↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第六章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
43/77

第43話 百五十年

 翌朝、レオナはまだ少し腫れた目でロイの研究室へ来た。


 ニナの手紙は昨夜のうちに封筒へ戻してある。折れないよう荷物の奥へしまい、何度かそこにあるのを確かめてから眠ったが、あまりよくは眠れなかった。


 それでも朝になれば腹は減ったし、顔を洗えば昨日より少しだけ頭も動いた。


 ロイは机の上の紙束から顔を上げた。


「おはようございます」


「おはよう」


 レオナが近くの椅子へ座っても、ロイはそれ以上何も聞かなかった。


 窓の外では、細長い塔の間を人が行き来している。向かいの建物の屋上では、何人かが宙に浮かせた板のようなものを囲んでいた。


 レオナはそれを一度だけ目で追ってから、ロイへ向き直った。


「……百五十年の間に、何があったの?」


 ロイは手にしていた紙を置いた。


「全部ですか?」


「全部は無理でしょ」


「無理ですね」


 あっさり返され、レオナは少し眉を寄せた。


「じゃあ、大事なの」


「それもかなりあります」


「ロイが知ってるやつ」


「もっとあります」


「じゃあどうするの」


 ロイは少し考えてから立ち上がった。


「読んでもらいましょうか」


「何を?」


「百五十年を」


* * *


 案内された建物は、レオナが昔知っていたリードにはなかった。


 研究棟ほど高くはないが横に長く、入口を抜けると紙の匂いがした。壁際には天井近くまで棚が並び、その間を何人もの人が行き来している。机に本を広げる者もいれば、何枚もの紙を見比べながら書き写している者もいた。


 棚には小さな札が取り付けられている。


 土地、都市、研究、戦争、交易、生物、鉱山。


 さらに奥へ行けば、そこから細かく分かれた札がいくつも続いていた。


 レオナは入口で足を止めた。


「ここ、前はなかったよね?」


「ありませんでした」


「いつできたの?」


 ロイは並んだ棚を見た。


「これも、始まりにはニナさんがいます」


 レオナが振り向く。


「外の町や鉱山の記録まで集めろ、なくなる前に写しを取れって。ずいぶん言われましたよ、僕も」


 ロイは少し笑った。


「最初はもっと小さかったんですけどね。百年以上続けているうちに、こうなりました」


 レオナはもう一度、棚を見上げた。


「……全部、本?」


「本だけではありません。手紙もありますし、役所の記録もあります。研究記録、地図、商人の日誌、発掘した碑文の写しなんかも」


「これ、全部読むの?」


「まさか。百五十年分ですよ」


「言ったのロイでしょ。読めって」


「全部とは言ってません」


 奥から一人の女性がやってきて、ロイと短く話したあと、レオナにも軽く頭を下げた。


「話は聞いています。用意してありますよ」


「何を?」


「読んでもらう記録です」


 女性ではなくロイが答えた。


「僕が選びました」


「いつ?」


「昨夜、頼んでおきました」


 レオナはしばらくロイを見る。


「昨日?」


「ええ」


「私、読むって言ってないけど」


「たぶん聞くと思ったので」


 女性が口元を少し緩めたが、ロイは気にした様子もなく奥の机へ向かった。


 そこにはすでに本が積まれていた。厚いものもあれば薄いものもあり、革張りの本の横には、紐で束ねられただけの紙もある。


「まず、あなたが知っていそうな名前のあるものから集めました。その前後の記録も一緒に」


 ロイは本の山を軽く指した。


「あとは、大きく変わった時期のものをいくつか」


「これで?」


「ごく一部です」


 レオナは机の上を見てから、周囲の棚を見渡した。


「……百五十年って長いね」


「長いですよ」


 ロイは一冊を机の手前へ置いた。


「分からないことがあれば呼んでください」


「ロイは?」


「研究室にいます」


「ずっと?」


「たぶん」


「たぶん?」


「別のところへ連れていかれてなければ」


 レオナは首を傾げたが、ロイはもう歩き出していた。


「じゃあ、またあとで」


「うん」


 ロイが行ってしまうと、レオナは一人で椅子へ座った。


 目の前には、百五十年のほんの一部が積まれている。


 一番上の本を取って開き、最初の数行を読んだところで手が止まった。


「……これ」


 少しだけページを戻して、もう一度読む。


 そこには、ハルの名があった。


* * *


 知っている話だった。


 街道沿いの小さな場所だったハルに人が集まり、怪物を避けていた道にも人が通るようになって、やがて周囲に家が増えていく。


 そこに書かれたすべてをレオナが見ていたわけではない。それでも、知っている土地や名前が出てくるたびに、ページをめくる指が止まった。


「ここ、行った」


 誰に言うでもなく呟く。


 次に開いた鉱山の記録には、もっとよく知る名前があった。


 事故のあとに作られた退避の決まり、坑内へ入る人数の記録、異常があったときは作業より撤退を優先すること。その中に、一人の名前が何度も現れる。


「ローデン」


 文字の上に指を置いた。


 その名前は何行か先にもあり、さらに別のページにもあった。


 そこに書かれているのは、レオナが知っていた頃より少し先を生きたローデンだった。自分がいなくなったあとも働き、何度も同じ決まりを守らせ、それが別の鉱山にも広がっていったらしい。


 少し先の山岳調査記録には、エドの名前があった。


 希少鉱石の探索や山道の調査について書かれた記録で、天候や出発時刻、使った縄の数、引き返した場所まで細かく残されている。


 レオナは一か所で指を止めた。


『崩落の恐れあり。近道に見えるが使用せず』


「エドだ」


 思わず声が出た。


 別の日の記録にも、途中まで進みながら天候が崩れたため調査を中止したとある。


 レオナは少しだけ口元を緩めてから、次の資料を取った。


 そこにはギドの名前があった。


 坑夫の腰を支える帯。落石から肩を守る防具。魔石を身体へ固定するための留め具。


 留め具の横には、簡単な図まで添えられている。


「こんなことしてたんだ」


 右脚を引きずっていた姿を思い出す。


 その後の記録では、もう知らない職人がギドの作った留め具を改良し、別の土地でも使うようになっていた。


 読み続けていると、先ほどの女性に声をかけられた。


「お食事はどうしますか?」


「え?」


「もう昼を過ぎていますけど」


 レオナは窓を見た。


 朝に来たはずなのに、窓の外の光はもう昼のものだった。


* * *


 二日目も、レオナは朝から史料院へ行った。


 ロイのところには寄らず、そのまま昨日の机へ向かう。昨日と同じ女性が、残していた本の横へ新たに数冊の本を置いていた。


「これ何?」


「昨日、魔石関係を読まれていたので、関連するものを出しておきました」


「まだ増えるの?」


「ご希望でしたら」


「……とりあえずこれ読む」


 椅子へ座り、本を開く。


 魔石を扱った記録には、知らない言葉がずいぶん増えていた。


 採掘量、規格、輸送、価格、品質。


 それでも途中までは分かる。自分が見た石、自分が入った鉱山、自分がいた頃に始まった研究が、少しずつ姿を変えて続いていた。


 リードの記録へ移ると、今度はロイの名前が何度も出てきた。


 新しい測定法、別の研究者との共同研究、事故、失敗、その後の改良。


「失敗、多い」


 思わず呟くと、隣の机にいた男が顔を上げた。


 レオナは何も言わず、本へ視線を戻す。


 ページを進めてもロイがいる。十数年後にも、そのさらに先にも名前が残っていた。


「ずっといる」


 今度は小さな声で言って、少しだけ笑った。


 そのあと手に取った薄い本には、『剣の使い方』とあった。


 剣の握り方、足の運び、相手の剣だけでなく肩や腰を見ること。必要な瞬間だけ魔力を使い、振った剣は狙ったところで止めること。


 読み進めるうちに、レオナは何度か首を傾げた。


「これ……」


 表紙を戻して、著者の名前を見る。


「ヴァン?」


 もう一度ページを開くと、余白に後から書き足したらしい文字が残っていた。


『レオナは特に力を抜くこと。ニナにも念を押された』


「……分かってるよ」


 レオナは少し笑って、次のページをめくった。


 やがて、ニナの名前も見つけた。


 最初は交易や調査の記録の中だったが、その後の資料では、各地の記録を集め、失われる前に写しを残すよう求めた人物として何度か名前が出てくる。


 レオナは顔を上げた。


 周囲には高い棚が並び、その間を人が歩いている。


 昨日、ロイが言っていた。


 これも、始まりにはニナがいる。


 もう一度ページへ視線を戻すと、そこにもニナの名前があった。


 レオナはその部分だけ読み返してから、次のページへ進んだ。


* * *


 三日目になると、レオナは知っている名前を探しながら読むようになっていた。


 最初の二日間は、見つけるたびに手が止まった。けれど、その名前が少しずつ出てこなくなった。


 ニナがいなくなり、ギドもヴァンも出てこなくなる。


 少し前まで何度も現れていた人たちの代わりに、その子や弟子、後を継いだ者、名前も知らない人間たちがページの中を歩くようになっていた。


 ロイだけは、リードの記録を開けばときどき出てきた。


 数十年前の研究会にも、都市の規則にも、学院設立の記録にも、研究設備の使用を巡る揉め事にも、その名前が残っている。


「……またいる」


 レオナは小さく呟いて、別の本を開いた。


 ハルについて書かれたその本には、知っている名前が一つもなかった。


 かつての町には領主がいて、その次の代があり、さらに次の代が続いている。道が延び、人が増え、周囲の村や土地がハルの支配する範囲として記録されるようになっていた。


 さらに時代の下った本を取ると、表紙にはそれまでとは違う言葉が記されていた。


 レオナは指で文字をなぞる。


「ハル王国……」


 昔の市場を思い出した。


 荷車、積まれた塩、雑多に並んだ品物。


 あそこが、王国になった。


 ページを開けば、知らない王の名前が書かれている。その次も、そのさらに次も知らない。


 次の本にも、知っている名前はなかった。もう一冊開いても同じだった。


 もう、誰も知らなかった。


 レオナはしばらく本を開いたまま座っていた。


 気づけば窓の外は薄暗くなっている。今日何冊読んだのかも分からず、机の端にはまだ手をつけていない本が積まれ、その向こうには到底読み切れそうにない数の記録が棚を埋めていた。


 百五十年。


 ここへ来るまでは、ただの数字だった。


 帰る前に、レオナはハル王国のその後について書かれた本を一冊、机の端へ残した。


* * *


 四日目、最初に開いたのは、昨日残していった本だった。


 ハル王国の領域が広がっていく時期について書かれている。


 街道が延び、新しい鉱山が開かれ、森林が切り開かれていく。前の日に読んだ本の、そのまま続きだった。


 ところが、その先に見覚えのある言葉が出てきた。


 大森林。


 少し姿勢を起こし、そのまま読み進める。


 人の住む地域の拡大、森林内での衝突、交易路への襲撃、境界を巡る争い。


 そして数ページ先に、一つの見出しがあった。


 森林戦争。


 指が止まった。


 その部分を最初から読む。


 王国側の進出、エルフ側からの抵抗、部隊の派遣、戦闘。


 一度読み終えてから、もう一度読み直した。


 近くを通った女性を呼び止める。


「これについて、ほかにもある?」


 女性が本を覗き込んだ。


「森林戦争ですか?」


「うん」


「ありますよ」


「読みたい」


 しばらくすると、本が三冊増えた。


 レオナは順番に開いていった。


 書かれた時期も場所も違う。一冊はハル王国の記録、一冊は国境近くの町に残された記録、もう一冊は交易に関わった人間の日誌だった。


 使われている言葉も少しずつ違っている。


 開拓。


 領域拡張。


 治安確保。


 森林側からの攻撃。


 討伐。


 三冊とも、人間の側から残された記録だった。


 一冊を閉じ、次を開いても、似たような言葉が並んでいた。


 夕方まで読み続けても、全部は分からなかった。


 むしろ、分からないことの方が増えていた。


 最後の本を閉じると、机の上には読み終えたものが積み上がり、その横にはまだ読んでいない本が残っている。


 レオナはしばらくそれを見てから、席を立った。


* * *


 研究室の扉を開けると、ロイは最初に来たときとほとんど同じ場所にいた。


 ただし、机の上だけは前よりひどくなっている。


「ロイ」


 顔を上げた。


「ああ。読み終わりました?」


「全然」


「でしょうね」


 ロイは笑った。


 レオナが笑わなかったので、その表情が少し変わる。


「どうしました?」


 レオナは机の前まで歩いた。


「エルフと、戦争したの?」


 ロイはすぐには答えなかった。


 手にしていた紙を机へ置いてから、レオナを見る。


「……しました」


「人間が森に入ったの?」


「そうです」


「エルフが先に襲ったって書いてあるのもあった」


「そう書かれている記録もあります」


「違うの?」


 ロイは少し考えた。


「一つの記録だけで話せることではありません」


 レオナは黙った。


 何日も本を読んだ。


 それでも、分からない。


「ネラは?」


 ロイがレオナを見る。


「生きていますよ」


 レオナの目が少し大きくなった。


「まだ?」


「ええ」


「会える?」


 今度はロイが少し困った顔をした。


「僕が一緒なら、たぶん」


「たぶん?」


「昔ほど歓迎されないんですよ。僕は」


「どうして――」


 そこまで言って、レオナは口を閉じた。


 百五十年あった。


 ここ数日で、それだけはよく分かった。


「行きたい」


「分かりました」


 ロイが椅子から立ち上がる。


 窓の外では、夕方のリードに昔はなかった灯りがいくつもつき始めていた。


 レオナは荷物の中に入れた手紙を、袋の外から一度だけ確かめた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。