第44話 また来る?
森へ入ってしばらくすると、昔通った道がどれなのか、レオナには分からなくなった。
木々は以前より太くなったようにも見え、ところどころには人が歩いて固めた細い道もある。ただ、それが百五十年の間にできたものなのか、以前からあって自分が知らなかっただけなのかまでは分からない。
先を歩いていたロイが、ふいに足を止めた。
前方の木陰から、二人のエルフが姿を現す。
「そこで止まって」
ロイが従ったので、レオナもその隣に並んだ。
一人がレオナを見てから、ロイへ視線を移す。
「何の用?」
「ネラに会いに来ました」
「その人間は?」
「レオナです」
二人のエルフが、同時にレオナを見た。
「……レオナ?」
「百五十年前、この里へ来たレオナです」
「私だよ」
レオナがそう言うと、二人は顔を見合わせた。
一人が改めてレオナの顔を確かめる。
「ここで待ってて」
そう言って、森の奥へ消えていった。
残った一人は、ときどきレオナへ目を向けるものの、それ以上話しかけてはこない。
以前ここへ来た時には、こんなところで止められた覚えはなかった。
「前もこんなだった?」
「いいえ」
「人間だから?」
「それもあります。普通の人間なら、たぶんここまで来られていません」
レオナは隣を見る。
「じゃあ、ロイならいいの?」
ロイは少し考えた。
「……昔なら、もう少し」
「そっか」
それ以上は聞かなかった。
しばらくして、先ほどのエルフが戻ってくる。
「ネラが会うって。入っていいよ」
「ロイも?」
わずかに間があった。
「……一緒でいい」
「よかったです」
ロイはいつもの調子で答え、森の奥へ歩き出した。
レオナもそのあとを追った。
***
里は、残っていた。
家の数も道の位置も変わっていたが、木々の間に建物があり、軒先には薬草が吊られ、どこかから水の流れる音が聞こえてくる。
以前にはなかった大きな建物もあった。開け放たれた戸口から寝台が並んでいるのが見え、その前を薬や布を抱えた者が行き来している。
「レオナ」
声がして、振り向いた。
「……ネラ」
髪はずっと白くなり、背中も少し曲がっている。それでも、こちらを見る目は覚えているものと変わらなかった。
ネラも、しばらくレオナの顔を眺めていた。
「本当に変わらないね、あんた」
「ネラは変わったね」
「百五十年経ってるんだよ」
「そうだった」
「そうだった、じゃないよ」
レオナが笑うと、ネラもわずかに口元を緩めた。
その視線が、レオナの後ろへ移る。
「……あんたも来たのかい」
「ええ」
「そう」
ロイも、それ以上は何も言わなかった。
レオナは里を見回した。
覚えている顔は、見つからなかった。
「リセは?」
ネラが黙った。
「……死んだよ」
「どうして?」
「戦争で」
レオナは少しの間、言葉が出なかった。
「……いつ頃?」
「始まってすぐじゃないよ。何年も続いたあとだ」
「……そう」
森を出る時のことを思い出した。
『また来る?』
『まだ見たいものあるから』
「……来たかったんだけどな」
ネラは少しだけ目を細めた。
「知ってるよ」
***
ネラの家へ入ると、薬草の混じった匂いがした。
棚や道具はずいぶん変わっているのに、その匂いだけは覚えている。
「そうだ」
ネラが棚を開けながら言った。
「ロイから手紙はもらったかい?」
「うん。ニナの」
「読んだ?」
「読んだよ」
「ならよかった」
ネラは棚の奥から布に包まれたものを取り出した。
「こっちに預けられた方だよ。中身は同じだから、あんたにやる」
「同じなら、ネラが持ってて」
「なんで私が持ってるんだい」
「私、また死んでなくすかもしれないし」
ネラが顔をしかめた。
「縁起でもないこと言うんじゃないよ」
「でも前も死んだし」
「分かってるよ。そういうことじゃない」
レオナは口を閉じた。
ネラは呆れたように息を吐くと、包みを棚の奥へ戻した。
「じゃあ、もうしばらく預かっとくよ」
「うん」
***
「本には、エルフが先に人を襲ったって書いてあるのもあった」
レオナが言うと、薬草を選り分けていたネラは、手を動かしたまま答えた。
「そういうこともあったよ」
「本当なんだ」
「森に入ってきた人間を追い返した。怪我したのも、死んだのもいたよ」
「そのあと兵が来た?」
ネラが顔を上げた。
「ずいぶん読んできたみたいだね」
「四日くらい」
「よく読んだね」
「でも、よく分からなかった」
「そうだろうね」
ネラはまた手元へ目を戻した。
レオナは窓の外を見る。里へ入る時に見た大きな建物が、木々の間に見えていた。
「あれ、前はなかったよね?」
「ああ。戦争の時に広げたんだよ。怪我人を置く場所が足りなくてね」
「捕まったエルフもいた?」
「いたよ」
「治し方とか、薬の作り方とか聞かれた? 女神の話も」
ネラが顔を上げた。
「……なんでそこまで知ってる?」
「本で読んだ」
「そうかい」
「本当?」
「ああ。戻ってきたのもいる。戻らなかったのもね」
レオナは頷いた。
「本には、リードは戦争に加わらなかったって書いてあった」
ネラの視線がロイへ移った。
「そうだよ。この子は兵を出さなかった」
「ええ」
「あんたはずっと人間のところにいた。いろんなことも教えた。それで、こっちが攻められた時にも兵を出さなかった」
「……ええ」
「間違ってたとは言わないよ」
ネラは少し黙った。
「でもね、若いやつもずいぶん死んだんだ」
ロイは何も言わなかった。
「分かってても、腹は立つよ」
「……ええ」
それで、二人の会話は途切れた。
レオナは、史料院で読んだ行を思い出していた。ロイの顔を見たが、彼は薬草を分けるネラの手元へ目を落としていた。
「リセのこと、ほかにも聞いていい?」
ネラの手が止まった。
「……あとでね。まず、これを分けちまおう」
レオナは頷き、机の端へ積まれた薬草をネラの方へ寄せた。
***
少しして、ネラが窓の外へ目を向けた。
「森だけじゃないよ」
「何が?」
「人間に押されたのは、エルフだけじゃないってことさ。山にいた連中も、住んでた場所をずいぶんなくした」
「ドワーフ?」
「ああ」
レオナはドルンを思い出した。
百五十年前にはドワーフばかりだった町が、大きな建物と人で埋まっていた。
「……ドワーフ、あんまりいなかった」
「そういうことさ」
ネラは椅子の背にもたれた。
「戦争のあとからは、森の奥とも前より話すようになったよ」
「ゴブリンとか?」
「ゴブリンも、トロルも。こっちだけじゃ分からないことも増えたからね。人間がどこまで来たとか、どこに道ができたとか」
「そういうの、教えてくれるんだ」
「ああ。最近じゃ、グレイホーンがよく話を持ってくるよ」
レオナが顔を上げた。
「グレイホーン?」
「ああ」
「まだいるの?」
「いるよ」
ネラは当たり前のように答えた。
「あんたと違って、ずっとね」
「会える?」
「たぶんね」
ネラは窓の向こうへ目をやった。
「今のことを知りたいなら、会ってきな」
レオナも、木々の向こうに続く森を見た。




