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機械仕掛けの白昼夢  作者: 乃月
【一章】霧の伽藍
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19:返り血には白百合を

もう手も足も動かなかった。

動かせるはずもなかった。普段一切使わない筋肉をフル稼働させ、精神をヤスリで削り取られ、挙句相手の体さえも切り刻んだ。


無論無傷では無い。そんな事あり得るはずもない。

本当なら今すぐに病院のベットに直行しても良いはずだ。それくらいの働きはしたつもりでいる。

だが、今はどうしても。

そのボロボロの体を引きずってでも会わなければいけない男がいる。


それは、手も足も再生できなくなった、文字通り手も足も出ない純白の騎士"だったもの"。

黒い靄を纏い、死の鎌を振るい、幾度となく殺されかけた。

それでも、知っていた。その裏にある顔を。


その印象が、どうしても消せない。

一度会ってしまったから。


今はもう、伝説の上でしか生きていない騎士に。


世界が歪曲する。

色が少しずつ失われていく。

血が出すぎた。頭が重い。手足に力が入らない。


ぐらり、と身体から力が抜けて膝を地面につける。

それでも尚、体の痛みはとどまることを知らない。


しかし、目的は達していた。

目の前3メートル足らずの所に、男は仰向けに打ち捨てられている。


「なぁ、まだ……生きてるか………」


口から血が溢れる。血が混じった声が虚ろな洞窟内に響く。

暫くの沈黙。その後に、聞き覚えのある声が聞こえる。


「…………ぁ………ぁ」


それは間違いなく、男が騎士であったときの声。

僅かばかりの声に、体は安堵感を覚えたのか膝立ちさえもできぬ程に脱力し、ふらついた身体は劔を手放してしまった。

からん、という金属音を立てながら劔は地面にぽつんと佇む。暗い暗い洞窟の地と相反する黄金の色を煌々と発する太陽の様なその姿は、鍔にされた細かな装飾まで記憶の底に焼き付いた。

体を壁に預ける。

もう立ち上がることも動く事もままならない。

それでも話すくらいは、出来る筈、だ。


そうは頭では思っても、体は言うことを聞かずに静かに深淵に引きずり込まれた。




―――――そして夢を見た。


その夢はには誰も出てこない。だけど、誰かの温もりが平原そこにはまだ残っていた。


光の降り注ぐその場所には、浅緑の風が吹き抜けていて、人工物が一切視界に入らない。

ここは天国と、そう呼ぶにふさわしい場所だ。

きっと、俺は――――。


「残念だが、まだこちらには来れないよ」


後ろから誰かの声が聞こえる。

その草原にふさわしい、聞き覚えのある声だった。

もう、自分には振り返る必要がないと、その声は言っていた。

けれど、やはりもう一度その姿を見ておきたくて。

静かな微笑みに目を細めながら後ろを向く。

足音が聞こえた。

僅かに露を含む短く切り揃えられた草は、一歩足を踏み入れられる度に、あるものは風に揺られたようにほんの少し鳴き、またあるものは足に絡みつこうと体を捻じ曲げる。

そして足がどけばまたもとの場所に帰り始める。

そんな光景の中に一人佇む男は微笑みながら語りかけた。


「一体どれが本当の自分か、私自身もわかっていない。どの自分が正しいかさえも」


自嘲気味に、しかし微笑みを絶やすこと無く、男は結局正しさに出会えなかった、と小さく呟き、そのまま静かに話し出した。


「何が正しく何が間違いか。絶対的な正義も絶対的な悪も無いこの曖昧な世界では、自分を見つける事さえもままならない。それでも死ぬ訳にはいかず、ただ耐え忍びながら生きるだけだった。ただそれだけの道を歩んできた。信じたかったのかもしれない、死の先に何か真実のようなものがあると。諦めたかったのかもしれない、世界の忘れた真実を求める事など。ずっと判っていた。知っていながら目を背けていたのだ。世界を曖昧だといった張本人がそんな曖昧な性質を持っているんじゃ、判るものも判らないと」


言葉に詰まる。それを否定する事は自分には出来ないから。

つい目を伏せる。自分にもそれが判ってしまうから。


「そ、それでも………」


そう言いかけた時、目の前には掌が映し出された。


「いいんだ。これこそ、私の求めていた滅亡なのだから。ことわりの外の者になってからどれだけ経ったのか、もはや私の知り得るところではない。が、その長き暗闇の中に於いていつしか死にたいと思うようになった。それを今叶えられたと、それだけの事だ。案ずることはない、この場で邪悪は私一人で十分だ」

「そういう事じゃなく……」


そう告げると、ほんの少し困惑したように、しかしそれでもその顔には尚微笑が残っていた。

そこからは、しばらく沈黙が続いた。

それはあの洞窟の中での暗鬱としたものとは違い、かと言って厳かな場所で巻き起こる荘厳としたものでも無かった。

それはただ、そこに沈黙が存在しただけという、何気ない日常のものであった。


「私には、君のことが全てわかるなどとは言えない。それはあまりにも傲慢だからな。人は他人ひとを理解できない。それは一見して害悪のように聞こえるかもしれないが、そうではないと私は思っている。思うに人が生きるのは真に理解し合える者を探す、永遠に等しい長さを持つ探求の旅だと、そう思っているのだ。

そして、君にはそんな人を見つけて欲しいとさえ思っている。殆ど初対面の人間にそうまで思うのは、少し気色の悪いことだが、許してくれ。

私自身が不思議に思うほど、私は君に肩入れしている。

笑ってくれて構わない。私は、騎士となり、人間を辞めてまで生きてきた。生に執着があったのかもしれない。だがそれ以上に、きっと分かり合える人間が欲しかったんだ。それを探して、何百年。結局見つかることなく潰えてしまうものなんだな、願望は」


男は深く一息つき、静かに風の吹く方を見つめた。


「私はこれで消えよう。それが私の願いだし、君にとって、世界にとって利となる」


今、物語の中で聞き、幼少の頃の憧れを全て奪い去った華麗で聡明な騎士が死に絶えようとしている。

なんとも悲しき事実であり、同時にそれが規律であると嫌と言うほど知らせてくれるものでもある。

一筋の雫が頬を零れ落ちた気がした。

無意識にそこに触れる。

それは気のせいであったが、自分には現実の出来事のように思える。

仮にそれが幻想であっても、自分は現実としよう。

それが今できる唯一の事ならば。


白き鎧を纏った騎士は、草原の光る風の中に黄金の塵となって掻き消えた。


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