第30話 山へ
魔力の利用が人々の暮らしへ広がるにつれ、道具の役割も変化していった。
人の力を対象へ伝えるだけだった道具に、魔力を受け止め、狙った方向へ導き、身体へ返る負担を減らす役割が求められるようになる。剣や槍には強度だけでなく魔力の通りやすさが求められ、細かな操作には作用する位置や方向を定めるための棒や杖も使われた。
山岳地方で作られた品が記録に増えるのも、この頃からである。鉱石と金属加工に長けたドワーフの集落へ交易路が伸び、丈夫な工具や刃、身体の動きを妨げにくい金属具が山の外へ運ばれるようになった。
後世の「ドワーフは鍛冶に長ける」という認識も、こうした長い交易の中で形づくられていった。
***
リードを離れて半日もすると、道の様子は目に見えて変わっていった。
荷車が二台並べるほど広かった石敷きの道は土へ変わり、山へ近づくにつれて、その土の間から白っぽい岩がいくつも顔を出すようになる。遠くに見えていた山肌も歩くたびに大きくなり、今では顔を上げなければ頂が見えない。
先頭を歩くヴァンの腰には、大会でもらった新しい剣が下がっていた。
その後ろでニナは道の両側へ何度も目を向け、レオナは足元を見ながら、右足を出すのに合わせて何も持っていない手を振った。
「歩きながらやるなよ」
ヴァンは振り返らなかった。レオナが下を見ると、右足の半分ほどが丸い石へ乗っている。手だけを同じように振っても、腰はさっきと違う方へ流れていた。
石から足を下ろし、振る真似をやめた。
「休んだら、足からやる」
「ああ。それなら見てやる」
昼を少し過ぎたところで、三人は道から外れた岩陰へ腰を下ろした。
レオナは水を一口飲むと、すぐに木の棒を取った。
「もうやるの?」
ニナが聞く。
「休んでるから」
「それ、休みじゃなくて剣の練習。私の休みはどこ?」
ヴァンも笑ったが、止めはしなかった。
昨日より、振った棒は狙った軌道から外れなくなっていた。ただ、止めようとすると身体のどこかに余計な力が入る。
何度か直されながら振っていると、斜面の上で小石が転がった。
ニナの顔がすぐにそちらを向く。
低い木の向こうに、灰色の小さな魔獣がいた。犬より一回り大きく、頭には短い角が二本ある。
「さっきの足跡、あれかも」
ニナは声を落とし、腰の袋から薄い木板と炭を取り出した。
魔獣は三人を何度か見たものの、逃げるでも近寄るでもなく、斜面の草を食べながら少しずつ上へ登っていった。
やがて、人の背丈ほどある岩壁の下で止まる。
前脚を岩へかけ、身体を沈めたかと思うと、一度の跳躍で岩壁の上へ乗った。
「高いね」
レオナが言った。
ニナは返事をしなかった。
その先には、もう一段岩がある。
魔獣が後脚を縮める。
ニナが少し身を乗り出した。
跳んだ瞬間、足元の砂が弾け、その一部が斜面の下ではなく横へ散った。
「……今の見た?」
「見た」
魔獣はさらに上へ進み、そのまま木々の間へ消えていった。
ニナはしばらく同じ場所を見たあと、木板へ炭を走らせる。
灰色。角二本。
岩を跳ぶ。
二回目、砂が横へ飛んだ。
横から覗き込んだレオナが尋ねる。
「何だったの?」
「まだ分からない」
ニナは木板を袋へ戻した。
山を登るにつれて木々は低くなり、剥き出しの岩肌が増えていった。
やがて、炭を積んだ荷車とすれ違う。
その後から黒や赤の混じった石を背負った男たちが山を下りてきて、さらに長い金属棒を何本も荷へ括りつけた一団が続いた。道端には割れた鉱石や黒い煤が目につくようになる。
さらに登ったところで、硬い音が聞こえた。
一度響き、少し離れた場所から別の音が返ってくる。歩くうちに高い音、低い音がいくつも重なり始めた。
ヴァンが顔を上げる。
「近いな」
道を曲がるたびに音は増え、山の斜面の向こうから何本もの煙が見えてきた。
最後の坂を上ると、町が現れた。
石造りの建物が山肌に沿って並び、そのあちこちから煙が上がっている。
町へ入った途端、炭と焼けた金属の匂いが鼻をついた。
高い音が鳴る。
続いて、少し離れたところから低い音が返った。
レオナがそちらを見る。
開け放たれた工房の奥で、赤く焼けた金属へ槌が落ちていた。隣では白い蒸気が勢いよく上がり、別の工房の前には黒や赤の混じった石が積まれている。
レオナの足が遅くなった。
「前」
ヴァンに言われて顔を戻す。
「見てる」
「今だけだろ」
レオナはまた反対側の工房へ顔を向けた。
「ほらな」
軒先に剣が何本も吊られている。その横には槌や鋏、それが何に使うのか分からない金属の輪まで並んでいた。
少し先まで行ってから、レオナが振り返る。
「あとで戻ってきてもいい?」
「どこに?」
レオナは通りの左右を見た。
「いっぱいある」
「一つも決まってないじゃねえか」
「まだ来たばっかりだから」
ヴァンが笑った。
「なら、ギドに会ったあとだ。帰りに見ればいいだろ」
そう言った本人も、通りの反対側に立て掛けられた剣へ目を向けていた。
レオナがそれに気づく。
「ヴァンも見てる」
「俺は剣を見に来たんだ」
「私だって、いろいろ見たい」
「お前は全部だろ」
「うん」
ニナが横で吹き出した。
その先の広い通りへ出たところで、レオナの足が止まった。
今度は工房を見ていたのではなかった。
人混みの向こうを、一人の男が歩いている。
肩には荷を担ぎ、右脚をわずかに外へ逃がすような歩き方をしていた。
髪には白いものが混じり、背中も記憶の中より少し丸い。
レオナは顔が見える前に名前を呼んだ。
「ギド」
男が止まった。
すぐには振り返らなかった。
通りの槌音が二度、三度と響いてから、ゆっくりこちらを向く。
レオナを見たまま、動かなくなった。
「……レオナ」
「うん」
ギドの視線が、レオナの顔から肩へ、手へと動き、また顔へ戻った。
「本当に、そのままだな」
レオナもギドを見る。
白いものの混じった髪に、以前より深くなった目元の皺。右脚には、見覚えのない金属具が巻かれていた。
「ギドは変わった」
「二十五年あればな」
ギドは笑った。
それから、少しだけ声を落とす。
「遅かったぞ」
レオナはギドを見たまま、少し笑った。
「うん」
ギドも笑った。
一歩近づき、手を上げかけて止める。結局、その手でレオナの肩を強く叩いた。
「……まあ、戻ったならいい」
「うん」
横からニナが顔を出す。
「ギドさん」
「ああ、ニナ。お前も来たのか」
「来ました」
「今度は山か」
「ちょっと見たいものがあって」
「相変わらずだな」
「ギドさんに言われたくないですよ」
「何だと」
二人が笑う。
ギドが歩き出すと、右脚の膝脇を通る金属板がわずかに滑り、小さく音を立てた。
レオナの視線がそこへ落ちる。
膝の下から足首まで、革と金属を組み合わせた器具が巻かれていた。
ギドも視線に気づいた。
「これか」
右脚を軽く叩く。
「前より歩けるぞ」
「作ったの?」
「何度もな」
「何度も?」
「壊れたところを直した。今の形は、最初から思いついたわけじゃない」
ヴァンが横から器具を覗く。
「膝は動かすんだな」
「膝まで固めれば丈夫だが、それでは一歩が出にくい。歩く道具だからな」
「それで、また直したのか」
ギドが右脚を一歩前へ出した。
「今履いてるだろ」
ヴァンが笑った。
ギドが改めてヴァンを見る。
「で、そっちは?」
「ヴァン。剣を見てもらいに来た」
腰の剣を示すと、ギドの目がそちらへ落ちた。
「なら、俺じゃない」
「違うのか?」
「剣なら、もっと詳しいのがいる」
町の奥へ顎を向ける。
「来い」
ギドが歩き出した。
右脚の金属具が、小さく鳴った。
三人はその後を追った。
ギドが入った工房は、通りから見た以上に奥が広かった。
戸をくぐった途端、炉の熱が頬へ押し寄せる。壁には剣や槍、槌、鋏、細長い棒、革帯のついた金属具などが所狭しと掛けられ、作業台の上には形の違う金属片が積まれていた。
奥から槌音が響く。
火の向こうで、一人の男が赤く焼けた金属へ槌を振り下ろしていた。
ギドが声をかける。
「客だぞ」
男は手を止めなかった。
「何の客だ」
「剣」
「そこ置いとけ」
ヴァンがギドを見る。
ギドは肩をすくめた。
槌がもう一度落ちる。
それからようやく、男が顔を上げた。




