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あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第五章

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第36話 帰る

 エドは欠片を灯りの前でもう一度傾けた。


 灰色の中に細い光が走る。銀にも見えたが、レオナがこれまで見た金属とは少し違っていた。


「これ?」


「似たのは見たことがある」


 エドは壁へ灯りを近づけた。


 灰銀色の筋は、割れた岩の中だけでは終わっていない。細く途切れながら、その奥へ続いていた。


「いっぱいある?」


「分からん。ここだけじゃなさそうだがな」


 エドは槌を取り出すと、少しずつ場所を変えながら三箇所ほど壁を欠いた。灰銀色を含んだ拳ほどの塊をいくつか落とし、採った場所ごとに別の袋へ入れていく。


 レオナも床へ転がった一つを拾った。見た目より重い。


「これくらいでいいの?」


「最初に打つ分は足りる。使えたら、また採りに来る」


 ヴァンが一番大きな塊を覗き込む。


「使えるといいな」


「それは戻ってからだ」


 エドは最後の袋を縛った。


 本格的に掘れば、まだ取れそうだった。灰銀色の筋は壁の奥へ続き、灯りの届かないところでも、ときおり鈍く光を返している。


 少し離れたところでは、ニナが床を横切る溝を追っていた。何本もの直線が暗がりの奥へ伸び、その先には倒れた太い石や、四角く口を開けた通路がいくつも見える。


 ヴァンがその一つを覗いた。


「まだ奥があるぞ」


 レオナもそちらへ歩きかけた。


「見る?」


 エドは答えず、ニナの持つ灯りへ目をやった。最初より炎が低い。


「帰るぞ」


 レオナが振り返る。


「戻る分、これで足りる?」


「今ならな。帰りも同じだけある」


 ニナは紙に描いた道を指でたどった。来るときには、岩蜥蜴のところで止まり、石板の下も一人ずつ通った。


「帰りも、あそこは荷を下ろすね」


「ああ」


 エドが袋を持ち上げる。


「採るものは採った。奥を見るのは、次の仕事だ」


 ヴァンは少し残念そうに、剣の柄から手を離した。


「次のために、道は残しといてくれよ」


「描いてる」


 ニナが紙を畳む。レオナは奥へ続く暗がりをもう一度見てから、来た通路へ向き直った。


 四人は来た道を戻り始めた。


 石板の下を一人ずつ抜け、分岐ではエドが残していた印を確かめる。来たときより足取りは速く、岩蜥蜴と戦った場所にも、床へ残った血と砂以外は何もなかった。


 その先で、先頭のエドが止まった。


 ヴァンもすぐ足を止める。


「何だ?」


 答える前に、暗がりの奥から重い音が響いた。


 少し間を置いて、もう一度。


 石床を踏みつける音だった。


 レオナが灯りの向こうへ目を凝らす。


 大きな影が動いた。


 最初に見えたのは、左右へ張り出した太い角だった。その下から黒い鼻先が現れ、さらに横からもう一つ、その反対側にも別の頭が続く。


 一つの大きな胴から三本の首が伸びていた。


 肩はヴァンより高く、厚い胸と前脚だけで通路の大半を塞いでいる。三つの頭はそれぞれ別の方を向きながら、ゆっくりと四人を捉えた。


 ヴァンが剣を抜く。


「ここじゃやりにくいな」


 エドは後ろを振り返った。


「戻るぞ。広いところまで」


 四人は来た道を下がった。


 魔獣もついてくる。急いで追ってくるわけではない。それでも立ち止まることはなく、蹄が石床を打つ重い音が一定の間隔で続いた。


 先ほど通った広い場所まで戻る。


 ここから入口へ向かうには、魔獣のいる通路を抜けなければならない。反対には、さらに遺跡の奥へ続く道がある。


 エドがそちらを指した。


「あっちへ出す」


 ニナとエドが下がる。


 ヴァンは中央に残り、レオナは少し離れて反対側へ回った。


 魔獣が広い場所へ出てくる。


 ヴァンが脇へ回ろうとすると、一つの頭がその姿を追った。角をかわしてさらに回ったところへ、別の頭が逃げ先を塞ぐように伸びてくる。


「うわっ」


 ヴァンは後ろへ跳んだ。角の先が服をかすめる。


 レオナが反対側から近づくと、三つ目の頭がこちらを向いた。


「全部見てる」


 ニナが言う。


「便利だな」


 ヴァンはそう返しながら、もう一度踏み込んだ。


 一つの頭を引きつけ、その角をかわす。止まらずさらに横へ回ると、別の頭もヴァンを追った。そこで剣の腹を角の根元へ強く当てる。


 魔獣が首を振る。


 残る頭もそちらへ向いた。


 三つともヴァンへ向いた。


「レオナ!」


 レオナは魔獣の前脚を見た。


 肩だけでいい。


 一歩踏み込み、右手をそこへ向ける。


 細く。


 そこだけへ。


 力を向ける。


 右腕に重さが返り、肩に張った革帯から背中と腰へ分かれていく。


 魔獣の肩がずれ、その下の前脚が横へ滑った。巨体が傾く。


 踏み直した。


 その足が、入口を向いた。


 レオナは手をずらさず、その向きだけを保つ。


 反対の前脚も続き、大きな胴がゆっくり回った。


「そのまま!」


 魔獣の背が奥の道を向いたところで、レオナは力を切った。


 革帯が緩む。


 魔獣は倒れていない。傷らしい傷もない。ただ、身体の向きだけが変わっていた。


 ヴァンが魔獣と入口の間へ入る。


「上手いな」


「押しただけ」


 ヴァンが笑った。


「じゃあ、このまま出すぞ」


 一歩進む。


 魔獣が下がった。


 レオナも反対側から距離を詰める。今度は魔力を使わない。


 ヴァンが入口側へ戻るのを塞ぎ、レオナが反対側から近づく。三つの頭は二人を忙しく追ったが、巨体は少しずつ奥へ下がっていった。


 一歩。


 さらに一歩。


 後脚が奥の道へ入る。


 一度、魔獣が前へ出ようとした。角を向けられ、二人ともいったん距離を取る。


 魔獣はその隙に身体を戻そうとしたが、ヴァンがすぐ入口との間へ回り込んだ。剣先を向けたまま近づくと、魔獣はまた下がった。


 今度は胴体の半分まで奥の道へ入る。


「もう少し」


 ニナが言った。


 ヴァンがレオナを見る。


「いけるな」


 レオナも一歩進んだ。


 魔獣がさらに下がる。


 これで帰れる。


 そう思ったところで、三つの頭が止まった。


 さっきまで別々に動いていた首が、ほとんど同時に低く沈む。


 ニナの表情が変わった。


「待って」


 全員が止まった。


 魔獣の蹄は動いていない。


 それなのに、足元の砂だけが外へ向かって滑り始めた。


 薄い輪が広がっていく。


「魔力――」


 空気が弾けた。


 レオナとヴァンは床から浮き、そのまま後ろへ吹き飛ばされた。石の陰へ下がっていたニナとエドにも衝撃が回り込み、二人とも身体を石へ打ちつける。


 同時に、広間全体が轟いた。


 倒れていた太い石がずれ、壁から砂と小石が噴き出す。頭上でも石の割れる音が響いた。


 魔獣自身も大きくよろめいたが、三つの頭を振って体勢を戻すと、身体を返して奥の道へ駆け込んでいった。


 重い蹄の音が遠ざかる。


 誰も追わなかった。


「全員、動けるか」


 エドの声が飛ぶ。


「動ける」


「ああ」


「大丈夫」


 エド自身も立ち上がる。


「なら出るぞ」


 ぱらぱらと、小さな音がした。


 レオナが顔を上げる。


 天井から砂が落ちている。


 一箇所だけではなかった。少し離れたところからも、細い筋になって落ち始める。


 どこか遠くで、鈍い音が響いた。


 ゴッ。


 エドの視線が上へ動く。


 続いて、石同士が擦れるような低い音が地下を伝ってきた。


 床がわずかに震えた。


「……走れ」


 四人が入口へ向かって駆け出す。


 その背後で、長い破砕音が地下を走った。


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