報の羅列に目を走らせる。怨霊を発現させた経緯や、その能力の詳細。反逆者の特徴など。殴り書きしたような凄まじい情報量に、理解が追いつかない。
ある一節で、クロの瞳が大きく見開かれた。
「村を、焼き討ち?」
反逆者は村を壊滅させ、殺された。
村人たちの手によって殺害された事実が、淡々と記されている。
「他には――」
指先を滑らせ、別の反逆者が記されたページを手繰り寄せる。
三百二十一年。二度目の発現。
本島の文明が発展していた時代だ。開発途中の都市で怨霊が発現し、居合わせた数名を殺害。犯人は王族によって、公にされることなく処刑された。
前の記録に比べ、その記述はあまりに明瞭で、生々しかった。
次のページをめくろうとして、クロの指が止まる。ふとした疑問が過ぎった。
怨霊を発現させた反逆者は、無為体だったのだろうか。
クロは前の記述へ視線を戻し、その言葉を探し始める。
隣では、ユキが視界の端から覗き込んでいた。彼女は負の感情から生まれた怨霊だ。しかし、そんな話はこれまで聞いたことも、見たこともない。
それは、無為体にも共通している気がした。
稀有な存在であり、本来なら滅多に見られない。
やがて、ある記述を見つけた。
かつての記録にて。最初の反逆者。その生涯には、周囲から苛烈な迫害を受けていた可能性が示唆されていた。死体には全身に及ぶ凄惨な痣が確認されたという。
無為体とは書いていない。
しかし、予感が背筋を駆け上がった。
取り憑かれたように、ページを次々と落としていく。どの反逆者の記憶も、まるで鏡のように似通っていた。無為体であることが理由に繋がる。
魔法で文明が築かれた世界では、不要な存在とされている。
「……本当に、無為体だけが?」
半ば放心しながら、次のページをめくった。
七百六十五年――。
事代クロ。
そこに自分の名を見つけた瞬間、鋭い悲鳴が漏れた。
名前の後には、クロが実際に起こした騒動の顛末が記されている。どれも心当たりがあった。初めは何百年も昔の古書だと思っていたが、そのページだけは墨が色濃く残っており、時間の経過が短く感じられる。
嫌な汗が顎を濡らす。震える手で、その先を進めた。
残りのページは、すべて空白だった。
◇
その頃。クロが閉じ込められていた地下牢にて、腰の金具が揺れる音が響いた。地上から続く階段を、数名の衛兵が下りる。そのうちの一人は食事が並ぶトレーを運び、残りは槍を抱えていた。
「昼食の時間だ。無駄な抵抗は――」
先頭の衛兵が牢の前で言葉を切り、足を止めた。別の衛兵が異変を指摘するまで、地下は凍てつくような静寂に支配される。
檻の中には、誰もいなかった。代わりに残されていたのは、無惨にも粉々に破壊された南京錠だけだ。
「……反逆者が、脱走した!」
先頭の衛兵が叫ぶ。
「すぐに捜索に当たれ! お前らは学長に報告だ!」
◇
クロは地下の密室で膝をつき、頭を抱えていた。
怨霊を発現させたのは、自分だけではなかった。そして、記録にあった過去の反逆者は全て無為体で、例外なく処刑されていた。
なぜ殺されなければならなかったのか。記録を読み漁った今では、その理由が残酷なまでに理解できてしまった。
「……でも」
クロは顔を上げる。ユキは物珍しそうに本棚を眺めていた。
彼女の意思を捨てたくない。もし自分が過去の反逆者と同じ末路を辿れば、ユキの存在すらも消し去ってしまう。
政府がユキの正体を把握している理由は、この記憶から見えてきた。だが、怨霊の真実は依然として分からない。
『これは仮説だが、君が抱いていた負の感情が、少女となって引き剥がされた。君にも心当たりはあるだろう?』
牢獄での言葉が蘇る。
仮説――。
あの記録でも、怨霊の謎は解明されていなかった。
殺害することは解決ではない。先送りにしているだけだ。
「なんとか考えないと」
クロは自分を鼓舞するように立ち上がった。
本棚に並んである書物は、どれも歴史や魔法に携わるもので、中には学園の教科書もあった。これまで何度も目に焼き付けてきたものだ。有益な情報が得られる望みは薄い。
縋るような思いで、あの本が置かれた机に近寄る。
引き出しを開いた瞬間、クロは違和感を抱いた。
物を仕分ける型板が、不自然に傾いている。開くときに少し引っかかったが、これが原因だろう。
その板を引き抜くと、薄暗い空洞にひとつの影が横たわっていた。
息を呑み、手を伸ばす。視界に映ったのは、手のひらに収まるほど小さい手帳だった。長らく使っていないのか、埃をかぶっている。元の色さえ判別できなかった。
クロは表紙の上で指先を回し、その埃を丁寧に拭い取る。
そこには、力強い筆致でこう書かれていた。
「……怨霊と、“魔族”の関連性?」
「それを見つけるとは。侮ってはいけないようだな」




