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あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第八章

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第71話 外へ

「左の車輪の奥。一本ある」


 カヤの声を聞き、レオナは剣を低く差し出した。


 金属帯が光る。正面から圧力を受け、剣先が押し上げられた。


 その横からシグレが刀を振るう。光がそちらへ強まった隙に、レオナは膝を落とし、荷車の下へ刃を入れた。


 魔力を通すと、鉄棒が一本折れた。


「次は、向こうの――」


 カヤの声を遮り、石が板の上を越えた。


 シグレが刀の腹で弾く。拳ほどの石が壁へぶつかり、欠片が散った。板の向こうでは、先ほど氷を伸ばしていた男が杖を構えている。


 足元の石が、もう一つ浮いた。


 レオナは左手を向けた。飛んできた石を横へ逸らすと、肩から指先まで痛みが走る。


 その間にシグレが前へ出て、板の脇から突き出された槍を刀で払った。


「もう一本!」


 カヤが指した先へ、レオナも剣を入れる。最後の鉄棒が切れ、板を重ねた荷車がわずかに揺れた。


 レオナは剣を戻し、側面へ両手を向けた。


 押す。


 車輪が楔へ乗り上げた。向こうの術者が二人とも腰を落とすと止まりかけたが、シグレが横から肩を当て、軋む車輪をさらに押し上げた。


「そのまま」


 レオナが力を強めたとき、板の上にいくつもの石が浮かんだ。


「来る!」


 シグレが身体を離し、刀を構える。飛んできた石の一つを弾いたが、残りは頭上を越え、負傷者の集まる見張り小屋へ向かっていた。


 レオナは荷車から手を離した。


 石をまとめて横へ押す。重なる軌道を追い、一つだけ低く抜けた石へ、さらに力を当てた。


 石はゴブリンを運ぶ男の手前で向きを変え、畑へ落ちた。


 シグレが肩を当てて踏ん張ったが、荷車は少しずつ押し戻された。レオナが手を向け直すより早く、車輪が楔へぶつかる。


 レオナは手を下ろした。


 掌が濡れている。裂けた皮膚から血が流れ、指先へ滴った。胸を押さえようとしても、腕を曲げるだけで息が詰まる。


「手を」


 ユナが布を持ってきた。


「あとでいい。先に――」


「まだ通れません」


 掌へ布が当てられる。裂けた皮膚は少しずつ塞がり始めていたが、指を曲げようとすると、また血がにじんだ。レオナは握るのを諦め、ユナに手を任せた。ユナは布で手を包み、手首で結んだ。


 背後では盾のぶつかる音が続いていた。グレイホーンが風で兵の足を払っても、倒れた者を避けて別の槍が出てくる。盾を支え合って進む列へ、再び風が吹きつけた。


 カヤがレオナの顔を覗き込んだ。


「レオナ、もうやめて。何か、別の方法を……」


 レオナは振り返った。


 脚を固定されたゴブリンが布の上にいる。その隣では、トロルが動けない同族を支えていた。二人の男が持つ板からは、エリナの足が見えている。


「あの車をどけたら、私も乗せて。歩けないかもしれない」


 手を上げようとしたが、胸の痛みに腕が止まった。


 そのとき、板の向こうで矢の刺さる音がした。


 術者の一人が振り返り、金属帯から手を離す。その足元へ、敷石の継ぎ目から水が流れ出した。畑側から投げられた石が荷車の縁を打ち、もう一人も身を引く。斜面で小さな影が伏せ、荷車から離れて畑の奥へ走った。


 最初の男が足を引こうとしたが、靴の裏が敷石に貼りついていた。身体が傾き、凍った道へ膝をつく。


 青い光が一つ消える。


「レオナさん!」


 フィンの声だった。


 倒れた術者の足元から白い氷が広がり、もう一人も帯から片手を離した。


 荷車の向こうでフィンが杖を下ろすと、水の流れが止まった。桶にはまだ半分ほど残っていた。


 杖を持つ男が後ろを振り返った。


 シグレが踏み込む。


 荷車へ刀を突き込み、板を一枚割った。できた隙間から突き出した切っ先に、残った術者が手を引く。


「押せ!」


 刀を抜いたシグレが、矢を受けていない側の肩を当てた。


 レオナも両手を向ける。


 魔力を込めた途端、腕から胸へ痛みが走った。それでも、今度は荷車が動いた。車輪が楔へ乗り上げ、板の向こうで兵士がよろめく。


 倒れた術者が金属帯へ手を戻す。青い光が灯り、荷車が止まりかけた。シグレが肩で支える間に、レオナは両足を開いた。


 見張り小屋の陰には、もう逃げる場所がない。ここで戻したら、また石が来る。


 レオナは息を吸い、さらに力を込めた。


 胸の奥で、何かが裂けるように痛んだ。


 息が止まる。


 それでも手は下ろさなかった。


 板の上に、新しい石が浮いた。


 レオナは手を離せず、シグレも肩を当てたままだった。石が飛んでくる。


 背後から風が吹き抜けた。


 石は頭上で向きを変え、畑へ落ちる。


「前だけ見ておれ!」


 グレイホーンの声に、レオナは荷車へ向き直った。車輪が楔を越えた直後、背後で盾のぶつかる音が近づく。


 援護の間に、追手が距離を詰めていた。負傷者のすぐ後ろへ伸びた槍が、吹き上がった風に押し戻される。


「早くせい!」


 シグレが肩を押し込み、楔を越えた車輪を戻させなかった。レオナは両足を踏みしめ、荷車を畑側へ押した。胸の痛みに息が詰まる。それでも、もう手は離さなかった。押し返す力に逆らって魔力を込めると、金属帯に埋め込まれた魔石の一つが砕けた。


 青い光が弱まり、荷車を押し返す力が緩む。シグレが肩を離した。


「離れて!」


 レオナは最後の力を畑側へ向けた。


 一台が道の縁から傾き、つながったもう一台を引いた。術者が手を離し、兵士たちも盾を捨てて飛び退く。


 二台の荷車が斜面へ滑り落ちた。


 開いた道の先に、フィンがいた。荷台へ肘をつき、杖をこちらへ向けている。


「こっちです!」


 レオナは頷こうとして咳き込んだ。


 布を巻いた手で口を押さえると、赤い染みが広がった。


***


 シグレが先に道を渡り、立ち直ろうとする兵へ刀を向けた。ユナが凍っていない道の端を示すと、負傷者を運ぶ者たちが続いた。


 カヤはフィンの乗る馬車へ駆け寄った。後ろから来たもう一台も止まり、セイルと斜面から戻ったゴブリンが負傷者を受け取る。弓を持つエルフは道の脇に残り、立ち直ろうとする兵を牽制した。


 エリナの載った板は二台目へ滑り込ませた。トロルたちは乗れず、歩ける者が肩を貸して進む。


 レオナも続こうとした。


 一歩目は出た。二歩目で膝が折れ、地面へ手をついた。


「レオナ!」


 カヤが引き返してくる。


「乗って。場所、空けるから」


 差し出された肩へ手を掛けても、立てなかった。咳き込むたびに胸が痛み、口の中へ血の味が広がる。


 カヤが腰を落とし、レオナの腕を自分の首へ回そうとした。


「俺が持つ」


 シグレが刀を鞘へ戻し、二人の前へ屈んだ。


 レオナは地面についた自分の手を見た。


「うん。お願い」


 シグレの首へ腕を伸ばす。背へ引き上げられた途端、胸が押され、短く声が漏れた。


「痛い?」


 カヤが横から聞いた。


「うん。少し、ゆっくり」


 シグレは身体を起こし、レオナを背負い直した。


 その後ろでは、グレイホーンが両腕を広げていた。風が道を駆け抜け、盾の列を後続へ押し戻す。横から抜けようとした兵も足を払われ、進めなくなった。


 奥で杖が上がる。グレイホーンが片手を返すと、男の腕が跳ね上がり、杖の先の光が消えた。続けて放たれた矢も風に巻き込まれ、誰もいない路肩へ落ちる。


 グレイホーンは構えを解かず、逃がした者たちに合わせて少しずつ後退した。弓を持つエルフも、彼の横を抜けて馬車へ戻った。


「まだ、こちらへ来ていない人は?」


 荷台からフィンが尋ねる。


「おらん。やれ」


 グレイホーンが通り過ぎると、フィンは残りの水を道へ流した。


「流れを閉じよ。冷たく、固く、この道を覆え」


 薄い氷が道を横切った。走ってきた兵士が足を取られ、その後ろの者も立ち止まる。


 フィンは杖を下ろし、荷台の縁へもたれた。セイルが馬を引き、二台の馬車が動き出す。


 切通しを曲がる直前、レオナは背後を見た。


 灰色の角が見えた。グレイホーンも歩いてくる。片方の角に、朝の光が当たっていた。


 呼ぼうとしたが声が出ず、レオナはカヤの袖をつかんだ。


「いるよ」


 カヤが言った。


「ちゃんと来てる。だから、今はこっち見て」


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