02 人魚の鱗は高く売れる
「ヤァリ。最近、ずいぶんと羽振りが良いみたいじゃないか」
あたしは店先で振り返り、「ロネス」と返事をした。
この島に来てから懇意にしている、ならず者仲間だった。年齢はあたしより二十ほど上で、女を同時に六人囲い、子どもも五人いるらしいが結婚はしていない、ろくでなしで気さくな男である。
「人魚の鱗を拾ったんだ」
答えると、ロネスは目を丸くして黙り込んだ。珍しい品だから驚いたのだろう。
「あれが高く売れるって、本当なんだね」
あたしはひょいと肩をすくめた。「これから引っ越し準備だから、もう行って良い?」
男は一拍おくれて頷き、あたしの背を叩く。
「よかったな、ヤァリ」
うんとあたしは頷いた。ロネスは目を細めて微笑むと、別れ際、身をかがめてあたしの耳元に口を寄せた。
「どこでそれを拾ったのかは訊かないが、ひとつ忠告しておく……いまの話、絶対誰にも言うんじゃないぞ」
普段、あんなに軽薄でつかみ所のない男なのに、別人のようだった。真剣な口調に、あたしは体を固くする。
臆したあたしの背をばんと叩いて、彼は大きな笑い声を上げる。
「俺も景気の良さにあやかりたいもんだぜ」とへらへらした口調で語り、ロネスは雑踏に姿を消した。
取り残されたあたしは、傍らの店先を見上げる。表には出せない代物を買い取り、後ろ暗い競売へと流してくれる質屋である。あたしの収入源でもある。
いちおう、ほかの連中みたいに強盗や追い剥ぎで手に入れた品を売ったことはないけれど、いつも持ち込むのは盗品ばかりだ。
座礁した船を漁ったり、漂流物を選り分けたり、たまには通行人の鞄から……ちょっとね。たまにね。
懐を服の上から押さえた。あたしが一年間ちまちまと稼ぐ額の、五倍以上がここにある。
心臓がどきどきした。
あたしははやる足取りで坂を下った。
街は海沿いの丘へ張り付くように広がっている。石畳の道は蜘蛛の巣みたいな雑多なつくりで、狭くて見通しが悪いのが困りものだ。
人混みで遅々として進まない馬車のあいだを縫うと、大通りを素早く横切り、あたしは狭い路地の階段を一段飛ばしでおりていった。
ねぐらにしている小屋に飛び込んだ途端、ぱっと振り返る影がある。
「おかえり」と小さな同居人が目を輝かせた。
「ただいま、ファシェル」
笑顔で応えながら、あたしは出入り口の垂れ布を横目で確認する。ちゃんと閉まっている。
あんたの鱗がとんでもなく高く売れたよ、とは言えなかった。この子は自分がとてつもないお宝ということを知らない。
ファシェルは座ったまま、椅子をがたつかせて寄ってきた。あまり歩くのが得意じゃないところをみると、生まれつきの二本足ではないのかもしれない。
あたしからすれば、今からでもこいつの足が魚になってくれたら、願ったり叶ったりなんだけど。
「静かにしな」
両肩を掴んで言い聞かせると、ファシェルはにこにこしたまま頷いた。
ここは海沿いの掘っ立て小屋である。同じように、ここいらにはろくに扉も鍵もないような小屋が乱立している。ファシェルの正体を知られれば、誘拐には三秒とかからない。
「引っ越すよ。意味、わかる? 家を、変えるの」
「おうち」
言いながら、ファシェルは床を指さす。少なくとも「家」は理解しているらしい。
数少ない荷物をまとめて背負い、あたしはファシェルの手を掴んで軽く引いた。ファシェルはよろめいてあたしの胸に一度倒れ込んだが、すぐに真っ直ぐに立つ。
ころんと音を立てて床に硬いものが落ちた。あたしはすぐに屈んで拾い上げた。
「もう……鱗、落とさないように気をつけてよね」
親指と人差し指で鱗を目の前に掲げながらぼやく。
すこし透明で、角度によって青にも緑にも、ときには薄紅色にも見える、硬い鱗である。
こんなものが、五年間くらいの飯代になるんだもんなぁ。思わず遠い目になってしまう。
「あたし、あんたが羨ましいよ」
ン、とよく分かっていないような返事をしたファシェルの頭をぽんと撫でて、あたしは家を出た。
あたしは街外れの古い一軒家を買った。
「妹は耳が聞こえづらくて、言葉もあんまり話せないの。気にしないで」
売主から鍵を受け取りながら、あたしは肩を竦めてファシェルを指さした。あの子はどうにも目立つ見た目だ。白銀の髪に黄金色の瞳、妙に整った顔つきで、言動がおかしい。
いまも扉にしがみつき、蝶番を舐めるように観察しているファシェルを一瞥して、売主は「なるほど」と同情的な目であたしを見た。奇想天外な妹の面倒を見なきゃいけないと思ったのだろう。
何はともあれ、夢にまで見た、一軒家!
小さいし、古くてあちこち軋むけれど、きちんと壁と屋根があって、窓があって、鍵がかかる扉もある。台所と寝室からは海を望むことができるし、ちょっと気の利いた花壇だってある!
僅かばかりの荷物を置き、前の持ち主が置いていった家具などを一通り確認してから、あたしは広々とした居間で両の拳を突き上げた。
「あー、あんた、ほんとにあたしの救世主だよ。大好き、愛してる!」
冗談めかしてファシェルを抱き寄せ、頬に口づけるふりをしながら頭を撫でてやる。
ファシェルは首を竦めてくすぐったそうに笑っていたが、頭を振ってあたしの腕から抜け出すと、鼻先を頬にちょんと当てて「だいすき」と真似をした。
「違う違う、こうやるんだよ」
唇を尖らせて、今度は本当に頬にキスしてやると、ファシェルはしばらく考えるような顔をしてから、もう一度顔を寄せ、あたしの頬の上で可愛く音を立てた。
あははと声を上げて笑って、あたしはファシェルを抱き締めた。
人魚の鱗を一枚売れば、働かなくたって暮らしていける。でも、昼まで寝て、好きに飲み食いしてまた昼寝をするのも、十日で飽きてしまった。
なにより、日が高く昇るまで寝こけているとファシェルが心配そうに揺さぶってくる。これがうざったいことと言ったら! あたしが死ぬとでも思ってるのだろうか?
あるとき、日中の暇つぶしにご近所の漁師のおじさんのために破れた網を繕ってやった。そうしたら時たま同じような依頼が来るようになった。
今さらちまちまと盗品を売りさばく生活にも戻りたくなかったし、あたしが庭先で手作業をしていると、ファシェルが寄ってきてぴったり横にくっついてくるのも可愛かった。
「わたしもやる。貸して」
気がついたときには、ファシェルは簡単な言葉を話せるようになっていた。
指先を器用に動かし、すいすいと縄を通して結び目を作るファシェルの横顔を見るたび、不思議な心地がした。
……縄結びが得意な人魚って、高く売れるんだろうか?
本当はファシェルを外に出したくはなかったけれど、本人は人懐っこい性質だから、いつの間にか近所のひとたちに可愛がられているみたいだった。
お隣のおばさんと一緒に土いじりをして、爪の間を真っ黒にして帰ってきたファシェルを出迎えながら、あたしはうーんと考えこむ。
人魚を高値で売るんなら、もうちょっと、浮世離れした雰囲気の方が良いかもしれない。
人魚ってもっとこう、精霊みたいな、月の光の下で映える感じの、儚げな、こう……。
「ヤァリ! 今日は、このあいだやったみたいな、白身魚をオーブンで焼いたやつが食べたい!」
両手を握って、ファシェルが満面の笑みを浮かべている。
あたしは台所でふっと笑い、「はいよ」と答えた。
「お前、元々船乗りなんだろう。手つきで分かる」
網を繕うあたしの横で、休憩中の漁師がそう切り出した。あたしは目線を上げないまま「違うよ」と答えた。
「島の出身なんだ、あっちの方の」と島の名前を出して指をさし、肩を竦める。
名前を聞いた漁師が意味深な目つきであたしを窺うので、すぐに片手を振って否定した。
「三年も前に飛び出したんだ。だからあのときには島にはいなかった」
あたしは故郷に帰れない。親とは喧嘩別れだったし、……理由はそれだけではない。
「あそこは、今も占領されたままなのか」
遠慮がちながら直截な漁師の問いかけに、あたしは束の間真顔になった。
あたしの故郷は、三年前、ここいら一帯を仕切る領主に占領され、今なお民間人の立ち入りを許されていない。
島に残っていた両親や同胞たちがどうなったかなんて、言うまでもないことだ。
別に隠しているわけではなかったが、こうもはっきり思い出させられると堪えるものがあった。
黙り込んだあたしを見て、漁師はしまったという顔をした。次に口を開いたときには、彼の口ぶりは別人のように優しくなっていた。
「ヤァリ、おれの船に乗らないか? うちの親父が膝を悪くして船に乗れなくなってな、少しでも良いから心得のある人間の手が借りたい。報酬は弾むよ」
「あたしは、海には出ない。苦手なんだ、泳げないし」
努めてさっくりと答えて、あたしは凪いだ海を見渡した。
「九歳くらいのころかな。父の漁についていったら嵐に巻き込まれちゃって、船から落ちたんだ。奇跡的に近くの岩場に引っかかってたからよかったけど、遠くまで流されたり、その辺に沈んでいたらと思うとぞっとしないね」
ここまで言うと、漁師は「そりゃ仕方ない」と苦笑いした。
「あの辺りは流れが複雑だからな。せっかく奇跡的に助かった命をまた海の上に持っていく必要はない」
「でしょ」
漁師が休憩を終えて立ち去ると、ファシェルが袖を引いて「嵐?」と呟いた。初めて聞いた単語の意味を問いかけるときの合図である。
「風と雨が強いときのことだよ。たとえば一昨日の天気が、もっと酷くなったみたいな」
ファシェルは大きく目を見開いたまま、うんうんと複数回頷いて納得を示した。
この子は物覚えが良い。いちど聞いたことを再び尋ねることは滅多になく、人のやり取りもほんとうによく見ている。
「……占領?」
あたしは、続けて問いかけたファシェルの声が聞こえなかったふりをした。ファシェルはあたしの顔を見てすぐに口を閉じた。
ほんとうによく見ている子だ。
ファシェルは本当に賢い。半年も経てば普通に話だってできる。
ある晩、あたしは寝台の上で膝を抱えるファシェルに問いかけた。膝まである寝間着がずれて、鱗に覆われた腿が見えている。
「あんた、人魚なんだよね?」
「うん」
「でも、足が生えてるじゃん。どこから来たの? どうしてここに?」
矢継ぎ早に訊いたあたしに、ファシェルはただ唇の前に人差し指を立てることで答えた。
ファシェルは秘密主義だった。
あたしだってファシェルに言っていないことがたくさんあるんだから、お互い様だ。
ひとつ違うのは、向こうは妙にいちいち意味深ってところ。
ふと夜中に目を覚ましたとき、隣の枕から、ファシェルがじっと目を見開いてあたしを眺めているときの眼差しをどう思えばよいのだろう?
なにか言いたげに唇を開いて、あたしが見ていることに気付くと口を閉じ、ただ静かに、切なげな目をしてこちらを見つめているあの顔を見るたびに、あたしは居心地の悪さを覚えた。
それでもあたしは、台所に立ち、包丁を握るといつでも考えるのだ。
あたしが脅せば、ファシェルは大人しく従うだろうか?
あたしが嘘をついたとして、あの子は騙されてくれるだろうか。
例えばあたしが、あたしのためにどうか売られてくれないかと懇願したら、ファシェルは頷くのだろうか。
……あたしは、そのときが来たら、ちゃんとファシェルを売ることができるだろうか?




