14:鮮血と氷結
魔力を伴った一陣の風は、自己紹介途中の化物めがけて一直線に向かう。
もしその標的が俺であったのなら、勝負は一瞬でついていただろう。が、相手は気にする素振りも見せない。
「私の名は、ルイス=ジェイド。聞いたことなぁい?」
「っ!!!効いて....ない..」
「あらやだ、聞いてないなんて。座学は受けたことあるのかしらねぇ」
見事に話の食い違う二人。が、その表情は決して暖かなものでなはなく、一方は見下しながら嗤い、一方は次の一手を考えることに全神経を集中させている事がよく分かる、つまりは切羽詰まった顔だ。
そんな相反する2つの状況に挟まれる俺は、何も考えることの出来ないか弱い子羊みたいなもので、ただ呆然とそこに坐り込んで傍観を決め込むしか無かった。
「....」
「まぁたそうやって...」
呆れたようにぼやきながらジェイド、と名乗った化物は長く垂れたまつ毛を指でいじる。
そんな異常な光景がさも当然のように流れる空間で、戦意などはもう無く、非現実を現実と受け入れる以外、それこそ生命活動に必要な最低限の事しかできない。
「そっちの坊やはポカン顔ね、ふふっ、好みよそういう顔」
莉李を敵と思っていないのか、怪物はさも優しげに語りかけてくるが、それにさえも答えることができない。
そんな折どこからともなく、とめどなく絶望感が溢れ出てくる。
間欠泉のように吹き上がり、絶望という名の粒となってこの身に降り注いでいる。
もう無理だと、自身に言う。胸中で、そっと。
目の前にいる怪物は間違いなく災害そのものだと、直感ではなく事実として自身の目に映るのだ。
「.....彗...?」
そう問いかける茉李の声が聞こえる。その美しい横顔だってよく見える。
でも、それがなんだ。と誰かに囁かれた気がした。
きっと気のせいだろう。追い詰められた人間は幻覚も幻聴も、まるでそれをしなくてはならないかのように決まって見る、決まって聞く。
だからこの今の状況も、俺を人間と証明しているだけの、ただの世界の悪趣味な悪戯なのだ。
なんて簡単な事だろう。どうせ今この凄惨で残酷で無情極まり無い状況も、この世界の創造主様にはどうでもいい、道端の虫の死骸同然な事で。
だからきっとこんな状況だって、悲劇のシーンに割り当てられたんだと割り切れる。
そんな割り切り、無意味だと分かっていても、そうするしか道が無い。
ただただ負の感情が溢れ出すのが止まらない。
ふと、怪物と目が合った。
長い睫毛を携えた、伏せ目がちなそれと。
口を三日月型に歪ませ、一つ一つが親指ほどの大きな歯を見せ、酷く下品に笑う。
ねばりとした唾液が、ぼたぼたと地面に落ちる。
恐怖以外の何物も感じないその仕草に、恐怖ではなく寧ろ憤りを感じる。
自分の無力さへか、世界の理不尽さへか。
「.......」
怪物が何か呟いた。
長い睫毛を揺らし、腐っていない部分の口角を思いきり上げて。
次の瞬間に見えたのは、自分の首が宙を舞うーーー“映像”。
ややノイズのかかったそれは、自分の死を嫌というほど分からせてくれた。
それでも、そんな事実は知りたくないと、せめて一瞬の猶予をと。切に願った。
もう遅いと知っていた。それでも一縷の希望に残っていないはずの意識を任せて、大きく仰け反る。
勢いを殺し切れずに後頭部を軽く打つ。その衝撃が神経を通って痛みへと変わる前に、自身の右側から地面を踏み砕く音が聞こえた。
鼓膜を揺さぶる音は幻聴だと何度も自身に言い聞かせたが、それが幻聴などでない事はよくよく分かっていた。
「あら....避けられたの?」
気付けば、怪物の顔が自分の上にあって、今までの優しげな、もし人の表情に合わせて表現するのであればだが、ものとは違い、虫けらを見るような、蔑みを含みに含んだ、もはや敬意を評したいほどの嘲った笑みを浮かべていた。
「はっ..はっ...はっ...はっ....」
呼吸ができない。が、それでも残った僅かな力を込めて思い切り後ろに下がる。距離を取りたい。この化物から。
そうして無様に逃げる俺を怪物は哀しみの目でみる。
でも今はそんなこと関係ない、いかに無様でも生き残りたいという気持ちが強かった。そしてある程度距離を取ってから体が震えていることに気づいた。それは一瞬でも遅れていたら死んでいたという事実を知ったからなのか、生きていた事に対するとめどない安堵のせいなのか。
真相は自分でもわからないが、分かったこともある。
あの"映像"は未来予知のようなものだということ。そして、自分がまだ生きているという事。
とりとめなく考えが巡り巡る。思考回路がショートしそうになるほど、凡そこれだけ考えに考え抜いたのは生まれて初めてだろう、思考の海にどっぷりと沈んだ。
現実の事など気にならない程ーーーーー。
「ーーーーー彗!!!」
凛とした声に意識を引き戻される。
一瞬で世界に色が戻る。刹那的に自身の置かれた状況、様々な要素が目に確かな情報として飛び飲んでくる。
振り上げられた丸太程の太い腕は剣のような形へと変わっていて、それが落とす影は黒黒と心の奥底に駆け巡る。
「く.....そっ.....」
諦念が頭をよぎる、抗えようの無い絶望を添えて。
刻一刻と、死が迫る。一瞬で終わる。もうさっきの"映像"の様な手助けはない。
全ての動きがゆっくりと、緩慢なものになってゆく。
それを見て、自分の死が確かになったのを見て、何処かで安堵したような気がする。
思えば、あの日、あの天災の降り注いだあの日あの瞬間から、ずっと死にたがっていたのかもしれない。
自分の周りにいた人、家族、友人、知らない人、知っている人。
すべてが瞬時に死という理不尽極まりない手によって摘まれた。
抗い方を知らず、ただ死を傍観し、自己嫌悪に塗れ、絶望の内に何度も死にたいと願い、しかしそれを自分でやる勇気などなく、他者に頼むことさえできず。
だらだらと長引かせてしまったこの命。
怠惰を貪り、恐怖から目を背け、明るい方へと只々歩むことをやめない。
昔見たあの地獄、それ以外にどう言えばよいのか分からなかったような絶望の極致を忘れ去ろうとした、重い重い罪科。
その鎖さえも引きちぎり、過去のことだと一蹴して、自分だけはあの過去から逃れた。
こんなにも罪深き自分を殺してくれるならばーーーーーー。
流れる様に現れ出たのは走馬灯ではなく、自身の懺悔。溢れかえったのは恐怖でなく嫌悪。
そろそろ終わりにしよう。そう自身の心との決別を果たし、憐れな自分への軽蔑も終え、あとはほんの一瞬あとに訪れるであろう永遠の虚構との邂逅を受け入れるだけ。
そうすれば、自分の物語はここで終わる。
どれだけ経ったのだろう。自分はもう死んでいるのだろうか。
おかしい。
痛みはなく、喪失感もなく、あるのは鼓動と感覚とーーーー。
まだ温度の残る、血に塗れた茉李の体だった。
すごくとてもめちゃくちゃ清々しいほどに時間が無く、少しずつ書いてはいたもののかなり時間がかかってしまいました。
申し訳ないです。お詫びとしてのピラミッドです
m(_ _)m
m(_ _)mm(_ _)m
それと、早ければ今日、遅くても明日にはもう一話投稿します!お楽しみに!!




