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あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第九章

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第78話 止めない者

 ハル城へ向かう道には、畑が続いていた。


 鍬を振るオーガの隣で、ゴブリンが葉を摘んでいる。家の前では人間の女が布を干していた。その横を、籠を抱えたゴブリンが通り過ぎる。


 女が何か言うと、ゴブリンが振り返って答えた。


「住んでるんだね」


「空いた家を使った。建てた家もある」


 シグレが答えた。


「前にいた人は?」


「残った者も、出た者もいる」


 城壁には積み直した跡があった。新しい石の隣が、また欠けている。


 門の向こうから、灰色の角が現れた。


「レオナ」


 声まで同じだった。


「うん。戻ってきた」


「見れば分かる」


 グレイホーンは膝を折り、目を合わせた。


「十五年か。よく戻った」


 レオナはグレイホーンの腕を見た。傷は残っていなかった。


「腕、もう平気なんだね」


「とうにな。まず食え」


***


 豆と肉の入った椀を渡された。


 レオナは匙ですくって口へ運んだ。少し濃い味がした。


「どうだ」


「おいしい」


「なら食え」


 レオナはもう一口食べ、椀を膝へ置いた。


「来る途中で、ドルンから来た家族に会ったんだけど。麦を運んでて、ゴブリンの兵に縛られたって。お金を払って、ほどいてもらったって言ってた」


 グレイホーンはシグレを見た。


「どこでだ」


「確かめる」


「知らなかったの?」


「全部が、ここへ届くわけではない」


 シグレは椀を置いた。


「家へ押し入った者は俺が止めた。通る荷の税まで、やめさせたわけではない」


「お金を取るために縛ったなら、止めてほしい」


「その場にいたのか」


「あとで会った。手首に跡があったよ。お父さんを乗せた荷車だった」


 グレイホーンが片手を上げた。シグレは口を閉じる。


「確かめさせる」


「ひどいことをしてたら、誰が罰するの?」


「わしが話を聞く。街にはシグレがおる。そのために話を持ってこさせるのだ」


 レオナは匙を止めた。


「でも、あの人の話は来てなかったんだよね。シグレがいいと思ったら、ここには来ないでしょう」


 シグレの眉が動いた。


「俺が許した話と、聞いていない話を一緒にするな」


「そうは言ってないよ。人間が嫌だと思っても、魔物が決めるんだよね」


「前は逆だった」


 短い声だった。


 レオナは匙を椀へ戻した。


「前のことも嫌だったよ。檻にいた魔物も。私が測られたことも」


 少し間を置いた。


「エリナが死んだことも」


 カヤの手が止まった。


 グレイホーンは、その名を繰り返さなかった。椀に触れていた指が離れる。


「忘れておらぬ」


「私も忘れてないよ」


「だから、二度とあのようにはさせぬつもりだ」


 レオナは、荷車の男の手首に残っていた縄の跡を思い出した。何か言おうとしたが、グレイホーンが先に口を開いた。


「わしが王を殺したあとも、人間は兵を出した。春にも秋にも来た年がある。来ぬ年には、別の倉が焼かれた」


「兵を出したことは、否定しないよ」


 カヤが言った。


「でも、街に住んでる人が、みんな兵を出したわけじゃない」


「分かっておる」


「分かってるなら、同じにしないで」


 グレイホーンは答えなかった。


 窓の外で、オーガが城壁の欠けたところへ新しい石を運んでいた。


「それで、街を取ったの?」


「取ったのはシグレたちだ。わしは止めなかった」


「どうして?」


「森へ退けば追われた。街を避ければ、そこから兵が来た。こちらだけが退き続ければ、いずれ退く場所がなくなる」


「でも、そこに住んでた人は?」


「残った者もおる。出た者もおる」


「出たくなかった人もいるよね」


「ああ」


 グレイホーンは否定しなかった。レオナは返事を待ったが、続きはなかった。


「だったら、兵をどけてほしいって言われたら?」


「今は退けぬ。理由を聞いても、人間の軍が戻ってくるなら、街の仲間を残して退くことはできぬ」


 レオナは椀へ目を落とした。


「そこに住んでる人が嫌だって言っても、最後に決めるのは魔物なんだ」


「……今はな」


「それ、前と同じじゃない?」


「同じだと?」


 グレイホーンの声が強くなった。シグレが顔を上げる。


「わしらは、同じことをせぬために戦った」


「……うん。だから、こんな話になると思わなかった」


 レオナは膝の椀を押さえた。


「兵に嫌だって言っても、その兵をどけるかはグレイホーンたちが決めるんだよね」


 広間が静かになった。


 グレイホーンの手が、膝の上でゆっくりと握られた。


「なら、おぬしはどうする」


「……分からない」


「わしらが退いたあと、また兵が来れば?」


「また止める」


「おぬしがおらぬ時は?」


 レオナは顔を上げた。


 答えが出なかった。


「十五年、おぬしはいなかった」


「……うん」


「待っておるだけでは、守れぬ」


 レオナは唇を開いたが、言葉が出なかった。グレイホーンもしばらく黙っていた。


「取った街を、人間が返せと言ったら?」


 レオナは窓の外を見た。


 道の向こうで、人間の女が布を取り込んでいる。その少し先では、ゴブリンが籠を抱えて家へ入った。


「今いる人を追い出して返すのは、違うと思う」


「魔物を追い出さねば、取り戻したことにならぬと言えば?」


「それでも、追い出すのは違うよ」


「人間の兵が来て、魔物を捕らえ始めたら?」


「止める」


「おぬしを助けると言いながら、その後ろでやっていてもか」


「それも止める」


 グレイホーンは何も言わなかった。


 レオナは、その目を見たまま続けた。


「グレイホーンたちが人間を追い出すなら、そっちも止める」


「シグレが止めるなと言うてもか」


 シグレが顔を上げた。


「その場で話す。でも、傷つけられてる人を、待たせたくない」


「わしでも?」


 レオナは椀を床へ置いた。


「グレイホーンでも」


 赤い目は逸れなかった。


 しばらくして、握られていた手が開いた。


「……そうか」


 グレイホーンの視線が、壁際に置かれた剣へ移った。フィンから返されたものだった。


「身体は、前のように動くか」


「まだ、ちゃんとは試してないよ」


 グレイホーンは剣を見たまま、少しだけ黙った。


「そうか」


 グレイホーンは剣から目を離し、窓の外を通る兵を見た。それ以上は尋ねなかった。


***


 門で、シグレが干し肉の包みを渡した。


「道で食え」


「ありがとう」


 グレイホーンも門まで来た。


 レオナが荷へ包みを入れるのを見て、グレイホーンが言った。


「戻ってきたばかりだ。休めるときに休め」


「うん」


 少し間を置いて、グレイホーンは坂の下へ目を向けた。


「これから、人間がおぬしのところへ来るだろう」


「私のところに?」


「ああ」


「なんで?」


「わしを止めたい者は多い。おぬしが戻ったと知れば、放ってはおかぬ」


 レオナはグレイホーンを見上げた。


「人間の味方になるって言ったわけじゃないよ」


「それでよい」


「何が?」


 グレイホーンは答えず、坂の下へ目を向けた。


「街を返せと言う者もおる。魔物を追い出せと言う者も出るだろう」


「……うん」


「わしらを止めた、そのあとも見よ」


 レオナは少し考えてから、頷いた。


 坂の下には畑と家があり、その向こうにも屋根が続いている。


 しばらく、その景色を見ていた。


「……王様を殺したのは、本当なんだね」


「ああ。わしが殺した」


「……そっか」


 それ以上は聞けなかった。


 カヤと坂を下り、何歩か進んでから振り返る。


「会えてよかったのは、本当だよ」


 グレイホーンは欠けた門の前にいた。


「わしもだ」


 レオナは前を向いた。


 もらった包みが、荷の中で背中に触れた。


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