第48話 女神の奇跡
翌朝、レオナがギルドへ行くと、カヤは何冊かの記録を机に積んでいた。
「昨日、古い記録を見てて思ったんだけど。レオナ、なんで生き返るかは分かってる?」
「分かんない。ロイも分かんないって言ってた」
隣でフィンが顔を上げた。
「……彼にも、ですか」
「前に、エルフのところで調べたよ。ずっと同じ姿だった女の人の記録があった。でも、死んで戻ったのかは残ってなかった」
「それを見たのって、百五十年前でしょ」
カヤは積んだ本の一冊を引き寄せた。
「そのあとの記録なら、私たちの方で探せるかもしれない」
「今なら、続きがある?」
「あるかもしれない」
「見たい」
「多いぞ」
向かいのラウルが、本の山を見た。
「まだ増えるかも」
「増やすな」
「必要なのだけ見るって」
「お前の必要は広すぎる」
カヤは聞かなかったことにして、一冊を開いた。
レオナも本へ手を伸ばしかけたが、エリナに呼ばれた。
「今日は教会へ来ませんか。私が習ったところも、見てもらいたいです。今の身体を、一度診てもらいましょう」
「私、普通だと思うけど」
「普通なら、それも一つ分かります」
フィンも立ち上がった。
「私も行きます。昔の方法で分からなかったなら、今の方法で調べてみましょう」
「うん。じゃあ、あとで合わせよう」
レオナが言うと、カヤは開いた本の端へ紐を挟んだ。
***
教会へ向かう道には、朝から人が多かった。
露店の並ぶ通りを抜け、石造りの建物が増えてくると、その向こうに細い塔が見えてきた。
レオナは歩きながら、しばらく塔を眺めていた。
「教会って、いつからあるの?」
隣を歩いていたエリナが少し考える。
「元になる集まりは、もっと前からあったそうです。女神様を信じる人や、治療をする人たちが各地にいたって。今みたいに各地に教会があって、同じように治療師を育てるようになったのは、何十年か前だと習いました」
「じゃあ、今の形になったのは私がいなかった間か」
「そうですね」
エリナも塔へ目を向けた。
「女神様自身も、一つの場所に留まらず、いろいろな土地へ行って人を助けたそうです。教会では、怪我や病気を治したり、薬を伝えたりして、その教えを広めているんです」
「それを教会が続けてるのか」
「そういうことです」
ちょうど向こうから、大きな鞄を背負った二人組が歩いてきた。胸元には、杖と薬草を組み合わせた印がついている。
二人はエリナを見ると、軽く頭を下げた。
「あの人たちも治療師?」
「はい」
鞄の脇には包帯の包みが括られ、歩くたびに中で瓶が触れ合う音がした。
「町の外まで行くんだね」
「村を回る人も、隊商や軍についていく人もいます。私のように、冒険者になる人も」
レオナがエリナの鞄へ目をやると、エリナは少し笑った。
「私は、治療が必要なところへ行くのも、外を見るのも楽しみだったんです。だから冒険者になりました」
「へえ」
「そんなに意外ですか?」
「エリナ、自分のことあんまり話さないから」
「聞いてくださったら話しますよ。外の話は、私も好きです」
「そっか」
少し歩いてから、レオナはまた口を開いた。
「エリナは女神を信じてる?」
「信じていますよ」
「会ったことないのに?」
「教わった治療をしていると、本当に効くんです。女神様のお話も、その治し方と一緒に教わりました。私には、それが信じる理由になっています」
レオナは少し考える。
「エリナは女神が好き?」
「好き、ですか」
エリナが困ったように笑った。
「そういうふうに考えたことはありませんね」
少し前を歩いていたフィンが振り返る。
「その答えを聞くには、好きかどうかより、エリナ自身の話を聞いた方がよさそうですね」
レオナは今度はフィンを見る。
「フィンは信じてる?」
「私ですか?」
「うん」
「分かりません」
「信じてないわけでもない?」
「知らないまま、信じていないとも言えません。私は、そこを決めるほど調べていないんです」
「エリナとは違うか」
「全然違いますよ」
エリナが笑った。
その先に、教会の門が見えてきた。
***
治療所には、朝から人が並んでいた。
腕を吊った男の隣で老人が咳をし、その向こうでは、膝を擦りむいた子供が傷を洗われている。
入口近くでは、若い治療師が薬瓶と包帯を大きな鞄へ詰めていた。道ですれ違った二人と同じ、杖と薬草の印が胸元についている。
壁にも同じ印が掲げられ、その下には短い言葉が刻まれていた。
――癒やしの手を、届かぬ場所へ。
「さっきの話、そのままだね」
「そうですね」
エリナはそれだけ答え、入口の鞄へ目を留めた。
「瓶の間にも、布を挟んでおいた方がいいですよ。歩くと当たりますから」
声をかけると、治療師は鞄を見直し、包帯を詰め替えた。エリナはそれを見届けてから、奥にいた治療師へ声をかけた。
白髪の混じった女が振り返り、エリナを見ると目を細める。
「久しぶりですね」
「お久しぶりです」
「今日は怪我人?」
「怪我ではないんですけど、少し診ていただきたい人がいて」
治療師の視線がレオナへ移った。
「どこか悪いんですか?」
「悪くないよ」
「では?」
「少し変わった事情があるんです」
エリナが答えた。
***
「百五十年前にも、同じ姿だったんですか?」
事情を聞き終えた治療師は、改めてレオナの顔を見た。
「うん」
「その間は?」
「いなかった」
「いなかった?」
「一回死んでるから」
治療師の表情が止まる。
フィンが横から補った。
「本人の認識では、死亡したあと長い年月を経て戻っています。百五十年前にも、レオナと思われる人物の記録が残っています」
「……そうですか」
治療師はもう一度レオナを見てから、診察を始めた。
脈を取り、目や喉を確かめる。腕や脚を動かしたあと、最後に弱い治癒魔法を流した。エリナも反対側から手を添え、少しして離れる。
治療師はレオナから手を離した。
「分かる範囲では、特に変わったところはありませんね」
「普通?」
「普通に見える、です」
フィンが言った。
「またそれだ」
「見つからなかったことと、ないことは別です」
「細かい」
「必要です」
治療師が少し笑った。
「傷があれば、治る過程も確認できますが」
「じゃあ、切ろう」
「駄目です」
エリナの返事は早かった。
「少しだけ」
「駄目です」
「治せるよ」
「それでもです」
レオナはエリナを見てから、腕を引っ込めた。
「分かった」
治療師が道具を片づけ始める。
レオナはその様子をしばらく見ていた。
「そういえば」
「はい?」
「女神も、ずっと同じ姿だったの?」
治療師の手が止まった。
「同じ姿?」
「エリナから、いろんなところに行ってたって聞いたから」
「ああ」
治療師は少し考える。
「そうですね。何十年も離れた記録に、同じお姿で現れたと書かれていることがあります」
「一度じゃないんだ」
「はい。もっと長く間が空いているものもありますよ」
レオナは黙った。
「……前に見た人と、同じかもしれない」
「前に?」
「エルフのところで、ずっと姿が変わらない女の人の記録を見た。あとで女神って呼ばれたのかもしれないって聞いた」
「エルフにも残っているんですか?」
「うん。でも、そっちだと怒られてたのもあったよ」
「……怒られていた?」
「川の流れ、勝手に変えてた」
「女神様が?」
「たぶん、その人。書いた人、すごく怒ってた」
治療師が黙った。
エリナも目を瞬く。
「私は、それは聞いたことがありません」
「教会にはない?」
「少なくとも、私は知りません」
治療師は少し考えてから立ち上がった。
「教本を持ってきます」
戻ってきた時には、厚い本を抱えていた。
「治療師が最初に読むものです。女神様についての古い伝承も載っています」
レオナは開かれた頁を何枚かめくった。
書かれているのは、道中でエリナから聞いた話とほとんど同じだった。
「川の話はないね」
「ありません」
「怒られてるのも見当たらない」
「ありませんね」
「エルフのと、ちょっと違う」
そのまま頁をめくっていく。
何頁か進んだところで、レオナの指が止まった。
「あ」
「どうしました?」
「これ、知らない」
そこに載っていたのは、レオナが以前見た記録より後の時代だった。
ある町へ現れた、姿の変わらない女。
病人を治し、しばらくして姿を消したとある。
レオナは前の頁と年代を比べ、さらに先をめくった。何頁か進んだところで、また手が止まる。
「またいる」
フィンが横から覗き込む。
最初に見つけた記録から、さらに何十年も後だった。
「かなり離れていますね」
レオナは前の頁へ戻り、それからもう一度、後の記録を見る。
「私が見たのより、ずっとあとまでいる」
指で年代をなぞる。
「同じ人なのかな」
治療師はしばらく本を見ていた。
「……私は、少し変な感じがしますね」
レオナも本を見る。
「女神が、昔は普通に歩いてた人みたいだから?」
「……ええ。そんな感じです」
「でも、昔の記録には女って書いてたよ」
「その時には、女神様だと知られていなかったのかもしれません」
「それなら分かる」
レオナはまた本へ目を戻した。
隣にいたエリナも、しばらく同じ頁を見ていた。
「……同じ方、なのかもしれませんね」
フィンが治療師へ聞く。
「記録は、ずっと続いているわけではないんですよね?」
「ええ。何十年も何も残っていない時期があります」
「百年近く空くことも?」
治療師が頁を探し、一か所を指した。
「ありますね」
レオナもそこを見る。
「その間は分からない、と」
「そうですね」
レオナはもう少し頁を追った。
「死んだ記録もない」
「そのような記録はありません」
レオナは少し考えた。
「私と同じかは、まだ分かんないね」
「はい」
フィンが答えた。
レオナは、もう一度後の時代の頁を開いた。
***
ギルドへ戻ると、ラウルとカヤはすでに待っていた。
机の上には、朝にはなかった紙が何枚か増えている。
「どうだった?」
「身体は普通だった」
「普通に見えただけです」
フィンがすぐ訂正する。
「まだ言ってる」
「言いますよ」
レオナが椅子へ座ると、カヤが少し身を乗り出した。
「続き、あった?」
「私が見たより後にもいた。同じ人かは分かんないけど、そうかもしれない」
「そっか」
カヤは自分たちの紙を一枚引き寄せた。
「こっちはレオナのこと自体は分からなかった。でも、ロイさんが言ってたドルンの工房で気になるものを見つけた」
「ああ。ギドとヴァンの」
「そう。今も残ってるって話はその通りだったんだけど、ずっと二つのものを改良し続けてるみたい。一つは魔力測定機」
フィンがすぐに紙を受け取った。
「測定機?」
「測れる上限を、何代もかけて上げ続けてる」
フィンは並んだ数字を追った。
「百五十年前に比べれば、測定技術そのものはかなり進んでいるはずです」
レオナが横から覗き込む。
「今なら、私も測れるかな」
「それは分かりません。レオナを測り切れるかどうかは別ですが、試してみる価値はあります」
「やりたい」
「私もです」
カヤが笑った。
「フィン、そこには食いつくね」
「当然です」
「それともう一つ。高い魔力を流しても壊れないように、ずっと改良されてる剣がある」
レオナが顔を上げる。
カヤは少し間を置いた。
「聖剣って呼ばれてる」
「聖剣……」
レオナの目が変わった。
「そっち?」
「見たい」
「測定機は?」
「それも見たい」
「どっちから?」
「聖剣」
フィンが顔を上げる。
「測定機でしょう」
「聖剣だよ」
「名前ですよ」
「かっこいい」
エリナが笑った。
ラウルは椅子から立ち上がる。
「同じ工房なんだろ。両方見ればいい」
「明日行こう」
「ああ」
「行く」
フィンはもう測定機の資料へ視線を戻している。
レオナは机に残った紙を覗き込み、そこに書かれた文字をもう一度読んだ。
「聖剣か」
少し笑った。




