第59話 四人を帰す約束
カヤは戸口から廊下を覗いた。レオナとラウルが曲がった角には兵士が一人立っていて、その向こうへ目を向けると、槍を横にされた。
「中でお待ちください」
「どの部屋へ行ったんですか」
「説明が終われば戻ります」
奥で、金属のぶつかる音がした。
カヤが兵士を見る。
「今の、何?」
答えはなかった。
部屋へ戻ると、フィンはすでに立ち上がっていた。エリナも荷物を閉じ、椅子の二人へ顔を向ける。
「もう少し、動けますか」
男が頷き、ゴブリンは足首の鎖を持ち上げた。
カヤは入口の向かいにある、もう一つの扉を見た。
「フィン、あの扉って開けられる?」
フィンもそちらを見る。
「鍵は壊せます。音で兵を呼ぶことになりますが、それでも開けますか」
「今はいい。いざとなったらお願い」
「分かりました」
カヤが入口へ目を戻すと、さっきまで一人だった兵士が数人に増えていた。
先頭の男が部屋へ入ってくる。
「あなたがた三人とラウルさんには、これから退出していただきます」
カヤは男の後ろを見た。
「レオナは?」
「説明中です。ラウルさんも、後ほど合流します」
「この二人は?」
エリナが尋ねた。
「こちらで治療を続けます」
「一緒には帰れないんですか」
「それはできません。出口までご案内しますので、まず武器を置いてください」
「レオナたちを呼んでからにしてください」
エリナが答えた。
「先に済ませます」
兵士は椅子の二人へ向いた。
「お二人は元の場所へ戻します」
兵士がゴブリンの腕へ手を伸ばすと、ゴブリンは椅子の後ろへ逃げようとした。足首の鎖が椅子の脚へ絡み、そのまま椅子ごと倒れる。
エリナがすぐに身を屈めた。
「引かないでください。こちらへ寝かせて。傷が開いてしまいます」
「こちらで処置します。離れてください」
「今、引いたら――」
兵士はなおも鎖を持ち上げようとした。
エリナがその手を止める。
兵士は彼女を押しのけた。
カヤがその腕をつかむ。
「やめて」
横から槍の柄が振られた。
その前にフィンの杖が動き、床すれすれを走った風が兵士の膝を払った。男が机へ倒れ込む間に、カヤは手を離してエリナを引く。
「下がって!」
次の兵士が盾を構え、入口を塞いだ。その後ろから短い槍が突き出され、避けたカヤの腕を穂先がかすめる。
右の袖が裂けた。
エリナが空気を押して槍を壁へ逸らすと、フィンは続けて盾へ風をぶつけた。兵士が一歩退き、入口にわずかな隙間ができる。
「長くは止められません!」
カヤは入口の向かいへ振り返った。
「フィン、扉!」
「離れてください!」
フィンは盾へ向けていた杖を扉へ振った。鍵の周囲へ風がぶつかり、古い木が大きく軋む。
もう一度。
錠の周囲が割れた。
カヤが扉を蹴り開けると、その先には荷運び用らしい細い通路が続いていた。左は緩い上り坂になり、右は水音のする暗がりへ下っている。
「開いた!」
フィンはすぐに入口側へ向き直り、迫っていた盾を風で押し返した。
「下へ!」
さっき男が、荷を運ぶ道は下へ続くと言っていた。
カヤは右へ走り、通路のすぐ脇にあった空の荷車を引き寄せると、戸口の脇へ斜めに倒した。
「こっち!」
だが、二人の負傷者はまだ部屋の中にいた。
兵士が男の両脇を抱え、別の一人がゴブリンの鎖を引いている。エリナが戻ろうとしたところへ、盾が押し寄せた。
「エリナ、下がって!」
エリナが戸口へ退くと、フィンが杖を振った。机が床を滑って盾へぶつかり、その隙にフィンも荷運びの通路へ出た。机は風に押されて戸口へ食い込み、倒した荷車との隙間を塞いだ。
エリナはその上から手を伸ばした。
「二人がまだ!」
「戻れば囲まれます!」
兵士に引かれたゴブリンの姿が、部屋の入口の向こうへ消えた。
エリナは一度だけそちらを見て、荷運びの通路を後ずさった。
机の上を槍が越えてくる。フィンは風で穂先をまとめて壁際へ流し、三人が離れる時間を作った。
***
ラウルは廊下へ戻ろうとして、肩をつかまれた。
「こちらでお待ちください」
側役が言った。
「あの三人を帰すんだろ」
「今、移動してもらっています」
角の向こうで何かが倒れ、続いて風の音が響いた。
ラウルは側役の手を払った。角を曲がると、兵士たちが槍を構え、入口へ身体を押し込んでいる。
「やめろ!」
右肩を庇うこともなく、一人を押しのけた。
「話が違う。あいつらは帰す約束だ!」
「抵抗しなければ、と言った」
鎧の男が階段から下りてくる。
「武器を使い、職員に手を出した。拘束に切り替える」
「あいつらに槍を向けるとは聞いてない!」
ラウルはもう一人を押しのけた。
部屋の中からは、ゴブリンと男が元の廊下へ運び出されていた。荷運びの通路へ続く戸口には荷車と机が重なり、その奥からフィンの声が響く。
「エリナ、右へ!」
ラウルは机を越えようとした槍をつかみ、下へ押し込んだ。その横から盾が顔へぶつかり、壁へ倒れた拍子に右肩へ鋭い痛みが走る。
立ち上がろうとすると、足元へ槍先を突きつけられた。
「下がれ」
ラウルは後ずさった。
その先で、側役が廊下の奥へ退いていく。その向こうには、レオナを閉じ込めた扉があった。
ラウルは走った。
扉を押さえていた横木を左手で跳ね上げ、引き手へ手をかける。身体ごと引くと、重い扉が少しだけ開いた。
「レオナ!」
奥で金属が鳴った。
さらに引こうとしたところで背中へ二人分の重みがかかり、床へ押し倒される。左腕をねじられ、引き手から指が外れた。
「開けろ! あいつらを――」
喉元へ腕を回され、声が詰まる。
目の前で扉が閉じられ、横木を戻す音がした。
***
レオナは、外から聞こえた声に顔を上げた。
「ラウル?」
返事はなかった。
両手首は枠へ留められ、腰にも金属の帯が回されている。剣は戸口の外へ持ち出されていた。
枠を強く押すたびに床の石が光り、壁から砂が落ちるほどの力を加えても、そのほとんどが足元へ流れていく。
レオナは力を弱めた。
これ以上強めれば、枠より先に壁を壊してしまう。
扉の向こうからはいくつもの足音が聞こえていた。誰がいるのかは見えない。
右手首を少し回し、金属帯の裏を覗く。床へ続く金属の筋は枠を走っていたが、蝶番の脇にある小さな留め金までは届いていない。その先端だけが、枠の穴へ差し込まれていた。
レオナは動かせる指先をそこへ向けた。
指を少し動かし、留め金の先だけへ力を当てた。枠を押したときとは違って、手首へ重さが返ってこない。
金具が穴の中でわずかに動いた。
床の石は光らない。
もう少し力を加えると、金具の先が曲がって手首の帯に隙間ができた。
レオナは皮膚を擦りながら右手を抜き、左手と腰の帯も同じように外した。
扉へ走ったが、押しても開かなかった。先ほどラウルが扉を開けかけたとき、外側の横木と、それを受ける金具が一瞬見えていた。
レオナは、その位置を狙って下から押した。木が跳ねる音がして、扉が外へ開いた。
振り向いた兵士の槍先だけを横へ押し、身体を低くして脇を抜ける。続いて迫った盾も、正面から押し返すのではなく端を跳ね上げた。体勢を崩した兵士が、後ろの一人へぶつかる。
剣は壁の鉤に掛けられていた。
レオナは鞘ごと取り戻し、腰へ戻した。
「止まれ!」
奥から別の兵士が来る。
振り下ろされた槍を横へ押し、そのまま相手の脇を抜けた。
「みんな、どこ!」
返事はなかった。
廊下の先から、強い風が吹いてきた。
レオナはそちらへ走った。
***
三人は荷運びの通路を下った。カヤは裂けた袖の上から腕を押さえ、空いた手で灯りを持っている。
最後尾のフィンは何度も振り返り、追ってくる兵士へ短く風を放っていた。盾を押し戻すだけでなく、突き出された槍を横からまとめて流し、狭い通路に兵士が並べないよう足を止めさせる。
「この先、曲がってる!」
カヤが言った。
「曲がったところまで行ってください。向こうの射線から外れます」
フィンは杖を両手で握り直した。
後続の兵士も荷車と机を退け、通路へ出てくる。フィンが杖を振ると、床を這った風が先頭の足元をすくった。盾が傾き、後ろの兵士がぶつかって列が一度詰まる。
「今です!」
三人が角へ向かって走る。
曲がり角の先に、別の兵士が現れた。
短い弓が持ち上がる。
「殺すな! 足を狙え!」
追手の後ろから、鎧の男の声が飛んだ。
「伏せて!」
エリナが手を振り、飛んできた矢を空気で逸らした。矢は壁へ刺さる。
フィンも杖を向けるが、その間に後ろから迫る兵士への風が弱まり、盾が一気に距離を詰めてきた。
もう一度、弦が鳴る。
低く飛んだ矢がフィンの左膝の下をかすめ、服を裂いた。
「っ……」
足がもつれ、杖の先が床へ当たる。風が途切れ、切れた布の下から血が流れた。
エリナが肩を抱え、カヤも反対側から支えて、三人は角の手前にあった部屋へ転がり込むように入った。
中には布を掛けた荷台と桶があり、壁際を流れる水が奥の低い戸口へ消えている。
「扉を……」
フィンは座り込むより先に杖を上げた。
カヤが扉を閉め、荷台を入口へ押すと、フィンの風が後ろから加わった。重い荷台が床を滑って戸口へ寄る。さらに桶まで動かして荷台の下へ噛ませたところで、扉の向こうから盾がぶつかった。
荷台が揺れる。
「まだ、押さえられます」
フィンは壁へ背をつけたまま、荷台を入口へ押しつけるように風を送り続けた。
エリナはその脚へ手を当てる。
「動かないで」
「でも――」
「このままだと動けなくなります」
膝の下から流れた血が、当てた布へ広がっていく。
「カヤさん、ここを押さえてください」
カヤが膝をついて布を押さえると、エリナの手元に淡い光が生まれた。
扉がもう一度大きく鳴った。
フィンが歯を食いしばり、杖を握り直す。
「押し返します」
風が強まり、荷台が扉へ押しつけられた。向こうで盾が擦れる音がするが、負傷した脚は震え、杖の先も少しずつ下がっていく。
「カヤ!」
レオナの声がした。
「レオナ、こっち!」
カヤが立ち上がりかけた。
その瞬間、扉が跳ねた。
フィンの風が弱まった隙に盾が食い込み、その脇から弓がこちらへ向けられる。
エリナはフィンの脚へ左手を添えたまま、右手を上げた。放たれた矢が逸れ、桶へ突き刺さる。
盾がさらに押し込まれた。その脇で弓を引いていた兵士の腕が盾の縁に当たり、狙いが上へずれる。
もう一度、弦が鳴る。
エリナが振り向き、その身体が傾いた。
「エリナ?」
カヤが抱きとめる。
左脇の下に、矢が刺さっていた。
次の瞬間、扉の向こうで兵士たちがまとめて廊下の壁際へ押し戻された。重なるように倒れたその脇から、レオナが戸口へ来る。荷台を部屋の内側へずらし、隙間を抜けて入ってきた。
「みんな――」
カヤの腕の中で、エリナが息を吸った。
吸いきれずに止まる。
レオナはすぐに膝をついた。
「エリナ、どこを」
「ここ……押さえて、ください」
エリナが自分の脇へ手を動かす。
カヤが畳んだ布を傷のそばへ当てる。レオナは剣を鞘ごと床へ置き、エリナの手に自分の手を重ねた。




