第18話 森にいるもの
翌朝。
三つの木の実を、ほとんど隙間がなくなるまで寄せる。
レオナは真ん中の一つだけを見て、できるだけ弱く押した。三つとも土の上を転がった。
拾って並べ直す。距離を変え、向きを変え、力も変えた。少し離せば真ん中だけが動く。近づければ、また三つとも動く。
何度繰り返しても同じだった。
「何してるの?」
振り返ると、西側の見回りから戻ってきたニナが、肩に掛けていた袋を下ろしながらこちらを見ていた。
「離せば真ん中だけ動くよ。近くても、それをやりたい」
ネラから出された課題だと説明すると、ニナは地面の木の実とレオナを見比べた。
「それで、ずっとやってたの?」
聞かれて空を見る。森の梢の向こうに見える太陽は、もうかなり高かった。朝から始めて、何度試したのかはもう覚えていない。
「朝から」
ニナは呆れたように息を吐き、しゃがんで三つの木の実を拾った。そのままレオナの手へ載せる。
「それ、後にしよう。私も少し歩きたいんだけど」
「まだできてない」
「さっきから同じなんでしょ」
確かに、結果は一度も変わっていなかった。
レオナは手の中の木の実を腰の袋へしまった。それを見たニナが笑う。
「持っていくんだ」
「あとでやる」
「はいはい」
ニナは森へ続く細い道を歩き始めた。
***
拠点へ来るときに通った道から少し外れるだけで、森はずいぶん違って見えた。
太い根が地面を這い、木々の間をまっすぐ進める場所は少ない。それでも人や獣が何度も通ったところだけは落ち葉が薄くなり、ところどころに道らしい筋ができている。枝には裂いた布や編んだ草が結ばれ、採集者が戻るための目印になっていた。
しばらくすると、ニナが足を止めた。
木の幹の向こうに、小さな影がある。
人より低く、腕が長い。背を少し丸め、腰には粗い布を巻いていた。手にした細い棒の先には、尖った石が括りつけられている。
「ゴブリン?」
レオナが声を落として聞くと、ニナは頷いた。
「この辺じゃ珍しくないよ。こっちから近づかなければ、だいたい平気」
それだけ言って、足を止めたまま様子を見る。レオナも動かなかった。
ゴブリンはこちらを見ていた。棒の先をわずかに持ち上げているものの、距離を詰めようとはしない。
やがて短い声を上げると、奥の茂みからさらに二体が現れた。一体は蔓で編んだ籠を背負い、もう一体は片足を引きずっている。歩くたび、片側へ身体が少し傾いた。
最初の一体がレオナたちとの間へ出た。その後ろを、残りの二体が横へ移動し始める。
足を引きずる一体が遅れると、籠を背負った方が振り返った。少し待ち、それでも追いつかないのを見ると、その場で足を止める。
「……待ってる」
「そういうこともするよ」
ニナにとっては珍しくもないらしい。
最初の一体は、仲間が離れてもまだこちらとの間に残っていた。レオナたちを見て、後ろを振り返る。仲間が茂みの向こうへ入ってから、ようやく自分も下がり始めた。
その途中、不意に顔を森の奥へ向けた。籠を背負った一体も同じ方を見る。
次の瞬間、三体の動きが少し速くなった。
レオナはそれを目で追ったが、ニナはもう歩き始めていた。
「そんなに珍しい?」
振り返ったニナに聞かれ、レオナも後を追う。
「ううん。ただ、思ってたのと少し違った」
「何が?」
レオナは少し考えたが、うまく言葉にならなかった。
「まだ分からない」
ニナはそれ以上聞かなかった。
しばらく歩いてから、レオナが尋ねる。
「ゴブリンって、魔物なんだよね。交易所で聞いたトロルも?」
「そう。でも全然違うよ」
ニナは前を見たまま続けた。
「ゴブリンはこの道にも来るよ。トロルは、自分の縄張りからあまり出ない。どっちも見たら避けるけどね。オーガは、私は見たことない。もっと奥で何体か一緒に暮らしてるって聞いたよ」
「でも、みんな魔物?」
「そう呼ぶね」
レオナは少し黙った。
「魔獣とは違う?」
今度はニナが首を傾げた。
「違うんじゃない? 昔からそう呼んでるから、考えたことなかったけど」
さっきのゴブリンも、レオナが思っていたものとは少し違った。こちらだけではなく、仲間も見ていた。
***
鳥が一斉に飛び立った。
羽音が頭上を抜け、森の奥へ散っていく。
ニナが立ち止まる。今度はレオナも、何も聞かずに止まった。
遠くで、太い枝が折れた。一度ではない。何か大きなものが、木々を押し分けながら近づいている。
「戻ろう」
ニナの声から、さっきまでの気軽さが消えていた。
二人が来た道へ向きを変えかけたとき、茂みの向こうから先ほどのゴブリンたちが現れた。
三体とも急いでいる。
足を痛めた一体を残りの二体が両側から支え、何度も背後を振り返りながら進んでくる。レオナたちを見ても、ほとんど気に留めなかった。
また枝が折れた。今度は近い。
ニナが腰の魔石へ手を伸ばす。
ゴブリンたちは足を止め、三体が一斉に同じ方向を見た。
木々の間に、灰色のものが現れた。
最初に見えたのは角だった。太く、長い。片方には途中を横切る古い傷がある。
枝を長い腕で押し退けながら、大きな身体が姿を現した。人よりはるかに背が高く、頭は獣を思わせる。そこから二本の灰色の角が長く伸びていた。
ニナが息を呑む。
「グレイホーン」
レオナは初めて聞く名前だった。
「知ってるの?」
「遠くから一度だけ。あれには近づかない方がいい」
グレイホーンがこちらを見る。
レオナは動かなかった。ニナも魔石を握ったまま、仕掛けようとはしない。
その視線はすぐには外れなかった。二人をしばらく見たあと、ゆっくり顔を逸らしてゴブリンたちの方へ歩いていく。
ニナの身体がわずかに強張った。
レオナは、足を痛めた一体を見る。
最初にいたゴブリンが、その前へ出た。けれど槍は構えなかった。
グレイホーンはあと数歩というところまで近づき、足を止めた。
しばらく何も起きなかった。ゴブリンも逃げず、グレイホーンも腕を上げない。
やがて、足を引きずっていた一体が自分から近づいた。
グレイホーンの足元まで行き、その場に腰を落とす。籠を背負った一体も続いた。
最初にいた一体だけが、しばらくグレイホーンとレオナたちの間を見比べていたが、やがて仲間のそばへ戻った。
レオナは黙って見ていた。
グレイホーンが身体の向きを変え、ゴブリンたちを背後へ置いて森の奥を向く。
そこで、低い唸り声が響いた。グレイホーンのものではなく、もっと奥からだ。
茂みが大きく揺れ、ゴブリンたちはグレイホーンの後ろへ寄った。
ようやく、レオナにも分かった。
「……守ってる」
ニナは答えなかった。
木々の間で、巨大な影が動いた。姿はまだよく見えない。低い位置で何かが唸り、枝が押し潰される音だけが近づいてくる。
グレイホーンが地面を踏みしめ、一歩前へ出た。
その背後には、足を痛めたゴブリンがいる。
次の瞬間、森の奥の影が地面を蹴った。
「レオナ、行くよ」
ニナが腕をつかむ。
レオナも一歩下がった。
けれど、もう一度だけ振り返る。
グレイホーンの後ろで、足を痛めたゴブリンが立ち上がろうとして、また膝をついた。
レオナの足が止まった。




