第49話 壊れる剣
ドルンの石壁が見えてくると、その手前から荷車の列が始まっていた。鉱石を積んだもの、木箱を何段にも重ねたもの、空の樽を括りつけたものが山へ続く道を行き交い、その向こうでは、壁の内側から何本もの煙が上がっている。
前に来た時は、屋根ばかり見ていた。今日は、その下を歩く人たちが目に入った。
街へ入ると、鍛冶屋や武器屋の間に、縄や灯り、革袋、保存食を扱う店が並んでいる。店先に吊られた先端の曲がった金具をレオナが見ていると、カヤが足を止めた。
「それ、崖とか遺跡で縄を掛けるやつ」
「こんなのも売るようになったんだ」
「この辺、遺跡多いからね。ドルンが大きくなった理由の一つだって」
百五十年前には、家も道もこれほどなかった。山の近くに鍛冶場があり、そのそばに人が暮らしていた。今は見覚えのある山肌を探さなければ、同じ場所だったことさえ分からない。
向こうから、大きな木箱を抱えた二人のドワーフが歩いてきた。
二人とも前が見えにくいほどの箱を両腕で支えている。その少し先を、人間の男が何も持たずに歩いていた。
「もう少し急いでくれ。昼までにあと三つある」
ドワーフたちは何も言わなかった。一人がずれた箱を抱え直し、そのままレオナたちの脇を通り過ぎていく。
レオナは振り返った。
通りの反対側では、人間の男が客と何かの値段を話していた。その後ろで、別のドワーフが鉱石の袋を荷車から降ろしている。
「……ドワーフ、少ないね」
「この辺にはあんまりいないね。工房の多い方へ行けば増えるけど」
「歴史書に、人間がこっちまで広がったって書いてた」
ラウルが頷いた。
「森でも聞いた。ドワーフも土地を取られたって」
木箱を抱えた二人は、もう人混みに紛れていた。
レオナは、二人の消えた方をしばらく見ていた。
***
大通りを外れるにつれて建物は古くなり、黒ずんだ石壁や低い入口が増えていった。金属を打つ音も近くなり、道の両側に開いた工房では、炉の前で何人ものドワーフが働いている。
「あ、いた」
「だからいるって言ったでしょ」
カヤが笑う。
さらに奥へ入ると、人間とドワーフが一緒に働いている工房も増えた。金属板を二人で運ぶ者、焼けた鉄を炉から引き出す者、店先まで出て客と話しているドワーフもいる。
やがてラウルが、一軒の大きな工房の前で足を止めた。
「ここだ」
中にはいくつもの炉が並び、壁には剣や防具に混じって、曲がった棒やひびの入った金属板、中央から割れた部品まで掛けられていた。
レオナは入口近くの折れた剣へ顔を寄せる。
「これ、壊れてる」
「試験品じゃないですか?」
フィンが隣から覗く。
レオナは別の部品へ目を移したところで、ラウルに「先に挨拶しろ」と言われ、ようやく奥を向いた。
「レオナさんですね」
出てきた男は、槌ではなく帳面を持っていた。四十を少し越えたくらいに見える。職人たちと違って袖に煤はほとんどなく、腰にも工具は下がっていない。
「マルクと申します。この工房を預かっています。来ていただけると聞いて、朝から皆さん落ち着かなくて」
レオナは帳面を見る。
「職人じゃないんだ」
「材料を買い、できたものを売る方です。皆さんが打っている間に、私は帳面を埋めています」
マルクは笑った。
「この工房を作ったギドは職人だったらしいのですが、私はどうもそちらの才能がなくて。何代か続けば、そういう者も出ます」
「ギドの子孫なんだ」
「そういうことになりますね。槌より帳面の方が性に合っています」
レオナは工房の中へ視線を移した。
「ここ、ドワーフ多いね」
「昔からですよ。腕のいい方には、人間でもドワーフでも働いていただいています」
近くで金具を削っていたドワーフが、手元を見たまま口を挟んだ。
「その割に、俺たちの給金は人間より安いけどな」
「またそのお話ですか」
「事実だろ」
「現金でお渡ししている額なら、そうですね」
「まあ、部屋は用意してくれるし、飯も出る。こっちに出てきた時は助かったけどな」
「そうでしょう?」
「そこで得意そうにするな」
ドワーフが笑う。
レオナは二人を見た。
「人間とは違うんだ」
「同じ額にすれば、雇う人数を減らすことになります。材料も炉も、その給金とは別に要りますから」
ドワーフは肩をすくめたが、それ以上は言わなかった。マルクも笑ったまま、奥へ歩き始める。
***
工房の奥へ進むほど、完成した品よりも壊れたものが多くなっていった。曲がった刃、割れた留め具、黒く焼けた魔石。何に使ったのか分からない金属の輪や、途中まで組まれた装具もある。
「ずいぶん作ったね」
「百年以上続けていますから」
「そんなに作ったら、お金なくなりそう」
「なくなりますよ。ですから、ギルドから研究費をいただいています」
マルクは棚から帳面を取り出した。
「昔の探索者が、遺跡で得た利益の一部を残したそうです。後の探索と装備の改良に使うように、と」
頁を何枚かめくる。
「古い記録ですと、ヴァン。それから、エド」
「一緒に山へ行った二人だよ」
レオナは帳面へ身を寄せた。名前の隣には、持ち帰った鉱石と、その売り上げが書かれていた。
マルクが次の頁を開く。知らない名前に変わっても、同じ欄が続いている。
「まだ残ってるんだ」
「今はギルドが管理していますが、仕組みは残っています」
「聖剣も、これで作ってるんだね」
「先に測らせてください。使う材料を決めるにも、それが必要です。打ち方は職人に聞いていただくのが一番でしょう」
横でフィンが小さく頷いた。
レオナが見る。
「嬉しそう」
「気のせいです」
***
測定設備は工房のさらに奥にあり、壁一面に大小の魔石が並んでいた。それぞれが金属の板や留め具で何列にもつながれ、以前ロイのところで見たものより、ずっと大がかりになっている。
「多い」
「昔の機械と一緒にするなよ」
設備を担当しているドワーフは、最初から自信があった。
「記録は残ってる。お前を測ろうとして、ろくに数字が取れなかったってな」
「そうだった」
「今回は数字を取る。そのために作り直した機械だ」
レオナは言われた通り金属板へ手を置いた。
「全力はいらん。身体に返ってこないくらいで、同じ強さを維持しろ。まず流れる速さを見る」
レオナが魔力を流した。
最初の魔石が光り、その光がすぐ隣の魔石へ移る。針が大きく跳ね上がり、高い位置で止まった。
担当のドワーフは目盛りを追い、紙へ数字を書き込む。
「よし。取れた」
「今度は測れたんだ」
「ああ」
フィンは書かれた数字へ顔を近づけ、もう一度目盛りを見た。
「これ、今の出力ですよね?」
「そうだ」
フィンがレオナを見る。
「身体は?」
「何もないよ」
フィンは数字を見たまま動かなかった。
担当のドワーフはそのまま続ける。
「次は容量だ」
魔石は一列ずつ光を増していった。
十分ほど経つ。
フィンは何度かレオナと目盛りを見比べた。
「まだ同じ出力ですか?」
「うん」
それきり黙った。
二十分を過ぎる頃には、壁の大半が青白く光っていた。
「普通なら、何人かで交代して数日だ」
「そんなにかかるんだ」
レオナは壁を見上げた。
三十分近く経った頃、最後の列まで光が届いた。
「止めろ」
レオナが魔力を切る。
部屋の中には、満たされた魔石の光だけが残った。
「まだ出るか?」
「うん」
「疲れた?」
「全然」
フィンは最後の列まで光った魔石を見上げた。
担当のドワーフは石を一つずつ確認していく。
「容量は駄目だな。受け皿が足りん」
「また測れなかった」
「容量はな。速さは取れた」
紙に書いた数字を指で叩く。
「足りなかったなら、次は増やせばいい」
フィンがようやく口を開いた。
「もっと増やすんですか?」
「足りんと分かったんだ。次に何をするかは決まっただろ」
フィンは壁一面の魔石を見て、また黙った。
***
試験場では、一本の剣を抱えたドワーフが待っていた。
幅の広すぎない長剣で、目立った飾りはない。鍔の近くにいくつか魔石が埋め込まれ、そこから細い金属が刃へ伸びている。
「これが聖剣か」
「そうだ」
レオナはしばらく眺めた。
「普通だね」
「何がだ」
「もっとすごい見た目だと思ってた」
「飾れば丈夫になるなら、いくらでも飾る」
少し離れたところから声が飛んだ。
「そいつのは飾っても駄目だぞ。継ぎ目が弱い」
「お前のはまだ完成もしてねえだろ」
「完成したらそれより持つ」
「作ってから言え」
レオナは周囲を見る。
「何本も作ってるんだ」
「試してるのはな。最後まで残ったのが聖剣だ」
「俺のだ」
剣を持ったドワーフが即答し、周囲から笑い声が上がった。
レオナが受け取った剣は、思ったより重かった。
「さっき測ったくらいから入れろ」
「うん」
魔力を流す。
鍔の魔石が光り、そこから刃へ薄い光が伸びた。しばらく待っても何も起きない。
「身体は?」
エリナが聞く。
「何もない」
「当たり前だ」
作ったドワーフが腕を組む。
レオナは少しずつ力を増やした。刃の光が強くなる。
まだ持つ。
さらに一段上げたところで、腕の奥へ弱い重さが返ってきた。
乾いた音がした。
光の走る刃、その鍔の少し上に一本の黒い線が生まれ、斜めに伸びた。レオナはすぐに魔力を止める。
「壊れた」
作ったドワーフだけが黙った。
周囲の職人たちは一拍遅れて一斉に寄ってきた。
「そこか」
「だから言っただろ」
「見せろ」
「うるせえ」
剣はすぐに職人たちの真ん中へ消えた。亀裂を見る者、魔石を確かめる者、刃を横から覗き込む者が、それぞれ勝手に口を出している。
「嬉しそう」
レオナが言うと、一人が顔を上げた。
「俺のじゃないからな」
「お前は黙ってろ」
別の職人が亀裂を指でなぞった。
「ここまで持ったなら次は直せる。中も見せろ」
「そこを厚くしたら重くなるぞ」
「また折れるよりいいだろ」
「持てても振れなきゃ困る」
作った本人が、横から伸びた手を払った。剣を持ち直し、亀裂の両側にある金属の線を見比べる。
「折れたところを全部厚くするとは言ってねえ。力がどこに掛かったか、まず中を見る」
金属の線を爪でたどると、亀裂の手前で指が止まった。別の職人が灯りを寄せる。
フィンはその様子を見ていたが、ふと測定室の方を振り返った。
「今、壊れた時の出力も測れますよね」
測定担当のドワーフがすぐに頷いた。
「もう一回、同じくらい出せるか?」
「たぶん」
レオナは測定器へ手を置き、少しずつ出力を上げる。腕へ同じ弱い重さが返ったところで止めた。
「これくらい」
「そのまま」
針が上がる。
「取れた」
紙へ数字が書かれると、職人たちが一斉に覗き込んだ。
「次はこれを越えりゃいい」
「俺のなら越える」
「まだ言ってんのか」
フィンも数字を見た。
しばらくして、レオナへ顔を向ける。
「今ので、全力のどのくらいなんです?」
レオナは右手を握ってから、ゆっくり開いた。
「……一くらい?」
職人たちの声が止まった。
もう少し考える。
「二までは出してないと思う」
フィンの顔から表情が消えた。
「……さっきのが、二にも届いてない?」
「うん」
聖剣を作ったドワーフが壊れた剣を見る。
「今ので割れたんだぞ」
「うん」
「それで一なら、全部で十か」
「たぶん」
誰も動かなかった。
さっきまで奪い合うように覗き込んでいた壊れた剣にも、しばらく誰も手を伸ばさない。
フィンは、先ほど三十分かけて満たした魔石の列を見る。それから、壊れた剣へ視線を戻した。
「……あれでも、まだ全然だったんだ」
沈黙の中で、一人のドワーフが口を開いた。
「……でも、二までなら俺の方が持つ」
「お前まだ言うのか」
「持つ」
「作ってから言え」
「作るよ」
止まっていた工房が、また一気に騒がしくなった。
***
測定結果と壊れた剣を持って表へ戻ると、マルクは帳面を広げていた。
「終わりましたか?」
「壊れた」
レオナが言う。
「十のうち二も出してねえ」
職人の一人が続けると、マルクの手が止まった。
「それはまた」
測定結果を受け取り、数字を見る。
「これなら次の研究費はお願いしやすそうですね」
「まずそこかよ」
「大事ですよ。測定設備も増やすのでしょう?」
「増やす」
「剣も?」
「作る」
「でしたら、お金が要ります」
マルクは帳面へ数字を書き足した。
「設備も増やせますし、職人ももう少し雇えますね」
「また立派なこと言ってる」
「本当のことですよ」
マルクは計算を続ける。
「まあ、工房にも少しくらい残れば助かりますが」
「そこが本音か」
「そこも、ですよ」
レオナは壊れた剣を持つ職人を見る。
「できたら呼んで」
「また壊す気か」
「今度は壊れないかもしれない」
「そういうのを作るんだよ」
レオナは笑った。




