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あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第八章

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第67話 開いた檻

 炊事場には、洗い終えた椀が伏せてあった。


 レオナは濡れた靴の底を布で拭き、カヤが溝の格子を戻すのを待った。戸の隙間から廊下を覗くと、角の向こうに灯りがある。


 兵士が一人、椅子に座っていた。膝の上の紙を読みながら、ときどき壁の向こうへ声をかけている。


「門の人じゃないね」


 カヤが囁いた。


 兵士の奥には、鉄の桟が入った戸があった。その向こうから咳が聞こえる。


 レオナはカヤを見た。彼女は頷き、戸の陰から小石を転がした。


 兵士が顔を上げる。椅子を離れて炊事場へ近づいたところで、レオナがその身体を壁へ押さえた。声が出る前にカヤが口へ布を当て、腰の鍵と短剣を抜く。


「動かないで」


 レオナが言った。


 兵士は彼女の顔を見ると、目を見開いた。膝で蹴ろうとしたが、脚は壁から離れなかった。


 口の布を留め、椅子へ手足を縛り終えてから、カヤが鉄の戸へ近づいた。


「ユナさん」


 低く呼ぶ。


 暗がりで誰かが動いた。


「カヤさん?」


 レオナは戸へ駆け寄りかけ、縛った兵士を振り返った。カヤが鍵を探す間、彼女は兵士の手元を見ていた。


「開いた」


 戸の向こうにユナが立っていた。頬が痩せ、上着の片袖に乾いた染みがあったが、自分の足でこちらへ歩いてくる。


「レオナさん」


「迎えに来た」


 ユナの手が、彼女の両腕へ触れた。


「怪我は」


「私は大丈夫。ユナは歩ける?」


「はい。私だけではありませんけど」


 部屋の奥に五人いた。一人は壁にもたれたまま立てず、隣の男がその肩を支えていた。


 カヤは廊下を確かめる。


「まだ外へ出る門を開けてません。少しだけ、ここで待ってもらえますか」


「案内できます」


 ユナが言う。


「東門までなら分かります」


***


 門の詰所には二人いた。


 近づいてくるユナを見て、一人が立つ。ユナの肩越しにレオナが手を向けると、男は椅子を巻き込んで後ろへ押しやられた。もう一人が壁の鐘へ手を伸ばしたが、カヤの投げた短剣がその前の板へ刺さる。


 手が止まった間にレオナが距離を詰めた。


「鳴らさないで」


 その腕を下ろさせ、床へ押し伏せる。ユナが詰所の戸を閉めた。


 二人の武器を取り上げ、口を塞いで柱へ縛りつけると、カヤは板から短剣を抜き、鐘へ伸びる縄を切った。


 木戸を開け、レオナが巻き上げを手伝った。ユナは廊下を見張る。格子が上がると、カヤは軸へ二本の楔を噛ませた。


 レオナが力を緩めても、格子は下がらなかった。ユナが灯りを上着で二度覆った。


 やがて外の暗がりが動いた。灰色の角が現れると、ユナは灯りを下げたまま後ずさり、レオナへぶつかった。


「一緒に来てくれたんだ」


 レオナが言う。


 グレイホーンは角を傾けて門をくぐり、その後ろからシグレと数人のゴブリンが入った。シグレが二人を門に残す間も、ユナは彼とグレイホーンを交互に見たまま動かなかった。


「捕まってる人、ほかにもいる?」


 レオナが尋ねると、ユナはようやくそちらへ顔を戻した。


「……はい。中庭の向こうから、声がします。人間の声だけじゃありません」


 グレイホーンがユナを見た。


「道を示せ」


 ユナは答えず、レオナを見る。レオナが頷くと、唇を結んで灯りを持ち直した。


「こちらです」


***


 グレイホーンとシグレを連れ、レオナたちは拘束者のいる部屋へ戻った。


 人間の拘束者を東門まで移す途中で、一人がシグレを見て叫んだ。


 男は足を止めた。次の瞬間、支えようとした仲間の手を振りほどき、来た道へ戻ろうとする。


「待って、違います」


 ユナが追う。


「この人たちも、捕まった仲間を助けに来たんです」


「嘘だ。食われる」


 カヤは男の前に回った。腕をつかむと振り払われ、治りかけの傷が壁へ当たった。


「こっちにも兵が来るよ。部屋へ戻っても、鍵をかけられるだけ」


 男は彼女を見たが、首を振り続けた。


 廊下の奥で戸が開いた。


 槍を持った兵士が二人、顔を出す。そのまま走ってきた一人へ、シグレが横から踏み込んだ。刀は抜かず、鞘を兵士の胸元へ押し当てる。勢いのまま壁へ叩きつけられ、兵士が崩れた。


 もう一人は踵を返した。


「待って」


 レオナが手を向ける。男の身体が前へ進めなくなったところへシグレが間合いを詰め、鞘の先を腹へ打ち込んだ。兵士が膝をつく。


「二人とも縛る。急いで」


 カヤが言い、武器を遠ざけた。口を布で塞いで手足を縛り、二人を廊下の端へ寄せる。


 男は壁際からその様子を見ていた。


「行くよ」


 カヤが促すと、今度は抵抗しなかった。


 東門まで戻ると、レオナたちは拘束者を外へ出した。門に残ったゴブリンが切通しの方を指し、動ける者が負傷者を支えて歩き始める。


「ユナさんも」


 カヤが外を指したが、ユナは首を振った。


「あの棟の道は私が案内します。何度も連れていかれましたから」


「でも」


「歩けます。案内させてください」


 レオナは少し迷ってから頷いた。


 最後に門を出た男が、振り返った。視線の先にいたシグレは何も言わず、廊下の奥を見ていた。男はそのまま仲間を追った。


 そのとき、遠くで戸の開く音がした。


「牢が空だ!」


 怒鳴り声に続いて、別の棟で鐘が鳴る。


 グレイホーンが振り返った。


「急げ」


***


 中庭の向こうの棟には、大きさの違う檻が並んでいた。


 グレイホーンを見て、奥から声が上がる。彼は檻ごとに返事をし、レオナはその横で錠を切った。カヤが戸を押さえ、一つ開くたびに動ける者から廊下へ出す。


 小さなゴブリンが、戸口で足を止めた。


「出られるよ」


 カヤが手を差し出すと、相手は奥へ戻ろうとした。レオナが声をかけても、壁を背にして両腕を振る。


 足元に、もう一人いた。


 脚を固定する板が膝から下へ巻かれ、立ち上がれずにいた。先に出ようとしたゴブリンは、その腕を引いていた。


「二人、一緒ね」


 カヤはしゃがんだ。手を伸ばすと歯を剥かれたので、持っていた布を床へ敷く。


 レオナがグレイホーンを呼んだ。短い言葉が交わされ、ようやくゴブリンの手が緩む。


「ここに寝かせて。脚は、そのまま」


 隣の檻から出たゴブリンが手を貸し、カヤと二人で負傷者を布へ移した。その両端を持って身体を浮かせると小さな悲鳴が上がり、カヤはすぐに高さを下げる。


「ごめん。低くする」


 小さなゴブリンも、その脇について歩き出した。レオナは運び出される二人を見てから、次の戸へ向かった。


 その先の檻からも、トロルが二人出てきた。一人は自分で歩き、もう一人は仲間に肩を借りている。


 さらに奥にはオーガがいた。


 一人は生きていた。呼びかけに目を開き、床へついた手を動かした。もう一人には、その反応がなかった。


 倒れた方の顔を見たところで、グレイホーンの足が止まった。


 しばらく動かなかった。やがて膝をつき、腕に残った金属の帯へ手をかける。留め具は動かない。指に力が入り、金属が音を立てて潰れた。


 レオナは声をかけなかった。グレイホーンが立ち上がるまで、シグレも動かなかった。


 中にはもう誰もいない部屋もあった。棚には大きさの違う拘束具と、切り取られたままの衣服が残されていたが、ユナが灯りを向けても、持ち主は見つからなかった。


 廊下の向こうで兵士が叫ぶ。足音も、さっきより近い。


 グレイホーンは生きていたオーガへ肩を貸した。


「歩けるか」


 相手は片脚を引きずりながら頷いた。


***


 中庭へ戻ると、東門へ続く道に盾が並んでいた。


 こちら側には、救い出した魔物たちがいる。ユナが動ける者を壁際へ寄せ、カヤが運んでいたゴブリンを一度下ろした。グレイホーンは支えていたオーガをシグレに預け、レオナと前へ出る。


 兵士たちの後ろで、低い車輪の音がした。


 盾の列が左右へ分かれ、柵のついた台車が押し出された。


 柵が開く。


 中にいたものが地面へ降りた。


 脚が四本あった。低い獣の身体から、人間の上体が起き上がる。


「エリナ?」


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