第40話 レオナという名前
ドルンの冒険者ギルドは、人の出入りが絶えなかった。
壁際には何枚もの紙が並び、その前で腕を組んでいる者がいる。奥の机では地図を広げた二人が話し込み、受付の前には、泥のついた靴のまま順番を待つ者がいた。
ラウルたちの少し後ろで、レオナは立っていた。
「遺跡の北側で見つけた」
受付の男に、ラウルが説明する。
「一人で?」
「ああ。怪我はない。荷物もほとんどなし」
「遭難者では?」
「たぶん違う」
カヤが横から口を挟んだ。
「道の位置まで知ってるんです。今の地図とは違うのに、迷って話してる感じじゃない」
受付の男が眉を寄せ、レオナを見た。
「とりあえず、記録を作ります。名前は?」
「レオナ」
男の手が紙の上を動いた。
「出身は?」
「サナの――」
レオナは口を閉じた。
崩れかけた家と、草に埋もれた道が浮かんだ。
「……ハルのあたり」
「ハル?」
男が顔を上げた。
「うん。そのあたり」
「王都周辺、ということでいいですか?」
「王都?」
男の手が止まる。
隣でフィンが小さく咳払いをした。
「王都の説明はあとにしましょう。見つけた場所を先に確かめれば、古い地図とも比べられます」
「……そうですね」
男は紙に何かを書き足した。
「では、見つかった場所を確認します」
机の上に地図が広げられる。
カヤが指を置いた。
「ここです。この旧遺跡の北側」
レオナも覗き込んだ。
山があり、川がある。
その間を、見覚えのない道が何本も走っていた。
「ここ、道になったんだ」
「なった?」
「前はなかったから」
受付の男がレオナを見る。
カヤが地図へ顔を近づけた。
「遺跡でもそう言ってたね。前の道がどこだったか、ここでも教えて」
「うん」
レオナは少し東を指した。
「道はこっちだった。川沿い」
「そこは今、林ですよ」
「そうなんだ」
カヤが受付を見る。
「その川沿いの道が載ってる地図、ありません? 今のと比べたいんです」
男はしばらく地図を見てから席を立った。
「待っていてください」
戻ってきた時には、手に別の地図を持っていた。
新しいものより紙が厚く、端が茶色く変色している。
カヤがそれを広げた。
「あ」
川沿いに一本の細い線があった。
レオナが指した場所だった。
カヤが黙る。
指で道を辿り、その先を新しい地図と見比べた。
「……同じだ」
ラウルも覗き込む。
「いつの地図だ?」
「かなり古いですね。少なくとも百年以上前です」
フィンがレオナを見る。
レオナは地図から目を離さなかった。
「こっちの方が分かる」
カヤがレオナを見る。
それからもう一度、古い地図へ目を落とした。
受付の男が、先ほど書いた紙へ視線を戻す。
「名前、レオナでしたね」
「うん」
「少し待ってください」
また奥へ消えていった。
その間にも、別の受付では冒険者が何かを報告し、入口から入ってきた男が大きな袋を床へ置いた。壁際では二人組が貼り紙を指して話している。
レオナもそちらを見た。
何枚かの紙には、大きな文字で場所や金額が書かれていた。
しばらく眺めてから、レオナはまた受付へ顔を戻した。
男が古い紙束を抱えて戻ってきた。
「ありました」
「何が?」
ラウルが聞く。
男は紙を机に置き、何枚かめくった。
「レオナ、という名前です」
「私?」
「おそらく」
レオナも横から覗いた。
文字は読めるが、言葉遣いが少し古い。
男が一行を指で追った。
「――レオナを名乗り、記録された特徴と一致する者が現れた場合、身元不明者として拘束せず、まず保護すること」
カヤが身を寄せる。
「続きは?」
「研究都市リードへ連絡。ロイへ知らせること。連絡が取れない場合は、エルフの里のリセ、またはネラへ――」
「ロイ?」
声を出したのはフィンだった。
男が顔を上げる。
フィンは紙へ近づいた。
「ロイって、あのロイですか?」
「リードのロイなら、そうでしょうね」
レオナはその少し下を見ていた。
「リセと、ネラも」
カヤがレオナを見る。
「その人たちも知ってるの?」
「うん」
フィンはロイの名が書かれた行を見たままだった。
「……じゃあ、ロイとも?」
「知ってるよ」
「本当に?」
「うん」
レオナは受付の男を見る。
「ロイ、生きてるの?」
答えたのはフィンだった。
「生きてますよ」
レオナが瞬きをする。
「本当に?」
「今も講義をしています。私も学院で受けました。生きていることは、確かですよ」
「そうなんだ」
レオナは紙へ目を落とした。
「ロイはいるんだ」
受付の男が古い記録を脇へ寄せ、新しい紙を一枚取り出した。
「では、申し送りに従います。リードまでの護送依頼を出しましょう」
ラウルが眉を上げた。
「街道で?」
「普通なら出しません。ただ、今回は申し送りが申し送りですから」
「まあ、そうか」
レオナが顔を上げた。
「護送?」
「はい」
「誰を?」
男がレオナを見る。
「あなたを」
レオナは自分を指した。
「私?」
「そうなります」
「歩けるよ」
カヤが吹き出した。
ラウルが額を押さえる。
「そういう意味じゃない」
受付の男はそのまま紙を書き進めた。
「発見者が引き受けるのが一番早いでしょう。皆さん、これから別の依頼は入っていますか?」
「いや」
「では、お願いできますか。ドルンからリードまで。対象者一名。特記事項あり」
レオナが横から紙を覗く。
「特記事項って?」
男は古い記録を見た。
「百五十年以上前の記録と一致する可能性あり、ですね」
「それ、書くの?」
「必要ですから」
紙がラウルの前へ滑った。
フィンとエリナも横から覗き込む。
カヤが下の方を指した。
「ちゃんと名前ある」
そこには、
――護送対象 レオナ。
と書かれていた。
レオナも見る。
「私だ」
「あなたでしょ」
カヤが笑った。
レオナはさらに下へ目を動かした。
「これ何?」
「報酬」
「誰の?」
「私たちの」
「私を連れていくと、お金もらえるの?」
ラウルが依頼票を手に取った。
「仕事だからな」
「へえ」
受付の男が出発の手続きを説明している横で、カヤはまだ古い紙束を見ていた。
「地図を二枚比べてみたいんです。戻ったら、もう少し調べてもいいですか?」
「閲覧申請を出せば」
「分かりました」
ラウルが依頼票を折る。
「明日の朝でいいか?」
三人が頷き、レオナも「うん」と答えた。
「じゃあ、今日は宿だな」
***
夕食には、焼いた肉と豆の煮込み、それに黒いパンが出た。
レオナは煮込みを一口食べ、もう一口すくった。
「これ、おいしい」
「気に入った?」
向かいに座ったカヤが聞く。
「うん」
「よかった」
カヤも自分の皿へ戻った。
少しして、また顔を上げる。
「ねえ、本当に百五十年前にいたの?」
「いたよ」
「昔を知ってるのは分かった。でも、姿まで変わらないのは、どうして?」
「死んで、また出てきたから」
カヤの手が止まった。
フィンも顔を上げる。
「……死んだ?」
「うん」
「それで今ここにいるの?」
「うん」
カヤはしばらくレオナを眺めた。
「じゃあ、初めてじゃないんだ」
「うん」
「何回死んだの?」
「三回」
「三回?」
カヤの顔がますます楽しそうになる。
「毎回戻ってくるの?」
「今のところは」
「どれくらい経ったら?」
「分からない。毎回違うみたい」
「今回は百五十年?」
「たぶん」
カヤが指を折り始めた。
「じゃあ、次は――」
「カヤ」
ラウルが呼んだ。
「何」
「そのくらいにしておけ」
「だって面白いじゃん」
「本人が聞いてくれと言った話じゃないだろ。まず食わせろ」
「あ」
カヤは少しだけ気まずそうな顔をした。
「ごめん」
「いいよ」
レオナは煮込みを食べた。
フィンはまだ考えていた。
「待ってください」
「うん」
「死んだんですよね」
「うん」
「でも、戻ってきた」
「うん」
フィンは眉間に皺を寄せた。
「それって……死なないってことですか?」
「死ぬよ」
「でも戻る」
「うん」
「じゃあ、死なないんじゃ……」
「死ぬけど」
フィンが黙った。
カヤがまた笑いそうになって、今度は口を押さえた。
ラウルがフィンを見る。
「どうせ考えても分からないだろ」
「無理ですよ」
エリナはレオナを見ていた。
「戻ってきた時、知ってる人はいました?」
レオナの匙が止まった。
「ほとんどいなかった」
エリナは小さく頷き、自分の皿へ目を戻した。
レオナもまた煮込みを食べ始める。
少しして、フィンが口を開いた。
「それで、ロイとはいつ会ったんです?」
「今回死ぬ前」
「百五十年前ですよね」
「私には少し前」
フィンが額を押さえた。
カヤが笑う。
「また止まった」
「いや、だって……」
「ロイに何してもらったの?」
カヤが聞いた。
「魔力を測ってもらった」
フィンが顔を上げる。
「ロイに?」
「うん」
「……あの人に直接?」
「うん」
「どうでした?」
「測れなかった」
フィンは黙った。
今度はカヤが声を出して笑った。
ラウルがため息をつく。
「明日は早いぞ」
「まだ聞きたいことあるのに」
「リードまで時間はある」
「じゃあいいか」
カヤはあっさり引き下がった。
エリナがレオナの皿を見る。
「足りますか?」
「うん。でも、これもう少し食べたい」
「頼みましょうか」
「お願い」
エリナが店員を呼んだ。
フィンはまだ考え込んでいた。
***
翌朝、四人に連れられて宿を出たレオナは、門とは違う方へ歩いていることに気づいた。
大通りの先に、何台もの馬車が並んでいた。
荷を積んでいるものもあれば、屋根の下に長椅子を並べたものもある。
「どれに乗るの?」
カヤが一台を指した。
「あれ。リード行き」
レオナは馬車を見る。
「誰の?」
「誰の?」
「商人とか」
「ああ」
カヤが笑った。
「乗り合い。お金を払えば誰でも乗れるよ」
レオナは並んだ馬車をもう一度見た。
御者の横では、係の男が乗客の荷物を確認している。
「じゃあ、護送って馬車に乗るだけ?」
「だいたいはな」
ラウルが答えた。
「何するの?」
「何も起きなければ、何もしない」
カヤが言う。
ラウルが依頼票を取り出した。
「今回は道中の護衛より、お前をリードまでちゃんと届ける方が仕事だ」
「そうなんだ」
レオナは依頼票を覗いた。
「馬車のお金も出るの?」
「依頼経費だ」
レオナはもう一度、馬車を見た。
カヤが笑う。
「そこ気になるんだ」
「知らないから」
ラウルが人数を確認する。
「対象者はいるな」
「いるよ」
「確認した」
レオナが馬車へ乗り込む。
窓の外には、朝のドルンが広がっていた。荷車が行き交い、遠くから金属を打つ音が響いている。
「やっぱり大きくなったね」
ラウルが後ろから乗り込んでくる。
「前を知ってるんだったな」
「うん」
最後にカヤが乗り、扉が閉じられた。
しばらくして、馬車が動き出す。
レオナは窓の外を流れていく街並みを見た。
道は、そのままリードへ続いていた。




