第1話 英雄に安息なし
「お父様──ようやくその命を頂戴できますね」
月の明かりに照らされた刀身を見つめながら、想いに耽る少女。
鬼気迫るその鋭い瞳は、これから戦場に赴いていくような覚悟さえ感じ取れた。
愛すべきはずの父を殺す。
それほどまでの決意を胸に彼女は、夜の街へと姿を消した。
──帝国シャルベリアの夜、夕暮れが闇へと沈む時刻まだ街には活気が残り、人々はそれぞれ用事を済ませ帰路へと着く者達が行き交っていた。
店じまいをする所もちらほらと見受けられる中、一際賑わいを見せる場所があった。
「流石はスルガ騎士団長。英雄になっても休む事なく、ドワーフへの物資輸送の任を務めるとは、本当に頭が上がらない」
三十代半ばと思われる藍色の長髪を後ろで一本に縛り、どこか飄々とした雰囲気を纏った男は、隣の男の肩を掴みながら親しげに話しけている。
酒場【クラスト】街の中でも一番大きな酒場で、ここには多くの騎士達も挙って呑みにやってくる。
肩を掴みまれた男――スルガ騎士団長は魔王と互角に渡り合い決着こそ着かなかったが、誰も成し得なかった魔族との休戦協定を結んだ英雄である。
短い黒髪で英雄と呼ばれるには、やや華のない優男という印象がある。
「英雄なんて周りが勝手に囃し立てているだけだ。帝国の騎士団長を務めている以上任務を遂行するのは当然。それよりディオン宮廷魔導師長殿の方が余程国の為に粉骨砕身なさっている事だろう」
スルガのその口調には、隠す事のない皮肉が込められていた。
その皮肉すらも意に介さず、ディオンは楽しそうに酒を飲み進めた。
「ディオン殿は常に街の事を気に掛けて、毎日酒ばかり飲んで過ごされているからな」
二人と同じテーブルに座り、静かに酒を進めていた女性がぴしゃりと言い放つ。
深紅の髪を肩まで伸ばしたその女性は、凛々しく整った顔立ちをしており、何処か近寄り難さすら感じさせる。
並の男なら声を掛ける事すら憚れる雰囲気すらある。
「シュエル殿。それでは私が呑んだくれみたいではありませんか。これでも私は王の為、引いては国民の為に尽くしているのですよ。お酒はその息抜きです。必要悪なのです」
「限度ってものがあるだろ」
シュエルは呆れたように首を振った。
「確かに毎晩飲みに来てるじゃねぇか」
「本当にちゃんと仕事してるのか?」
「この前なんかそこのテーブルで酒瓶抱えて寝てただろ」
周りで飲んでいる市民も便乗するようにディオンを責めたり、共感する者もいた。
騎士であろうと役人であろうとも市民と同じテーブルを囲って酒を酌み交わす。
クラストではそれが日常であり、ありふれた光景。
帝国の騎士団長、宮廷魔導師長、果ては宰相であってもこの店へ赴けば、ただの常連客に過ぎない。
「それにしてもスルガ様、長いお勤めでしたね」
客の一人がスルガへとお酒を注ぎながら、尋ねた。
「ドワーフの里は険しい山を二つも越えたアバロ鉱山の近くなもんですからね。物資を運びながらとなると三ヶ月程はかかりました」
並々に注がれたお酒を見て、軽く会釈をして答える。
「ディオン様と違って任務で国を出てばかりで、大変でしょう」
「ちょっと一言余計じゃないかな」
ディオンは心外そうに指摘する。
「どうも他種族に好かれる傾向があるようで、ご指名が多いですからね」
「たまには故郷にも帰りたいんじゃないですか?」
「ん──まぁ、なんというかそうですね。たまには帰っておきたいとは思っています」
故郷の話になった途端、急に歯切れが悪くなる。
何か踏み込まれたくない事があるのか、都合の悪い事に蓋をしている様相。
「おやおやぁ、やましい事でもあるのですかなぁ?」
ディオンを厭らしく問う。
恐らくはスルガの歯切れの悪い原因を知っているからこその問い掛けだ。
「──気のせいだろう」
スルガは構わずに濁す。
反応してしまうと余計に痛い所を突かれてしまう事が容易に想像出来てしまうからだ。
ディオンもそれを察してか、にやりと笑みを浮かべながら、スルガへと距離を詰める。
「そういえばスルガ殿に朗報があるのだよ」
ディオンの表情は更に悪意のある笑みが溢れ出ていた。
それを汲み取ったスルガは苦い顔をしながら、恐る恐る聞き返した。
「なんだ?上級竜の討伐要請だけは勘弁してくれよ」
「安心したまえ、そんな過酷な事じゃない。スルガ殿がドワーフの里へ行っている間に入団式があり、新入騎士が入ってきたのはご存知だと思う」
「ん?あぁ、そういえばもうそんな時期だったか」
スルガは入団式と聞き、思い出したように頷く。
しかし、だからと言って自分自身への接点を見出す事が出来ずにディオンの言葉を促す。
「なんとその新入騎士の中に──リアナ・カーティス。君の娘さんが入ってきた」
高らかに宣言するように言い放つディオン。
「おぉ!なんだ娘さんまで騎士になったのか」
「いや、さすがはスルガ騎士団長の娘!しっかりと血を引いてるもんだな」
「めでたい!めでたい!こりゃあ、もっと飲まねぇとな」
周囲の人々も歓声を上げて祝福する。
だが、当の本人のスルガだけは違っていた。
血の気の引いた顔になり、いつ死んでも可笑しくない程に青ざめていた。
「マジデスカ」
その呟きは誰にも届く事がない程弱々しかった。




