第2話 再会は壮絶に
「急用を思い出した。先に失礼する」
ディオンの話を聞いた瞬間、スルガは懐から硬貨を取り出し、会計を済ませようと立ち上がった。
「おやおや、スルガ殿。そんなに慌ててどうされたのかな?」
意地の悪い問いかけに、スルガは目を細める。
「何年か前にも話しただろう。妻からの手紙に、娘が俺を倒すために剣術を習い始めたと書いてあった」
英雄となったスルガは故郷へ帰る暇もなく、妻とは十年近く手紙だけのやり取りが続いている。
手紙の内容は他愛もない日常や互いの身を案じる言葉がほとんどだ。しかし、その中には娘リアナが父への不満を募らせている様子も度々綴られていた。
何度か故郷であるオラソン村へ帰ろうとは考えた。
だが、シャルベリア王国は肥沃な土地を多く抱えるが故に、魔族だけでなく周辺諸国からも狙われている。将軍であるスルガが戦場や政務を離れることは容易ではなかった。
「あぁ、それは家族を蔑ろにした報いだな。甘んじて受け入れるべきだ」
「同感だ」
シュエルまでもが珍しく口元を歪めた。
「スルガ殿は己の研鑽ばかりで家庭を顧みない。それは感心しないな」
「それをシュエル殿が言うのか」
「私は独り身だから関係ない」
あまりにも正論だった。
言い返す気力を失ったスルガは代金を置き、酒場を後にする。
「夜道には気を付けたまえよ」
背後から飛んできた最後の一言に、スルガは肩越しに手を振った。
「縁起でもないことを言うな」
酒場の扉を開く。
夜風が火照った身体を撫でていく。
本来なら心地良いはずの風だったが、今のスルガにはそれを楽しむ余裕はない。
頭の中を占めているのは、ただ一人。
娘――リアナのことだった。
「さて、どうしたものか」
小さく呟き、一歩を踏み出した瞬間。
殺気。
瞬間に夜風を裂く鋭い音が耳を打った。
反射的に首を傾ける。
刃が頬のすぐ横を通り過ぎた。
あと数寸反応が遅れていれば、その首は胴体と別れていただろう。
「お父様――お命、頂戴いたします」
聞き覚えのある声。
否、十年来会っていなかった故に誰とも分からないはずであったが、声には不思議と面影が残っていた。
街灯の薄明かりの中で、一人の少女が剣を構えていた。
黒髪に銀のグラデーションが混じる長い髪が夜風に揺れる。
精悍な顔立ち。
そして何より、その瞳に宿る強烈な敵意。
リアナだった。
一撃を外した剣は止まらない。
流れるように軌道を変え、返す刃で二太刀目が放たれる。
「ひぃぃっ!」
英雄とは思えぬ情けない悲鳴を上げながら、スルガは辛うじて身を捻った。
剣先が鼻先を掠める。
だが追撃は終わらない。
勢いを乗せたまま剣が回転し、今度は横薙ぎに振り抜かれた。
スルガの愛剣は騎士団本部に置いたままだ。
腰にあるのは護身用の短剣一本。
逆手に抜き放つ。
甲高い金属音が夜の路地に響いた。
リアナの剣を受け流しながら、スルガは冷や汗を流す。
(いや待て。本当に来たのか!?)
スルガは軽く地面を蹴り、後方へと跳んだ。
リアナとの間合いが広がる。
すぐに踏み込んで剣を制圧することもできたが、スルガはそれを選ばなかった。
既に相手は十分に警戒している。
下手に手を出せば、余計に事態がこじれるだけだ。
何より――。
(こんな親子の再会は望んでないっての!)
そんな思いがあった。
だが、その配慮はリアナにはまったく届いていないようだった。
突然の騒動に通行人たちは次々と足を止める。
ざわめきが広がり、遠巻きに様子を窺う者たちの輪ができ始めていた。
無理もない。
ただの酔っ払い同士の喧嘩なら誰も気にしない。
しかし今、帝国の英雄として知られるスルガ騎士団長が、若い女性に襲われているのだ。
しかも、その女性が互角以上に渡り合っている。
人々の注目を集めない方がおかしかった。
「ほら、皆さんも心配して集まってきていますし、その剣を納めていただけませんでしょうか?」
スルガは苦笑を浮かべながら両手を軽く広げた。
降参ではない。
敵意がないという意思表示だ。
しかしリアナは眉一つ動かさない。
「十年近く会っていない娘に対して、最初の言葉がそれですか、お父様」
冷え切った声音だった。
その言葉にスルガは思わず頬を引き攣らせる。
(十年ぶりの父親に会って、いきなり斬りかかる娘もどうなんだろうな……)
内心で反論する。
もちろん口には出さない。
出したところで状況が好転する未来が見えなかった。
その時だった。
酒場の扉が勢いよく開く。
「おおっ、感動の再会じゃないか!」
顔を覗かせたディオンが楽しそうに声を上げた。
「実に微笑ましいねぇ」
「どこがだ」
スルガは即座に返した。
しかしディオンは聞いていない。
後ろからは酒場の常連たちまでぞろぞろと出てきていた。
「団長! 娘さん美人じゃねぇか!」
「よかったな!」
「親子で仲良く剣術の稽古か!」
「どう見ても殺し合いなんだが?」
「細かいことは気にするな!」
好き勝手な野次が飛び交う。
命を狙われてるんだ、細かいことな訳がない。
誰も止める気配がない。
むしろ楽しんでいる。
スルガは額を押さえたくなった。
「ディオン――」
低い声が漏れる。
「後で覚えておけよ」
「ははは!」
ディオンは満面の笑みで手を振った。
まるで他人事である。
実際、他人事なのだが。
「参ります」
「参らないで」
リアナが踏み込んだ。
聞いてなかった。
瞬間、その姿が掻き消える。
地面を蹴る音だけが一拍遅れて響いた。
速い。
騎士団の新兵などというレベルではない。
スルガの正面へ飛び込んだかと思えば、途中で鋭く軌道を変える。
前後左右上下と目まぐるしく疾走しながら剣が舞い、そのどれもが当たれば命が絶たれてしまうものだ。
まるで獲物を翻弄する狼のような足運び。
そして次の瞬間にはスルガの背後へ回り込んでいた。
剣閃が走る。
狙いは背中。
加減無しの殺意ある刺突。
だが、切っ先は空を裂いただけだった。
「なっ……!」
リアナの目が見開かれる。
確かに捉えたはずだった。
しかしスルガは紙一重で身体を傾け、その軌道から逃れていた。
まるで風に流される木の葉のように。
無駄な動きが一切ない。
避けた直後には既に数歩後退し、再び間合いを外している。
「もう勘弁してもらえませんか」
「しません」
即答だった。
迷いすらない。
せめて迷って欲しかった。
「ですよねぇ……」
スルガは肩を落とした。
「これからが本番です」
リアナが剣を構え直す。
その眼差しは鋭い。
「参ります」
次の瞬間。
速度がさらに上がった。
残像が見えたような錯覚すら覚える。
突き。
薙ぎ払い。
袈裟斬り。
だが、それらは全て本命ではない。
虚実を織り交ぜた連撃。
相手に反応を強要し、その中から致命的な隙を探し出す戦法だ。
普通の騎士なら一太刀目で終わっていただろう。
しかし。
「うぉっ」
「危ない危ない」
「おっと」
スルガは情けない声を上げながらも、全てを回避していた。
必死になって躱しているように見せかけて、その実は最小限の動きだけでリアナの攻撃を捌いている。
まるで攻撃が来る場所を最初から知っているかのように。
その異様な光景に観衆はますます盛り上がる。
「嬢ちゃん! 後ひと息だ!」
「そこだ! 右が空いてるぞ!」
「団長逃げるなー!」
「頑張れ娘ー!」
完全に酒の肴になっていた。
帝国最強の英雄と、その英雄を殺そうとする娘。
本来なら緊迫した戦いのはずなのに。
観衆の誰一人として、その勝敗を心配している者はいなかった。




