第8話 石を掘る人々
朝、目を覚ましたレオナは、しばらく天井を見ていた。
低い梁も、壁際に積まれた籠も、自分の家にはなかった。隣の部屋から器の触れ合う音が聞こえてきて、ようやくユアンの家に泊まったことを思い出す。
そのあとに、昨日見たサナの景色も戻ってきた。
草に埋もれた畑。残された家。父と母の墓。
レオナは毛布を押しのけて起き上がった。
食卓へ行くと、すでに朝食が始まっていた。ユアンはパンをちぎりながら食べ、ミラは自分の椀を空にしつつ、仕事に持っていく袋の中身を足元で確かめている。ニナは煮込みの中へ沈めたパンを、崩さないよう慎重に匙ですくっていた。
ミラがニナの椀を覗いた。
「それ、もうパンじゃなくなってない?」
ニナは真剣な顔で匙を動かした。
「まだある」
レオナが座ると、ユアンの母親が空いていた椀を寄せてくれた。誰もサナのことを聞かなかった。
食事が終わりかけたころ、ユアンが何気なく言った。
「今日、何かすることあるか」
レオナは少し黙った。
「……ない」
「じゃあ石置き場だ。お前が一人来れば、運ぶのが早く済む」
レオナは顔を上げた。
「行く」
ユアンの母親が棚から布を二枚出し、パンと干し肉を包んだ。一つをユアンに渡し、もう一つをレオナへ差し出す。
「昼」
「ありがとう」
受け取った包みには、まだパンの温かさが残っていた。
山へ近づくにつれて、人の声に石を打つ硬い音が混じり始めた。
空の荷車が上っていき、石を積んだ二輪車が反対から下りてくる。長い木材を二人で担いだ男たちの服には白い粉が付き、肩に鶴嘴を担いだ女が、知り合いらしい坑夫へ手を上げて通り過ぎた。
さらに進むと、山肌に張りつくように小屋や屋根が見えてきた。斜面の途中では何人かが声を合わせて荷を引き上げ、その少し下では、荷車から石を下ろす音が絶え間なく響いている。
レオナは歩きながら何度もそちらへ顔を向けた。
一度、前を見ないまま歩いていて荷車とぶつかりそうになった。
「前」
ユアンに肩を引かれる。
「見てた」
「見ながら歩け」
レオナは今度は正面を向いた。
石置き場は、山の斜面を削って作られた広い場所だった。
屋根だけを掛けた作業場がいくつか並び、その下には掘り出された石が山になっている。
その中に青が見えた。
レオナは足を止めた。
黒い表面の割れ目から覗く青。少し離れた籠にも、その隣にもある。
あのとき、ハルで飛ばした石と同じだった。
一つ拾い上げる。
「それはこっち」
横から手が伸び、別の青黒い石が籠へ放り込まれた。
「こいつは割れすぎだ」
「端だけだろ。まだ使える」
人々はレオナが持っているものと同じ石を、割れ目を確かめたり掌で転がしたりしながら、迷いなく仕分けている。泥のついたものを桶で洗う者もいれば、木や革の具から使い終わった石を外している者もいた。
レオナがまだ石を持っていると、ユアンが籠の取っ手を持った。
「それ入れて、こっち」
レオナは石を籠へ戻し、反対側を持つ。
かなり重い。底を押し上げるように魔力をかけた途端、籠の向こう側まで持ち上がった。
「上げすぎ」
レオナは少し力を抜いた。
「これくらい?」
「それくらい」
二人で籠を運んだ。
しばらくして、レオナは石の選別を手伝うことになった。
三度目に同じ籠へ石を入れたところで、近くにいた男に止められた。
「それ、違う」
レオナは手元と二つの籠を見比べた。
「同じに見える」
男はレオナの手から石を取り、しばらく掌に載せてから隣の籠へ入れた。
「そっちはすぐ抜ける」
レオナも別の石を二つ取ってみたが、重さにも手触りにも大した差はない。割れ目を光へ向けてみても、青の色がわずかに違うような、違わないようなものだった。
男が笑った。
「そんな見てもわからんよ。使ってりゃ、そのうちわかる」
そう言って、もう次の石を拾っている。
レオナも真似して一つ取った。
今度は、一度だけ隣の籠を確認してから入れた。
昼前、大きな石を積んだ台車の車輪が土へ沈んだ。
三人が肩を入れても抜けず、そのうちの一人が腰から木の具を外した。青黒い石が革紐で留められている。
男がそこへ指を添え、もう一度台車へ肩を当てる。
押し方そのものは、さっきと変わって見えなかった。
けれど、割れ目の奥に淡い光が浮かぶと、土に食い込んでいた車輪が動いた。縁が土を崩し、ゆっくりと溝から抜けていく。
男が石から指を離すと、光も消えた。
レオナは仕事の手を止めていた。
台車が通り過ぎたあと、割れ目の奥に残る青白さは、さっきより薄くなっていた。
男が戻ってきたところで、レオナは腰の石を指した。
「減った?」
「ああ、少し」
男は木の具を軽く叩いた。
「押すときに、石の中の力も借りるんだ。手だけでやるより楽だろ」
それだけ言って、また台車の後ろへ回った。
次に押したときも石は淡く光った。
レオナは、台車が動くのと石の光が薄くなるのを見届けてから、自分の仕事へ戻った。
昼になると、作業場の人々は一人、また一人と手を止め始めた。
レオナもユアンと屋根の影へ入り、丸太に腰を下ろした。朝にもらった包みを開くと、パンはもう冷えていたが、干し肉の脂が少し染みて柔らかくなっている。
ユアンがパンを口へ運びかけ、レオナを見た。
「顔、汚れてるぞ」
レオナは頬を手の甲で拭った。
「取れた?」
「反対」
もう一度拭う。
ユアンは少し見てから、
「もういい」
と言った。
レオナは自分の袖を見る。いつの間にか、そこにも薄く石粉がついていた。
午前中、台車を押していた男が近くを通った。
腰から木の具を外し、中の石を抜いて籠へ入れる。代わりに棚から淡く光る石を取り、同じ具へ嵌め込んで戻っていった。
レオナはパンを食べながら、その背を目で追った。
「珍しいか」
ユアンが言った。
「うん」
戻された石は、別の者が籠ごと運んでいった。
近くでは朝から選別をしていた男が帽子を顔に載せて横になり、二人の坑夫は欠けた鶴嘴を間に置いて、柄だけ使えるだの、もう捨てろだのと言い合っていた。
やがてユアンが立ち上がると、レオナも残ったパンを口へ入れ、包みを畳んだ。
午後になると、午前中なら二人で持っていた籠を一人で渡された。
「これ、あっち」
レオナは取っ手を持ち、底へ魔力をかける。
今度は浮き上がらない程度に力を抑え、そのまま一人で運んだ。少し離れたところにいた男が振り返ったが、レオナはそのまま棚の前まで歩いていった。
次の木箱には、もう手伝いを呼ばれなかった。底を魔力で支えて運び終えると、さっきの男がさらに大きな籠を指した。
「じゃあ次、あれ」
その次には、地面に転がっている石の塊を頼まれた。レオナが手を向けて滑らせると、男は運ばれた石を見て、また別の荷を探し始めた。
午後の後半には、空になった石を集める作業へ回された。
使い終わったものを籠から出し、欠けがないか確かめてから並べる。その隣では、一人の女が石へ力を戻していた。
女は掌ほどの青黒い石を握り、しばらくじっとしている。やがて割れ目の奥に淡い光が戻ると棚へ置き、次を取った。
レオナは自分の石を並べながら、ときどきその手元を見ていた。
四つ目を置いたところで、女と目が合った。
「やるか?」
レオナは頷いた。
差し出された石を掌に載せる。
「無理するなよ」
女はそれだけ言って、自分も次の石を取った。
レオナは石を自分の前へ向け、荷を押すときと同じように魔力を送った。
青白い光が、一息に割れ目の奥まで広がった。
隣で動いていた手が止まる。
「……待て」
レオナも止めた。
女が石を取り上げて覗き込み、少し離れたところにいた男まで寄ってきた。
「もう?」
「もう」
男は自分の手元の石と見比べる。そちらはまだ弱くしか光っていない。
女はレオナへ石を返した。
「もう十分だ。そこ置いとけ」
「うん」
棚へ置こうとしたところで、レオナは手を止めた。
さっきまで石へ向ければそのまま流れていた魔力が、今はうまく通らない。
もう一度、ごく弱く力を向ける。
同じだった。
レオナは石を見た。
それなら、と少し強めに魔力を流した。
抵抗が消えた。
石の割れ目を青白い光が走る。
次の瞬間、正面で空気が低く鳴った。
積まれていた木箱が、まとめて奥へ滑った。最前列の箱が籠へぶつかり、その先の板も荷も、押し重なるように崩れていく。
石の入った籠が横倒しになり、ぶつかった拍子に木片が跳ねた。
一番奥の荷車まで大きく後ろへずれ、車輪を軋ませた。
レオナは石を持ったまま固まっていた。
すぐ脇に置かれていた水桶は、そのままだった。
正面では、最後まで傾いていた木箱が遅れて倒れ、大きな音を立てた。
それを聞きつけたのか、作業場の外から足音が近づいてくる。
「レオナ!」
ユアンが駆け込んできた。
散らかった荷にはほとんど目も向けず、レオナのところまで来る。
「怪我は?」
「ないけど……」
レオナの視線は、ユアンの向こうへ向いていた。
ユアンもその先を見る。
木箱も籠も板も、ずっと奥まで押しやられている。
朝から選別をしていた男が、少し離れたところでその光景を見ていた。やがて、崩れた荷の先を指す。
「……俺、あれも分けたんだけど」
誰も何も言わなかった。
レオナは掌の石を見た。
割れてはいない。
さっきまで中を満たしていた青白い光だけが、ほとんど消えている。
ごく弱く、もう一度魔力を向けた。
先ほどまで感じていたものが、もうない。
「……空になった」
その声で、周囲の視線が石へ戻った。
隣にいた女が近づき、レオナの掌を覗き込む。それから、正面に崩れた荷へ目を向けた。
「……今の、何した?」
レオナもそちらを見る。
「入れただけ」
「どれくらい」
レオナは少し考えた。
「いつもくらい」




