第33話 山を見る人
日の出前にエドの家へ着くと、戸口には長い縄やつるはし、水袋、食料などがすでに並べられていた。
エドは三人の顔を見るより先に足元へ目を落とした。
レオナが片足を上げると、エドはしゃがんで靴底を確かめた。続けてニナ、ヴァンの靴も見ていく。
次に、エドはレオナの荷物を下ろさせた。袋を開け、干し肉とパンを出させ、水袋の栓も確かめる。戻す前に、荷を縛る紐を二度引いた。
横でヴァンが笑った。
「ずいぶん細かいな」
「山で無いことに気づくよりはいい」
エドはニナの荷物にも目を通し、外へ括られた水袋と野営道具を確かめた。ヴァンには剣以外の荷物を開かせ、食料と水を見てから、ようやく自分の荷を背負う。
「行くぞ」
町を出る頃には、東の山際が薄く明るくなっていた。普段なら槌音と炉の熱気に満ちている通りもまだ静かで、夜通し火を落とさない工房からだけ細い煙が上がっている。
町外れを越えると道はすぐに細くなり、大きな岩の間を縫うように山へ入っていった。
しばらく登ったところで、道が大きく左へ曲がる。
レオナは正面の斜面を見上げた。少し急ではあるが、そのまま登れば上の道へ出られそうだった。
「こっちの方が近い」
「行かん」
エドは足を止めなかった。
レオナは斜面と遠回りする道を見比べたが、そのまま後を追った。
かなり上まで回り込んだ頃、背後から石の転がる音がした。振り返ると、先ほど見上げていた斜面を拳ほどの石が跳ねながら落ち、その後から細かな土が崩れている。
レオナはしばらくそれを見ていた。
前を歩くエドは振り返らなかった。
昼前には、道らしい道もなくなっていた。
斜面を下りた先に細い沢があり、エドはその流れに沿って進みながら、ときどき足元の石を拾った。表面を見るだけで捨てるものもあれば、槌で欠いて中を確かめるものもある。
エドが何個目かの灰色の石を拾ったところで、レオナは横から覗き込んだ。
「何が違うの?」
「俺の持ってる石と並べてみろ。欲しいのは、こっちだ」
レオナも近くの石を拾い、エドの持つものと並べる。
「同じに見える」
「なら、見つけるのは俺の仕事だ。拾ったものは俺に見せろ」
エドは石を沢へ戻した。
それからレオナも、エドが石を拾うたびに近くを探すようになった。似た色のものを二度持っていったが、どちらも「違う」と返された。
三度目に拾った石は、自分で表と裏を見比べてから元の場所へ戻した。
やがて沢は大きな岩に塞がれた。流れてきた枝や小石が、その下へ溜まっている。
「これ、退かす?」
レオナが右手を上げると、エドがすぐに止めた。
「触るな」
「動かせるよ」
「その岩が上を受けとる。動かせるかじゃない、動いたあとが問題だ」
言われて見上げると、さらに大きな岩が斜面に半分埋まり、その下に細かな土が溜まっている。
レオナは手を下ろした。
「じゃあ?」
「回る」
エドは沢脇の斜面へ上がっていく。
レオナは大岩を一度だけ振り返り、そのまま後を追った。
沢を外れて少し進んだところで、先頭のエドが急に立ち止まった。
斜面の上、灰色の岩の間に同じ色の身体が伏せている。
二本の短い角を見て、レオナは思い出した。
「前のやつ」
ニナも気づき、腰の木板へ手を伸ばした。
魔獣は四本脚で岩棚に立ち、こちらを見ている。ヴァンが剣へ手をかけ、レオナも一歩前へ出ようとした。
「動くな」
エドの声で足を止める。
魔獣が横の岩へ跳び移ると、踏み切った場所から砂が横へ散った。
ニナが目を細めた。
もう一度跳ぶ。そのときも、身体が宙へ出るより先に足元の砂が横へ弾けた。
ニナは木板へ何か書きつける。
「着いたときじゃない」
「何が?」
「足元の砂。跳ぶ前に飛んでるよ」
その声に反応したのか、魔獣がこちらへ顔を向けた。
「来るか?」
ヴァンが聞く。
エドは周囲を見回し、崩れやすい斜面から少し離れた岩盤を指した。
「下がって待て。こっちから近づくな」
四人が場所を移す。
ヴァンは剣を抜く前に一歩横へずれ、背後の岩壁との間隔を確かめた。
「ここなら振れる」
エドが頷く。
「来たら頼む」
魔獣が斜面を下り、最後の岩を蹴って跳びかかった。
ヴァンは一歩前へ出ると、振った剣で角の横を打った。空中で体勢を崩した魔獣は着地するとよろめき、低く唸ったものの、もう一度飛びかかることはなかった。
そのまま向きを変え、岩の間へ駆け上がっていく。
ヴァンは追わず、姿が消えてから剣を収めた。
レオナは構えていた右手を下ろす。
ヴァンは、エドが置いた荷を持ち上げた。
「材料探しの続きだな」
レオナも、魔獣を見ていた目を沢へ戻した。
ニナは魔獣の消えた方を見たあと、木板へもう一行書き足した。
「前と同じ。でも、少し分かった」
エドはもう歩き始めていた。
午後になると、エドは沢を上ったかと思えば斜面へ入り、また水辺へ戻ることを何度か繰り返した。
沢が二つに分かれるところで、細い方へ入る。
しばらくして拾い上げた石を槌で欠くと、中から黒に近い鈍い色が現れた。
レオナが覗き込むと、エドは欠いた面を自分の持つ石へ並べた。
「似てる。ほかも探せ」
エドはその石を袋へ入れた。
その先でも同じような欠片が一つ、少し進んでもう一つ見つかり、さらに上流では二つ続いた。エドの歩く速度が少し上がる。
レオナも沢沿いを歩きながら石を拾い、割れた面を見るようになっていた。
ところが、沢が岩壁へ近づくにつれて、黒い筋の入った石は急に見つからなくなった。
エドは足を止め、沢底を探してから岸へ上がり、少し戻った。それでも見つからない。
ヴァンが聞く。
「外れたか?」
「まだ決めるだけ見ておらん」
エドは袋から先ほどの石を一つ取り出し、掌の上で返した。沢の上流と足元の流れを見比べ、少し歩いてから反対側の岸へ渡る。
しばらく探したところで、エドは荷を下ろした。
「休む」
岩陰に腰を下ろし、水袋を開ける。
ニナも隣に荷物を置き、ヴァンは立ったまま水を飲んだ。
レオナはパンを一口かじりながら沢を眺めた。水の中には、さっきまで何度も見た灰色や赤茶色の石が転がっている。
エドも干し肉をかじりながら、ときどき流れの先へ目を向けていた。
レオナはパンを持ったまま立ち上がった。
少し離れたところに、小さな黒いものが見える。
拾って表面を親指でこすった。
「エド」
エドが顔を上げる。
「これ、似てる?」
受け取った石を、エドはしばらく見た。
「どこにあった」
レオナが指したのは、沢から数歩離れた斜面の裾だった。
エドは立ち上がってそこまで行くと、周囲の土を足で軽く払いながら少し上へ進んだ。もう一つ、同じような欠片がある。
沢を振り返り、それから斜面を見上げた。
「水じゃない」
「何が?」
「こいつが来た方だ」
エドは石を袋へ入れ、荷を背負った。
そのまま沢を離れて斜面へ上がり始めると、レオナたちも荷を背負い直して続いた。
岩の間を登るにつれ、黒い筋の入った欠片がまた増えていく。
やがて大きな岩壁の前でエドが止まった。
その少し手前に、平たい大岩が斜めに突き出している。
エドは周囲を歩き、棒を隙間へ差し込んだ。足元を踏み、上に重なった岩をしばらく見てからレオナを呼ぶ。
「これを動かせるか」
レオナはすぐには手を上げず、エドを見た。
「これだけ?」
「ああ。上には触るな」
エドは岩の端に溜まった土を指した。
「どこまで?」
「そこが見えるまでだ」
「分かった」
レオナはそこで初めて右手を向けた。
力をゆっくり加えると、土の中で低い音がして岩が動いた。
エドは岩の下を見ている。
「もう少し」
さらに押すと土が崩れ、指された場所が少しずつ現れていく。
「止めろ」
レオナはすぐに力を抜いた。
大岩は元の場所から半歩ほどずれ、その下に暗い隙間ができていた。
エドが近づき、槌の柄で土を掻き出した。
現れた岩肌は、周囲とは違って妙に平らだった。エドが指で泥を払うと、一本の線が出てくる。
レオナもしゃがんだ。
「割れたの?」
エドは答えず、線に沿ってさらに土を落とした。
まっすぐ伸びていた線は、途中でほとんど直角に曲がっていた。
ヴァンも横から覗き込む。
「こんな割れ方、するか?」
エドは平らな面を槌で軽く叩いた。
「しない」
さらに土を除けると、横にも同じような平らな面が現れ、上には一本のまっすぐな縁が続いていた。
岩の割れ目ではなく、四角く切り取られたような形が土の下から姿を現している。
ニナが縁の近くへ手を伸ばした。
「削った跡?」
エドは表面を指でこする。
「そう見える」
レオナは少し離れて全体を見た。
山肌の途中に、人ひとりが通れそうな暗がりが開いている。周囲は崩れていたが、両脇と上だけは不自然なほど形が揃っていた。
「入るところ?」
エドも少し離れて見た。
「そう見えるな」
「誰が作ったの?」
「知らん」
レオナはまた近づき、暗がりの奥へ目を凝らした。
平らな面には細い削り跡が残り、縁の一部は欠けている。その先はすぐに闇へ沈み、何も見えなかった。
それでも冷たい風だけは、さらに奥から絶えず流れてきていた。




