第20話 細い力
森の外縁の拠点が見えてきたところで、先に気づいたエルフが手を止めた。
レオナとニナの後ろには、三体のゴブリンがいた。
二体が真ん中の一体を支えている。負傷した一体は片脚をほとんど地面につけられず、引きずるようにして歩いていた。
「……連れてきたの?」
乾かしていた薬草を抱えたエルフが、少し離れたところから言った。
「怪我してる。ネラは?」
「いるけど」
視線が、レオナの後ろへ戻る。
ゴブリンたちも足を止めていた。一体は負傷者を支えたまま、もう一体は短い槍を握っている。穂先を向けてはいないが、手放す様子もない。
「まあ、そうなるよね」
ニナが小さく言った。
レオナは振り返り、手招きした。
「大丈夫」
ゴブリンたちは動かなかった。
やがて負傷した一体が仲間を見る。槍を持った一体も、しばらくレオナを見ていた。
それから、三体はまた歩き出した。
その騒ぎを聞きつけたのか、建物の奥からネラが出てきた。
「何?」
「森で――」
ニナが説明を始めるより先に、ネラの目が負傷したゴブリンへ向いた。
「そっち、寝かせて」
「え」
「早く」
近くにいたエルフが慌てて敷物を広げた。
ゴブリンたちはまた足を止めた。ネラが近づくと、槍を持った一体の肩がわずかに上がる。
ネラは気にした様子もなく、負傷したゴブリンを指した。
「その脚に体重を掛けさせないで。寝かせて、こっちへ向けて」
負傷したゴブリンは仲間の顔を見た。しばらくして支えられていた腕を離すと、二体もそのすぐそばにしゃがんだ。
ネラは傷を見た。
脚の毛に血が固まり、その下で新しい血がまだ滲んでいる。
水で傷の周りを洗い、泥と小さな木片を取り除く。指先で脚を何度か押すと、ゴブリンが歯を見せた。
「そこは痛いね」
ネラは独り言のように言った。
次に、傷口から少し離れた場所へ二本の指を添える。
レオナはその手元を見た。
前にここで見た治療者は、傷の周囲を探るように少しずつ指を動かしていた。ネラには、そうした迷いがほとんどない。
一か所に指を置くと、傷口から滲んでいた血が弱くなる。すぐに指を離して指一本分ほど横へ移すと、今度は強張っていた脚がわずかに緩んだ。
レオナは眉を寄せた。
「傷、そっちじゃないよ。そこにもかけるの?」
「うん」
ネラは短く答えて、また指を移した。
「血が出たところは見えてるね。足先も見てごらん。そっちも確かめるんだよ」
レオナは足先へ目を移した。丸まっていた指が、一度開いた。
「こっち、動いた」
「そっちは見ていて。動かなくなったら言ってね」
ネラは傷のすぐ脇へ指を移した。レオナは足先を見ながら、その手元も追った。
「こっちは?」
「弱く」
「さっきのところは?」
「もういい」
場所はほとんど離れていない。それでもネラは、それぞれを別の場所として扱うように、迷わず指を移していく。
「一緒にやったら駄目なの?」
「駄目」
「なんで?」
「ここは止める。こっちは止めない」
ネラは指を置いたまま言った。
「まとめて止めたら、治す方まで止まっちまうよ。私の指がどこへ行くか、見てな」
横で見ていたニナが、少し身を乗り出した。
「その止める方、私もできる? 押すのとは違うね」
「百年くらいやれば、できるんじゃない?」
「その頃には死んでるよ。私、エルフじゃないから」
「ああ、そうだったね」
ネラは笑って、また傷へ目を戻した。
レオナは黙ってその手元を見ていた。
しばらくして、ネラが息を吐く。
「これなら大丈夫」
傷は残っていた。別のエルフが薄い色の粉を振り、布を巻いていく。
「歩ける?」
レオナが聞いた。
「今日は無理」
「明日は?」
「分からない。あとは自分で治っていくよ。今日は歩かせない方がいいね」
ネラは立ち上がった。
負傷したゴブリンは、まだ横になったままだった。そばにいた二体が顔を見合わせる。
ネラが近くにあった細い棒を二本指すと、エルフが古い布を持ってきて、その上へ掛けた。
ゴブリンの一体が手元を見て、少ししてから反対側の布を取って棒へ結ぶ。もう一体も負傷者の肩を支え、不格好ながら人ひとりを載せられる担架ができあがった。
負傷したゴブリンをそこへ移すと、仲間の一体が槍を背負い直し、二体で棒を持ち上げた。
帰り際、負傷したゴブリンがレオナを見て、何か短く言った。
意味は分からなかった。
レオナが手を上げると、ゴブリンも少しだけ手を上げた。
三体は、来た道をゆっくり森へ戻っていった。
姿が木々の向こうへ消えてから、ネラがレオナを見る。
「それで、できたのかい?」
「何が?」
「あの三つの実だよ」
「あ」
レオナは腰の小さな袋へ手を入れ、三つの木の実を取り出した。
ニナが横から覗き込む。
「まだ持ってたの?」
「課題だから」
「律儀だねえ」
レオナは地面へしゃがみ込み、三つの木の実をほとんど隙間なく並べた。真ん中の実を見つめながら、黒牙虎だけを狙って押したときの感覚を探る。
一つだけ。両脇には触らない。
手を向けた。
ころ、と真ん中の木の実だけが転がった。
左右は動かない。
「……できた」
拾って並べ直しても、真ん中だけが転がった。レオナは両脇の実をつまみ、元の位置から動いていないことを確かめた。
「ニナ、これ見て」
「見てたよ。森でも、今も」
ニナに笑われ、レオナも笑った。
レオナは気にせず三度目を並べようとしたが、ネラがそれを止め、足元から腕ほどの長さの枯れ枝を拾った。
「それはもういいよ。じゃあ次」
地面へ置いて、その中央を指す。
「ここだけ」
「ここ?」
「そこ」
レオナが手を向けると、枝は丸ごと跳ねた。
ネラはそれを拾って元の場所へ戻す。
「全部押したね」
「細くしたつもりだった」
「つもりじゃ駄目」
ネラはもう一度、同じ場所を指した。
「枝を押すんじゃない。ここだけ」
レオナは指された一点を見つめ、そこへ手を向けた。
枝は動かなかった。
ぱき、と乾いた音がして、中央から二つに折れた。
レオナは目を瞬いた。
「……折れた」
「折れたね」
ネラは二つになった枝を拾い上げた。
「今までのあんたは、いらないところまで一緒に押してたんだよ」
「無駄だった?」
「ずいぶんね。今のはここだけ。だから少なくて済む」
レオナは折れ口を見つめた。さっき枝を丸ごと飛ばしたときより、腕には何も残っていない。指を開き、もう一度握った。
「身体も楽?」
「出す量が減れば、そのぶんはね」
岩喰いを止めたときの、胸が潰れ、息が入らなくなった感覚が蘇る。
「もっと細くしたら、もっと少なくて済む?」
「上手くできればね」
「どこまで細くできる?」
「知らないよ」
ネラは即答した。
「やってみれば?」
レオナは折れた枝を受け取ると、すぐ近くに落ちていた別の枯れ枝へ目を向け、そのまま拾い上げた。
ニナがため息をついた。
「まだやるの?」
「もう一回」
ネラが笑った。
「そう言うと思った」
***
気づけば、レオナの足元には折れた枝が何本も転がっていた。
少し離れた木箱に腰掛けたニナは、頬杖をついている。
「まだやるの?」
「もう少し」
「さっきも聞いた気がする」
レオナが次の枝を拾ったところで、森へ続く道から足音がした。
「ずいぶん夢中だね」
戻ってきたリセが、足元の枝を見て笑った。
「死なない方は、少し進んだみたいだね」
レオナが顔を上げる。
「たぶん」
「じゃあ、もう一つ」
リセは森の奥を振り返った。
「生き返る方も、調べておいたよ」
レオナの手が止まった。
「……私の?」
「うん」
リセは頷いた。
「見せたいものがある」




