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あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第七章

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第59話 四人を帰す約束

 カヤは戸口から廊下を覗いた。レオナとラウルが曲がった角には兵士が一人立っていて、その向こうへ目を向けると、槍を横にされた。


「中でお待ちください」


「どの部屋へ行ったんですか」


「説明が終われば戻ります」


 奥で、金属のぶつかる音がした。


 カヤが兵士を見る。


「今の、何?」


 答えはなかった。


 部屋へ戻ると、フィンはすでに立ち上がっていた。エリナも荷物を閉じ、椅子の二人へ顔を向ける。


「もう少し、動けますか」


 男が頷き、ゴブリンは足首の鎖を持ち上げた。


 カヤは入口の向かいにある、もう一つの扉を見た。


「フィン、あの扉って開けられる?」


 フィンもそちらを見る。


「鍵は壊せます。音で兵を呼ぶことになりますが、それでも開けますか」


「今はいい。いざとなったらお願い」


「分かりました」


 カヤが入口へ目を戻すと、さっきまで一人だった兵士が数人に増えていた。


 先頭の男が部屋へ入ってくる。


「あなたがた三人とラウルさんには、これから退出していただきます」


 カヤは男の後ろを見た。


「レオナは?」


「説明中です。ラウルさんも、後ほど合流します」


「この二人は?」


 エリナが尋ねた。


「こちらで治療を続けます」


「一緒には帰れないんですか」


「それはできません。出口までご案内しますので、まず武器を置いてください」


「レオナたちを呼んでからにしてください」


 エリナが答えた。


「先に済ませます」


 兵士は椅子の二人へ向いた。


「お二人は元の場所へ戻します」


 兵士がゴブリンの腕へ手を伸ばすと、ゴブリンは椅子の後ろへ逃げようとした。足首の鎖が椅子の脚へ絡み、そのまま椅子ごと倒れる。


 エリナがすぐに身を屈めた。


「引かないでください。こちらへ寝かせて。傷が開いてしまいます」


「こちらで処置します。離れてください」


「今、引いたら――」


 兵士はなおも鎖を持ち上げようとした。


 エリナがその手を止める。


 兵士は彼女を押しのけた。


 カヤがその腕をつかむ。


「やめて」


 横から槍の柄が振られた。


 その前にフィンの杖が動き、床すれすれを走った風が兵士の膝を払った。男が机へ倒れ込む間に、カヤは手を離してエリナを引く。


「下がって!」


 次の兵士が盾を構え、入口を塞いだ。その後ろから短い槍が突き出され、避けたカヤの腕を穂先がかすめる。


 右の袖が裂けた。


 エリナが空気を押して槍を壁へ逸らすと、フィンは続けて盾へ風をぶつけた。兵士が一歩退き、入口にわずかな隙間ができる。


「長くは止められません!」


 カヤは入口の向かいへ振り返った。


「フィン、扉!」


「離れてください!」


 フィンは盾へ向けていた杖を扉へ振った。鍵の周囲へ風がぶつかり、古い木が大きく軋む。


 もう一度。


 錠の周囲が割れた。


 カヤが扉を蹴り開けると、その先には荷運び用らしい細い通路が続いていた。左は緩い上り坂になり、右は水音のする暗がりへ下っている。


「開いた!」


 フィンはすぐに入口側へ向き直り、迫っていた盾を風で押し返した。


「下へ!」


 さっき男が、荷を運ぶ道は下へ続くと言っていた。


 カヤは右へ走り、通路のすぐ脇にあった空の荷車を引き寄せると、戸口の脇へ斜めに倒した。


「こっち!」


 だが、二人の負傷者はまだ部屋の中にいた。


 兵士が男の両脇を抱え、別の一人がゴブリンの鎖を引いている。エリナが戻ろうとしたところへ、盾が押し寄せた。


「エリナ、下がって!」


 エリナが戸口へ退くと、フィンが杖を振った。机が床を滑って盾へぶつかり、その隙にフィンも荷運びの通路へ出た。机は風に押されて戸口へ食い込み、倒した荷車との隙間を塞いだ。


 エリナはその上から手を伸ばした。


「二人がまだ!」


「戻れば囲まれます!」


 兵士に引かれたゴブリンの姿が、部屋の入口の向こうへ消えた。


 エリナは一度だけそちらを見て、荷運びの通路を後ずさった。


 机の上を槍が越えてくる。フィンは風で穂先をまとめて壁際へ流し、三人が離れる時間を作った。


***


 ラウルは廊下へ戻ろうとして、肩をつかまれた。


「こちらでお待ちください」


 側役が言った。


「あの三人を帰すんだろ」


「今、移動してもらっています」


 角の向こうで何かが倒れ、続いて風の音が響いた。


 ラウルは側役の手を払った。角を曲がると、兵士たちが槍を構え、入口へ身体を押し込んでいる。


「やめろ!」


 右肩を庇うこともなく、一人を押しのけた。


「話が違う。あいつらは帰す約束だ!」


「抵抗しなければ、と言った」


 鎧の男が階段から下りてくる。


「武器を使い、職員に手を出した。拘束に切り替える」


「あいつらに槍を向けるとは聞いてない!」


 ラウルはもう一人を押しのけた。


 部屋の中からは、ゴブリンと男が元の廊下へ運び出されていた。荷運びの通路へ続く戸口には荷車と机が重なり、その奥からフィンの声が響く。


「エリナ、右へ!」


 ラウルは机を越えようとした槍をつかみ、下へ押し込んだ。その横から盾が顔へぶつかり、壁へ倒れた拍子に右肩へ鋭い痛みが走る。


 立ち上がろうとすると、足元へ槍先を突きつけられた。


「下がれ」


 ラウルは後ずさった。


 その先で、側役が廊下の奥へ退いていく。その向こうには、レオナを閉じ込めた扉があった。


 ラウルは走った。


 扉を押さえていた横木を左手で跳ね上げ、引き手へ手をかける。身体ごと引くと、重い扉が少しだけ開いた。


「レオナ!」


 奥で金属が鳴った。


 さらに引こうとしたところで背中へ二人分の重みがかかり、床へ押し倒される。左腕をねじられ、引き手から指が外れた。


「開けろ! あいつらを――」


 喉元へ腕を回され、声が詰まる。


 目の前で扉が閉じられ、横木を戻す音がした。


***


 レオナは、外から聞こえた声に顔を上げた。


「ラウル?」


 返事はなかった。


 両手首は枠へ留められ、腰にも金属の帯が回されている。剣は戸口の外へ持ち出されていた。


 枠を強く押すたびに床の石が光り、壁から砂が落ちるほどの力を加えても、そのほとんどが足元へ流れていく。


 レオナは力を弱めた。


 これ以上強めれば、枠より先に壁を壊してしまう。


 扉の向こうからはいくつもの足音が聞こえていた。誰がいるのかは見えない。


 右手首を少し回し、金属帯の裏を覗く。床へ続く金属の筋は枠を走っていたが、蝶番の脇にある小さな留め金までは届いていない。その先端だけが、枠の穴へ差し込まれていた。


 レオナは動かせる指先をそこへ向けた。


 指を少し動かし、留め金の先だけへ力を当てた。枠を押したときとは違って、手首へ重さが返ってこない。


 金具が穴の中でわずかに動いた。


 床の石は光らない。


 もう少し力を加えると、金具の先が曲がって手首の帯に隙間ができた。


 レオナは皮膚を擦りながら右手を抜き、左手と腰の帯も同じように外した。


 扉へ走ったが、押しても開かなかった。先ほどラウルが扉を開けかけたとき、外側の横木と、それを受ける金具が一瞬見えていた。


 レオナは、その位置を狙って下から押した。木が跳ねる音がして、扉が外へ開いた。


 振り向いた兵士の槍先だけを横へ押し、身体を低くして脇を抜ける。続いて迫った盾も、正面から押し返すのではなく端を跳ね上げた。体勢を崩した兵士が、後ろの一人へぶつかる。


 剣は壁の鉤に掛けられていた。


 レオナは鞘ごと取り戻し、腰へ戻した。


「止まれ!」


 奥から別の兵士が来る。


 振り下ろされた槍を横へ押し、そのまま相手の脇を抜けた。


「みんな、どこ!」


 返事はなかった。


 廊下の先から、強い風が吹いてきた。


 レオナはそちらへ走った。


***


 三人は荷運びの通路を下った。カヤは裂けた袖の上から腕を押さえ、空いた手で灯りを持っている。


 最後尾のフィンは何度も振り返り、追ってくる兵士へ短く風を放っていた。盾を押し戻すだけでなく、突き出された槍を横からまとめて流し、狭い通路に兵士が並べないよう足を止めさせる。


「この先、曲がってる!」


 カヤが言った。


「曲がったところまで行ってください。向こうの射線から外れます」


 フィンは杖を両手で握り直した。


 後続の兵士も荷車と机を退け、通路へ出てくる。フィンが杖を振ると、床を這った風が先頭の足元をすくった。盾が傾き、後ろの兵士がぶつかって列が一度詰まる。


「今です!」


 三人が角へ向かって走る。


 曲がり角の先に、別の兵士が現れた。


 短い弓が持ち上がる。


「殺すな! 足を狙え!」


 追手の後ろから、鎧の男の声が飛んだ。


「伏せて!」


 エリナが手を振り、飛んできた矢を空気で逸らした。矢は壁へ刺さる。


 フィンも杖を向けるが、その間に後ろから迫る兵士への風が弱まり、盾が一気に距離を詰めてきた。


 もう一度、弦が鳴る。


 低く飛んだ矢がフィンの左膝の下をかすめ、服を裂いた。


「っ……」


 足がもつれ、杖の先が床へ当たる。風が途切れ、切れた布の下から血が流れた。


 エリナが肩を抱え、カヤも反対側から支えて、三人は角の手前にあった部屋へ転がり込むように入った。


 中には布を掛けた荷台と桶があり、壁際を流れる水が奥の低い戸口へ消えている。


「扉を……」


 フィンは座り込むより先に杖を上げた。


 カヤが扉を閉め、荷台を入口へ押すと、フィンの風が後ろから加わった。重い荷台が床を滑って戸口へ寄る。さらに桶まで動かして荷台の下へ噛ませたところで、扉の向こうから盾がぶつかった。


 荷台が揺れる。


「まだ、押さえられます」


 フィンは壁へ背をつけたまま、荷台を入口へ押しつけるように風を送り続けた。


 エリナはその脚へ手を当てる。


「動かないで」


「でも――」


「このままだと動けなくなります」


 膝の下から流れた血が、当てた布へ広がっていく。


「カヤさん、ここを押さえてください」


 カヤが膝をついて布を押さえると、エリナの手元に淡い光が生まれた。


 扉がもう一度大きく鳴った。


 フィンが歯を食いしばり、杖を握り直す。


「押し返します」


 風が強まり、荷台が扉へ押しつけられた。向こうで盾が擦れる音がするが、負傷した脚は震え、杖の先も少しずつ下がっていく。


「カヤ!」


 レオナの声がした。


「レオナ、こっち!」


 カヤが立ち上がりかけた。


 その瞬間、扉が跳ねた。


 フィンの風が弱まった隙に盾が食い込み、その脇から弓がこちらへ向けられる。


 エリナはフィンの脚へ左手を添えたまま、右手を上げた。放たれた矢が逸れ、桶へ突き刺さる。


 盾がさらに押し込まれた。その脇で弓を引いていた兵士の腕が盾の縁に当たり、狙いが上へずれる。


 もう一度、弦が鳴る。


 エリナが振り向き、その身体が傾いた。


「エリナ?」


 カヤが抱きとめる。


 左脇の下に、矢が刺さっていた。


 次の瞬間、扉の向こうで兵士たちがまとめて廊下の壁際へ押し戻された。重なるように倒れたその脇から、レオナが戸口へ来る。荷台を部屋の内側へずらし、隙間を抜けて入ってきた。


「みんな――」


 カヤの腕の中で、エリナが息を吸った。


 吸いきれずに止まる。


 レオナはすぐに膝をついた。


「エリナ、どこを」


「ここ……押さえて、ください」


 エリナが自分の脇へ手を動かす。


 カヤが畳んだ布を傷のそばへ当てる。レオナは剣を鞘ごと床へ置き、エリナの手に自分の手を重ねた。


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