↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第八章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
73/77

第73話 残った人たち

 日が落ちると、レオナの寝ている場所へ灯りが運ばれた。


 ネラは別の治療師に代わってもらい、水を一口飲んだ。両手を洗って戻るまでの間も、レオナの胸から光は消えなかった。


 カヤは敷物の脇に座っていた。フィンは向かいに脚を伸ばし、濡れた布を替えている。誰かが食事を置いていったが、椀はまだそのままだった。


「少し、食べられる?」


 カヤが聞くと、レオナは首を横へ動かした。


「水がいい」


 フィンが水の入った器を渡した。カヤはレオナの後頭部を支え、少しずつ飲ませる。二口でレオナが目を閉じたので、そこで止めた。


 戻ってきたネラが、レオナの顔を覗き込む。


「どうだい。さっきより、苦しくないかい?」


「うん。あんまり痛くない」


「そうかい。寒くはないかい?」


「少し」


 カヤが掛け布を引き上げると、レオナはその端をつかもうとした。うまく力が入らず、指先が布の上を滑る。


「持ってるよ」


 カヤは布を整え、レオナの手を取った。レオナが握り返そうとしたので、カヤも少しだけ力を込める。


 やがてレオナは目を閉じた。呼吸は先ほどより静かになっていたが、カヤが名前を呼んでも、すぐには反応しなかった。


 ネラが胸に手を当て直す。光が強まると、レオナはゆっくりと目を開けた。


「……なに?」


「ううん。何でもない」


 カヤが答えると、レオナは小さく頷いた。


***


 グレイホーンが来ると、入口にいた者たちが場所を空けた。


 屋根が低く、彼は中へ入れなかった。戸口の外で膝を折り、敷物に横たわるレオナへ目を向ける。


 レオナが気づいて顔を動かした。


「怪我、した?」


「わしはよい」


「腕に、血」


「もう洗った」


 彼が腕を見せると、レオナは小さく頷いた。


 グレイホーンはしばらく彼女を見てから、ネラへ目を向けた。


 ネラはその視線に気づいたが、何も言わず、レオナの胸へ手を当て直した。


「戻るんですよね」


 フィンが言った。


 レオナが彼を見る。


「死んでも、また」


 そこまで言って、フィンは口を閉じた。


 レオナは少し黙っていた。


「……たぶん」


「いつかは、分からないんですか」


「うん」


 フィンは顔を伏せた。膝の上の布を広げ、折り直そうとしたが、端が合わなかった。


 カヤはレオナの手を握り直した。


 何十年も先になるかもしれない。戻ってきたとしても、自分たちが生きているとは限らない。


 そのことを、カヤは考えないようにしていた。


「カヤ」


 レオナが呼んだ。


「なに?」


「ここに、いたい」


 カヤは顔を上げた。


「いてよ」


 レオナは返事をしようとした。しかし、喉で息が引っかかり、言葉の代わりに短い咳が出た。


 ネラがレオナの身体を少し横へ向ける。カヤは手を離さず、フィンが口元へ布を当てた。


「ゆっくりでいいよ。息を吐いてごらん」


 ネラの声に合わせて、レオナの胸が動いた。


 一度、少し深く。


 カヤはその顔を覗き込んだ。


「レオナ」


 目がこちらを向いた。握っていた指が、ほんの少しだけ動く。


 その指先から、青白い光の粒がこぼれた。


 カヤは思わず手を開いた。自分の指の間に浮かんだ粒が、ゆっくりと上がっていく。


「ネラさん」


 声が震えた。


 ネラは手を離さなかった。胸へ置いた両手の光が強くなり、その下でレオナの輪郭が薄くなっていく。


「待って」


 カヤは身体を寄せ、もう一度レオナの手を握ろうとした。


 指先が触れたところで、手の重さがなくなった。


「レオナ!」


 フィンも名前を呼んだが、返事はなかった。


 レオナに掛けていた布が、ゆっくりと沈んでいく。


 ネラはしばらく、その場所に手を置いていた。やがて治療の光が消え、両手を引いた。


 カヤは沈んだ掛け布をめくった。


 レオナはいなかった。


 さっきまで握っていた手の感触を確かめるように、自分の指を曲げる。掌には、もう何も残っていなかった。


「レオナ……」


 もう一度、掛け布の下を確かめた。そこには、身体を支えるために敷いた上着があるだけだった。


 フィンが身を寄せた。


 カヤは何かを言おうとしたが、声にならなかった。代わりにフィンの上着をつかむと、彼もその手に自分の手を重ねた。


 ネラは二人のそばに座り、何も言わなかった。


 戸口の外で、グレイホーンが身を起こした。


 中へ入ろうとして、低い屋根の前で足を止める。ネラが掛け布を整えるまで、彼はそこから動かなかった。


***


 翌朝も、炭焼き場には多くの人が残っていた。


 水が足りなくなり、歩ける者が川へ下りた。腕を吊った人間の男が桶を持とうとすると、隣のゴブリンが先に取った。


 男が礼を言っても、ゴブリンは返事をせず、もう一つの桶を顎で示した。


 ユナは入口の外で、助け出された人たちの名前を聞いていた。


 発音が分からないときには聞き直し、人間の文字で書いてよいかを確かめる。昨夜から目を覚まさないトロルのそばでは、同じ檻にいた者が何度も名前を繰り返していた。


 最後の名前を書き終えると、ユナは紙を見返した。


 レオナに見せるはずだったものだ。


 紙の端を折り、ほかの記録と一緒にしまった。


 カヤはその横を通り、川へ顔を洗いに行った。


 戻ってくると、エリナを包んだ布が新しくなっていた。


 ネラがそばに座っている。カヤに気づくと、少し場所を空けた。


「見られるところは、整えたよ」


「ありがとうございます」


 カヤはエリナの隣へ座り、布の上に手を置いた。


 しばらくして、杖をついたフィンがやってきた。カヤは立って途中まで迎えに行き、肩を貸した。二人でエリナのそばへ戻って座る。


 どちらも、すぐには話さなかった。


「埋める場所、聞いてくる」


 カヤが言った。


 フィンは頷いたが、エリナから目を離さなかった。


「ラウルは、どこにいるんでしょうね」


 カヤは立ちかけた姿勢で止まった。


「……分かんない」


 フィンは布の端へ手を置いた。


「そうですか」


 カヤも、すぐには立ち上がれなかった。


***


 エリナを埋めたのは、炭焼き場から少し離れた、木の根の少ない場所だった。


 フィンは土をかけるときだけ立ち、あとは倒木へ座っていた。カヤは彼が座るところまで肩を貸し、それから、残った土をかけた。


 印にする石を探しに行くと、シグレが平たいものを運んできた。


 彼は二人の前へ石を置き、少し離れて立った。カヤが礼を言うと、短く頷いて戻っていった。


 カヤが最後の土を整えると、フィンも倒木から立ち上がった。


 杖をついて墓の前まで歩いてきたが、何も言わず、しばらく石を見ていた。


「もう少し、ここにいてもいいですか」


「うん」


 カヤは彼に肩を貸し、二人で倒木へ戻って座った。


***


 レオナの剣は、ネラのいる小屋へ置いた。


 戻ってから、カヤは一度だけ鞘から抜いた。刃の根元がわずかに歪み、鍔の金属には細い筋が入っていた。


 フィンが手を伸ばしたので、カヤは剣を渡した。


「直せますかね」


「工房の人に、聞いてみようか」


 フィンは頷いた。


 すぐには立たず、剣を鞘へ戻して、二人の間へ置いた。


***


 二日後、ギルドの受付の女が、母親を荷車に乗せてやってきた。


 炭焼きが車を引き、女はカヤの渡した道順を手にしていた。ユナを見つけると足を止め、荷車から手を離した。


 ユナが近づくと、抱きつくように肩へ触れる。


「帰って、来たんですね」


「あなたも」


 二人はしばらく、そのままでいた。


 女はやがて、周囲を見回した。


「レオナさんは?」


 ユナは女の腕へ手を置いた。


 カヤは少し離れたところにいたが、二人の声は聞こえなかった。女が口元を覆うのを見て、視線を落とした。


 女は町から、何枚かの紙を持ってきていた。


 魔物が王家の施設を襲ったという知らせが出ている。


 逃げた者を匿わないこと。森へ物を運ぶ者を見たら報せること。紙にはレオナたちの名前に加え、ユナの名前もあった。


 ギルドにも兵が来たという。女は署名を求められた書類を見せ、まだ返事をしていないと話した。


「逃げた人たちに協力していないか、調べるそうです」


「それで、ここに?」


「母を一人で残しておけなかったので」


 女は荷車の方を見た。母親は敷物に腰を下ろし、炭焼きから水の入った器を受け取っていた。


「これから、どうなるんでしょう」


 ユナが尋ねても、女は首を振るだけだった。


***


 グレイホーンは布告を読み終えると、紙をユナへ返した。


「戻るつもりか」


「今は、戻れません」


「人間の町は、ほかにもあろう」


「はい。でも、ここに残る人もいます。その人たちの支度を、もう少し手伝わせてください」


 グレイホーンは彼女を見た。


 その脇では、救出されたゴブリンがユナの水袋を持っている。脚の傷はまだ塞がっておらず、杖に体重を預けていた。


「ネラと決めるがよい」


 そう言って、グレイホーンは炭焼き場を出た。


 道の先では、シグレが待っていた。


「また兵が出た」


「どこじゃ」


「川下の道だ。橋の近くに柵を積んでいた」


 グレイホーンは足を止めた。


 川下にも、森を住みかにしている者たちがいる。王の施設へ入った者はおらず、今も以前と変わらず暮らしているはずだった。


「何をしておった」


「通る者を調べていた。まだ、こちらへは来ていない」


 グレイホーンはしばらく黙っていた。


「北の者にも知らせよ。川下にもじゃ」


「集めるのか」


「まずは兵が出たことを伝えよ。川下には子供もおる。逃がせる者から移すようにな」


 シグレは頷いた。


「川下には使いを出す。俺は兵の配置を見てこよう」


「深追いはするな」


「分かっている」


 シグレは腰の刀の位置を直し、連絡を頼める者を探しに炭焼き場へ戻った。


 グレイホーンはその背中を見送った。


 炭焼き場では、フィンが荷車の座板を外させていた。横になったまま乗れるよう、長い板へ替えたいらしい。


 カヤは道の図を広げ、負傷者を荷車で森の奥へ移すための道を、セイルに尋ねている。


 グレイホーンは、通路に置かれた大きな石を持ち上げた。車輪が通れる幅まで脇へ寄せてから、カヤのところへ向かう。


「その道を、わしにも見せよ」


 カヤが図を広げ直すと、グレイホーンは川下へ続く道に目を落とした。


「川下の者は、この道へ出られるか」


「うん。橋まで来られれば、そこから先は荷車でも通れるよ」


 カヤは川に沿って延びる線を指でたどった。


「ただ、橋のところに兵がいるんだよね」


「ああ」


 グレイホーンは頷き、橋の印を確かめた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。