もはや僕の周りはすべておかしい。
金曜日から日曜日までずっと試合だったので、ぼくは寮に泊まっていた。こういう連戦のときには選手間のミーティングやら作戦会議やらが多くなるので、何かと一緒に寮にいた方が楽なのである。
2日ぶりに家に帰ったのは日曜日の午後6:30。思っていたよりも早く帰れたので、残りの時間をゆったりと過ごせそうだ。
玄関を開けるといつもよりも靴が多い。おそらくまたういの友達が来ているのだろう。1年の終わり頃から頻繁に家に来るのだが、未だに少し慣れない。やっぱり同い年の他人が自分の家にいるのはそわそわする。
いっそ仲良くなっちゃえば楽なのだろうけれど、なにせぼくは部活に夕方の時間の大半を費やしているために、仲良くなれるまでの時間がないのだ。べつにコミュ障なんかじゃない。なんかじゃない。
「ただいまー。」
ドドドドドドドドドド
地響きが鳴り響いた。きっとみちこさんだ。これは絶対にそうだ。おそらくノーブレーキでぼくに突っ込んでくるのは火を見るよりも明らかな事だ。ここは鮮やかに避けてやろう。
廊下の角にヤツの姿があらわになる。上がった息と荒ぶる髪が闘牛を連想させる。闘牛に髪の要素なんてないんだけどね。僕も赤い布持ってないんだけどね。
国産みちこ牛と僕との距離が1.5mを切ったところでヤツは僕に飛びかかるための初動を見せた。僕への直進コース。避けられる!
持ち前のクイックネスで右にかわし、みちこさんはドアに激突。というのがいつもの流れなのだが、今回は違った。
みちこさんは初動のまま動かなかった。
「(くそっ、罠か!謀ったな!)」
フェイントに見事にかかり、体を右に流して無防備な僕にターゲットを絞る。初動のまま動かなかったために、パワーはフルまで溜まっている。もうなんか光のエフェクトすら見える。みちこさんの顔には自信と高揚感がうかがえる。
「(だが甘いっ!)」
右に流れかけている体を無理に立て直そうとはせずに、右足をあげ僕は壁を蹴ろうとした。日本全国のバスケ経験者なら一度はやった事であるだろう奥義『壁キック』を発動しようとする。
しかし、僕は気づいてしまったのだ。今僕がいる玄関右寄りの場所の後ろには『傘立て』がある事を。
「(ここで避けたらみちこさんが…。ここで受け止めるしかないのか?)」
刹那の間にさまざまな葛藤が飛び交う中、みちこさんを受け止める覚悟を決めた。持ち上げかけた右足を戻し『スーパーみちこキャッチング』の体勢に入る。
しかしまたここで気づくのだった。
「(いや、これ受け止めたら結局俺に傘刺さるじゃん!?いやいやいや待って!まじで待って!)」
基本自己犠牲とかしない僕に、みちこさんを助けるために自分が犠牲になるという考えはなかった。のだがここまでの回想でみちこさんとの距離は30cm。みちこさんはとうに音速を超え、限りなく光速に近い速度まで加速していた。次元が折れ曲り周囲の光が屈折を始め、残像だけがそこにと止まった。
「来いっ!」
両脚に渾身の力を込め受け止める準備をした。次の瞬間ーーー
ぽふっ
「おかえりーーーー。寂しかったよおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああ。」
えーと、とりあえず僕の茶番にお付き合いいただきありがとうございました。実際のところフェイントをかけられたところくらいは事実で、傘立ても事実ですが、軽く受け止められないほどの威力もありませんでした。ごめんなさい。
「ただいまです。とりあえず離れてもらえます?」
「い!や!だ!」
「無理やりにでも剥がしますよ?」
「む、無理やりなんて…。そんなぁ。は、初めてだから、優しくして、ね?」
「変な意味持たせないでください。どうなっても知りませんよ?」
「どうなってもって…。いや私も大人だし、透君にも責任とってもらうし、もうすぐ18だから大丈夫!」
「すみません。会話のキャッチボールが成り立たないのですが。どっかにボール飛んでっちゃってるみたいなんですが。」
「あ、そのボールを集めれば願いが叶うのね!わかったわ!そしたら半強制的に透君は私のものね!」
「そのボールはオレンジでもなければ、神様も呼べません。まぁキャッチボールする気ないのはわかりました。そしてそれは『強制』であって、『半強制』ではありませんよ?」
「そんな恥ずかしがらないで。透君だって半分くらいは私をー
「求めてません。いい加減捨てますよ?」
「え?ここで?」
「ん?ここに。」
「ここでするの?」
「童貞の話じゃねーよ!」
未だにこのコバンザメは離れない。ていうか、なぜ僕がチェリーボーイだとこの人は知っている?いや認めるけど。まさか…
「かかったわね、透君。これであなたが未開発なのはわかったわ。つまり初めては私のものね。」
「せめて『未開発』じゃなくて『未経験』にしてください。なんか開発とか怖いです。」
「なんか『はじめてのかいはつ!』にすると夕方時のお茶の間をほっこりさせる雰囲気がでてるじゃない。初めての初々しさとかも伝わっていいと思うわ!」
「超優良番組「はじめてのおつかい!」と一緒にするなよ!確かに初々しいだろうけど…。じゃなくて!とりあえず離れてくださいよ!」
この女。時が経つにつれ力が強くなっていってやがる。アナコンダなのか。
「いやでもさ、透君。このままあと何年かすると『おつかい』じゃなくて、『まほうつかい』になっちゃうよ!?」
「だから童貞の話はやめて!」
腰に巻きついていたアナコンダが僕の顔をめがけてシュルシュルと登ってきた。父さん、自然の摂理は厳しかったよ。僕はもうだめみたいだ。
アナコンダは既に捕食者の目をしている。そして今まさに頭から丸呑みしようと…
とんっ
急に倒れ込んだアナコンダ。それがみちこさんだとここで思い出した。そして後ろにはういが立っている。
ういの右手が手刀の構えになっている。首の裏をやったらしい。ちなみに現実での首の裏へのチョップは最悪半身不随の可能性もあるのでやめましょう。
「あ、うい、ただいまー。」
「おかえり、とーにー!このアナコンダの毒牙から守れてよかったよ!」
おお、アナコンダは共通理解だったのか!よかったよかった!でも残念ながらアナコンダに毒はないのだよ。
「うん、助かったよ。ありがとう!」
「別にお礼なんていいよ!『はじめてのちょうきょう』はまだ私には早いもの!」
「ん?さっきのはべつにういの話じゃないよ?それに少し言葉が…。」
「知ってるよ?とーにーの事でしょ?ということはやっぱり私にはまだ早いよ!」
ういの目がさっきから黒く塗りつぶされているように見えるのは気のせいだよな。疲れているだけだよね。
「そ、それはあれだよね?こういう下品なお話はういには早いって話だよね?」
「ん?ちがうよ。『私』が『とーにー』をを『ちょうきょう』するっていう番組をお茶の間に放送するって話でしょ?私まだお茶の間をほっこりさせられるほどのスキルないから…。ごめんね、少し待っててね!」
「そんなの流したらお茶の間とBPOからの苦情の嵐で家庭崩壊しちゃうよ…。まずういは『ほっこり』の意味から復習してきなさい。」
「『ほっとで高圧的なリアル妹』でしょ?」
ういさんの様子がおかしいです。どうしたのでしょうか。
しかし『ほっこり』が妹の自己紹介文の略だったとは…。
「ちょっとー!ういー!まだー?」
よくやった、友人A!この前に引き続き今回も助けー
「早くお兄さん連れてきてよ!」
助けてください。便乗しないでください。
そもそもこの友人たちが僕を呼ぶ理由は、別に僕に気があるとか、憧れているとかではなくて、単に筋肉が見たいらしい。
一応僕も筋トレをタイトにこなしているのでそこそこに筋肉はある。というよりもバキバキなのだ。
これも全てはまだ見ぬ新大陸、黄金の国ジパング(東京ビックサイト)で灼熱の中(真夏)、歴戦の覇者(前日泊まり組み)と共に、脱落者多数(熱中症)で催される神々の祭典(夏コミ)への準備なのである。
そんなこととはいざ知らず、ういの友人たちは寄ってたかってくる。いつもならういがこういうのを許さないのだが、今回は相手がういの友人のために、僕が下手に抵抗できないことをいいことにその行為を黙認し、そして混ざっているのだ。
前からういは少しおかしいが、いやかなりおかしいがここまでではなかった。こういう不安定になる時は決まって何かがあった時だ。何があったのだろうか。
♬♩♬♩♬♩♬♩♬♩
ういが僕を無理矢理連れて行こうとした時に不意に僕の携帯から、流行りのアニソンが流れ出す。
それは今期の神アニメ『ごちそうはうなぎですか』通称『ごちうな』の主題歌だ。アニメ、曲の両方に中毒性が高く、どハマりする人が続出し、果ては『ごちうな難民』なる言葉が生まれたほどである。そして僕もその1人だったりする。
あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~
とりあえずワンコーラスだけ聴いて電話に出た。
『メッセージみろ。殺す。』
新手の脅迫電話だったらしい。そしてどうやら僕は殺されるらしい。
「だれ?おんな?」
手を後ろで組み、笑顔で問いかけてくるういの瞳に光は見当たらない。
脅迫電話の主よりも先にういに殺されそうです。
「いや、わからない。なんか変なことーー
♩♬♩♬♩♬♩♬♩♬
再度あの神曲が流れだす。小さなうなぎ屋をかわいい女の子たちが運営していく日常ストーリーで、内容が濃いわけではないがなぜか惹かれるあのアニメ。
あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~
とりあえずワンコーラスだけ聴いて電話に出た。
『早くしろ。』
またも一言で切れた電話。どうやら声質からして、電話の主は紗夜のようだった。
言われた通りメッセージを見てみると、先日のファミレスへの呼び出しだった。
「だれ?とーにー。」
僕には二つの選択肢がある。1つはここでういに捕獲され、あの友人たちにいいようにおもちゃにされること。もう1つはここを去って、紗夜にいいようにこき使われること。
いや、おそらく紗夜はまた『奢れ』だの、『愚痴を聞け』とか言ってくるだろう。
愚痴はいいとしても、何より僕は今お金を使うことはできない。というのも僕は『ごちうな』の主題歌の初回限定版、通常版、店舗別特典付き版CDを買わなければならないのだ。これはごちうな難民の権利であり義務なのだ!
ここは大人しくういに捕ま……
「うい!ごめん!今日みんなとご飯食べに行くことになった!荷物はみちこさんに任せておいて!じゃ!」
僕は見てしまった。ういの背中に隠された縄のようなものを。
さすがにお金と命は天秤にかけられない。2日分の食事を抜けば特典付きも全種類買えるだろうし。買うことだけは譲れないけれど。
走っている途中で後ろを振り返ると、玄関の前には未だにういがいた。黒い禍々しいオーラが見えたのは気のせいじゃないはずだ。
ファミレスの前にたどり着くと、窓際の席に紗夜が座っていた。どんなのことは思えないほどの貧乏揺すりの速さはとっくに音速を超えていた。怒りは物理の法則をひっくり返すらしい。
ここはファミレスには寄らずに公園で時間でも潰すのが得策だろう。殺されるじゃ済まないよ、あれ。
あ、ちなみに貧乏揺すりを1時間続けると約40キロカロリー消費できますよ!これがどんな数字かというとですね、柑橘系果物100グラムとか豆乳100グラムとかですね。お菓子とかなんかはもってのほか食べられませんね。
さておき、とりあえず僕は踵を返し元来た道を戻ろうとした。
♬♩♬♩♬♩♬♩♬♩♬♩♬
あぁ^~心がぴょんぴょ(ry
そろそろ紗夜からの着信音は違うのにしよう。メッセージを見てみるとそこにはいよいよ逃げ場をなくすような文が綴られていた。
『どこに行くのか知らないけど、あと一歩でも遠ざかったら『SRで透君に体を無理矢理求められた。』って拡散するから。はーと。』
『はーと。』ってなに?なんで記号じゃなくて文字なの。もしかしてこれってあれなの?ピンク色のやつじゃなくて『hurtー痛める。傷つける。』の方のハートなの。そうだよねこれ。
とりあえず店内に入り紗夜の待つテーブルにつく。すでにコップにはオレンジジュースがあることからすると、もうドリンクバーくらいは頼んでいるのだろうか。
「遅いんだけど…。何してたの?」
予想とは裏腹にそこまで怒ってはいなかった。怒りというよりはむしろ本気で退屈していて少し拗ねている様子だった。
「笑わないで聞いてくれ。僕は家に帰ったんだ。玄関を開けると地響きがなっていて、廊下の奥から闘牛が出てきたんだ。ありえないって?僕も驚いだんだ!突進してきた闘牛をどうにか受け止めたんだけど、そしたらアナコンダが巻きついてきて…。いや本当だよ!それはもうすごい力で。それで締め付けられて、いろんな意味で食べられちゃいそうになってたら、アナコンダが悪魔に延髄チョップ食らって…。」
嘘のような本当の話。こんなに分かりやすい話ならだれだってわかってくれーーー
「そんな変な言い訳までしてここに来たくなかったの?」
わかってくれなかった。いや当たり前だよね。日本にアナコンダとかいないでしょう。
「全然そういうわけじゃないんだよ!むしろ(あの現場から)呼んでくれて嬉しかった!もう死ぬ気(文字どおり)で走ってきたよ!誘ってくれて死ぬほど嬉しいよ!(むしろ誘ってくれなかったら死んでた)」
「え、そんなに(私に誘われて)嬉しかったの?」
「そりゃもう!むしろ(あの場を切り抜けられるような案を)待ってたよ!」
「そっか!ならよかった!」
機嫌は完全に回復したらしい。なぜ紗夜がそこまで嬉しそうなのかはわからないが、まぁ首の皮一枚つながった。
「それよりもさぁ、私と透君って最近結構仲良くなったじゃん?結構気軽に話せるじゃん?でもさ、『透君』ってなんかよそよそしいよね。『透』でいい?」
確かに少し前から感じていた。紗夜はどちらかといえば男友達のようなもので、そんな相手に君付けは正直歯がゆかった。
というのも、なぜか女子部は男子を君付けで呼ぶ習性があるらしい。紗夜には似合わない習性だった。
「うん、別に呼び方なんてなんでもいいよ。」
「わかった。じゃあ改めてよろしく、透!」
「おー。」
その後は散々愚痴を聞かされた。真夜の夜の電話がうるさいだのニヤけているのが気持ち悪いだの…。しかし先日に比べると幾分気が晴れているみたいだ。まだ多少の気持ちが残るのは当たり前のことなんだろうけど、しっかりと前に歩み出せているのを見て少し安心した。
10:00に帰宅した時には、さすがにういの友人の靴はなかった。そのまま風呂に入って時間を潰そうとしたが、例によって美智子さんが乱入してきたことにより早々と風呂を出る羽目になった。
パンツ一丁で階段を上がるとういが待ち構えていた。逃げ場はなくそのまま連行されたのだが、特に何をするわけでもなく、延々と抱き枕にされた。
ういがしっかりとホールドを決めた状態で睡眠に入った時、僕は考えた。
「やはり最近のういはおかしい。確かに以前からおかしかったのだが、最近は度を越している。何かあったに違いないな。そういえば前もこんなことあったな。確かあの時は…」
ああ、そうだった。久しぶりに母が顔を見せた時だ。




