第37話 空をつくる
背後で続いていた破砕音が、急に近くなった。
四人が走る先で天井から砂が噴き出し、その直後、人の身体ほどもある岩が通路の端へ落ちた。石床にぶつかった衝撃で欠片が跳ね、レオナたちの足元まで転がってくる。
エドが止まった。
「戻れ!」
レオナも足を止めかけたが、すぐ後ろからヴァンに肩を押された。四人はその場で向きを変え、先ほど魔獣を追い出した広い場所へ駆け戻る。
途中でも、小さな石が何度も落ちてきた。
一つがレオナのすぐ横で割れる。
広い場所へ戻ると、エドは入口へ向かう通路を振り返った。さっき岩が落ちた場所からは砂が流れ続け、その少し手前でも壁の隙間が広がっている。
「向こう、通れない?」
息を整えながらニナが聞く。
「今入る方が危ない」
エドは灯りを通路へ差し出した。落ちた岩の手前にも砂が溜まり、その上で壁と天井の継ぎ目が開いていく。
彼は踏み出しかけた足を戻し、広間の天井へ灯りを向けた。
「一箇所じゃない」
低い音がした。
今度は頭上だった。
四人が顔を上げる。
天井を走っていた細い亀裂が、砂をこぼしながらゆっくりと伸びていた。その横でも別の線が開き、岩の奥から何かを押し潰すような音が続く。
「下がれ」
エドが壁際を指した。
ニナとヴァンが動く。
レオナも続こうとして、足を止めた。
頭上の岩がずれている。
広間の天井から大きく張り出した一枚が、わずかに傾いていた。そのまま落ちれば、エドが示した壁際まで届く。
レオナは右手を上げた。
押す。
岩の動きが止まった。
――ように見えた。
手のひらへ返ってくる感触が、いつもと違う。
力を出しているのに、岩全体を押し返している感じが薄い。どこかへ抜け、途中で何かに取られているような感触だった。
暗い天井の中に、細い光が浮かぶ。
一本。
それと交わるように、もう一本。
灰色の岩を走っていた筋が、青黒く光り始めた。
「レオナ」
ニナの声がした。
レオナも見ていた。
少しだけ力を強める。
岩はほとんど戻らない。
代わりに青黒い光が濃くなった。すぐそばだけではない。少し離れた天井でも、別の筋が淡い光を帯び始める。
「止めろ!」
エドの声が飛んだ。
レオナはすぐに手を下ろした。
岩がまた、ゆっくりと沈む。
それでも光はしばらく消えず、暗い天井の中に何本もの青黒い線を残していた。
「入った」
レオナが言った。
「何が?」
ヴァンが天井を見る。
「石に」
エドは光る筋を見上げたまま言った。
「もう入れるな」
レオナはうなずいた。
押せない。
頭上で岩同士が擦れた。
反対側の天井から、大きな塊がずるりと沈む。
「来るぞ」
ヴァンがニナの腕を引いた。
岩が落ちた。
床へ叩きつけられ、砕けた欠片が横へ飛ぶ。
四人が身を寄せる。
レオナは腰の細剣を抜いた。
広く押せない。
なら、狭くする。
次に落ちかけている岩を見つけ、その付け根へ剣先を向けた。
細く。
亀裂の端だけへ。
剣先で狙った一点へ力を向ける。
腕へ返る重さを革帯が肩と背中へ逃がした。
一点で乾いた音が鳴る。
亀裂が走った。
張り出していた岩が根元から割れ、そのまま真下へ落ちる。
「いける」
ヴァンが言った。
レオナもそう思った。
すぐ右奥へ剣先を向ける。
二つ目も落とした。
その音が消える前に、反対側の天井が沈んだ。レオナは剣先を返しかけたが、亀裂は端から端まで増えていた。砂の筋が何本も落ち、その間で別の岩がずれていく。
「こっちだ!」
エドが、まだ大きな亀裂のない壁際へニナを動かした。
ヴァンは落ちてきた小石を避けながら、レオナを見る。
「次は?」
レオナは一番大きくずれた場所へ剣を向けた。
壊す。
その横も。
だが、三つ目を狙うより先に、さっきまで何もなかった場所から岩が落ちた。
床が揺れる。
ニナが身を伏せた。
「レオナ!」
「分かってる」
剣を上げる。
目の前で一本の亀裂が二つに分かれた。
さらに奥でも音がした。
右。
左。
その上。
レオナの剣先が止まる。
一つずつでは遅い。
レオナは剣を下ろした。
「どうした?」
ヴァンが聞く。
レオナは答えず、天井を見上げた。
広い。
先ほど光った青黒い筋の間を、新しい亀裂がいくつも走っている。どこか一つを壊しても、別の場所がすぐにずれる。
また砂が落ちてきた。
レオナはしばらく天井を見ていた。
「これ」
ニナが顔を上げる。
「何?」
「全部なくしたらいい?」
誰もすぐには答えなかった。
ヴァンが天井を見回す。
「全部って」
レオナは剣先で上を示した。
「上」
エドの眉が寄る。
「どこまでだ」
レオナは亀裂の続く先を目で追った。
「このへん、全部」
「だめ」
ニナの声が、すぐに返ってきた。
レオナがそちらを見る。
ニナはもう天井を見ていなかった。
レオナを見ている。
「それ、どれだけ出すつもり?」
「分からない」
ニナが一歩、レオナの方へ出た。
「じゃあ、だめ」
「でも、落ちる」
「だからって――」
頭上で大きな音がした。
ニナが言葉を切る。
岩の一部が沈み、エドがすぐに三人を壁へ寄せた。
「止めるなら後だ。今は下がれ!」
それでもニナはレオナを見ていた。
「別のやり方は?」
レオナは天井を見る。
首を振った。
エドが入口へ向かう通路へ灯りを向けた。岩の間から砂が流れ、狭まった隙間の奥でも石が落ちた。彼は灯りを下ろし、ニナの肩へ手を置いた。
ニナの顔が歪む。
「……また、そうやって」
その先は聞こえなかった。
大きな石が落ち、床を打つ音が言葉を消した。
レオナは剣を握り直した。
「ニナ、下がって」
「レオナ」
「下がって」
今度はニナが動かなかった。
ヴァンがその腕をつかむ。
「ニナ」
「でも」
「今は下がれ」
エドも言った。
「ここにいれば全員潰れる。来い」
ニナはレオナを見たまま、ヴァンに引かれて壁際へ下がった。
レオナは三人から少し離れた場所に立つ。
剣を両手で持った。
いつの間にか、剣先を一点へ向ける癖がついていた。
必要なところだけへ。
細く。
レオナはその切っ先をゆっくりと上げた。
今日は逆だった。
一箇所ではなく、その向こうまで。
広く。
もっと広く。
息を吸う。
切っ先を目印に、頭上の岩盤へ力を向けた。
革帯が張り、肩から背中、腰へ重さが広がった。
まだ足りない。
天井の青黒い筋が、一斉に光る。
「レオナ!」
ニナの声が響いた。
レオナは止めない。
力が石へ入っていく。
それでも出す。
青黒い光が強くなり、暗かった広間を照らし始める。
剣を握る手が震えた。
肩に掛かった革帯が身体へ食い込み、腰を支える部分まで強く引かれる。
金具が軋んだ。
それでも、まだ立っていられる。
レオナはさらに力を出した。
頭上で音が変わる。
乾いた音が、一つ。
少し離れて、もう一つ。
それが一気に広がった。
亀裂が天井を走り、枝分かれしながら、その向こうへ、さらに先へとつながっていく。
まだ足りない。
レオナは剣を握った。
もっと上へ。
全部。
力を出す。
剣を掲げた両腕が大きく震えた。
足元の砂が外へ吹き飛ぶ。
次の瞬間、頭上の岩盤が一斉に跳ね上がった。
轟音が広間を埋める。
岩盤がいくつもの塊に割れた。青黒く光る筋を含んだ岩も、その上に積もった土も、一気に上へ押し上げられていく。
レオナは剣を離さなかった。
上へ。
落ちてこないところまで。
光が差した。
最初は、細い一本だった。
暗い天井の割れ目から白い光が落ちてくる。
その筋が太くなる。
岩が外へ飛んだ。
土が崩れた。
眩しさにレオナは目を細める。
青かった。
頭上に、空があった。
それまで天井だった場所に大きな穴が開き、山の上から光が広間へ降り注いでいる。
舞い上がった砂が、その光の中をゆっくりと漂った。
少し遅れて、砕けた岩の中から小さな欠片がぱらぱらと落ちてくる。
灰色の石に混じって、青黒い破片がいくつも光を返した。
レオナの足元にも一つ落ちた。
レオナは力を切った。
急に、辺りが静かになった。
どこかで最後の石が転がった。
「……終わった?」
ニナの声がした。
レオナは空を見上げる。
穴の縁から少し土が崩れたが、それだけだった。
ヴァンが身体を起こす。
エドも壁から離れ、頭上と周囲を順に見た。
「全員いるか」
「ああ」
「いる」
ニナも立ち上がった。
三人ともいる。
レオナは空を見上げたまま、少し笑った。
「よかった」
剣先を下ろす。
指が開いた。
細剣が石床へ落ちた。
硬い音が、広間に響く。
レオナはそれを拾おうとした。
膝が落ちた。
「レオナ?」
ニナの声が近づく。
大丈夫、と言おうとした。
でも、身体が先に傾いた。
駆け寄ってきたニナが、レオナを受け止めた。




