第36話 帰る
エドは欠片を灯りの前でもう一度傾けた。
灰色の中に細い光が走る。銀にも見えたが、レオナがこれまで見た金属とは少し違っていた。
「これ?」
「似たのは見たことがある」
エドは壁へ灯りを近づけた。
灰銀色の筋は、割れた岩の中だけでは終わっていない。細く途切れながら、その奥へ続いていた。
「いっぱいある?」
「分からん。ここだけじゃなさそうだがな」
エドは槌を取り出すと、少しずつ場所を変えながら三箇所ほど壁を欠いた。灰銀色を含んだ拳ほどの塊をいくつか落とし、採った場所ごとに別の袋へ入れていく。
レオナも床へ転がった一つを拾った。見た目より重い。
「これくらいでいいの?」
「最初に打つ分は足りる。使えたら、また採りに来る」
ヴァンが一番大きな塊を覗き込む。
「使えるといいな」
「それは戻ってからだ」
エドは最後の袋を縛った。
本格的に掘れば、まだ取れそうだった。灰銀色の筋は壁の奥へ続き、灯りの届かないところでも、ときおり鈍く光を返している。
少し離れたところでは、ニナが床を横切る溝を追っていた。何本もの直線が暗がりの奥へ伸び、その先には倒れた太い石や、四角く口を開けた通路がいくつも見える。
ヴァンがその一つを覗いた。
「まだ奥があるぞ」
レオナもそちらへ歩きかけた。
「見る?」
エドは答えず、ニナの持つ灯りへ目をやった。最初より炎が低い。
「帰るぞ」
レオナが振り返る。
「戻る分、これで足りる?」
「今ならな。帰りも同じだけある」
ニナは紙に描いた道を指でたどった。来るときには、岩蜥蜴のところで止まり、石板の下も一人ずつ通った。
「帰りも、あそこは荷を下ろすね」
「ああ」
エドが袋を持ち上げる。
「採るものは採った。奥を見るのは、次の仕事だ」
ヴァンは少し残念そうに、剣の柄から手を離した。
「次のために、道は残しといてくれよ」
「描いてる」
ニナが紙を畳む。レオナは奥へ続く暗がりをもう一度見てから、来た通路へ向き直った。
四人は来た道を戻り始めた。
石板の下を一人ずつ抜け、分岐ではエドが残していた印を確かめる。来たときより足取りは速く、岩蜥蜴と戦った場所にも、床へ残った血と砂以外は何もなかった。
その先で、先頭のエドが止まった。
ヴァンもすぐ足を止める。
「何だ?」
答える前に、暗がりの奥から重い音が響いた。
少し間を置いて、もう一度。
石床を踏みつける音だった。
レオナが灯りの向こうへ目を凝らす。
大きな影が動いた。
最初に見えたのは、左右へ張り出した太い角だった。その下から黒い鼻先が現れ、さらに横からもう一つ、その反対側にも別の頭が続く。
一つの大きな胴から三本の首が伸びていた。
肩はヴァンより高く、厚い胸と前脚だけで通路の大半を塞いでいる。三つの頭はそれぞれ別の方を向きながら、ゆっくりと四人を捉えた。
ヴァンが剣を抜く。
「ここじゃやりにくいな」
エドは後ろを振り返った。
「戻るぞ。広いところまで」
四人は来た道を下がった。
魔獣もついてくる。急いで追ってくるわけではない。それでも立ち止まることはなく、蹄が石床を打つ重い音が一定の間隔で続いた。
先ほど通った広い場所まで戻る。
ここから入口へ向かうには、魔獣のいる通路を抜けなければならない。反対には、さらに遺跡の奥へ続く道がある。
エドがそちらを指した。
「あっちへ出す」
ニナとエドが下がる。
ヴァンは中央に残り、レオナは少し離れて反対側へ回った。
魔獣が広い場所へ出てくる。
ヴァンが脇へ回ろうとすると、一つの頭がその姿を追った。角をかわしてさらに回ったところへ、別の頭が逃げ先を塞ぐように伸びてくる。
「うわっ」
ヴァンは後ろへ跳んだ。角の先が服をかすめる。
レオナが反対側から近づくと、三つ目の頭がこちらを向いた。
「全部見てる」
ニナが言う。
「便利だな」
ヴァンはそう返しながら、もう一度踏み込んだ。
一つの頭を引きつけ、その角をかわす。止まらずさらに横へ回ると、別の頭もヴァンを追った。そこで剣の腹を角の根元へ強く当てる。
魔獣が首を振る。
残る頭もそちらへ向いた。
三つともヴァンへ向いた。
「レオナ!」
レオナは魔獣の前脚を見た。
肩だけでいい。
一歩踏み込み、右手をそこへ向ける。
細く。
そこだけへ。
力を向ける。
右腕に重さが返り、肩に張った革帯から背中と腰へ分かれていく。
魔獣の肩がずれ、その下の前脚が横へ滑った。巨体が傾く。
踏み直した。
その足が、入口を向いた。
レオナは手をずらさず、その向きだけを保つ。
反対の前脚も続き、大きな胴がゆっくり回った。
「そのまま!」
魔獣の背が奥の道を向いたところで、レオナは力を切った。
革帯が緩む。
魔獣は倒れていない。傷らしい傷もない。ただ、身体の向きだけが変わっていた。
ヴァンが魔獣と入口の間へ入る。
「上手いな」
「押しただけ」
ヴァンが笑った。
「じゃあ、このまま出すぞ」
一歩進む。
魔獣が下がった。
レオナも反対側から距離を詰める。今度は魔力を使わない。
ヴァンが入口側へ戻るのを塞ぎ、レオナが反対側から近づく。三つの頭は二人を忙しく追ったが、巨体は少しずつ奥へ下がっていった。
一歩。
さらに一歩。
後脚が奥の道へ入る。
一度、魔獣が前へ出ようとした。角を向けられ、二人ともいったん距離を取る。
魔獣はその隙に身体を戻そうとしたが、ヴァンがすぐ入口との間へ回り込んだ。剣先を向けたまま近づくと、魔獣はまた下がった。
今度は胴体の半分まで奥の道へ入る。
「もう少し」
ニナが言った。
ヴァンがレオナを見る。
「いけるな」
レオナも一歩進んだ。
魔獣がさらに下がる。
これで帰れる。
そう思ったところで、三つの頭が止まった。
さっきまで別々に動いていた首が、ほとんど同時に低く沈む。
ニナの表情が変わった。
「待って」
全員が止まった。
魔獣の蹄は動いていない。
それなのに、足元の砂だけが外へ向かって滑り始めた。
薄い輪が広がっていく。
「魔力――」
空気が弾けた。
レオナとヴァンは床から浮き、そのまま後ろへ吹き飛ばされた。石の陰へ下がっていたニナとエドにも衝撃が回り込み、二人とも身体を石へ打ちつける。
同時に、広間全体が轟いた。
倒れていた太い石がずれ、壁から砂と小石が噴き出す。頭上でも石の割れる音が響いた。
魔獣自身も大きくよろめいたが、三つの頭を振って体勢を戻すと、身体を返して奥の道へ駆け込んでいった。
重い蹄の音が遠ざかる。
誰も追わなかった。
「全員、動けるか」
エドの声が飛ぶ。
「動ける」
「ああ」
「大丈夫」
エド自身も立ち上がる。
「なら出るぞ」
ぱらぱらと、小さな音がした。
レオナが顔を上げる。
天井から砂が落ちている。
一箇所だけではなかった。少し離れたところからも、細い筋になって落ち始める。
どこか遠くで、鈍い音が響いた。
ゴッ。
エドの視線が上へ動く。
続いて、石同士が擦れるような低い音が地下を伝ってきた。
床がわずかに震えた。
「……走れ」
四人が入口へ向かって駆け出す。
その背後で、長い破砕音が地下を走った。




