第28話 組み合わせる力
翌朝、研究室へ行くと、ロイはすでに何枚もの紙を机いっぱいに広げていた。
紙には細かな字と線、それに丸や矢印のようなものが隙間なく書き込まれている。
「昨日の続きです」
レオナとニナが座るのを待たず、ロイは一枚を指した。
「まず、魔力の違いを現象の違いとして分ける必要はないんじゃないかと思っています。たとえば水の場合、水全体を一つの対象として動かすより、内部を構成する小体へ作用点を分散させて、運動方向だけを揃えた方が――」
指が紙の上を滑る。
「同じことをするにも必要な作用量を減らせるはずです。大きな塊を力ずくで押すより、必要な小体だけを動かして流れを作る。あるいは、ごく狭い場所だけに作用して、そこから起きる変化を利用する」
レオナは紙を覗き込んだ。
丸から丸へ、何本も線が伸びている。
ニナはもう眉を寄せていた。
ロイは気づかず、別の紙へ移った。
「空気も同じです。小体の運動方向を揃えれば流れが作れる。逆に、短い間隔で作用を重ねれば――」
「待って」
ニナが止めた。
ロイが顔を上げる。
「はい」
「もう分からない」
レオナも頷いた。
「私も。ニナが止めてくれなかったら、ずっと聞くだけになってたよ」
「どこからです?」
「小体」
ロイが黙った。
「……そこからですか」
「うん」
「小体って何?」
ニナも聞く。
「ですから、物を作っている、もっと小さな――」
ロイは途中で口を閉じた。
二人の顔を見比べる。
「……先に見せるべきでしたね。説明したいことから始めてしまいました」
「それがいい」
レオナがすぐに答えた。
ロイは机の横に置いてあった桶を引き寄せた。
水へ手を向ける。
水面の一部が盛り上がった。
細い柱になり、桶の縁を越える。そのまま隣の器まで伸び、ぽたぽたと水を落とした。
「これが、さっき言った運動方向を揃えるという――」
「その水なら分かる。そこから教えて」
「そうですか」
少し残念そうだった。
レオナは水の柱へ顔を近づけた。
「その小体を押してるの? 見えないんだよね」
「見えません。あると考えた方が、動かし方を説明できるんです。考えた通りに動くところまでは、確かめています」
ロイが手を下ろす。水が桶へ落ちた。
「じゃあ、全部押すより楽なの?」
「同じだけ動かすなら、少ない魔力で済みます。今見せたのは、そちらです。説明が本当に正しいかどうかは、まだ別ですね」
レオナは桶の水を見た。
「私も、それで動かしてみたい」
「あとで試しましょう。ほかにも見せたいものがあります」
今度はロイが机の上の紙へ手を向けた。
紙が一斉に滑った。
同時に風が吹き、レオナの髪が頬へかかった。
「風」
ニナが言った。
「空気を同じ方向へ動かしています」
レオナは髪を払った。
「そういえば、グレイホーンもやってた」
ロイの顔が上がる。
「グレイホーンが?」
「黒牙虎に襲われたとき。あいつが来て、そのあと風が来た」
「グレイホーンの方から?」
「うん」
ロイは少し黙った。
「それは詳しく聞きたいですね。あなたが見た動きから、こちらで試せるかもしれない」
「そう?」
「人間がここで試しているのとは、やり方が違うかもしれません。あとで詳しく聞きます」
「うん」
ロイはまた紙へ向き直った。
「ここでは、操作の順序や強さを決めて、同じ現象を繰り返し起こせるようにしたものを『魔法』と呼んでいます」
「魔法」
レオナは桶と散らばった紙を見てから、自分の手を開いた。
「エルフが傷を治すのも?」
ロイの口が止まった。
「……こちらの分け方なら、魔法に入ります」
「どうやってるの?」
「そこは――僕は話せますけど、ネラに怒られます」
レオナは少し考えた。
「じゃあ、聞かない」
「助かります」
ニナが風の止んだ紙を見る。
「覚えれば、私にもできる?」
「できるものはあると思います」
「じゃあ、火から教えて。大会では、あれならできたから」
ロイは机の端にあった皿を引き寄せた。中には粉に近いほど細かな木屑が入っていた。
ニナを見る。
「大会での火起こし、ここでもできますか」
「できると思うけど」
ロイから乾いた草を受け取り、ニナが指先を近づけた。
しばらくすると白い煙が上がり、火がつく。
「やっぱり速いですね」
「大会に出るまで普通だと思ってたけどね」
ニナは苦笑しながら火を消した。
ロイは木屑を示した。
「では、これを一か所へ集めてください」
「浮かせるの?」
「いえ。机の上で寄せるだけでいいです」
ニナが手を向ける。
木屑が動いた。
半分ほどが横へ寄ったが、残りは奥へ散る。
「あ」
「全部を持ち上げなくていいですよ。横へ寄せるだけです」
もう一度。
今度は木屑が机を擦りながら動き、小さな山になった。
「そうです」
「これでいいの?」
「はい。そこへ、いつもの火を」
ニナが木屑を見る。
「燃えるよ」
「そのために置いています」
木屑の下には薄い石板が敷かれていた。
「最初から?」
「もちろんです」
ニナが指先を向ける。
中央から煙が上がり、小さな橙色の火がついた。
「次に、それをあちらへ」
ロイが壁際を指す。
大きな石板が立てかけてある。
「燃えてるのを?」
「押してください」
ニナが火へ手を向ける。
燃えた木屑が机の上を滑った。
途中で崩れ、火のついた欠片が散る。
「まとまらない」
「集める方も少し残してみてください」
「二つ同時?」
「はい」
ニナは眉を寄せた。
もう一度、木屑を集める。
火をつける。
今度はその形を崩さないようにしながら、前へ押した。
火の塊がふっと浮いた。
そのまま壁際の石板へ飛び、ぱっと火の粉を散らした。
ニナは目を丸くし、自分の両手を開いた。
「飛んだ!」
ニナが石板へ駆け寄りかけ、すぐに振り返った。
「見た? ねえ、見た?」
「見た」
ニナの顔がぱっと明るくなる。
「すごい!」
両手を広げて眺める。
「私、今、魔法使った?」
「そう呼んでいいと思いますよ」
ニナは皿に残った木屑を見て、石板の中央を指した。
「次は、あそこへ当てたい」
レオナは皿をニナの方へ寄せた。
「どのくらい使う?」
「さっきと同じ。多いと、集める方が難しいから」
レオナが木屑を分けると、ニナは半分ほど戻した。残りを寄せ、火をつける。塊は石板へ届いたが、狙った中央より下で崩れた。
「低かった」
「でも、途中では散らなかったね」
「うん。次はもう少し上へ向ける」
ニナは石板の前を片づけ、皿を机へ戻した。
「レオナも、やりたかったんでしょ」
「うん。今の、私もできるかな」
ロイは新しい木屑を石板の上へ置いた。
「いいですけど、本当に弱くですよ」
レオナは大会の二つの数字を思い出し、指を少し曲げた。さっきのニナより小さい火にするつもりだった。
ロイが木屑を指した。
「まず集めてみましょう」
レオナが手を向けた。
木屑が一斉に向こうへ飛んだ。
三人でそれを見る。
「集めるのは僕がやりましょう」
「うん」
ロイが新しい木屑を寄せ、小さな山を作った。
「集める方は僕が続けます。レオナさんは火をつけて、そのまま向こうへ押してください」
「二つ一緒?」
「できそうなら。どちらもごく弱く」
「分かった」
レオナは木屑を見る。
ここだけ。
まず、熱を入れる。
木屑の表面が、さっと黒くなった。
橙色の火が上がるより先に、中心が白く光る。
「待っ――」
白い光が青く変わった。
レオナはもう押していた。
青白い光の塊が石板へ走る。
研究室が一瞬、真昼のように明るくなった。
壁際で鈍い音がした。
熱い風が広がり、机の紙が舞う。
「あつっ」
ニナが腕で顔を覆った。
紙の一枚に火がつく。
机の端からも煙が上がった。
「火!」
三人が一斉に動いた。
ニナが燃えた紙を床へ落として踏む。
ロイが桶を引き寄せる。
レオナも燃えた紙へ手を向けた。
「押さないでください!」
「なんで?」
「飛び散ります!」
「分かった」
しばらくして、研究室に静けさが戻った。
焦げた匂いが残っている。
机の端は黒くなり、石板の一部は色が変わっていた。梁にも薄く煤がついている。
レオナは自分の手を見た。
「……弱くした」
「知ってます!」
ロイがすぐに答えた。
ニナが吹き出す。
「笑うところですか?」
「ごめん。でも、本当に弱くしたんだろうなと思って」
「した」
「それが問題なんですよ」
ロイはもう壁際へ歩いていた。
石板の前にしゃがむ。
ニナの火が当たった場所には黒い煤がついている。
その隣は、表面そのものの色が変わっていた。
「ニナさんのとは、ずいぶん違いますね」
「火じゃないの?」
「分かりません」
「もう一回やる?」
「やりません」
ロイは石板から目を離さない。
「でも、これは調べます」
***
午後、二人は別の部屋へ呼ばれた。
ロイは机に何枚かの紙を広げていた。
「少し分かってきました」
「何が?」
「あなたのことです」
レオナが椅子へ座った。
ロイは紙に引かれた線を指でなぞる。
「レオナさんは、魔法は使えないでしょう」
「えっ」
「たぶん」
「……一個も?」
「今のところは」
レオナは自分の両手を見た。
「こんなにあるのに?」
「量とは別です」
「いっぱいあるのに」
「はい」
レオナはしばらく黙った。
「……でも押せるよ」
「ええ」
ロイが真顔で頷いた。
「ものすごく押せます」
レオナが少しだけ顎を上げた。
「いくつもの操作を一緒に続けるより、何をどちらへ動かすかが決まっている方が、あなたには合うようです。黒牙虎だけを押せたのも、そのやり方でしたね」
「じゃあ、押すのをうまくすればいい?」
「僕はその方がいいと思います」
ロイは机の端にあった細い棒を取った。
「それと、何か向きを決めるものを持ってみるのも手かもしれません」
「向き?」
ロイは棒の先を壁へ向けた。
「手だけで決めるより、どちらへ力を出すのか目で分かるものがあれば、少しやりやすくなるかもしれない」
レオナは棒を見る。
「じゃあ、剣」
「早いですね」
「ヴァンが使ってた」
「まあ、試すだけなら」
ロイは棒を机へ戻した。
隣でニナが口を開いた。
「私は、さっきの続きやっていい?」
「もちろん」
「集めるのも、火を飛ばすのも?」
「やってみましょう」
ニナが笑った。
「やる」
レオナも立ち上がった。
「どこへ?」
「ヴァンのところ」
「場所、知ってるの?」
レオナは止まった。
「知らない」
「先に聞こうね」
***
翌朝。
大会の会場では、すでに別の競技の準備が始まっていた。
レオナは人の間を歩き、ようやくヴァンを見つけた。
向こうもこちらに気づき、手を上げる。
「お。また来たのか」
「うん」
レオナはその前まで行った。
「この前の続き、教えて」
「いいぞ」
ヴァンは近くに立てかけてあった木の棒を一本取り、レオナへ放った。
レオナは両手で受け取った。




