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あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第六章

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第39話 変わったね

 青い空が見えた。


 レオナは、しばらくそれを見ていた。


「……ニナ?」


 返事はなかった。


 身体を起こす。


 土と草の匂いがした。


 頭上には、大きく開いた空がある。その縁から枝が伸び、葉の隙間を抜けた光が、崩れた石の上へ落ちていた。


「ニナ?」


 もう一度呼ぶ。


 声が岩壁に当たり、少し遅れて返ってきた。


 レオナは立ち上がった。


 周囲には崩れた石壁が残っている。土に半分埋まり、隙間から草が伸びていた。太い根が石を押し分けている場所もある。


 見覚えがあった。


 ここだ。


 自分たちがいた地下遺跡。


 見上げれば、あの日、自分が吹き飛ばした岩盤の向こうに空がある。


「ヴァン? エド?」


 返事はない。


 レオナは足元に光る青黒い欠片を拾った。小さな魔石だった。


 腰へ手をやる。


 細剣がない。


 最後に、自分の手から落ちたところまでは覚えている。


 レオナは穴の底を歩いた。崩れた石の向こうを覗き、壁際まで行く。


 誰もいない。


「ニナ!」


 さっきより大きな声を出した。


「ニナ!」


 何も返ってこなかった。


 レオナは立ち止まる。


 前は二十五年だった。


 その前は、もっと長かった。


 ――次はいつ?


 ――私、次もいる?


「……ニナ」


 その時、頭上から声がした。


「いた!」


 レオナが顔を上げる。


 穴の縁から、一人の女がこちらを覗き込んでいた。


「ほんとに人いる!」


 すぐ後ろから男の声がする。


「カヤ、勝手に降りるな」


「人がいたんだよ。北の跡を見るのは、あの子を見てからでもできるでしょ」


 女はそう言うと、慣れた動きで斜面を降りてきた。身軽そうな服に短い弓を背負い、腰にはいくつもの小袋を下げている。


 その後から三人が続いた。


 先頭の男は剣を持っていた。少し離れて杖を持った若い男、その後ろには大きな鞄を背負った女がいる。


 剣の男はレオナから少し距離を取って止まった。柄には手を置いているが、剣は抜かなかった。


「一人か?」


「うん」


「怪我は?」


「してないと思う」


 答えた途端、鞄を背負った女が前へ出た。


「少しだけ診せてください。自分では気づかない傷もありますから」


 レオナの腕を取り、手のひらや顔を確かめていく。


「痛いところはあります?」


「ない」


「頭は大丈夫ですか?」


「平気」


「吐き気はあります?」


「ない」


「エリナ」


 剣の男が呼んだ。


「どうだ?」


「見える傷はありません。どこから来たのか、聞いてあげてください。こんな場所に一人だったんですから」


「それはこっちも同じだ」


「だから言ったでしょ。絶対なんかあるって」


 最初に降りてきたカヤが口を挟む。


 杖を持った男は周囲を見ながら、「なら北側の調査を、どこまで遅らせる? 今日戻るつもりなら――」と言いかけた。


「フィン」


 剣の男が遮る。


「俺がこの子を見てから決める。北側は待ってくれ」


 フィンは少し眉を寄せたが、すぐに杖を下ろした。


「……分かった。戻る時刻を決めるときは言ってくれ」


「素直じゃん」


「君が言うな」


 レオナは四人を順に見た。


「ここ」


 カヤが振り向く。


「ん?」


「ここ、何ていう場所?」


「北の遺跡だけど」


「北の?」


「ああ。ドルンの北にあるから」


「ドルン?」


 カヤが目を瞬く。


「知らないの?」


 レオナは首を振った。


 フィンが怪訝そうな顔をする。


「ドルンを知らないって……」


「フィン」


 剣の男が止めた。


 レオナは頭上を見た。


「今、いつ?」


「いつ?」


「今」


 カヤは一度笑いかけたが、すぐにやめた。


 剣の男もレオナを見ている。


「その前に、名前を聞いていいか」


「レオナ」


「俺はラウル。こっちがカヤとフィン。そっちがエリナ」


「挨拶は、診終わったらしますね」


 エリナが言った。


 カヤが穴の中を見回す。


「それで、レオナ。『いつ』って何?」


「ここが崩れたの、いつ?」


「ああ、この遺跡?」


「うん」


 カヤは少し考えた。


「最初の大崩落なら……百五十年くらい前じゃなかった?」


 レオナは動かなかった。


「……何年?」


「百五十年くらい」


 フィンが続ける。


「それは最初の崩落の話だね。正確な年は記録で確かめよう。今ここで言えるのは、そのくらい前だということだけだ」


 誰も、すぐには何も言わなかった。


 レオナは頭上を見た。


 穴の縁に木が生えている。幹は太く、岩の裂け目へ根を伸ばしていた。


 壁の途中には石段が作られ、錆びた金具が打ち込まれている。その脇を蔓が覆っていた。


「百五十年……」


 ニナの顔が浮かんだ。


 泣いていた。


 最後まで手を握っていた。


 ――私、次もいる?


 レオナはその場にしゃがみ込んだ。


「レオナ?」


 エリナがすぐ横へ来る。


「気分悪いですか?」


 レオナは首を振った。


「……ニナは?」


「ニナですか?」


 エリナが聞き返す。


「一緒にいた人」


 カヤがすぐに近づいた。


「ニナって名前? 名字は?」


「名字?」


「家ごとにある名前。親から子に継ぐやつ」


「……家には名前なかった」


「じゃあ、どこに住んでた? ギルドは? 年は? 仕事は?」


「ギルド?」


「所属。冒険者なら――」


「カヤ」


 エリナが言った。


 カヤが口を閉じる。


「今はやめましょう」


「……ごめん」


 レオナは首を振った。


 少しして、口を開く。


「ニナは、魔獣を見てた」


 カヤが顔を上げる。


「魔獣?」


「うん。ずっと見て、書いてた。何してるのか、ずっと見てた」


 レオナは少し考える。


「火をつけるのも上手かった」


 カヤは何も言わずに聞いていた。


「ヴァンもいた。エドも。ギドも……」


 レオナは口を閉じた。


 頭上の木が、風に揺れている。


「……いないね」


 誰も答えなかった。


 しばらくして、ラウルが言った。


「ここにいても分からない。ドルンへ行こう」


 フィンもうなずく。


「遺跡の記録も、昔の人の記録も、街の方がある」


 カヤが少し間を置いて聞いた。


「歩ける?」


 レオナは立ち上がった。


「うん」


 エリナは、レオナが自分で立てるのを見てから手を離した。


 ラウルが頭上へ続く道を指す。


「上まで出れば、あとは道がある。夕方には着く」


 レオナは振り返った。


 崩れた石。


 青黒い欠片。


 頭上の空。


「行く」


 ラウルはうなずいた。


***


 穴を出て山を下り始めると、道はレオナの知っているものとはまるで違っていた。


 昔は足場を探しながら歩いた斜面に、今は何人も並んで通れる道が通っている。崩れやすい場所には石が積まれ、分かれ道には文字の刻まれた柱が立っていた。荷車と何度もすれ違い、武器や大きな荷物を持った一団も行き来している。


 木々の間が暗くなると、フィンが片手を上げた。指先の少し先に、小さな光が浮かぶ。


 レオナが見る。


 フィンもレオナを見た。


「何?」


「それ」


「灯りだけど」


「……そう」


 レオナは前へ向き直った。


 しばらくして、カヤが隣へ来る。


「ほんとにドルン知らないんだね」


「知らない」


「結構大きい街だよ。鍛冶ならこの辺じゃ一番だし、鉱山もあるし、人も多いし――」


「また始まった」


 後ろからフィンが言った。


「何が?」


「ずっと喋るやつ」


「静かな方が気まずいでしょ」


 カヤはレオナを見る。


「ね?」


 レオナは少し考えた。


「分からない」


「ほら」


「何が、ほら、なんだよ」


 前を歩いていたラウルが振り返った。


「二人とも、少し静かにしろ」


 二人は黙った。


 しばらく歩く。


「ラウルって、いつもああなの?」


 レオナが聞くと、カヤは笑った。


「そう」


「聞こえてるぞ」


「ほら」


 レオナも少し笑った。


 そのまま歩き続ける。


 エリナは何も言わず、隣にいた。


***


 山道を抜けたところで、ラウルが立ち止まった。


「見えた」


 レオナも顔を上げる。


 山の斜面から、街が見えた。


 大きな石壁が長く伸び、その内側には数えきれないほどの屋根が重なっている。何本もの煙が空へ上がり、山肌を削るように作られた道には荷車が列を作っていた。街の外側にまで建物が広がり、遠くから金属を打つ音が響いてくる。


「ドルン」


 カヤが言った。


 レオナは街の向こうを見た。


 見覚えのある峰があった。


 稜線だけは、覚えている形のままだった。


 そこから目を下ろす。


 もう少し下に、小さな鍛冶場があった。


 ニナもいた。


 今は、どこを見ても屋根ばかりだった。


「……変わったね」


 カヤが横を向く。


「え?」


 レオナは街を見たまま言った。


「すごく変わった」


 カヤは何かを聞きかけて、やめた。


 五人は、そのまま街へ向かった。


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