第50話 王を作った遺跡
レオナの腰には、昨日までなかった剣が下がっていた。
鍔の近くに小さな魔石が二つ埋め込まれ、そこから細い金属が刃の根元まで伸びている。
昨日壊した試作品ほど多くの魔力は通せない。その代わり、すでに何本も作られている型で、少しくらい無理をしても簡単には折れないらしい。
「それ、さっきから触ってるよね」
前を歩いていたカヤが振り返った。
「何が?」
「剣」
レオナは柄から手を離した。
「新しいから」
「使いたいんでしょ」
「うん」
横を歩いていたフィンが、呆れたように剣を見る。
「昨日一本壊したばかりなのに、よくそんなに楽しそうにできますね」
「これは壊さないよ」
「昨日も壊すつもりではなかったでしょう」
「うん」
「じゃあ、何の安心にもならないじゃないですか」
カヤが笑った。
少し前を歩いていたラウルが振り返る。
「遺跡の壁で試すなよ」
「切っていいところなら?」
「俺がいいと言ったらな」
レオナは頷いた。
***
依頼を受けたのは、ドルンの冒険者ギルドだった。
山側の壁には大きな地図が掛けられ、その周りに依頼書や注意書きが何枚も留められている。
カヤが一枚を机へ広げた。
「ここ」
ドルンから半日ほど山へ入った場所にある遺跡だった。
「前からあるところですよね」
フィンが地図を見る。
「前に調べた場所。だから、何も変わってなければ、私たちの出番はなかったんだけどね」
カヤが依頼書の端を指で叩いた。
「この前の雨で、奥の壁が崩れたんだって」
「新しい部屋が出た?」
「壁の向こうが空いてるところまでは確かめたんだって。入って見た人は、まだいない」
依頼は、その先へ進めるかの確認と、新規区画の調査だった。危険箇所や遺物があれば記録し、魔獣がいれば状況に応じて討伐か撤退する。
レオナは依頼書の下に書かれた名前を見た。
「初代ハル王?」
「ああ」
ラウルが答えた。
「この遺跡を調べた探索隊の一つにいたらしい」
「王様が?」
「王になる前」
カヤが別の紙を引っ張ってくる。
「昔はかなり有名な探索者だったんだって。遭難した人を助けたり、新しい道を見つけたり」
「へえ」
レオナは紙を見る。
「すごい冒険者だったんだ」
「そうみたい」
もう一度、遺跡の名を見る。
「この人も、ここに来たんだね」
「そこが嬉しいの?」
「ちょっと」
「剣も使えるしね」
「それも」
ラウルが依頼書を畳んだ。
「遊びじゃないぞ」
「分かってる」
「俺が帰る時刻を決める。道が怪しくなったら、その場で戻るぞ。見つけたものは、帰って話せなきゃ意味がない」
カヤとフィンが頷く。
「分かりました」
エリナも答えた。
レオナも少し遅れて頷いた。
***
遺跡は、山腹の岩肌に半分埋まるように残っていた。
入口の周りだけは石が積み直され、雨水を逃がす溝も掘られている。
中へ入ると、壁のところどころに白い印があった。
「二本なら出口方向」
カヤが歩きながら指す。
「丸は水場。斜めの線は崩れやすいところ」
少し先には、もっと古い印が残っていた。石壁へ直接刻まれた小さな三角形で、長い年月のせいか角は削れ、溝には土が詰まっている。
カヤが灯りを寄せた。
「あった」
「何?」
「初代王の探索隊が使ってた印」
レオナも顔を寄せる。
「本人がつけたの?」
「そこまでは分かんない」
「そっか」
レオナは指を伸ばしかけ、途中で止めた。
「触らないの?」
「消えたら嫌だから」
カヤが少し笑った。
そこから先も、しばらくはよく調べられた遺跡だった。床はところどころ補強され、壁には探索者の打ち込んだ鉄杭が残っている。不要になった石も壁際へ積まれ、人が何度も行き来してきたことが分かった。
途中でカヤが急に立ち止まった。
「そこ踏まないで」
レオナの足が止まる。
「どこ?」
「その右」
見ると、床の色がほんの少し違っていた。カヤが小石を落とすと、二度跳ねたあと、石板ごと沈んで暗い穴が開いた。
「……分からなかった」
「だから私が前なんだよ」
「うん」
ラウルが穴を覗き込む。
「帰りも忘れるなよ」
「印つけとく」
カヤが壁へ白い線を一本足した。
***
やがて、通路の終わりに着いた。
壁の一部が大きく崩れ、その向こうに暗い隙間が見える。ただし、人が通れるほどではない。四角く加工された大きな石材が何枚も重なり、奥への道を塞いでいた。
ラウルが一つを押す。
動かない。
レオナを見る。
「これ、動かせるか?」
「切れるよ」
「動かせるかって聞いたんだが」
レオナはもう剣を抜いていた。
カヤが吹き出す。
「やっぱりそれ使いたかっただけじゃん」
「使えるから使う」
「待て」
ラウルの声で、レオナの剣が止まった。
「切って全部落ちてきたら、奥どころじゃない」
「うん」
「カヤ」
「見てくる」
カヤが崩れた壁の脇へ入り込む。しばらく声がなく、剣を持ったまま待っていたレオナが耐えきれずに口を開いた。
「まだ?」
「上を見てるから、少し待って」
奥から返ってくる。
少しして、カヤの顔が隙間から出た。
「上は残ってる。こっち側の一枚だけなら大丈夫そう」
フィンも石へ手を当てた。
「魔石も入ってません」
ラウルが切る位置を指した。
「ここから縦に。全部落とすなよ」
「分かった」
レオナが剣を構え、鍔の魔石へ魔力を流す。淡い光が刃を走り、石へ当てて力を込めた瞬間、刃先がわずかに横へずれた。
レオナは一度止め、握りを直す。
先ほどより出力を落とし、刃へ沿うように力を通した。
もう一度石へ押し込むと、ざら、と低い音がして、今度は細い線だけが下へ伸びていく。
「そこまで」
ラウルの声で止める。
少し離れたところへ、もう一本。同じように力を絞って切り終え、剣を抜くと、石材の一部だけが細長く切り離されていた。
レオナはそこへ手を向け、軽く押した。
切れた部分が向こう側へ倒れ、重い音とともに埃が舞う。
しばらくすると、開いた隙間から冷たい空気が流れてきた。
レオナが振り返る。
「ほら」
カヤが笑っている。
「何?」
「別に」
「綺麗に切れたよ」
「うん。見てた」
「剣も壊れてない」
「そこまで言うと、もう完全に自慢じゃん」
レオナは刃を見る。欠けていない。鍔にも異常はなかった。
「手、見せてください」
エリナが言った。
「何?」
「少しだけ」
差し出した手を取ると、エリナは手首へ指を添え、少し待ってから腕を軽く押さえた。
「手や腕に、痛みはありませんか?」
「何もないよ」
レオナの顔も確かめてから、エリナは手を離した。
「なら、大丈夫です」
レオナはもう一度剣を見る。
「もっと入れられそう」
「やめてください」
フィンが即答した。
「まだ何も起きてないうちに壊さないでください」
「壊さないよ」
「昨日も聞きました」
ラウルが、開いた穴の向こうへ灯りを向けた。
「遊ぶのはそこまでだ」
白い探索印は、ここで終わっている。向こうには足跡も杭もなく、誰かが壁へつけた傷さえ見えなかった。
「ここから先は、誰も入ってないんだ」
レオナが言った。
「少なくとも、この入口からはな」
ラウルが先を見る。
「カヤが前。俺がその後ろ。帰りに迷うようなら、そこで終わりだ」
それからレオナを見る。
「勝手に触るなよ」
「分かってる」
***
穴を抜けると、外の風も人の足音も届かなくなった。
五人が歩くたびに靴音が石壁へ返り、少し遅れて別の誰かが後ろからついてくるように響く。カヤは何歩か進むたびに足を止めて床を確かめ、そのたびに後ろの四人も黙って待った。
石棚も、床の丸い窪みも空だった。フィンが灯りを寄せても、壁には用途を示す文字が見つからない。カヤは部屋の形だけを書き留め、次の通路へ進んだ。
途中でエリナがレオナの肩を掴んだ。
「止まってください」
レオナの顔のすぐ横に、錆びた金属片が突き出している。
「あ」
「横も見てください」
「見てたよ」
「見てませんでしたよ」
「次は見る」
「お願いします」
カヤが小さく笑った。
その声が、誰もいない通路の奥まで長く響いた。
***
さらに二つ、用途の分からない部屋を通った。
その次の部屋で、全員の足が止まった。
中央に長い石台があり、その上へ黒く錆びた金属の枠が組まれている。
「ベッド?」
レオナが言った。
「寝るためには見えませんね」
エリナが近づいた。
石台の両側から伸びた細い棒の先には輪があり、エリナが自分の腕を台へ置くと、それはちょうど手首の位置に来た。足元にも同じようなものが二つある。
「人が寝たら、ここで留められそうです」
「怪我人?」
レオナが聞く。
エリナは輪を見たまま、すぐには答えなかった。
「……それは分かりません」
フィンは床へしゃがみ、台の下に並んだ穴を覗き込んだ。
「ここ、魔石を入れてたみたいです」
「人を寝かせて?」
「それ以上は分かりません」
壁にも薄い線が残っている。人の腕や脚のようにも見えたが、ところどころ欠けていて、何を描いたものなのかまでは分からなかった。
レオナは石台を見る。
人を寝かせ、動かないようにする。そこへ魔石をつなぐ。
分かるのは、そこまでだった。
「位置と形だけ記録しろ」
ラウルが言った。
「外せそうでも触るな。壊したら、何があったのか報告できなくなる」
「はいはい」
カヤが紙を取り出す。
「奥を見たら戻る。持ち出すのはそのあと、必要なら別の依頼だ」
レオナが台へ伸ばしかけていた手を止めた。
エリナがそれを見る。
「触ろうとしてました?」
「まだ触ってない」
***
さらに奥にも道があった。
今度は人ひとりずつしか通れないほど狭く、しばらく進んだところで先頭のカヤが立ち止まった。
「どうした?」
「下ってる」
階段ではなく、床そのものがゆっくり傾いている。灯りを先へ向けても、その終わりまでは見えなかった。
ラウルが後ろを振り返る。
「まだ行けるか?」
フィンが来た道を見る。
「戻る時間はあります」
「次の広いところまで見る。何もなければそこで戻る」
「了解」
再び進み始めると、自然に会話も減った。
下るにつれて空気が少し冷たくなり、足音の響きも変わっていく。さっきまではすぐ近くから返ってきた音が、今は少し遠くまで抜けてから戻ってくる。
途中でレオナが足を滑らせ、前を歩いていたラウルの肩を掴んだ。
「おい」
「滑った」
「分かる」
「ありがとう」
「次は壁を掴め」
そのままさらに下っていく。
やがて先頭の灯りが、急に遠くまで伸びた。
通路の先に広い空間がある。
カヤが足を止め、続いてラウルが片手を上げた。
全員が止まる。
広い部屋だった。天井も高く、太い柱が何本か並んでいる。
その向こうに、大きな黒い塊があった。
最初は石に見えたが、よく見ると、ゆっくり上下している。
呼吸していた。
フィンが灯りを少し上げる。
最初に見えたのは、異様に太い前脚だった。後脚よりずっと長く、丸めた身体の前半だけが不自然に大きい。肩は高く盛り上がり、その間へ短い首と頭が埋まっている。
背には黒い板のような皮膚が何枚も重なっていたが、腹のあたりは妙に滑らかだった。
どこが、とは言えない。
ただ、身体の形が少し噛み合っていない。
「……魔獣」
カヤが囁いた。
丸まっていても大きい。レオナたちが通ってきた道より、胴の方が明らかに太かった。
ラウルは一瞬だけ様子を見ると、剣には手をかけず、後ろへ手を伸ばした。
戻る。
誰も声を出さず、その合図に従って一歩ずつ下がる。
ところが途中で、カヤだけが止まった。
ラウルが振り返る。
カヤは魔獣を見たあと、自分たちが入ってきた通路へ視線を移し、もう一度魔獣を見た。
「……ラウル」
「何だ」
「あれ」
声が小さい。
「ここ、通れないよね」
ラウルも通路と、丸まった魔獣を見比べた。
フィンが灯りを天井へ向ける。
穴はない。
壁にも、大きく崩れた跡は見えなかった。
レオナは、まだ眠っている魔獣を見る。
「じゃあ」
誰に聞くでもなく言った。
「どうやってここに来たの?」




