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あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第八章

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第66話 入る道、帰る道

 フィンは、森へ戻った二人からラウルの話を最後まで聞いた。


 途中で一度だけ、いつのことかを尋ねた。カヤが答えると、小屋の入口へ目を向け、それからしばらく何も言わなかった。


 膝の上には、移送隊から奪った書類がある。フィンはそれを開き直し、行き先の下に記された時刻を目で追った。


「到着する時間まで決めてあったんですね」


 指が、そこで止まる。


「ラウルさんのことは、あんなふうに書き換えられるのに」


 カヤは返事をしなかった。


 助けて連れ帰った四人は、沢の向こうで手当てを受けている。そこへ運ぶ椀を重ねていたレオナが、手を止めた。


「フィン」


「はい」


「無理に、今読まなくていいよ」


 フィンは首を振る。


「読みます。まだ、向こうにいる人がいますから」


***


 その朝、ハルへ知らせを運ぶ役は、人間の炭焼きが引き受けた。


 森の縁で炭を焼き、ハルへ売りに行く男で、セイルが以前から知っていた。里へは入れず、街道から外れた作業場で短い手紙を渡す。


「返事がなくても、探し回らないでください」


「ギルドの受付に渡すだけでいいんだな」


「はい。危なそうなら、渡さなくていいです」


「それを決めるのは俺だろ」


 男は手紙を上着へしまった。


 戻ってきたのは翌日の夕方だった。返事の代わりに、次に荷を出す日時と場所を聞いてきている。


 指定された畑の脇には、以前と同じ小さな荷車が止まっていた。


 ギルドの受付をしていた女は、道から人影が消えるのを待って近づいてくる。


「脚を怪我した方は?」


「治療してもらってます」


「よかった」


 女は町の方を振り返った。


「兵の荷車が襲われたとかで、警備が厳しくなっています。附属院にも、昨日から兵が増えたそうです」


 カヤとレオナは顔を見合わせた。


「それと――ユナさんですが。東の附属院にいるそうです。食器を運んだ人が、今朝も声を聞いています」


「ちゃんと話せてた?」


「少なくとも、声はしっかりしていたそうです。誰かの名前を何度も呼んでいたと」


 レオナの肩から、わずかに力が抜けた。


 カヤが移送の書類を見せると、女は行き先を確かめて頷く。


「同じところです」


「中へ入る道を教えてください。今あるかどうかは、こちらで確かめます」


「そう言うと思って、探しておきました」


 荷車から、折り畳んだ紙を取り出す。


 カヤは一度女の顔を見た。


「……ありがとうございます」


 以前ギルドが運搬を請け負ったときの図だった。建物の外側しか描かれていないが、炊事場の下へ細い線が伸びている。


「水を捨てる溝だと思います。今もあるかは分かりません」


「今夜、見てきます」


 レオナは、図を隠していた荷車を見た。


「これ、探してくれたことが分かったら、大丈夫?」


「分かりません。今のところ、ギルドまでは調べられていませんけど」


「もし、このことで町にいられなくなったら、森まで来られる?」


 女は少し黙った。


「母がいるんです。足が悪くて、森まではとても」


 カヤが別の紙へ、炭焼きの作業場までの道を書き込んだ。


「作業場までは荷車で来られます。困ったら、お母さんとここまで来てください」


「そこから先は?」


「私たちが迎えに来ます」


 女は道順を何度か目で追い、紙を小さく折って上着へしまった。


***


 森へ戻ると、カヤは図を広げた。


「私たちが入れる場所、グレイホーンたちが通れる場所、それから帰る道。この三つを見てくる」


 セイルが同行を申し出たが、カヤは断った。人数は少ない方がいい。フィンはまだ長く歩けず、グレイホーンたちは町の近くでは目立つ。


 二人は日が落ちてから森を出た。


***


 附属院は王宮の東端に接し、外側だけが町の城壁より張り出していた。


 南側へ回ると、炊事場の下を細い溝が通っていた。図と同じ位置だ。


 奥には鉄の柵がある。


 レオナが肩を入れる。


「通れそう」


「私たちならね」


「柵は切れるよ」


「音は?」


「たぶん、そんなにしないと思う」


「そこは後で試す」


 二人はそのまま壁沿いに東へ回った。


 大型の荷車が通れる門の上には、片側の欠けた石の飾りが見えた。


 カヤはセトの話と図を確かめた。木戸の手前に鉄格子があり、門脇の詰所から鎖が伸びている。巻き取る軸の位置を書こうとしたとき、レオナが鎖へ手を伸ばした。


「切った格子が落ちるよ。門を開ける前に、下へ誰も入れないで」


 レオナは手を戻し、木戸と鎖を見比べた。


 カヤは軸の形を図へ描き足し、今度は東門から続く道を見る。


 道は少し先で浅い切通しへ入り、城壁から見えなくなっていた。片側には細い排水溝が沿っており、底を水が流れている。


「車、置けそう」


「ここまで連れてくればいい?」


「うん」


 レオナが門と切通しを見比べる。


「帰る方も使えそうだね」


 残るのは、兵の動きだった。


***


 夜明け前にもう一度来ると、門の兵が交代していた。申し送りを終えた一人は詰所の奥へ入り、格子のそばには一人だけが残る。


 朝の荷車は、木戸を開けて荷台を確かめてから通された。格子が下りるまで、カヤは鎖の動きを見ていた。二人は交代の時刻を書き留め、物陰を離れた。


***


 森へ戻ると、カヤは図を広げた。


 南から入り、東門を開け、助けた者を切通しへ出す。


 フィンが道を指した。


「ここから追われたら?」


「門を押さえても、ずっとは無理だと思う」


「水はありますか」


「切通しの脇に排水溝があった。道まで流せれば、それなりに濡らせると思う」


 フィンは杖へ目を落とした。


「私が水を使います。馬車が抜けたあとなら、追ってくる者だけを止められます」


 その日の夕方、古い炭焼き場で桶の水を土へ流した。


 木箱に腰掛けたフィンが杖を向けると、水面から白さが走り、薄い氷が地面を這っていく。


「その辺まで」


 カヤが示した少し手前で止まる。


「これくらいなら?」


「足止めにはなるね」


「馬は嫌がると思います。走ってくる人も」


 フィンは杖を下ろした。


「皆さんが抜けたあとなら使えます」


 立ち上がろうとして顔を歪めると、レオナが腕を取った。


「やっぱり走れないね」


「走る予定はありません」


「立つ予定もないよ」


 後ろからネラの声がした。


「足をつけてみただけで、治ったことにするんじゃないよ。今の腫れを見てごらん」


「確認しただけです」


「朝から三回目だよ」


 フィンは黙って座り直した。


 その間にも、エルフたちは水と布を荷車へ積み、ネラは薬を確認していた。


「何人連れてくるつもりだい」


「分からない。中にいる人は、できるだけ」


「なら、車は歩けない者を優先するよ」


 ネラたちは炭焼き場で救出者を受け入れる。フィンは切通しに残り、追手が来たときだけ道を凍らせる。


 レオナも古い金具で切る音を確かめ、切れた方を落とさずに受け止めることにした。


 そこまで決まったころ、グレイホーンたちが現れた。


 レオナとカヤが地面へ図を広げる。


「私とカヤが南の溝から入る。兵が交代した直後に東門を開ける。灯りを二回隠したら来て」


「しくじれば、こちらからは手が出せぬぞ」


「開かなかったら、合図しない」


「合図がなければ、いつまで待つ」


「夜が明けきるまで。それまでになかったら戻って」


 レオナがカヤを見る。


「私たちも?」


「戻れるなら戻る。でも、外から助けに入るのはなし」


 少し間を置いて、レオナは頷いた。


 カヤは移送書類を図の横へ置く。


「この番号。セトたちが運ばれる予定だった収容棟だと思う。門を開けたら、まずこれを手掛かりに探す」


「ユナもいる?」


「分からない。でも、誰か見つけられれば場所を聞けるかもしれない」


 グレイホーンが図を覗き込む。


「わしらは魔物を探す。門を押さえる者も要るな」


 シグレへ顔を向けた。


「シグレ、何人か選べ」


「分かった」


 カヤは鉄格子の軸を描いた。


「もう一つ。開けた格子をどうするか」


 ザクが近づき、絵を指す。


「ここ。留める」


 落ちていた木片を拾い、軸と枠の間へ斜めに差し込む仕草をした。


「ああ。上げてから、軸が戻らないように噛ませる?」


「二つ」


 カヤが角材を見せると、ザクは首を振り、先を斜めに削る仕草をする。


 ゴブリンが刃物を抜き、カヤが木を押さえた。二本の木片が楔の形になっていく。


「これなら切らなくていいんだ」


 レオナが覗き込む。


 カヤは出来上がった楔を袋の外へ結んだ。


 レオナは周囲を見回す。


「あと、一つ。中の兵も、必要がなければ殺さないでほしい」


 グレイホーンは少しの間レオナを見た。


「邪魔せぬ者まで追って斬る気はない。じゃが、剣を向けられてまで手加減するとは言わぬぞ」


「うん」


 カヤはネラたちへ渡す図に、切通しの印を足した。中から連れてくる人数は、まだ空欄のままだった。


 袋の外に結んだ二本の楔を確かめ、図を畳んだ。


***


 夜が明ける少し前、附属院の炊事場にはまだ灯りが一つだけ残っていた。


 東門近くにはグレイホーンたちが潜み、そこから離れた切通しでは、フィンが荷車の中で待っている。


 レオナとカヤは南側の壁に沿って進んだ。


 溝を前にして、カヤが腰の袋へ触れる。二本の楔を確かめた指が、その隣の筒へ当たった。


 ほんの一瞬、手が止まる。


「カヤ?」


「ううん。行こう」


 二人は溝へ降りた。


 レオナが柵を留める金具へ剣を当て、細く魔力を通す。


 金属が短く鳴った。


 傾く柵をカヤが受け止め、二人で泥の上へ寝かせる。レオナが先に身体を滑り込ませた。


 奥は低く、背中が石へ擦れた。湿った水の匂いの向こうから、煮た野菜の匂いがする。


 カヤも続き、最後の曲がり角でレオナが止まった。


 頭上にもう一枚の格子があり、その向こうには桶の底が見える。


「押せる?」


「桶が落ちるかも」


「少しだけ。手を入れる」


 レオナが格子を持ち上げ、カヤができた隙間へ腕を入れる。


 桶を少しずつ横へずらす。


 中の水が揺れ、一滴だけ石床へ落ちた。


 二人とも動かなかった。


 遠くで何かが軋む。


 足音ではない。


 しばらく待ってから、カヤが小さく頷いた。


 レオナはもう一度、格子へ力をかけた。


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