第79話 取り戻したい街
石切場へ戻ったその夜、ユナからの文が届いていた。
明日、街道沿いの宿場で待っている。
書かれていたのは、それだけだった。
***
翌朝、レオナはカヤと街道を下った。石切場を離れるにつれて荷車が増え、人間の商人らしい一団とも何度かすれ違った。
昼前に着いた宿場では、軒先に荷車が停まっていた。その脇にいた女が、こちらを見て動きを止める。
「ユナ」
髪には白いものが増え、歩いてくる足取りも少しゆっくりになっていた。それでも、見間違えることはなかった。
「本当に、変わらないんですね」
「ユナは変わったね」
「十五年ですから」
笑いかけた口元が止まった。両手がレオナの腕を掴む。
「戻ってきたんですね」
「うん」
「ずっと、お礼を言わなければと思っていました」
「前にも言ってくれたよ」
「今度は、顔を見て言いたかったんです」
レオナは、その手の上へ自分の手を置いた。ユナはしばらく手を離さなかった。
荷車から木箱を降ろしていた若い男を見て、レオナは首を傾けた。
「知ってる人に似てる。ヴァンっていう人」
「何代も前の先祖だよ」
「やっぱり」
「俺はアレン」
箱を抱えたまま、ユナへ顔を向ける。
「先にこれ、置いてもいいですか」
ユナが軒下を示すと、アレンは箱を抱え直した。
「その箱、横にしないでください」
荷車の反対側から声がした。
「ちょっと傾いただけだって」
「薬です。箱を立ててください。こぼれてからでは使えません」
女は残った箱を確かめると、軒下で荷を運んでいた老人に道を空けた。重そうな荷を一つ持ち上げてから、レオナへ向き直った。
「リゼルと申します。よろしくお願いします」
「治療する人?」
「はい」
リゼルは、箱を置こうとするアレンへ目を戻した。
「そこの空いたところへ。置くときも、傾けないでください」
「まだ置いてないって」
***
宿の主人に奥の卓を借りた。アレンとリゼルが荷を片づけている間に、ユナは足元へ筒を置いた。
「身体は?」
「平気だよ」
ユナがまだこちらを見ていたので、レオナは続けた。
「昨日、グレイホーンにも会ってきた。元気だった。でも、喧嘩した」
「喧嘩、ですか」
「たぶん」
「喧嘩ってほど軽くなかったと思うけど」
隣でカヤが言った。レオナは卓へ目を落とす。
「グレイホーンを止めるって言った」
ユナはレオナの顔を見た。
「会えて、よかったですか」
「うん。よかったよ」
窓の外を荷車が通った。レオナは車輪の音を聞きながら、指先で卓の木目をなぞった。
「でも、また離れるのは嫌だなって思った。起きるたびに、知らないことが増えてる」
ユナの髪を見る。
「十五年って、長いね」
「長かったです」
ユナは足元の筒へ手を伸ばしかけ、膝へ戻した。
「すぐに何かしなくてもいいんですよ」
「分からない。でも、傷つけられてる人がいたら止めたい」
「人間でも、魔物でも?」
「うん」
「グレイホーンが相手でも?」
レオナは少し黙った。
「……うん」
ユナは筒を取った。
「頼みたい仕事があります。引き受けられるかは、あなたの話を聞いてから決めるつもりで来ました」
レオナはアレンとリゼルを見る。
「二人も、そのために?」
「一緒に行く人が要れば、この二人に頼めます。二人とも上位の冒険者です」
「頼むかもしれない、としか聞いてなかったんですけど。ここからでいいんですね」
アレンが箱の蓋を閉じ、ユナへ目を向けた。
「断られたら?」
「帰ります」
「上位の冒険者を連れてきたのに?」
「はい」
ユナはあっさり答え、筒の紐を解いた。レオナが少し笑っている間に、地図が卓へ広がる。
「ドルンです」
「そこから来た家族に会ったよ」
ユナは頷き、地図の横へ紙を置いた。名前と工房の印が並んでいる。
「残っている工房と、街を離れた人たちの一部から、軍に退いてほしいという依頼が来ています。人間の自治を取り戻したい、と」
ユナはドルンの印へ指を置いた。
「まず、現場を見てきてほしいんです。出入りや税は軍が決めています。店や工房が動いていても、荷を止められて、仕事を続けられない会員がいる」
「会った家族も、麦を運んでて縛られたって。グレイホーンには話したよ。確かめるって」
レオナは紙の端を指で押さえた。
「この人たちは、みんな軍に出ていってほしいの?」
「依頼した人たちは。ただ、街全体がそうなのかは分かりません。今の方が仕事をしやすいという人もいます」
「兵を退かせるのと、魔物を追い出すのは別だからね」
カヤが地図を覗き込んだ。
「そこで生まれた魔物だっているかもしれない」
「魔物を全部追い出して、以前の街に戻したいという人もいます」
ユナが言った。
「ユナも?」
「私が求めたいのは、軍の撤退です。住んでいる者まで追い出す依頼には、したくありません」
「じゃあ、兵と、住んでる魔物を分けて考えないとね」
「はい。兵をしながら畑を持っている魔物もいるそうです。人間にも軍と取引している者がいます」
「ぐちゃぐちゃだね」
レオナは門の印から、街の中へ延びる道を指でたどった。
「グレイホーンは、退いたらまた人間の兵が来るって言ってた。ギルドで止められる?」
「今、止められるとは約束できません」
「それじゃ、入れ替わるだけかも」
ユナは答えず、紙を地図の脇へ寄せた。
「人間側から軍を出せば、街の中で戦うことになります。炉も店も壊れるかもしれません」
「私なら、壊さずにできると思ったの?」
「力も理由の一つです。でも、魔物の話を聞く前に決めない人に頼みたかった。それで、あなたのところへ来ました」
レオナは地図から手を離した。
「魔物だからって追い出す仕事はしないよ。人間の兵を入れるために、魔物の兵を退かせるのも嫌」
「分かりました」
「それでもいい?」
「その条件で依頼した人たちに返事をします。嫌だと言う人との話は、私が引き受けます」
レオナは紙に並んだ名前を見る。
「怒る人、いるよね」
「いると思います」
「そっか」
少し考えた。
「じゃあ、まず行ってみる。そこにいる人にも、魔物にも話を聞く。何をするかは、そのあと決めるよ」
ユナは頷き、地図をレオナの方へ少し押した。
***
「二人には同行をお願いします。まずドルンで何が起きているか、レオナさんと確かめてください」
二人が卓へ来た。アレンは地図の端を持ち上げ、椅子を寄せた。
「なるほど。これが仕事ですか」
「はい」
「まずは話をしに行く」
レオナが言った。
「追い返されたら?」
「ほかの人にも聞く」
「攻撃されたら、俺が斬ってもいい?」
「できれば斬らないで」
アレンは少し考えた。
「抜かずに済むなら、そうするよ。こっちが斬られそうなら抜く。それは先に言っとく」
「分かった。死んでほしくないから」
「じゃあ、話は早いな」
レオナは、その顔をじっと見た。
「やっぱり、ヴァンとは似てない」
「さっき顔は似てるって言ったじゃん」
「ヴァンは、もっとおおらかだった」
「会ったばっかりで先祖と比べないでくれよ」
「そういうところ」
「俺はヴァンじゃないんだよ」
レオナは小さく口を尖らせた。
「ヴァンなら、たぶん笑ってた」
「知らないよ」
ユナが口元を緩める隣で、リゼルも椅子を引いた。
「怪我人の治療は私がします。あなたの身体も、私が診ます」
「私?」
「魔法を使って、死ぬことがあるそうですね」
「うん。でも戻るよ」
「戻るかどうかは関係ありません。死んでいますから」
レオナが瞬いた。リゼルは薬箱をそっと足元へ下ろした。
「どこまで使ったら危ないのか、自分で分かりますか」
「分からない」
「では、私が治療できないときは、魔法を使っては駄目です」
「使わないと止められないときは?」
「私を呼んでください。使う前と後を診ます。どこまで大丈夫かは、そこから確かめましょう」
「リゼルが来るまで、待てなかったら?」
リゼルはすぐには答えなかった。薬箱の取っ手へ置いていた手を離す。
「……間に合うところにいます。だから、使う前に呼んでください」
「なんでリゼルが決めるの? 私の魔法だよ」
「死んだら治療できません」
「戻るよ」
「それは治療ではありません」
レオナは口を閉じた。リゼルは笑っていなかった。
「ユナ、変な人連れてきたね」
「必要だと思ったので」
カヤが横で笑った。
「ちょうどいいんじゃない? レオナ、止める人がいないと無茶するから」
「しないよ」
カヤはレオナを見た。
「しないよ?」
レオナはユナへ顔を向ける。
「ユナからも言ってよ」
「だから、連れてきたんです」
アレンが腕を組んだ。
「俺が斬ろうとしたらレオナが止めて、レオナが魔法を使おうとしたらリゼルが止める、ってことか」
「ちょうどいいと思います」
ユナが言った。
「私ばっかり止められてない?」
「今のところは」
アレンが答える。
「やっぱり似てないなあ」
「まだそれ言う?」
レオナは少し笑った。
ユナは地図を畳み始めた。
「ロイさんにも、早便で知らせておきます。レオナさんが戻ったときのために、準備していたものがあるそうです」
「私に? 何?」
「そこまでは聞いていません。ドルンへ向かうことも伝えておきます。街の工房を借りて、最後の調整をしたいと言っていましたから」
「じゃあ、ドルンで会える?」
「先に着けるようなら、そこで待ってもらいます」
ユナは畳みかけた地図を開き直し、坂の上にある工房へ印をつけた。
「着いたら、ここへ寄ってください」
レオナは頷き、カヤを見た。
「カヤも来る?」
「私は行かないよ。フィンもいるし、こっちをずっと空けるわけにもいかないから」
「そっか」
「……本当は、もう少し一緒にいたいけどね」
カヤは地図の端を揃え、アレンとリゼルへ目を向けた。
「でも、今ここで引き止めても、レオナは気になるでしょ」
「うん。ごめん」
「謝らなくていいって。そういうところ、変わってないんだから」
「今回は、その二人と行ってきなよ」
「うん。帰ってきたら話すから」
「ちゃんと帰ってきてね」
「うん。今度は、先に連絡するよ」
「それは私からもお願いします」
ユナも顔を上げた。
「みんな言うね」
「あなたが言わせているんです」
リゼルが即答した。
「まだ何もしてないよ」
「これからするので」
***
翌朝、ユナはロイ宛ての文を早便に預けた。レオナたちは宿場でユナと別れ、カヤも石切場へ戻った。アレンとリゼルと三人でドルンへ向かう途中、レオナは粉挽き場へ寄った。
先日会った家族は、まだそこにいた。
「ドルンへ行くんだ」
男は荷を結ぶ手を止めた。
「あそこを取り戻すのか」
「頼まれた。でも、まず見てくる」
男はしばらくレオナを見ていた。
「弟が店に残ってる。炉のある坂の下だ」
「まだ残ってるんだ」
女が建物へ入り、薄い包みを持って戻ってきた。
「手紙、持っていってもらえる?」
「うん」
受け取った包みは軽かった。
街を取り戻すことは、まだ大きすぎた。レオナは手紙を荷へ入れ、まずはそれを渡す場所まで行こうと思った。




