↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第八章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
74/77

第74話 退かぬ者

 川下へ知らせに向かったゴブリンは、濡れた袋を抱えて戻ってきた。


 中から出てきたのは、割れた椀と編みかけの籠だった。籠の底には黒い泥が詰まり、縁の一部が焼けている。


「兵が来た」


 グレイホーンは籠を見下ろした。


「知らせは届いたのか」


「届いた。子供たちは逃がした。でも、橋にも道にも兵がいた」


「皆は」


「上へ逃げた。三人、戻らない」


 隣にいたシグレが、ゴブリンへ顔を向けた。


「捕らわれたのか」


「分からない。橋に兵がいるから、戻れない」


 ゴブリンが袋から手を抜くと、小さな鉄の槌が地面へ落ちた。グレイホーンはそれを拾い、彼へ返す。


「食って休め。道は、あとで聞く」


 ゴブリンは頷いたが、袋の前から動かなかった。シグレが腰を落として声をかけると、ようやく槌を抱え、炭焼き場へ歩いていった。


 グレイホーンは地面に残された籠を持ち上げた。


 私が守るべき民ではない。


 王の声が、まだ耳に残っている。籠を握る手に力が入り、乾いた音とともに縁が折れた。


***


 カヤの指が、橋の印で止まっていた。


「ここを渡れれば、あとは森の中を通れる。でも、橋から荷車を下ろすところが狭いから、一台ずつになると思う」


 グレイホーンは図を見下ろし、川下へ続く線を確かめた。


「この浅瀬は、まだ渡れるか」


「水は増えてないと思う。荷車は無理だけど」


「シグレなら浅瀬を渡れよう。川下の者を集め、王都側の岸にある林で待たせる。橋より川下の、この辺りじゃ」


 グレイホーンは、橋からこちら側の森へ続く道を指した。


「渡った者は、ここを進ませよ。橋の近くには残すな」


「兵は、どうするの」


「わしが行く」


 図を押さえるカヤの手が止まった。


「シグレたちも?」


「いらん」


 少し離れたところでは、フィンが荷車の座板を受け取っていた。代わりに載せる長い板には、削った木の粉が残っている。


「川下の者を連れてくる。車を空けておけ。怪我人を先に乗せる」


「……分かった」


 カヤは頷いたが、図を巻こうとはしなかった。


「橋を取り戻したら、戻ってくるよね」


「おぬしらは森の奥へ行け。王の道から離れたところじゃ」


「それは、分かってる」


 顔を上げたカヤを、グレイホーンは少しの間見ていた。


「わしには、まだ行くところがある」


***


 炭焼き場を離れると、シグレが追いついてきた。


「俺も行く」


「おぬしは浅瀬を渡れ。川下の者を、先ほどの林へ集めよ」


「兵は増えている。対岸の畑に、天幕が並んでいた」


 グレイホーンは足を止めた。皆を森の奥へ移しても、兵はまた道を延ばすだろう。施設から連れ戻した者たちは、まだ自分で歩くこともできない。


「一人で、足りるのか」


 シグレの腰には刀があった。鞘を押さえる腕には、矢傷を巻いた布が残っている。


「そばにおられると、使えぬものがある」


「味方も巻き込むのか」


「ああ。細かな加減はできぬ」


「橋もか」


「橋を背にして使う。わしより前へ出るな」


 シグレは眉を寄せたが、やがて頷いた。


「林で待つ。橋が空いたら、俺が皆を渡らせる」


「子供と怪我人を先に集めよ。荷車は、すぐに動かせるようにしておけ」


 川下へ向かうシグレの背中を見送り、グレイホーンも歩き出した。


***


 橋の向こうには、王の旗がいくつも立っていた。


 畑の畝は踏み潰され、その上に天幕が並んでいる。道沿いでは兵士たちが荷車から槍や麦の袋を下ろし、橋を渡ったこちら側でも木を伐る音がしていた。


 森側の柵の脇には、ゴブリンが二人縛られている。一人は座り込んだまま頭を上げず、もう一人は手首の縄を引いていた。そばの兵士が槍の柄で柵を叩くと、二人とも動かなくなった。


 グレイホーンが森を出ると、斧を置いた兵士たちが橋へ走った。入れ違いに盾を持つ者が進み出て、柵の手前で槍を揃える。


「止まれ!」


「川下の者を通す。柵をどけよ。それから、そこにおる二人を放せ」


 兜に布飾りをつけた男が、盾の後ろから出てきた。グレイホーンの角を見上げ、腰の紙筒へ手を触れる。


「施設を襲ったのは、お前か」


「ああ」


「人間の女たちは、どこにいる」


「おぬしらに渡す者はおらぬ」


 男が片手を上げると、橋の向こうに弓兵が並んだ。さらに杖を持つ者たちも進み出る。


「仲間を出せ。抵抗しなければ、王の裁きを受けさせる」


「捕らえておいて、裁くのか」


「王の命令だ」


 グレイホーンは盾の列を見回した。檻に繋がれていた者たちは、何をしたと問われたのかも知らない。名を持ち、言葉を話すと伝えても、王は守るべき民ではないと言った。


「おぬしらは、わしらを何だと思っておる」


「魔物だ」


「それだけか」


 男は答えなかった。


「名を聞きもせず連れ去り、戻らぬ者を探しに行けば、今度は家まで兵を寄越す。どこまで退けばよい。あと何人、渡せば満足する!」


 声が橋の向こうまで響いた。男が一歩下がり、背後の槍を確かめる。


 グレイホーンは、さらにその向こうへ目を向けた。荷を下ろし終えた車が畝に落ち、御者が兵士に急かされながら馬を引き直している。


「あそこも、人間の畑じゃろう」


「軍の駐屯には必要な土地だ」


「わしらを助けた女たちを追い、匿った者まで捕らえる。それも、必要なことか」


「王に背いた者は裁かれる」


「では、おぬしら自身は、何を守っておる」


 男が眉を寄せた。


「我々は王国の兵だ」


「兵である前に、人間じゃろう!」


 グレイホーンは、盾の隙間から覗く顔へ向き直った。


「畑を耕す者も、捕らわれた者を助けた女たちも、おぬしらも、同じ人間ではないのか。おぬしらの王は、その者たちを守っておるのか!」


 槍の先が揺れた。兵士の一人が、縛られたゴブリンへ視線を向ける。しかし、布飾りの男が命じると、すぐに槍を構え直した。


 グレイホーンはしばらく返事を待った。男は何も言わず、手を振り下ろす。


「放て!」


 矢が飛んだ。


 グレイホーンが腕を上げると、矢は風に巻かれて道を外れた。続けて地面を押し上げ、崩れた盾の列へ踏み込む。


 柵の脇にいた兵士が、ゴブリンの縄へ手を伸ばした。その足元から土が盛り上がり、兵士が道へ転がる。グレイホーンは柵の前へ進み、二人の縄を解いた。


「森へ戻れ」


 一人が立ち上がろうとして膝を折った。もう一人が肩を貸すと、二人は柵から離れ、こちら側の森へ向かった。


 兵士たちが追おうとしたが、グレイホーンが腕を振ると、柵の杭が土ごと抜け、人のいない川岸へ倒れた。その間に、二人の姿は木々の間へ消えた。


 布飾りの男は、兵士たちに守られながら橋の向こうへ退いていた。


 グレイホーンは橋を渡り始めた。対岸に赤い光が灯る。飛んできた火球を空へ逸らし、彼はその下を通り抜けた。


 王都側の橋のたもとで、川下へ折れる道を通り過ぎ、踏み荒らされた畑へ入った。橋も、避難民を待たせる林へ続く道も背後にあった。


 道の脇にいた御者が馬を引いて逃げ始める。荷役をしていた人間たちも、荷車を置いて陣の外へ走っていった。グレイホーンは彼らが道を外れるまで足を止めた。


 その間に兵士たちは前方へ集まり、盾の間に槍を並べた。天幕の脇には弓兵が立ち、後方の術者たちが杖を掲げると、その周囲に石が幾つも浮き始める。


 グレイホーンは右腕を突き出した。


 黒いローブの広い袖が肘へ滑り、露わになった腕に赤い筋が浮かんだ。筋は手首へ伸び、皮膚が裂ける。


 石が落ちた。


 続けて、盾を持つ兵士たちの膝が折れ、槍の穂先が下がる。弓兵は引き絞った腕を保てず、矢を足元へ落とした。


 グレイホーンの前方一帯で、畑の畝が潰れ始めた。


 天幕の支柱が折れ、荷車の車軸が砕ける。積まれた槍は束のまま土へめり込み、逃げようとした兵士も、二歩と進まないうちに膝から崩れた。


 グレイホーンの腕では、裂けた皮膚が塞がりつつあった。しかし、傷口が閉じきる前に別の赤い筋が浮かび、肘の内側から血が流れた。


 それでも、前方を押さえつける力は弱まらなかった。


 盾が折れ曲がり、天幕の梁が落ちる。兵士たちは地面へ押しつけられ、陣の中央で幾つもの声が途切れた。


 グレイホーンの肩が裂けた。血がローブへ染み込み、その下で肉が寄っていく。口の端からも血が落ちたが、突き出した腕は動かなかった。


 やがて、最後まで立っていた旗竿が折れた。


 グレイホーンが指を閉じると、地面を押さえつけていた力が消えた。


 しばらく、誰も立ち上がらなかった。やがて土へ頬をつけていた兵士が息を吸った。そのそばには、呼吸の戻らない者が倒れていた。


 グレイホーンは腕を下ろした。傷はすでに塞がっていたが、裂けたローブと、そこに染み込んだ血は残っていた。


***


 布飾りの男は、詰所の外れで這うように道を離れようとしていた。グレイホーンが近づくと、泥のついた顔を上げる。


「川下の者を通す。残った兵にも、手を出させるな」


 男は口を動かしたが、言葉は聞き取れなかった。


「王には、わしが行くと伝えよ。ハル城へな」


 グレイホーンが道を空けると、男は倒れていた兵士の肩へ手をかけた。二人で立ち上がり、王都へ続く道をよろめきながら歩いていく。


***


 シグレが林から出てきたのは、そのあとだった。


 潰れた陣と、グレイホーンの血に濡れたローブを見比べる。


「怪我は」


「もうない」


 裂けた袖から見える皮膚に傷はなかった。シグレは短く頷くと、林へ戻って待たせていた者たちを呼んだ。


 子供を抱いたゴブリンが出てくる。家から運び出した荷車には、歩けない者が横たわっていた。皆、潰れた天幕を見て足を止めたが、橋を示されると再び歩き始めた。


 車輪が継ぎ目に引っかかるたびに、シグレが後ろから押す。一台が渡りきるまで、次の車は手前で待った。


 グレイホーンは、その間ずっと王都へ続く道を向いていた。倒れた天幕から兵士が二人現れ、避難民を見つけたが、彼に気づくと武器を置いて引き返していった。


 最後の荷車が橋を渡り終えると、シグレが戻ってきた。


「全員、渡った。さっき助けた二人は、川下で戻らなかった三人のうちの二人だった」


「もう一人は」


「別の兵に連れていかれた。北へ向かったらしいが、その先は分からん」


 グレイホーンは王都へ続く道を見た。


「行き先を調べよ。見つけたなら、わしを待たずに助け出せ」


「使いを出す。俺は皆を送り届ける」


「無理に追うな。捕らわれた者まで危うくするなよ」


 シグレが頷いた。


「お前はどうする」


「ハル城へ行く」


「王を討つのか」


「ああ。城を奪い、そこに残る」


 シグレが顔を上げた。


「皆を集めるのか」


「逆じゃ。誰も近づけるな」


 グレイホーンは街道の先に目を向けた。


「わしがおれば、城を取り戻すために兵が集まろう」


「森にも兵は来るぞ」


「来るじゃろうな。じゃが、少なくとも、わしを討つための兵は森へ向かわぬ」


 シグレは、血の残るローブの袖を見た。


「……一人で守る気か」


「わしが決めたことじゃ」


 グレイホーンは街道へ出た。生き残った兵士たちが、負傷者を荷車へ乗せている。彼らはグレイホーンに気づくと手を止めたが、彼は近づかなかった。


 その者たちから見える道を、王都へ向かって歩いていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。