第41話 ロイ
リードへ着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
馬車が門を抜けると、レオナは窓際へ身体を寄せた。道の両側には見覚えのない建物が並び、以前より高くなった石造りの建物の間を、同じ形の鞄を持った若者たちが行き交っている。
広場の端では、男が宙に浮かべた水を細く引き伸ばし、その横では別の女が指先ほどの火をいくつも並べていた。
レオナはしばらくそちらを見た。
「魔法を使う人、たくさんいるね」
向かいにいたフィンが顔を上げる。
「ここはリードですから」
「前は、あんなにいなかった」
「百五十年前なら、そうでしょうね」
レオナはもう一度、窓の外へ目を向けた。
以前来た時にも、妙なことをしている人間はあちこちにいた。石を並べたり、水を動かしたり、何度も同じことを繰り返したりしていたが、今ではそれが町じゅうに広がっているように見える。
けれど、馬車を降りてからレオナが最初に聞いたのは別のことだった。
「ロイはどこ?」
カヤが笑う。
「まずそこなんだ」
「うん」
ギルドから渡された書類を持ったラウルが、通りの先を見る。
「研究区画で聞けば分かるだろ」
四人について歩きながら、レオナは周囲を見回した。以前、研究者たちが使っていた一帯は、もう一つの町のように広がり、建物と建物の間には細い橋が渡され、壁には行き先を示す板が掛かっている。
研究区画、学院、資料棟、治療院。
知らない名前がいくつも増えていた。
そのうちの一つへ入り、ラウルが受付に書類を出す。
「ドルンから、レオナを送り届けに来ました。申し送りのロイさんに会って、署名をいただきたい」
受付の女が書類を見る。
「ロイ先生ですか」
「いる?」
レオナが聞くと、女は一度レオナを見てから、もう一度書類へ目を落とした。
「本日は評議会に出ています」
「研究室じゃないの?」
「はい」
「ロイが?」
女が少し困った顔をした。
フィンが小声で聞く。
「そんなに変ですか?」
「うん」
受付の女が奥へ人を呼びに行っている間、レオナは近くの壁に掛けられた板を眺めた。知らない部屋の名前が何十も並んでいる。
一番下まで読んだところで、廊下の奥から声がした。
「ですから、その件は先月決めたでしょう。僕を呼んでも、答えは変わりませんよ。まだ調べたいものが――」
レオナが顔を上げる。
書類を抱えた男が、もう一人の男と話しながら歩いてきた。
髪も、背丈も、顔も、記憶にあるものとほとんど変わっていない。
「ロイ」
男の足が止まった。
隣の男が何か言ったが、ロイは答えず、しばらくレオナを見ていた。
「……レオナさん」
「うん」
ロイは抱えていた書類を隣の男へ押しつけた。
「これ、お願いします」
「え?」
「百五十年待った急用なので」
男が何か言う前に、ロイはこちらへ歩いてきた。
目の前まで来ると、確かめるようにもう一度レオナを見る。
「本当に戻ってきましたね」
「うん」
「もう少し遅かったら、僕の寿命が先に尽きるところでしたよ」
レオナはロイの顔を見た。
「ロイ、死ぬの?」
「いつかは死にますよ。たぶん」
「そっか」
「そこはもう少し心配してくれてもいいんですが」
少し考えてから、レオナは言った。
「まだ大丈夫そう」
ロイが笑う。
「まあ、そうですね」
その笑い方も、覚えていたものと同じだった。
レオナも少し笑った。
「ロイだ」
「そうですよ」
後ろでカヤが小さく息を吐いた。
「本当に知り合いなんだ」
フィンは何も言わず、二人を交互に見ている。
ラウルが書類を差し出した。
「申し送りの特徴と、古い地図の道が一致しました。その記録もお渡しします。本人は遺跡の北側で見つけました」
ロイはそれを受け取り、一通り目を通してからラウルたちを見る。
「ありがとうございます。あとは僕が引き受けます」
「受領の署名を」
「ああ、はい」
近くの台を借りてロイが書き込むと、ラウルはそれを確認して紙を折った。
「じゃあ、俺たちの仕事はここまでだな」
レオナが四人を見る。
「帰るの?」
「帰るよ。護送依頼だからね」
カヤが答えた。
「そっか」
レオナは少し考えてから言った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
エリナが笑い、カヤは手を振る。
「またね、レオナ」
「うん。またね」
四人が廊下の向こうへ消えるまで、レオナはその背中を見ていた。
「随分、素直に保護されましたね」
隣でロイが言う。
「保護されたみたい」
「自覚なかったんですか」
「歩けるって言ったんだけど」
「そういう意味ではないでしょう」
同じことを言われた。
レオナがロイを見ると、ロイは少し笑っていた。
「とりあえず、場所を変えましょうか」
ロイに連れられて入った部屋は、以前の研究室よりずっと整っていた。棚には本と紙束が並び、壁際には見たことのない器具がいくつも置かれている。
ただ、机の上だけは昔とあまり変わらず、積み上げられた紙の隙間に石や金属片が転がっていた。
レオナはそこを見る。
「片づいてない」
「これでも片づいてます」
「前も言ってた?」
「たぶん言ってましたね」
ロイが椅子を一つ引き、レオナがそこへ座ると、自分も向かいへ腰を下ろした。
廊下の向こうを人が歩いていく音がして、窓の外では誰かが大きな声で学生を呼んでいる。
レオナは机の上に転がった見覚えのない金属片を眺めてから、ロイへ目を戻した。
「ロイ、ずっとここにいたの?」
「だいたいは」
「百五十年?」
「そうなりますね」
ロイは椅子の背にもたれた。
「研究をして、人に教えて、そのうち昔のことを知っている人が僕くらいになりまして」
「それで会議?」
「そういうことです。大変迷惑です」
「嫌なの?」
「僕が研究しなければ、先へ進まないことがあります。会議をしている間にも、そちらが気になるんです」
「前もそうだったね」
「ええ。長く生きているというだけで、昔どうだったかまで聞かれるようになるとは思いませんでした」
レオナは少し笑った。
机の上には、昔にはなかった器具がいくつも並んでいる。レオナがそちらを見ると、ロイも椅子を寄せた。会議の話をしていたときより、ずっと早かった。
レオナは近くにあった金属片へ手を伸ばす。
「触っていい?」
「まだ駄目です」
手が止まる。
「まだ?」
ロイが笑った。
「その返し、変わってませんね」
「あとならいい?」
「それは何のためのものか説明してからにしましょう」
「分かった。じゃあ、あとで」
「あとなんですね」
レオナは手を引っ込めた。
しばらく机の上を眺めてから、ロイを見る。
「ニナは?」
ロイの顔から、少しだけ笑みが消えた。
「……亡くなりました」
レオナは机の上へ目を落とした。
ドルンで百五十年と聞いた時から、答えは分かっていた。
「そっか」
少ししてから聞く。
「長く生きた?」
「ええ。あなたがいなくなった後も、かなり長く」
「そうなんだ」
「忙しい人でしたよ。魔獣を調べ、探索の記録を集めて。最初は記録を置くだけの場所だったのが、あなたをここまで送ったギルドになりました」
レオナが瞬きをする。
「あれを作ったの?」
「ニナさんが作った場所を、そのあとも大勢が使い続けたんです」
レオナは黙って聞いていた。
壁に並んだ紙。机に広げられた地図。受付の奥から出てきた古い記録。
そこには、百五十年前の自分の名前が残っていた。
「あれ、ニナから始まったんだ」
「ええ」
ロイは少し間を置いた。
「あなたが戻ってきても、迷わないようにって。ずっと言ってましたよ」
「ニナが?」
「ええ。次がいつになるか分からないでしょう。だから、自分がいなくなっても分かるようにしておきたいって」
レオナは、古い紙に書かれていた自分の名前を思い出した。
そこから、ここまで来た。
「……迷わなかったよ」
ロイがレオナを見る。
「そうですか」
それだけ言うと、ロイは椅子から立ち上がり、部屋の奥の棚へ向かった。いくつかの箱を越え、一番上の段から細長い箱を下ろしてくる。
「それなら、これもちゃんと届きましたね」
箱を机へ置き、蓋を開ける。
中から取り出したのは、一通の封筒だった。
紙は少し黄ばんでいたが、きれいな状態で残っている。
「あなたに渡すよう、預かっています」
レオナの手が止まった。
「ニナから?」
「ええ。次にあなたが戻ってきたら、渡してほしいと」
ロイから封筒を受け取り、レオナは表を見る。
――レオナへ。
見覚えのある字だった。
レオナは、その文字をしばらく見ていた。




