第26話 狙った力
係の者たちが板を元の線まで引き戻すと、参加者の男がもう一度その前へ立った。
「二回目!」
合図とともに、板を支えた木組みが二本の溝を滑っていく。
「9.1!」
一回目は9.3だった。
「ちょっと下がった」
レオナが呟いたところへ、ロイが戻ってきた。
出場は認められたらしい。ただし、最初から全力は出さず、今の参加者と同じくらいを狙うこと。念のため、装置も確認してもらったという。
「じゃあ、出ていい?」
「ええ。できるだけ抑えてくださいね」
「分かってるって」
レオナはもう中央の板を見ていた。
そのあとも何人かが挑戦し、最高記録は11.6まで伸びた。
係の者がこちらを向いた。
「次! レオナ!」
レオナは立ち上がった。
中央へ出てみると、板は客席から見ていたよりずっと大きい。人の背丈を越える板が太い木組みに固定され、その全体が二本の溝の上に載っていた。係の者たちは、レオナが来る前から留め具や木材を念入りに確認している。
「そんなに見なくても大丈夫だよ」
近くにいた男が顔を上げた。
「ロイが念のため見ろって」
客席の端を見ると、ロイと目が合った。
笑っている。
「もう」
レオナは板へ向き直った。
さっきまでの参加者は9くらいで、今の女が11.6。
自分は9くらいを狙えばいい。
「最初は抑えてくれよ」
「分かってるって」
係の男が片手を上げると、広場の声が静まっていった。
「始め!」
レオナは、少しだけ力を出した。
次の瞬間、板を支える木組みが弾かれたように後ろへ走った。二本の溝を一気に滑り、木材の軋む音が広場に響く。後方にいた係の者たちが、慌てて左右へ退いた。
レオナが手を止める。
板は、さっきの女よりずっと後ろで止まっていた。
なぜか、客席が静かだった。
「……壊れた?」
「いや。待ってくれ」
係の者たちが木組みを確かめ、それから目盛りへ集まった。一人が数字を見て、隣の者を呼ぶ。
「……合ってる」
ようやく顔を上げた。
「18.7!」
一瞬遅れて、広場が沸いた。
「十八?」
「誰だ、あれ!」
「板、大丈夫なのか!」
「大丈夫だ!」
係の者の返事に、今度は笑いまで起こる。
けれど、レオナは数字のほうが気になった。
「18.7?」
9くらいのつもりだった。
全然違う。
客席の端では何人かが立ち上がっている。腰に工具を下げた男や、板を抱えた若者。さっき、五つの石を動かした女を囲んでいた者たちもいた。
「あ。また来た」
ニナも気づいたらしい。
何人かがすでに競技場の端へ動き始めていたが、ロイはそちらには目も向けず、記録板へ何かを書き込んでいる。
「レオナ、抑えたんだよね?」
「抑えたよ!」
答えると、近くから笑いが起きた。
「ほんとなのに」
係の者たちが板を元の位置へ引き戻す。
二回目は、さっきよりずっと弱くした。木組みは一回目より手前で止まり、レオナは少し安心した。
「13.2!」
「……あれ?」
弱くはなった。
でも、さっきの人たちよりまだ遠い。
客席ではまた歓声が上がっている。二回とも、それまでの最高記録を上回っている。
それなのに、レオナには二回目のほうが失敗に思えた。
競技場を出ようとすると、先ほど立ち上がった者たちが寄ってきた。
「少しいいか?」
「今の力、いつから――」
「すみません、測定がまだ終わっていません。今お話しすると、二回目の条件を忘れてしまうので」
ロイが間に入り、そのままレオナを連れ出した。
ニナのところまで戻ると、レオナは記録板を覗き込む。
18.7と13.2。
「下げることはできていますね」
ロイが言った。
「でも、狙ったところじゃない」
「ええ」
「最初は、どんな感じで出しました?」
ロイは二つの数字を見比べた。
「少し。二回目は、もっと少し」
「あなたの中では、まだその二つなんですね」
レオナは言い返そうとして、止まった。二つの数字を見ても、どこまで弱くすれば九になるのか、思い出せなかった。
「ロイなら、狙ったくらいにできる?」
「ある程度は」
「18.7も?」
「そこまで動かす力は出せません」
レオナは顔を上げた。
「強さなら、私の方が上なんだ」
「ええ。でも、九を狙って十三では、九で済む仕事にも余分に使ってしまいます」
レオナは二つの数字へ指を置いた。弱くするつもりではいた。それでも、自分の身体が壊れるほど使ったときと、出し方は同じだった。
「……それ、また死ぬやつ?」
「可能性はありますね」
「それは困る」
レオナは十三の数字から、最初に狙った九まで指を戻した。
「次は、九くらいで止めたい」
「そのためにも、どのくらい出しているのか見えるようにしましょう」
ロイは記録板を閉じた。
広場の中を歩いていると、少し離れた場所から短い歓声が上がった。
細長い台がいくつも並び、その上に同じ大きさの乾いた草と細い木片が置かれている。
一人の女が台の前へ立った。
合図。
草の中央から煙が上がり、すぐに小さな炎へ変わる。
「2.4秒!」
周囲から拍手が起きた。
「火?」
ニナが足を止めた。
次の参加者は少し手間取った。煙が何度か上がり、ようやく炎になったところで記録が読み上げられる。
「3.8秒!」
レオナはしばらく競技を見てから、隣を向いた。
「これ、ニナ出れば?」
「なんで私?」
「火つけるの早いじゃん」
ニナが目を瞬く。
「ここまで来る途中も、ずっとニナがつけてたし」
「焚き火でしょ」
「火は火じゃん」
「大会に出るほどじゃないよ」
「じゃあ比べればいいじゃん」
レオナが言うと、ニナは競技台へ視線を戻した。
また一人、火をつける。
「3.5秒!」
「……別に出てもいいけど」
「出るんじゃん」
「レオナに言われたからね」
そう言いながら、ニナはもう受付のほうを見ていた。
参加するのに特別な資格はいらなかった。
用意された火口はどれも同じで、乾いた草を丸め、その上に細い木片を重ねてある。合図から炎がはっきり立つまでを測るらしい。
「いつも通りでいいのかな」
ニナが台の前で呟く。
「いつもどうしてるの?」
「どうって……火をつけてるだけ」
「それが分かんないんだけど」
「私も説明できないよ」
係の者が合図の準備に入った。
ニナが火口を見る。
旅の途中でも、野営の火を起こすときは大抵こんな顔をしていた。手をかざし、少し待つ。乾いた草の奥が赤くなると、そのまま小さな炎が広がっていく。
「始め!」
ニナが片手を向けた。
草の奥から細い煙が立つ。
ほとんど間を置かず、中心が赤くなって炎が上がった。
「2.9秒!」
周囲から少し大きめの拍手が起きた。
ニナは火を見たままだった。
「……速い?」
係の男が笑う。
「今日なら今のところ五番目だ」
「五番目?」
ニナがようやく顔を上げた。
レオナは先に笑った。
「やっぱり速いじゃん」
「知らなかった」
「毎日やってたのに?」
「ほかの人と比べたことないもん」
戻ってきたニナに、ロイが尋ねた。
「よく火をつけるんですか?」
「旅だと、だいたい私」
「なるほど」
ロイはまだ燃えている火口を見る。
「最初から狭いところに熱が集まっていました。ずいぶん慣れていますね」
「そんなこと考えてないけど」
「でしょうね。だから面白いんです」
「何が?」
「考えなくてもできるくらい、やってきたということですから」
ニナは自分の手を見る。
「物を浮かせるのは全然できないのに」
「得意なことは、人によって違いますから」
「魔法でも?」
「ええ」
ニナは少し考えてから、もう一度、自分が火をつけた台を見た。
それ以上ロイは説明せず、三人で広場を抜けるほうへ歩き出した。
出口の近くには、大きな板に明日以降の競技が書き出されていた。
レオナの目が、その中の一つで止まる。
「明日、剣だって」
ニナも板を見る。
「見る?」
「見る」
返事は早かった。
「ロイも?」
「僕は明日は行けませんね」
「なんで?」
「仕事があります。それと、レオナさんの測定器ができたそうなので、調整の様子を見に行ってきます」
レオナが振り返った。
「もうできたの?」
「ええ。一応は。まだ調整が必要だと思いますけど」
「じゃあ、私がどのくらい出してるか分かる?」
「それを確認してきます」
レオナは少し迷ってから、もう一度予定表へ目を戻した。
「……でも剣も見る」
「そっちは逃げないよ」
ニナが笑う。
「じゃあ私たちは、こっち」
「だね」
二人は並んで予定表を見上げた。
広場の向こうでは、まだ今日の競技の歓声が続いていた。




