第22話 測る場所
「南だ。森を出て、人間の道をいくつも越えた先にある」
老人はそう言って、開いていた箱の蓋を閉じた。
「リードって町だ。魔力のことばかり調べとる、変わったところでな。あいつは今もそこにいるはずだ」
「遠い?」
「かなりな。わしは何十年も森の外へ出とらんから、道までは知らん。詳しいことはネラに聞け。昔、あいつに治すやり方を教えたのはネラだ」
レオナが隣を見ると、リセが頷いた。
「さっきの作業場へ戻れば会えるよ」
「じゃあ、会えるね」
立ち上がったレオナは、扉へ向かう前にもう一度だけ机の上の箱を見た。中には、自分と同じように長く姿を変えなかったかもしれない女と、グレイホーンによく似た角を持つものの記録が眠っている。
「これ、また見に来てもいい?」
「壊さんならな」
「分かった」
今度こそ扉を開けると、リセもそのあとに続いた。
***
外縁の拠点へ戻ると、ニナは荷の受け渡しをしているところだった。
レオナたちに気づいて片手を上げたものの、すぐにはこちらへ来ない。箱の数を相手と照らし合わせ、縄を締め直し、最後の一つが運ばれていくのを見届けてから、ようやく近づいてきた。
「どうだった?」
「昔にも、私みたいな人がいたかもしれない」
ニナの眉が上がった。
「いたの?」
「まだ分からない。同じ女のことみたいな記録は残ってたけど、名前も、そのあとどうなったかも残ってなかった」
「そっか」
惜しそうに言ってから、ニナはレオナの顔を見る。
「でも、それだけじゃなさそうだね」
「うん。魔力を調べてる人がいるんだって。これからネラに聞く」
「ネラなら、あっちにいるよ」
ニナが指した先には、大きな屋根の下へいくつもの籠が並べられていた。
ネラはその前に腰掛け、乾いた葉や根、粉の入った小袋を確かめている。森の奥へ持ち帰るものらしく、隣では別のエルフが受け取った薬を籠へ詰めていた。
「それは三つあれば足りるよ。こっちは、もう一袋もらっとこうかねえ」
ネラは中身を指で確かめ、袋の口を結び直してから隣へ渡した。そこで三人に気づき、目を細める。
「あれ。もう戻ったのかい」
「聞きたいことがある」
「ちょっと待ちな」
最後の束を籠へ入れ、運ぶエルフにいくつか言いつける。相手が籠を抱えて離れていくと、ネラは膝についた葉屑を払いながらレオナを見た。
「それで?」
「昔、ネラに治すやり方を教わった人が、森の外で魔力を調べてるって聞いた」
「ああ、あの子かい」
すぐに誰のことか分かったらしい。
「まだ向こうにいる?」
「まだいるだろうね。たまに帰ってきても、自分の話をするだけして、すぐ向こうへ戻っちまう」
「何を調べてるの?」
「石の大きさを揃えて、人を替えて、次は石を替えて。あの子は、そういう違いが気になるんだよ。私は途中で聞くのをやめたけどね」
「違いが分かるの?」
「分かるものは測ってるんだろうね」
ネラは答えながら、籠からこぼれていた葉を一枚拾った。
「もっとも、この前聞いたときには、もう石だけじゃなかったよ。空中に火の玉みたいなものを浮かせたとか、何もないところで風を起こしたとか言ってたねえ。何に使うかも決めないで、よくやるよ」
「浮いてるの?」
レオナがすぐに聞いた。
「そうらしいよ。小さくて、すぐ消えたってさ」
「何も燃やしてないのに?」
「火がつく物を置いたかどうか? そこまでは聞いてないねえ」
「見たい」
間を置かずに出た言葉に、ネラが笑った。
それまで黙っていたニナも身を乗り出す。
「それ、人間でもできるの?」
「さあねえ」
「練習ならするよ。私も浮かせてみたい」
「そこまで知りたきゃ本人に聞きな」
ニナは口を閉じたが、まだ何か聞きたそうにしている。
レオナの方は、別のところに引っかかっていた。
「風って、何を動かしてるの?」
「私に聞くのかい?」
「ネラは分からない?」
「分からないねえ」
レオナは考えた。
「……じゃあ、見ないと分からないね」
「そういうことにしときな」
横でリセも笑っている。
「レオナも、分からないと見に行くんだね」
リセに言われ、レオナは少し笑った。
「私のことも調べてもらえるかな」
「あんたが行ったら、喜ぶだろうねえ」
ネラは薬草の束をまとめた。
「私に見られるのは、どこへどう力をかけてるか、そのくらいだよ。死んだと思ったらまた出てくるなんて、ほかには知らないからね。あの子だって、分からないかもしれないよ」
「でも、調べられる?」
「それはやるだろうね」
「じゃあ行く」
ニナは、自分の指先を見た。
ネラは脇に置いていた布袋を引き寄せ、底から指二本ほどの幅の薄い木片を取り出した。
「ただ、そのまま行っても、あの子のいるところまでは入れてもらえないかもしれないね」
「町には入れる?」
「町は平気さ。入れないのは、その中だよ。危ないものも置いてあるって言ってたからねえ」
薬草を切るのに使っていた小刀で、木片へいくつかの線を刻み、端へ小さな切れ込みを入れる。
「これを見せて、私から聞いて来たって言いな。あの子なら分かるよ」
レオナは受け取った木片を裏返した。
「なくしたら?」
「なくすんじゃないよ」
「分かった」
服の内側へしまう。その手元を見ていたニナが口を開いた。
「レオナと一緒なら、私も――」
言い終わる前に、ネラはもう布袋から二枚目の木片を出していた。
「ほら」
「まだ行くって決めてないけど」
「いらなきゃ使わなければいいさ」
同じ印を刻み、ニナへ差し出す。
ニナは木片を見つめたあと、受け取った。
「……ありがとう」
「なくすんじゃないよ。二人とも」
リセが声を上げて笑った。
***
森で残っていた仕事を終えるまで、あと二日かかった。
帰り道もニナは荷を見て、隊列の前後を行き来した。
木々がまばらになり、森の外へ続く道まで来たところで、リセが足を止める。
「私はここまで」
ニナも振り返った。
「ありがとう」
レオナは森の奥を見た。
あの中には古い記録も、ネラもいる。グレイホーンが今どこにいるのかも、結局分からないままだった。
「また来る?」
「うん」
レオナはすぐに答えた。
「まだ見たいものあるから」
「じゃあ、またね」
「またね」
リセは二人へ手を上げ、そのまま木々の間へ戻っていった。
***
ハルへ戻ったのは、それから数日後だった。
ニナは依頼主へ荷を渡し、受け取るものまで確認して今回の仕事を終えると、その日のうちにレオナを連れて家へ向かった。
ユアンは家の前で、割れた木箱の底を張り替えていた。
「おかえり」
「ただいま。仕事は終わったよ」
「何かあったか?」
「うん。ちょっと話がある」
その言い方に、ユアンは工具を置いた。
家の中にいたミラも加わり、四人で卓を囲む。レオナがリードへ行くつもりだと話し、ニナが場所とおおよその道を補うと、ユアンは眉を寄せた。
「そこまで行くのか」
「うん」
「一人で?」
「そのつもりだった」
「だから、私も行こうと思ってる」
ニナが言った。
ユアンは娘へ顔を向ける。
「仕事は?」
「今回のは終わったし、次はまだ受けてない。途中までは道も分かる」
「しばらく戻れないぞ」
「分かってる」
ユアンは一度レオナを見て、それからまたニナを見る。
「それだけか?」
ニナは黙った。
「……私も行きたいの」
今度は言い訳を足さなかった。
ミラが笑う。
「それなら、そう言えばいいのに」
「最初からそれだけじゃないよ。レオナ一人じゃ心配なのも本当」
「何が心配?」
レオナが聞く。
「そこから説明しないと駄目?」
「うん」
「あとでね」
ユアンが吹き出した。
「次の仕事を受けてないなら、自分で決めろ。もう俺に聞いて決める歳でもないだろ」
「いいの?」
「駄目だと言ったらやめるのか?」
ニナは考える。
「……たぶん、もう一回頼む」
「なら同じだ」
ユアンは笑った。
***
出発は三日後になった。
朝、二人が家を出ると、ユアンとミラも外までついてきた。
ニナはいつもの護衛仕事より大きな荷を背負っている。レオナの荷物も一度全部確認され、食料や替えの布が増えた代わりに、森で拾った石はいくつか減らされていた。
ユアンがニナの腰元を見る。
「守り石は?」
「持ったよ」
ニナが小さな袋を軽く叩いた。
レオナも、その袋を一度見た。
何も言わず、自分の荷を背負い直す。
ミラがニナの肩紐を引き、位置を直した。
「帰ってきたら、向こうで見たものを聞かせてね」
「うん」
「どんな町だったかも」
「分かった」
ミラは頷いて手を離すと、レオナにも目を向けた。
「レオナもね」
「うん。面白かったもの、覚えてくる」
「楽しみにしてるわ」
ユアンは二人の荷物を眺めてから、レオナへ向き直った。
「ニナを頼む、と言いたいところだけど」
「うん」
「道では、たぶんあいつの方が頼りになるな」
「そうだと思う」
「聞こえてるよ」
ニナが振り返った。
「褒めてるんだ」
ユアンはそう返してから、もう一度レオナを見る。
「今度はちゃんと帰ってこいよ」
レオナは瞬きをした。
「何十年も経ってからじゃなくてな」
間が空いた。
「うん。そうする」
「ならいい」
ユアンはそれ以上言わなかった。
「行ってきます」
ニナが言う。
「行ってらっしゃい」
ミラが返し、ユアンも片手を上げた。
レオナも二人へ手を振って、ニナと並んでハルを離れた。
朝の市場では、平たい岩の周りへ荷が並び始めている。人の声を背中に聞きながら南へ続く道へ入り、歩いていくうちに、家々も低い柵も遠くなった。
「火の玉、私にもできるかな」
ニナが言った。
「見たい」
「見るだけ?」
「近くで」
「危なくない?」
「すぐ消えるって言ってた」
「そういう問題かな」
ニナが笑った。
しばらく歩いてから、レオナが言う。
「見たら、やってみたい」
「やっぱり」
「ニナもでしょ」
「私は先に、できるか聞くよ」
「私は見て、やる」
「順番が逆なんだよ」
「そう?」
二人は笑いながら、南へ続く道を進んだ。
リードまでは、まだずっと先だった。
「今日、どこまで行けるかな」
ニナが前を見たまま言った。
「できるだけ遠く」




