第25話 競う町
広場へ近づく前から、人の声が聞こえていた。
数日前に通ったときには、太い木材を担いだ職人たちが行き交っていた場所だった。それが今日は、道の途中からすでに人の流れができている。子どもを連れた家族もいれば、腰に工具を下げた職人、荷物を背負った旅人らしい姿も混じっていた。
その流れについて角を曲がると、広場の入口が見えた。
同時に、焼いた肉の匂いがした。
人の流れに沿って歩いていたレオナの足が、横へ逸れる。
「レオナ、そっちじゃないよ」
ニナに呼ばれて、レオナが振り返った。
「分かってる。あれだけ」
指した先では、薄く切った肉を鉄板の上へ並べていた。隣には平たいパンが積まれ、そのさらに向こうでは赤い実を煮たものを木の器へよそっている。
「大会、始まるよ」
「食べながら行く」
「もう買う気なんだ」
ニナも結局、レオナについて人の流れを外れた。
食べ物の店に混じって、細い台の上へ小石を並べた屋台もある。子どもが台へ手を向け、一つを転がした。
「動いた!」
「今、指で押しただろ」
「押してない!」
店番の男が笑いながら、石を元の位置へ戻している。
少し先まで歩いていたロイも、二人がついてこないことに気づいて戻ってきた。
「どうしました?」
「レオナが買うところ。食べながら行くって言うから、連れていくしかないね」
「食べながら行くよ」
「ああ。それなら僕も」
「ロイまで?」
「朝からあまり食べてないので」
三人で肉を挟んだパンを買い、今度こそ広場へ向かった。
まだ熱い。
レオナが端をかじったところで、前方から大きな声が上がった。
「八!」
続いて、腹に響くような音がした。
どん、と地面が揺れる。
レオナはパンを持ったまま顔を上げた。
「始まった?」
「だから言ったでしょ」
ニナの足が速くなる。
広場は、数日前とはまるで違っていた。
中央を囲むように何段もの座席が組まれ、その外側まで人が立っている。入口の左右には食べ物の店だけでなく、小さな魔石や金具、細い棒、見たことのない道具まで並んでいた。
また歓声が上がる。
三人は人の間を抜け、中央が見える場所まで進んだ。
地面には一本の線が引かれ、その先へ太い杭が等間隔に並んでいる。
線の前にあるのは、腰ほどの高さまである四角い石だった。
一人の男が、その前へ立つ。
「始め!」
係の声と同時に、男が両手を突き出した。
石が地面から跳ねた。
土を蹴り上げながら前へ飛び、数歩先へ落ちる。鈍い音とともにもう一度跳ね、土煙の中を転がって止まった。
前の方の客が顔を背け、子どもたちは笑っている。
記録係だけは慣れた様子で石へ駆け寄った。
「7.5!」
広場が沸いた。
「去年より行ったぞ!」
「いや、去年の石より軽いだろ!」
「同じだよ!」
あちこちから声が飛ぶ。
レオナは手に持ったパンを食べるのも忘れて、石を見ていた。
「すごい」
「これは見栄えがしますね」
ロイも楽しそうに眺めている。
係の者たちが石を元の位置へ戻す。
次に出てきたのは、先ほどの男よりずっと小柄な女だった。
客席の一角から、急に声が上がった。
「今年も出るのか!」
「去年の一番だぞ!」
女は聞こえているのかいないのか、石の前に立ったまま片手を伸ばした。
合図が出る。
石は跳ねなかった。
地面を擦りながら、ゆっくり動き始める。
「あれ?」
レオナが首を伸ばした。
速くはない。それでも止まらず、一つ目の杭、二つ目、三つ目と進んでいく。先ほどの男の石が止まった場所へ近づいても、まだ動いていた。
観客の声が少しずつ大きくなる。
「七!」
「まだ行くぞ!」
八本目を越えたところで、ようやく石が止まった。
女が大きく息を吐く。
「8.2!」
広場中から拍手と歓声が上がった。
レオナも手を叩きかけて、まだパンを持っていたことに気づいた。
「最初の人の方が、どんってなったのに」
レオナは八本目の杭を越えた石を見た。
ロイは二人の参加者を見比べていた。
「一度に出した力なら、たぶん最初の方でしょうね」
「なのに負けた?」
「この競技では」
「なんで?」
「さあ」
レオナが横を見る。
ロイはまだ競技場を見ている。
「二人の記録を比べたいですね。力以外に何が違ったのか、この結果だけでは分かりません」
「分からないんだ」
「分からないから面白いんですよ」
その後も、石が飛び出すたびに観客の声が上がった。大きく跳ねて距離を失う石も、低く滑って杭を越える石もあった。
レオナは次の参加者が出てくるたび、今度はどう動くのかと石を見るようになっていた。
やがて競技が終わり、中央の大石が運び出される。
「次まで少しかかりますよ」
ロイが言った。
レオナは広場の外へ目を向けた。
「あっち見てくる」
「また食べるの?」
「それも」
三人で屋台の方へ戻り、赤い実を煮たものを買った。隣の店では、次の競技に出る女の記録を客たちが予想している。
「去年は四つやったぞ」
「今年は五つか?」
レオナは木匙を口へ運びながら声のする方を見た。中央で台の組み替えが終わると、ニナに袖を引かれ、客席へ戻った。
***
中央には、低い台がいくつも並んでいた。
その上には、黒と白の小さな石が入り混じって置かれている。向こう側には丸い印が五つ描かれていた。
「黒いのを、あそこまで?」
ニナが聞く。
「見れば分かると思いますよ」
ロイが答える。
最初の参加者が台の前に立った。
手を向けると、黒い石が一つ動く。
そのすぐ隣にあった白い石も、わずかに揺れた。
係の者が板へ何かを書きつける。
「あ。白いの動かしたら駄目なんだ」
「そのようですね」
参加者は一つ目の黒い石を丸の中へ入れた。
二つ目。
今度は慎重になりすぎたのか、なかなか動かない。ようやく進み始めたところで、別の白い石が弾かれた。
客席から惜しむ声が上がる。
何人かが続いた。
一つずつなら正確に運べる者。二つ同時に動かそうとして、周りまでまとめて散らしてしまう者。
レオナはいつの間にか食べる手を止めていた。
森で木の実を並べていたころより、みんなずっと上手い。それでも、いくつも同時に動かすところまではなかなかいかない。
次の参加者が出てきたとき、客席がざわついた。
さっき屋台で話題になっていた年配の女だった。
台の前で手を上げると、五つの黒い石が一斉に浮いた。
「え」
レオナが器を持ったまま身を乗り出した。
石は五方向へ散った。
一つが白い石の間を真っすぐ抜け、その横では別の一つが大きく回り込む。二つが互い違いに進んでも、ぶつからない。五つの黒い石は白い石に触れず、別々の道を通って、ほとんど同時に丸の中へ落ちた。
一瞬遅れて、歓声が上がった。
レオナは丸の中の石を見た。
「……私、一個でもあんなに曲げられない」
「今は難しいでしょうね」
ロイが言う。
ニナがロイを見る。
「ロイはできる?」
「できますよ」
あまりに普通に答えるので、ニナが少し黙った。
「五個、同時に?」
「ええ」
「簡単に言うね」
ロイは少し考えた。
「こういうことを色々試していたら、いつの間にかできるようになっていました」
「それ、できる人の言い方だよ」
「そうですか?」
レオナは台を見た。
五つ。
一つでも、周囲を巻き込まないようにするのに苦労した。
「ロイは、何個までできる?」
「数えたことがないんです。この大きさなら、先に並べる場所がなくなりそうですね」
レオナは、台に残った白い石をもう一度見た。一つだけを動かすのに苦労した朝が、ずいぶん前のことに思えた。
競技を終えた年配の女が台を離れる。
すると、客席の端から何人かが一斉に立ち上がった。
腰に工具を下げた男。きちんとした服を着た女。板を抱えた若者。
競技場から出てきた女を囲み、すぐに話を始める。
「今の、金属でもできるか?」
「その前に一度、うちで測らせてください」
「うちなら材料も出せる」
「去年もそう言って連れていっただろ」
「声をかけるのが遅いんですよ」
囲まれた女は、困るどころか慣れたように笑っていた。
「……取り合ってる」
ニナが言う。
「たまにああなります」
「大会なのに?」
ロイは少し首を傾げた。
「大会だからですよ」
その先では、さっき大石を遠くまで動かした女も別の集団に囲まれていた。何かを書いた板を見せる者がいて、その隣では工房の名らしいものを何度も口にしている。
改めて客席を見ると、記録板を持った人間があちこちにいた。
「仕事を探しに来る人もいるの?」
「仕事の方が、人を探しています。あの板を持った人たちは、そちらでしょうね」
ロイはそれだけ言って、次の競技場へ目を向けた。
中央では、小石を並べた台が片づけられている。
代わりに運び込まれてきたものを見て、レオナもそちらを向いた。
大きな木の板だった。
人の背丈より高く、裏には何本もの太い木材が組まれている。板の前には一本の線が引かれ、後ろでは係の者たちが長い目盛りを確かめていた。
客席も少し騒がしくなる。
「今度は?」
レオナが聞く。
ロイが競技表を見る。
「ああ。押す力ですね」
「どのくらい押したか分かる?」
「ある程度は。後ろの仕掛けで測ります」
レオナは板を見る。
力を出すこと自体なら、何度もやってきた。
けれど、それがどのくらいなのかは、まだ分かっていない。
「出たい」
ロイがレオナを見る。
「出てもいい?」
「もちろんです」
そう答えてから、ロイは大きな板へ目を移した。
裏側の木組みを見る。
係の者たちを見る。
もう一度、レオナを見る。
「……少し待ってください」
「だめ?」
「いえ。出るのは構いません」
ロイは広場の中央へ向かって歩き始めた。
「どこ行くの?」
「少し仕事をしてきます」
「仕事?」
ロイは振り返らなかった。
「壊れないか確認する仕事です」
ニナが吹き出した。
レオナは大きな板を見た。
「そんなに?」
「ロイが確認するくらいにはね」
レオナは大きな板を見た。自分がどのくらい出しているのかは、まだ分かっていない。まずは、あの人と同じくらいにしてみようと思った。
中央では、最初の参加者が線の前へ立った。
観客の声が少しずつ静まっていく。
係の男が片手を上げる。
レオナは器に残っていた最後の実を口へ入れ、空になった器をニナへ渡した。
「持ってて」
「もう出る気じゃん」
「うん」
係の手が振り下ろされた。
参加者が両手を突き出す。
大きな音とともに板が後ろへ揺れた。
観客から歓声が上がる。
係の者が目盛りを確かめた。
「9.3!」
また声が沸いた。
レオナは揺れの残る板を見た。
「9.3か」




