05 正してみれば小さな話
かつて十三歳だったあたしは、向こう見ずで世間知らずの大馬鹿で、故郷の島が狭苦しく感じられて仕方なく、伝統とよばれるすべてが気に食わなかった。
商人の船に潜り込んで島を抜け出し、この街に来たのだ。
そうして出会ったのがロネスだった。
女好きのちゃらんぽらんだが子どもをどうこうする趣味はなく、家出をしてきたあたしをなだめ、知り合いの船がしばらくしたら出発するから、島に寄ってもらえるよう口をきいてくれた。
帰路のさなか、あたしは船上から水平線に目を凝らして、炎に包まれる故郷を見つけた。
……領主の保持する艦隊による攻撃だったという。
島民のほとんどは攻撃によって死亡し、生き延びた者も諸島に散り散りになった。
今なおあたしの島は領主の私兵によって占領されている。
そんな男が、どうして、あたしを追っている?
「だから最初伝えなかったんだ」とルーイは嘆息し、足が動かないあたしの手を無理矢理引っ張って広場から離れていった。ファシェルが慌ててついてくる。
人目を避けて森の中へ入り、小川のそばで立ち止まってから、ようやくルーイは指の力を緩めた。あたしは腕を大きく振って彼の手を振り払うと、「どういうこと」と吠えた。
「なんであいつが、……あたしの両親や弟たちを殺したあいつが、今になってあたしを追っているの !? 」
「俺もそれが知りたいから、わざわざ危険を冒してお前を匿っている!」
怒鳴り返し、ルーイはすぐに額を押さえて深呼吸する。落ち着いた口調に戻ってから、彼は「ヤァリ」とあたしの目を見た。
「領主は俺の叔父にあたる」
は、とあたしは間抜けな声でルーイを見上げる。
「本来なら親父が領主になるはずだったんだ。だが色々と……主に父の身持ちの悪さのせいだが差し障りがあって、父は街へ降り、その弟にあたる叔父が跡を継いだ」
どうして彼が反乱軍とかいう組織を率いているのか、これでようやく分かった。
これはただの跡目争いなのだ。
最初の衝撃が過ぎ去ると、あとからおかしさがこみ上げてきて、あたしは声を上げてけたけたと笑い出した。
あたし、あの男をちょっと父親みたいに慕っていたのに!
「じゃあロネスは、あたしの仇の兄貴だったってわけ?」
なあ、と腕を掴むと、ルーイは看板みたいにおとなしく揺すぶられた。
「故郷の島が焼かれたとき、あいつは一体どんな気持ちであたしを慰めていたの。家族がみんな死んだって絶望しているあたしを、いったいどんな顔で見ていたの!」
「俺はここ数年ずっと、父が根無し草の小娘をやけに気にかけていることを知っていたよ」
あたしの上擦った声とは対照的に、ルーイは低い声で呟いた。
「どうして俺よりそいつのことがそんなに大切なんだって思ってた。今際の際までお前のことを語る父をみて、お前を恨みもした。……でも、お前の故郷の名前を聞いてぜんぶ分かった」
他人事じゃなかったんだな、と彼は力なくこぼして立ち尽くす。その姿が、あまりに疲れ果てて見えて、あたしは口を噤む。
「叔父上のご乱心で、この街も諸島も荒れている。お前の故郷を占領したのだって、ただの気まぐれだそうだ。果てには、既に立場を捨てて一市民として街で暮らしている実兄を拷問死させるまでに至った」
あの男が兵士による拷問で殺されたことを思い出して、あたしは息をのんだ。血を分けた兄を殺すような人間がいるなんて!
ルーイの眼差しには達観した覚悟が窺えた。
「これ以上の横暴を見逃すことはできない。俺は叔父を領主の座から引きずり下ろす。そのためにはどんな情報でも欲しい」
ヤァリ、とルーイはあたしの肩を掴んで凄んだ。
「お前は父と何の取引をしていたんだ。領主の目的は明らかに父ではなくお前だ」
ふいに彼のことが恐ろしく思えて、あたしは身を縮めてかぶりを振った。気圧されて半歩下がるが、ルーイの手は離れないばかりかさらに力が強くなる。
「教えろ! お前と親父は、領主に、なにを売っていた!」
ひっと小さく息を飲んだ直後、間に腕が差し入れられた。
「ヤァリに乱暴しないで!」
ファシェルが叫んでルーイの腕に掴みかかり、彼は悪態をつきながらしりぞいた。
ファシェルは憤然とあたしの前に立ちはだかり、ルーイをきつく睨み返す。
力いっぱい掴まれた肩がじんじんと痛んでいる。ファシェルの肩越しにルーイを見た。語気の激しさとは裏腹に、彼の目には哀願とでも言うべき弱々しさがあった。
その晩、あたしは隠れ家に戻っても悶々として眠れなかった。
ロネスに裏切られた気分だった。思い出に泥が塗られたみたいだ。
あいつはあたしの故郷を滅ぼした男の兄貴で、あいつはそれを申し訳なく思ったからあたしに親切にしていたのだろう。
……それでも、ロネスは良い奴だった。
眠れないのに無理矢理目を閉じると、ひんやりとしたものがこめかみを伝って髪の間に吸い込まれていった。
どれほど経ったか、ふっと人の気配がして、あたしは瞼を薄く開いた。
廊下には灯りがついており、細い扉の隙間から光があたしの胸元まで伸びてきている。その光がふつりと遮られて、誰かが部屋の前に立ったことを知った。
ルーイは静かにこちらを見ていた。昼間の激情は影を潜め、彼の輪郭は立ち枯れた杉なんかに似ていた。外で雨が降っていると気づいたのも同時だった。
あたしが見ていることに気づくと、彼はふいと顔を逸らし、足音を殺して立ち去る。どういうわけか、あたしは糸で釣られたように体を起こしていた。
と、袖をくんと引くものがある。息をのんで振り返ると、ファシェルが大きく目を見開いてあたしを見上げている。暗闇の中で金色の双眸がほのかに明かりを放っている。
「ヤァリ」と彼女は囁いた。指をそっと解いて囁き返す。
「寝てて、ファシェル」
「ヤァリ」
ファシェルはなにか言いたげだったが、あたしは衝動に突き動かされるようにして寝台から抜け出した。
一度も振り返ることなく、裸足のまま板張りの床を踏んで部屋を出る。
後ろ手に扉を閉めたとき灯りが消えた。見ると、廊下の奥に人影があり、細く煙を立ち上らせる燭台を手にこちらを眺めている。硬質な音を立てて燭台が窓際に置かれた。
ふいと顔を背けた彼の横顔の輪郭がはっきりと見えた瞬間、あたしは喉を鳴らして唾を飲んだ。
領主家の落胤だとか、崇高な意志を持つ反乱軍の旗頭だとか、そういうのは関係ない。
いま、目の前にいる青年は、父親を殺されたばかりなのだ。
煙をかき分けて足早に近づき、あたしは両手を伸ばしてルーイの胸元に抱きついた。
「あんたの父さんを死なせるつもりなんてなかった」
呻くと、ルーイの腕があたしの背中を思い切り抱きすくめた。額を胸に押し当てた瞬間に、ようやく自覚する。あたしはロネスが殺されて悲しい。
この街で彼の死をこんなに悼んでいるのはあたしたちだけだろうと思った。
すぐ横の扉が開かれ、背後で大きな音を立てて閉じられる。部屋は暗く、雨粒が窓や壁を叩く音ばかりが響いている。額を胸に押し当てたまま、硬く目をつぶって囁いた。
「お前を責める気なんて全くない」と彼の声は掠れていた。
それからのことはあまり覚えていない。あたしは久しぶりに家族のことを直視して悲しかったし、彼も同じように寂しかったのだと思う。
柄にもないことをしていたせいか、あたしの頭を占めていたことといえば、ファシェルの手足は年中冷たかったのだなとか、不釣り合いなことばかりだった。
互いに熱を持つ頬を擦り合わせながら、ルーイはあたしの耳元に息を吹きかけながら囁いた。
「……いい加減、父とのことを教えてくれても良いんじゃないのか」
ぼやけていた思考に冷たい水が一滴落ちた。
あたしははたと瞬きをして、上目遣いに男の顔を見据える。表情は分からない。
胸の中に失望が広がった。あたしも馬鹿なことをしたみたいだ。
不自然な間が開くまえに素早く答える。
「ちょっとした宝石みたいなものだよ」
「叔父上は普通の宝石なんていくらでも買える」
ルーイは身を起こして声を低めた。そりゃあ結構なことである。
腕を伸ばして、彼の上下する胸に手のひらを押し当てる。一度歯を食いしばってから、あたしは目を閉じたまま続けた。
「べつに、あたしにとっては価値のあるものじゃない。あんたの叔父が異常なのさ」
そうだ、異常なのだ。人魚を探して実の兄を殺すなんて、どう考えたっておかしい。
どうしてそんなに人魚に固執するのだろう?
慌ただしい足音と怒鳴り声に、あたしは仰天して飛び起きた。まだ辺りは真っ暗で、窓を見ても明け方の気配すらない。
服を拾いつつルーイの肩を膝で小突き、扉の影から様子を伺う。
隠れ家は騒然としていた。一番明るい騒ぎの中心を見に行くと、あろうことか、あたしが普段寝泊まりしている部屋である。
「どいて!」と大きな声を上げて男どもをかき分け、あたしは部屋の前に立つ。
部屋は暗くて、はじめ何も見えなかった。顔をしかめ、目をこらして、それでようやく、寝台の上の人影に気づく。
「ファシェル」
呼びかけて、あたしは近くにいた男の手から燭台を受け取り、高くかざした。果たして寝台に横たわっていたのは、ファシェルとは似ても似つかない大男だった。
あの子に言い寄っていた青年のうちのひとりである。自信家で、ファシェルへの好意をおおっぴらにすることに躊躇いがなく、物怖じするファシェルの表情にいち早く気づいて話を振るまめな男だった。そいつがうつ伏せで、あたしとファシェルの寝床でのびている。
「ファシェル!」とあたしはもう一度、声を高くして呼んだ。ちょうどその頃になってようやくルーイが目を擦りながら現れ、同じように部屋を覗き込む。
あたしは慎重に部屋に入り、寝台に近づいた。男の口元にそっと手をかざす。……少なくとも死んじゃいない。
あたしがいない間に、この部屋で、いったい何があった?
弱々しく部屋をぐるりと見回して、部屋の隅にうずくまる影を見つけた。
声を出すより早く駆け寄る。ファシェルは頭から毛布を被ったまま、膝を抱え、両手で火掻き棒を握りしめたまま中空を睨んでいた。
「何された」
ファシェルの頬に手を添えて、あたしは低く囁いた。ようやくファシェルの両目がこちらを見る。細い指先がすいと動き、寝台に指を指す。
「あいつが入ってきて、布団をめくって入ってきて、わたしの寝間着に手を突っ込んできたの」
咄嗟に頭をよぎった考えに、あたしは心底自分を嫌悪した。――ファシェルの太ももには人魚の鱗が生えている。あいつはそれに触ってはいまいか、と。
束の間の想像を、かぶりを振って打ち消した。肩越しに振り返り、寝台で昏倒している男を一瞥する。
「怪我はしてない?」
小さく頷いたファシェルを両腕で抱きしめた。ファシェルは必死に身体を縮めて震えていた。
「待てよ」
部屋の外で、ひとりが指をさして呟く。
「この部屋には暖炉もないのに、どうしてそいつは火掻き棒を持っている?」
思わず息をのんだ。ファシェルの背中が、手の下でびくりと強ばる。
あたしも目を動かしてファシェルの手元を見た。確かに、これは、厨房なんかの暖炉のそばにかけてあったはずのものである。……いったいいつの間に取りに行ったんだろう?
「そいつが、自分で誘い出したんじゃないのか。初めから襲うつもりだったんだ」
「馬鹿言うな」とあたしは声を大きくして答えた。「あたしがいなかったのは予定外だったのに、この子がいつ逢い引きの約束をするって?」
男たちの視線が一斉にルーイへ集まり、彼は腕を組んで「実際、急遽のことだった」と証言した。
あたしはファシェルを助け起こすと、男たちを睨み付けながら歩き出す。
「どこに行くつもりだ、ヤァリ」
「ファシェルをこんなところにいさせられない」
あたしはルーイの手を振り払いながら答えた。
人の寝床に侵入してきた男に応戦したら、責めるような目つきで見るような奴らである。それに、……ファシェルの鱗のことがばれたかもしれない。
ルーイは腕をこちらに差し伸べたままあたしを見た。その表情があんまりにも幼く心細げなのが意外に思えた。傷ついているようにさえ見えた。
彼の目があたしとファシェルを素早く往復する。ほかに仲間たちがいなければ口を開いていただろう。
打算だけの男なのかと思っていた。あたしもちょっと考えすぎだったみたいだ。
あたしもルーイとファシェルを交互に見比べたが、結局ファシェルを抱く腕に力を込めた。
ルーイは散々あたしたちを引き留めたけれど、あたしは結局昼前には隠れ家を出た。




