第62話 三人になった
ハルを離れた翌日も、レオナはフィンを背負って森を進んでいた。何度目かの休憩を取ろうとしたときだった。木々の間から弓を持った男が出てきて、カヤは足を止める。腰へ動いた片手も、すぐに止まった。
「そこまでだ」
長い耳の男が言った。
レオナは背中のフィンを抱え直す。
「ネラに会いたい」
「お前は誰だ」
「レオナ。前に、ここを通ったよ」
男は彼女を見たが、弓を下ろさなかった。
「後ろの二人は」
「一緒に来た。怪我をしてる」
フィンの脚を示そうとして身体を傾けると、背中で短い息が漏れた。
「動かさなくていい」
別の声がした。
藪の横から現れたのは、以前レオナをグレイホーンのもとへ案内したセイルだった。
「戻ったのか」
「うん。ネラ、いる?」
「里にはいる。何があった」
「王様のところで、捕まって。逃げてきた」
弓を持つ男が、セイルへ顔を向ける。
「王の兵を連れてきたのか」
「道を渡ったあと、追ってくる兵は見ていません。その前も振り返って来ました。ただ、見えなかった者までいないとは」
カヤが答えると、男は森の外へ目を向けた。
「里へは入れられない」
「ここで待っててもいい。ネラを呼んで」
レオナが言った。
セイルはフィンの顔を覗き込む。
「いつの傷だ」
「三日前です」
フィンの返事は小さかった。
「水場の小屋を使おう。薬も持ってこさせる」
「勝手に決めるな」
弓の男が眉を寄せた。
「里へは連れていかない。ここで倒れられるよりいい」
そう答えてから、セイルはレオナへ顔を戻した。
「武器は預かる。それでいいか」
レオナは腰の剣を見る。隣では、カヤも彼女を見ていた。
「いいよ。フィンを下ろしてからでもいい?」
セイルは弓の男へ短く話すと、先に歩き始めた。
カヤはその背中と森の外を交互に見てから、レオナについていった。
***
小屋には乾いた敷物があり、レオナはそこへフィンを横たえると、ようやく肩を伸ばした。上着の背中は、彼の汗で湿っていた。
カヤが荷物を下ろす。レオナは何かを頼もうとして口を開きかけたが、そのまま自分で水袋を取り、フィンのそばへ置いた。
ほどなくエルフの女が水と布を運び込んでくる。
「靴を脱がせて。そちらの人も、腕を見せて」
カヤは言われた通り袖を上げた。女が傷を見ている間、セイルは入口で待ち、レオナから受け取った剣を鞘ごと入口の外へ運んだ。
「ここに置く。勝手に取るな」
「分かった」
カヤも短い刃を渡し、フィンは横になったまま杖から手を離した。
それでも、誰も小屋の扉を閉めなかった。
夕方になってネラが来た。
入口に立つ姿を見て、レオナは腰を浮かせる。
「ネラ」
ネラはレオナの顔を見たあと、敷物に横たわるフィンへ目を移した。
「先に傷を見せな。話はそれからだよ」
「うん」
レオナが場所を空けると、ネラはフィンのそばへ膝をついた。脚を覆っていた布をゆっくり剥がされ、フィンが敷物をつかんで息を止める。
「息を吐いて。止めると余計に痛むよ」
そう言われ、フィンは細く息を吐いた。
ネラは傷へ手を当てた。淡い光を広げながら少しずつ位置を変え、長い間そこを診ていく。
「途中で誰かが治してるね」
「エリナが」
レオナが答えた。
「そのあとも歩いたのかい?」
「少し。後は、私が背負って」
「熱がある。歩けると言っても、今は寝かせておきな」
レオナが頷くと、ネラはフィンの顔を見た。
「ここで休んでいけるかい?」
「……はい」
「薬を飲ませて。戻ったら、熱の方ももう一度見るよ」
立ち上がったネラへ、レオナは手を伸ばしかけたが、途中で止めた。
ネラが振り返る。
「どうしたんだい?」
レオナは口を開いた。
「胸のところに、矢が刺さって」
そこから、声が出なくなった。
カヤは壁を見ていた。
ネラはもう一度膝をつく。
「ここにはいない子かい?」
レオナは頷いた。
「自分で治そうとしてた。薬も飲んだ。でも、途中で、光が」
ネラは黙って聞いていた。
「ネラだったら、あのとき――」
レオナはそこで言葉を止めた。
少し間を置いて、ネラが口を開く。
「見てもいない傷のことは、私にも答えられないよ」
レオナは下を向いた。爪の脇には、落としきれなかった赤黒い跡が残っている。
「……うん」
***
暗くなるころ、入口の外から話し声が聞こえてきた。
「いつまで置く」
「今夜は動かせないよ」
ネラの声だった。
「兵が来たらどうする。あの女だけならともかく、人間の冒険者を二人も」
「道を見る者が要るね。里には、こっちから知らせるよ」
「その人手は誰が出す」
話はしばらく続いた。
カヤは椀を持ったまま入口を見つめていた。湯気の向こうで、椀をつかむ指の節が白くなっている。
「食べられる?」
レオナが聞く。
「うん」
カヤは一口だけ飲み、少しして椀を置いた。
薬を飲んだフィンは眠っていた。近づけば、ゆっくり胸が動いているのが見える。レオナはそのそばへ座り、自分の椀も床へ置いた。
「カヤ」
「何」
「ラウルが、私の手をつかんだんだ」
カヤの顔が上がった。
レオナは左手首を見せる。
「放してって言ったのに、兵士が金属の帯をはめるまで」
カヤは腫れた手首を見た。
「ラウルが?」
「うん」
カヤは目を閉じた。
少しして、もう一度開く。
「話だけって、言ってた」
「私にも」
カヤの手が敷物をつかんだ。
「あいつが呼んだから、行かせたのに」
レオナは膝へ視線を落とす。
「私、すぐ押し返せばよかった。肩が痛そうだったから、力を抜いちゃったんだ」
「……ラウルの?」
「うん」
カヤは何かを言いかけ、口を閉じた。
レオナは続ける。
「もっと早くあの部屋から出てたら、エリナも」
「今、それを言わないで」
カヤの声が大きくなった。
眠っていたフィンが動く。
カヤは振り返り、それから声を落とした。
「私だって言ったんだよ。王家の記録を見ようって。あの壁を開けたのだって、私だよ」
「それは」
「分かんない。今、何を言われても」
カヤは顔を伏せた。
レオナは手を伸ばせなかった。
しばらくして、フィンが小さく呼んだ。
「水を、もらえますか」
カヤが立ち、器を取りに行く。
レオナはフィンの肩を支えた。カヤが戻るまで、二人とも黙っていた。
***
翌朝、フィンの熱は少し下がっていた。
ネラは脚を診て、まだしばらく休ませるよう言った。カヤの腕の布も替え、レオナの手首へ薬を塗る。
「腫れは引いてきてるよ。しばらく無茶はするんじゃないよ」
「うん」
治療が終わってしばらくすると、セイルが小屋へやって来た。
「今のところ、近くに兵はいない。外の道には出ないでくれ」
「ここには、いていいんですか」
カヤが聞いた。
「怪我が落ち着くまでは。先のことは、まだ話している」
「ありがとうございます」
カヤが頭を下げると、彼は少し頷いて出ていった。
フィンは壁にもたれて身体を起こしていた。膝の上には、カヤの筒に入れてあった王の印が押された依頼書がある。
「ここに、帰還後の報告とあります」
レオナが隣へ座る。
「うん」
「受けたのは、討伐と調査です。途中で、本人の意思に関係なく検査へ協力するなんて、どこにも」
フィンが紙を裏返すと、そこには五人で確認した条件が書き足されていた。
「これを見せれば、話が通ると思っていました」
カヤは筒を開けた。
「通じる人に見せよう」
そう言ってから、少し黙る。
「誰かは、まだ分かんないけど」
フィンは紙を折らずに彼女へ渡した。
カヤは空いている紙を敷き、六本脚の魔獣を倒した部屋から、石台、壁の扉へと小さな線をつないでいった。荷運びの通路まで描いたところで、筆が止まる。
「エリナがいた部屋、ここで合ってる?」
レオナは図を覗き込んだ。
「もう少し下。曲がり角の手前。部屋の奥に、低い戸があった」
カヤは線を引き直し、水路と門まで描いてから筆を置いた。
レオナが門の向こうを指す。
「こっちの戸へ、連れていかれた」
カヤはそこへ小さな四角を足した。
その紙へ、涙が一滴落ちた。
慌てて袖で押さえたものの、線の端が滲んでいく。
「……ごめん」
フィンが乾いた布を差し出した。カヤはそれを受け取ったまま、顔を上げなかった。
***
昼過ぎ、ネラが食事を運んできた。
「食べられるうちに食べておきな。特にあんたはね」
そう言ってフィンを見る。
「はい」
カヤは描いた紙を筒へ収め、フィンも食事を終えると横になった。
二人が眠ったあと、レオナは入口へ出る。木の間には、剣を預かったセイルがいて、外の道を見張っていた。
「グレイホーンは、まだあの辺りにいる?」
声をかけると、彼が振り返った。
「いる。会いたいのか」
「捕まってる魔物がいたこと、伝えてほしい」
「魔物?」
「ゴブリン。右の耳に、穴が三つあった。ほかにもいるかもしれない」
セイルはレオナの顔を見た。
「どこで見た」
「王様の施設。そこから逃げてきた」
彼はレオナの手首へ目を落とした。
「分かった。伝える」
「お願い」
レオナは小屋へ戻った。
フィンが目を開けていた。
「出かけるんですか」
「ううん。今は、行かない」
入口のそばへ座ると、壁際に三人分の荷物が並んでいるのが見えた。
エリナの荷物も、ラウルの盾もなかった。
カヤが横を向き、こちらを見る。
レオナは二人へ言った。
「ユナも、あの部屋にいた二人も、まだ向こうにいる」
フィンがゆっくり身体を起こした。
「うん」
カヤが答えた。
レオナは傷のある手首を、もう片方の手で包んだ。
「戻りたい」




