第21話 昔のもの
レオナは手にしていた枝を足元へ置いた。
「何が分かったの?」
「似た話が見つかったの。分かったかどうかは、見てからにして」
リセは森の奥へ続く道を振り返った。木箱に腰掛けていたニナも立ち上がりかけたが、リセがそちらへ向く。
「ニナはここで待ってて」
「うん。……レオナはいいんだ」
少し意外そうに、ニナがレオナを見る。
「何で?」
「さあ」
ニナはもう一度木箱へ腰を下ろした。
「私はここで待ってるよ。行ってきな」
「分かった」
リセはそれ以上説明せず、森へ歩き出した。レオナも後を追い、途中で一度だけ振り返ると、ニナが片手を上げた。
これまで使っていた道よりも細く、二人で並ぶと枝が肩に触れた。進むにつれて地面の起伏が大きくなり、太い根を避けるように道が何度も曲がっていく。
しばらくすると、木々の隙間に家が見え始めた。
外縁の拠点にあった小屋より古く、柱の下半分だけ色の違う木で継がれているものや、屋根に新しい板と黒ずんだ板が入り交じっているものもある。一本の大木を避けて途中で曲がった木道は、中央が浅く窪んでいた。
「ここ、いつからあるの?」
「私が生まれる前から」
レオナはリセを見る。
「リセって何歳?」
「二百ちょっと」
「長いね」
「そう?」
レオナは少し考えた。
「私と、どっちが長いんだろう」
「……レオナには言われたくないな」
「生きてた時間なら、リセの方が長いかも」
「死んでた間まで数える気?」
「入れたら駄目?」
「死んでた間まで足したら、何の長さか分からないじゃない」
「そっか」
「納得するんだ」
リセが笑い、レオナも少し笑った。
道沿いでは何人かのエルフが作業をしていた。籠を編んでいた者が顔を上げ、軒先で薬草を束ねていた男も手を止める。声をかけてくる者はいなかったが、二人が通り過ぎたあとにも視線はしばらく背中に残った。
集落の奥で、リセは一軒の低い建物の前に立ち止まった。
ほかの家より窓が少なく、扉の脇には文字の刻まれた古い木板が掛けられている。中へ入ると、乾いた木と布、それに少し埃っぽい匂いがした。
壁際には棚が並び、木板や石片、巻かれた布、束ねられた薄い皮が収められている。何に使ったのか分からない道具も多く、レオナが入口近くの黒い石に目を向けていると、棚の向こうから声がした。
「それはただの重しだぞ」
白髪の老人が、机に古びた布を広げていた。長い髪を後ろで束ね、布の端を小さな石で押さえている。
「きれいだったから」
「重しにもきれいなのはある」
老人は布から顔を上げ、リセを見る。
「連れてきたか」
「うん。この子」
「話は聞いた」
それだけ言うと、老人は広げていた布を巻き、棚へ押し込んだ。その上に積んであった木板を何枚か脇へどけると、端の欠けた一枚の上へ、さらに別の板を重ねた。
「そんなに重ねて大丈夫?」
「それくらいで壊れるものは、とっくに壊れとる」
老人は棚の奥から細長い箱を取り出し、机へ置いた。
「昔にも、長い間姿の変わらなかった者の話がある」
レオナがすぐそばまで寄る。
箱の中には、何枚かの薄い木板と、形も色も違う石片が収められていた。
「これは全部、その人の?」
「そんなに簡単なら苦労せん。違う時代、違う場所の記録だ。同じ女のことを書いたらしいものを、あとから集めてある」
老人は一枚を机へ置いた。レオナには文字そのものが読めず、刻まれた線もところどころ擦れて途切れている。
「古いものには、森へ来た女の話がある。並外れて大きな力を持っていたらしい。倒れた木を一人でどかした、傷ついた者を助けた、薬の使い方を教えた――そんな話だ」
「それだけ?」
「せっかちだな」
老人は次の板を出した。
「川の流れを変えた、と書いたものもある」
「何で?」
老人は文字の途切れたあたりを指でなぞった。
「そこから先が読めん。ただ、書いたやつはずいぶん怒っとる」
「困ったのかな」
「そうかもしれんな」
レオナは板へ顔を近づけたが、消えた文字が読めるようにはならなかった。
「ほかには?」
「まだ聞くか」
老人はそう言いながら、別の一枚を引き寄せる。
「こっちはずっと後のものだ。書いた者が子どもの頃にも、大人になってからも、同じ姿だったとある」
レオナの顔が上がった。
「ずっと?」
「そう読める」
「最後は、死んだの?」
老人は木板をめくり、さらに箱の中も確かめた。
「そこから先がない」
「死んだあと、また出てきたとか。消えて、ずっとあとに戻ったとかは?」
「少なくとも、ここにはないな」
レオナは木板と老人を見比べた。
「本当に?」
「あるなら見せとる」
さっきまで机へ乗り出していた身体が、少しだけ戻った。
「……そっか」
老人は別の板を箱の脇へ置いた。
「名前も残っとらん。『森へ来た女』だの『変わらぬ女』だの、記録によって呼び方も違う。助けられたと書く者もおれば、勝手なことばかりする女だったと怒る者もおる」
「勝手なことって?」
「それも肝心なところが残っとらん」
レオナは欠けた木板へ視線を落とした。
「今では女神と呼ぶ者もおるが、その呼び名が出てくるのは、もっとずっと後だ。昔の人間だったのか、人ではなかったのか。それすら分からん」
「自分が何なのか、その人は知ってた?」
「さてな」
「……何にも残ってないね」
「こんな昔のものにしては、よく残っとる方だ」
「そうなんだけど」
レオナは欠けた部分をしばらく見てから、指を離した。
「私は、どうして戻るんだろう」
老人は答えず、並べた木板へ目を落とした。
「それは、ここには書いておらん」
「でも、何もなかったわけじゃないよ」
隣にいたリセが言った。
レオナが顔を上げる。
「レオナみたいなのが、昔にもいた」
「……うん」
老人が板を箱へ戻そうとしたとき、その下から小さな石片が滑り、机の端から落ちた。
レオナが拾う。
表面には何かの姿が粗く刻まれていた。身体の形はほとんど分からないのに、頭から伸びた大きな角だけが妙にはっきり残っている。
「これ」
「何だ?」
「今日見た」
老人が石片を受け取った。
「何をだ」
「グレイホーン」
老人の眉が少し上がる。
「まだおったか」
レオナも顔を上げた。
「知ってるの?」
「わしが子どもの頃にも、その名はあった」
老人は石片を裏返し、また表へ戻す。
「これも?」
「もっと古い」
それだけ言って、石片を箱の隅へ戻した。
老人が蓋を閉じようとしたところで、レオナはもう一度、最初の木板を見た。
「知りたいな」
老人の手が止まった。
「何をだ」
「その人のことも。私が何で戻るのかも」
「欲張りだな」
「駄目?」
「駄目とは言っとらん」
老人は木箱の蓋から手を離した。
「そこまで知りたいなら、会ってみるといいやつがおる」
レオナが顔を上げる。
「誰?」
「うちの若いのだ。森の外へ出て、魔力を調べとる」
「何を調べてるの?」
「何でもだ。あれは、分からんものを見ると測らずにはおれん」
「測ったら、分かるの?」
老人は鼻を鳴らした。
「分かるまで測るんじゃろうな」
レオナはすぐに身を乗り出した。
「どこにいるの?」
老人が笑った。
「やっぱり、そこを聞くか」




