第11話 不能
――アカデミック・オーソリティ。
それは、世界の秩序を統べる組織。選別された学園の生徒によって構成され、類無き実力を持つ。政府とも深い関わりを有する。
その副代表である彼が、逃走したクロたちの前に現れた。
「にしても変だな。連中がほざいてたのは、男のガキと白髪のチビだろ。そこの金髪。どこの誰だ」
値踏みするように、天光逸見は屋上から見下ろした。
「……クロ様。下がっていてください」
ビオラは箒にかけていた荷物を落とし、穂先を斜めに構えた。
無為体であるクロとは違い、ビオラはかすかに魔材を帯びている。ゆえに、彼の極まりない異常さを鮮明に取っていた。
男の体からは、溢れ出した魔材が絶え間なく流れている。周囲には蒼白い光が一筋に走っていた。溢れたほんの一片の魔材だけで、圧倒されそうだ。
「おい」
彼は荒い声を飛ばす。
「さっさと答えろやゴミ。耳ついてんのか?」
「ビオラ。待って」
クロの制止を振り抜き、ビオラは手の震えを抑えた。
「私は、クロ様の侍女です」
質問に答える。
「クロ様には指一本触れさせません!」
「んなことは聞いてねぇよ」
正体だけ分かりゃいい。
その声が、ビオラの耳元へ届いた。
小さく悲鳴が漏れる。先ほどまで声は遠くから聞こえていたはずだ。彼が立っていた屋根の瓦が、今になって崩れ散る。
両者に割り込んだ逸見は、拳を握りしめた。
「――ビオラ!」
次の瞬間、ビオラは裏拳に弾き飛ばされた。とっさに箒で防御したが、その破片がクロの足元へ落ちる。逸見の拳からは、電流が鋭い音を立てた。
建物の壁が倒壊する。クロは男の影から覗いた。
「……ビ、オラ?」
遠くの住宅が穿たれている。
穴には、血痕が飛び散っていた。
「大したことねぇな」
逸見は何食わぬ顔で手を払う。
「んで、残んのはテメェだけ」
彼の視線が、取り残されたクロへ向けられる。
クロは思わず足を崩し、地面に座り込んだ。
「ひとつ聞く。白髪のチビはどこやった?」
「……え?」
彼が聞いたのは、ユキのことだ。
「あの金髪もテメェも。ぶっちゃけ俺は興味ねぇ。用があんのはテメェが創った白髪のガキ。上の話じゃ、久しぶりに遊べそうなもんでな」
腕が鳴ると示すように、逸見は不敵な笑みを浮かべた。
「ってわけだ。いちいち言わなきゃ分かんねぇか?」
クロは後ずさった。手足が極限まで震え、上手く動けない。
これまでユキの発現を拒んできたのは、彼女の力が誰かの命を奪ってしまう可能性があったからだ。
しかし、今は違う。
この男に従えば、殺されるのはユキだ。
「……無理です。できません」
クロは懸命に首を振る。
逸見はすぐに反応しない。
「そうか。いいや。手足もいだら勝手に出てくんだろ」
わずかな沈黙のあと、逸見は拳を鳴らした。手のひらから魔材が溢れ、再び電撃が宿り始める。必死に後退するクロへ、彼の爪先が迫り来る。
拳が降りかかる寸前、悲痛な叫び声が割り込んだ。
ビオラの声だ。安堵も束の間、彼女の姿を目の当たりにしたクロは絶句する。血塗れだった。
「そんな! ビオラぁ!」
「るっせぇな」
クロの頬に、強烈な蹴りが入る。
その光景に、ビオラは呂律を狂わした。
「へえ。それで立ち上がんのか。見かけに寄らずしぶてぇ」
彼女に残された片手は、包丁を握っていた。突き破った民家から拾ったものだ。瀕死の中でも立ち向かう姿に、逸見の興がわずかにそそられる。
「ああっ! 死ねぇ!」
半狂乱になって包丁を振る。彼女の声に呼び覚まされ、硬い地面に打ちつけていたクロは上体を震わせた。ビオラの決死の攻撃を、逸見は楽しむように躱し続け、最低限の動きで見物した。
「でも逆に言えばあの程度で――」
彼の関心が途切れる。
満身創痍で振るった包丁を、逸見は小指で弾き飛ばした。
「こんなダセェ格好になるってこった」
その声と共に、包丁が隣の水面に叩きつけられる。ビオラの意識が逸れた瞬間、逸見は姿勢を低めて地面を踏み砕いた。彼の正拳が叩き込まれる前に、クロは横から手を伸ばす。
「やめろぉ!」
「ああ?」
逸見の視線がクロに向くと、後ろのビオラも手をかざした。
二人の手は虚空を払った。逸見はその場で跳び上がり、距離の開いた位置へ着地する。
「だりぃな。もうまとめて殺るか」
「……クロ、様」
攻撃を躱されたビオラは、その勢いで地面に倒れ込んだ。そばに駆け寄るクロへ、最後の忠告をする。彼女の体には至る所に傷が走り、骨が軋む音が響いてくる。出血が港の道路を染めていった。
「ダメ! ダメだよ!」
彼女の傷口を、クロは必死に押さえる。
「逃げてください」
「嫌だ! 置いていけない!」
クロは叫んだ。その後ろでは、薄黒い霧が立ち込めていた。
逸見から放たれた稲妻が、空気を切り裂く。雷光に晒された自分の顔を彼へ向けた瞬間、電流が完全に解き放たれた。
鋭い痛みが、逃げ場もなく肉体を蝕んでいく。焼けるような痛みに視界が真っ黒になる。体が硬直し、いつ自分が倒れたかも分からない。
攻撃が終わる。その後も動けなかった。
隣にいるビオラがどうなったかさえ、確かめられない。
「なんだこいつ? 通りが悪――」
男の声が途切れる。
「……出やがったか」
揺れ動く意識の中、クロはその言葉を拾う。初めは意味が分からなかったが、自分の心が無作為に泡を立て、煮えたぎっていく。
濁る視界の先で、白い肌が映った。
ダメだ。ユキ。
心の中で訴える。思いは届かない。
純白の少女は、未だかつてないほどの殺意を放っていた。
「なるほど。そうか!」
悍ましい剣幕を前にしても、逸見は興を高めた。
「ハハッ! こいつはすげぇ!」
手のひらに爪を食い込ませ、電撃を振り撒く。
「上の連中がビビり散らかすわけだァッ!」
かつて早乙女と対峙したときのように、ユキの足元に漆黒の結晶が立ち昇る。彼女の殺意は瞬く間に都市を満たした。
ほどなくして異変を感じ取った飛行隊が、港区へ駆け付ける。
「な、天光様!? 何を――」
「邪魔すんなァ!」
逸見も手のひらから溢れるばかりの電撃を宿す。
両者は後先も考えない底なしの力を、その場で解き放とうとした。
「もういいよ。ユキ」
その言葉が、戦雲を断ち切った。
手足の感覚が消え失せる中、最後に残った口先で、クロは言い聞かせる。
「僕たちの、負けだ」
必死に降伏を示す。
「降参します。もう逃げません」
自分の身がどうなろうと構わない。
だが、せめて――。
「ビオラだけは、助けてください」
やがて、クロの意識が常闇に沈んだ。取り残されたユキは不満げな様子のまま、影に吸い込まれるように姿を消す。
脅威が一瞬にして去り、逸見の電撃も冷めていた。
港町は瓦礫が散乱し、血痕が付着している。逸見の足元には瀕死の人間が二人も倒れており、無惨な姿を残していた。飛行隊の誰もが息を呑んで立ち尽くす。
「……だってよ」
心の底から関心を捨てた声で、逸見は呟く。
そして、後方で縮こまる飛行隊に命令を飛ばした。
「とっとと始末しろや」
「りょ、了解です!」
駆け付けた飛行隊とすれ違い、逸見はその場を後にした。
逸見との遭遇により、気絶した反逆者は学園に連行されるのだった。




