第17話 森の民
森へ入ってしばらくして、レオナは道がどこにあるのか分からなくなった。
前にはリセがいて、その後ろを二人のエルフが歩いている。ニナも迷う様子なく続いているのだから、道はあるらしい。けれど足元にあるのは、木の根と落ち葉、ところどころを覆う苔ばかりだった。
「どこ歩いてるの?」
リセが振り返った。
「ここ」
「道ないよ」
「あるよ」
言われて見直すと、人が一人通れるほどの幅だけ、低い草が少ない。ハルからここまで続いていた轍とは、ずいぶん違った。
頭上では枝が重なり、昼を過ぎたばかりなのに森の中は薄暗い。葉の隙間から落ちる光が、幹や地面をところどころ白く照らしている。
赤い実が目に入った。
歩きながら一つ摘む。
「それ、おいしくないよ」
前を向いたままリセが言った。
レオナは齧った。
「ほんとだ」
「言ったでしょ」
少し先でニナが笑った。
そのまま歩いていると、
「レオナ、前」
顔を上げた。
枝が目の前にある。
頭を下げてくぐると、ニナが呆れたように笑っていた。
「よく一人で旅してたね」
「道は見てたよ」
「今も見て」
レオナは赤い実をもう一口齧った。やっぱり渋かった。
しばらくして、一行が足を止めた。
レオナには同じ森が続いているようにしか見えなかったが、ここで道が二つに分かれているらしい。ニナは左手の木々の間を指した。
「私はこっち。西を見てくるから」
「もう別れるの?」
「そのために来たんだからね。帰りは交易場。日が落ちる前には戻るよ」
ニナはリセに「お願いね」と声をかけ、それからレオナを見る。
「勝手にどこか行かないでね」
「行かないよ」
「行きそう」
「私もそう思う」
リセまで加わった。
二人に疑われながら見送るうち、ニナの姿は木々の間へ消えていった。
そこから先は長くなかった。
木の間隔が少しずつ広がり、小さく開けた場所へ出る。
レオナは家が並んでいるものと思っていた。しかし実際にあったのは、屋根のついた建物が三つほどと、壁のない作業小屋だった。
森を大きく切り開いた様子はない。太い幹や張り出した根を避け、その隙間へ建物や棚が置かれている。棚には葉や根、細く裂いた樹皮が並び、軒下にはいくつもの草束が吊るされていた。
交易場で見たものがいくつもある。
「ここに住んでるの?」
「ここは外の人も来るところ」
籠を下ろしながらリセが答えた。
建物の向こうにも森は続いている。奥へ延びる細い道があったが、その先はすぐ木々に隠れた。
「住んでるのは、もっと向こう?」
「そう」
「そっちは?」
「行けないよ」
「そっか」
リセは人間側から運んできた鉄や塩を下ろし終えると、その道を指した。
「さっきの話、してくるから。ここにいて」
「分かった」
「ほんとに?」
「分かったって」
リセはまだ少し疑っている顔をしていたが、やがて森の奥へ消えていった。
レオナは残された。
壁のない小屋では、乾いた根を刻む者や、石の上で葉をすり潰す者が働いていた。交易場に並んでいた薬は、ここから運ばれているらしい。
レオナはしばらく、その手元を眺めていた。
***
レオナが薬草を眺めていると、リセが消えた道とは別の細道から、籠を背負った二人のエルフが姿を見せた。
二人は作業場の脇で籠を下ろし、そのうち一人が右腕の袖をまくった。前腕には長い傷があり、指先まで血が流れている。
近くで作業していたエルフが手を止めた。
「見せて」
傷を水で洗い、残っていた小さな木片を取り除く。血を拭ったところまでは、レオナにも見覚えのある手当てだった。
そのあと、傷の近くへ二本の指を添えた。
しばらく動かず、ときどき位置をわずかに変える。負傷したエルフの指先に触れてから、また傷へ戻った。
レオナが見ているうちに、流れていた血が少なくなった。
やがて手を離すと、薄緑色の粉を振り、その上から布を巻いた。傷そのものはまだ残っている。
「今日はあまり使わないで」
負傷したエルフは頷いた。
それで治療は終わった。
「魔力?」
「そうだよ」
治療したエルフは、血のついた布を取り分けた。
レオナは、さっき指が添えられていた傷をもう一度見た。
岩や木を押すときとは、ずいぶん違った。
***
リセが戻ってきた。
後ろには、見覚えのないエルフがいた。
白い髪を首の後ろで束ね、目尻と口元には細かな皺が刻まれている。歩みはゆっくりしているが、足取りはしっかりしていた。腰にはいくつもの小さな布袋が下がり、指先には草の汁らしい色が染みついている。
「だから、この子が二回――」
歩きながらリセが話していたが、年老いたエルフは途中でレオナを見た。
「身体を壊したのは一回目?」
突然聞かれ、レオナは少し考えた。
「うん。二回目は岩が落ちてきた」
「そのときは、魔力を使いすぎたわけじゃない?」
「違う」
「なら、一回目だけでいいね」
ネラはもうレオナの手を見ていた。
リセが横から言った。
「まだ名前も言ってないんだけど」
「レオナ」
本人が先に答えた。
年老いたエルフは頷いた。
「ネラ」
「うん」
「じゃあ、何をした?」
リセが一度口を開き、そのまま閉じた。
ネラは近くの腰掛けへ座り、レオナには向かいの席を示した。
「大きな獣を押した。岩よりずっと大きくて――」
「全力で?」
「うん」
「それまでは?」
「あんなに使ったことはない」
ネラは小さく頷いた。
「最初に変だったところから話して。腕かい、胸かい」
「腕。それから胸が痛くなって、息が――」
話している途中で、ネラは腰の布袋を探り始めた。
レオナはその手を見る。
「……聞いてる?」
「聞いてるよ。息ができなくなった」
「うん」
「それで立てなくなった?」
「なった」
「そう」
ネラは袋から小さな木の実を一つ取り出した。
平たい板を引き寄せ、実を置く。少し離れたところを爪で引っかき、短い線をつけた。
「ここまで動かして」
レオナが力を使うと、木の実は線を少し越えて止まった。
ネラはそれを見ただけで、次の木の実を取り出した。
三つを、今度は互いに十分離して並べる。
「真ん中だけ」
レオナが力を使う。
真ん中の一つだけが転がった。
「ふうん」
ネラはすぐに三つを拾うと、今度はほとんど隙間がないほど近くに並べ直した。
「同じように」
レオナは真ん中を見る。
さっきと同じくらいの力を使った。
三つとも転がった。
「あれ」
レオナが言う間に、ネラはもう元の位置へ戻している。
「もう一回」
真ん中だけ。
今度はそこだけを動かそうと、意識を集中させる。
ぱき、と乾いた音がした。
真ん中の実が潰れ、両脇の二つも弾かれて転がった。
レオナは手を止めた。
ネラは潰れた実を見て、新しいものと入れ替える。
「今度は壊さないで」
レオナは力を落とした。
三つとも転がった。
ネラはそれ以上やらせなかった。
「そうか」
「何か分かった?」
レオナが聞く。
「少しね」
「何?」
ネラは三つを拾い、レオナの手に乗せた。
「今言ってもしょうがない」
「なんで?」
「自分でできないと、分からないから」
そう言うと、もう立ち上がっている。
「このくらい近くに並べて、壊さずに真ん中だけ動かせたら、またおいで」
レオナは掌の木の実を見る。
「どうやって?」
「それを見つけるんだよ」
ネラはそのまま森の奥へ向かった。
レオナは少しだけ、その背中を見送った。
それから、三つの木の実を板へ並べ直す。
ほとんど隙間がないくらいに。
真ん中だけを狙ったが、三つとも転がった。
レオナは黙って拾い、もう一度並べた。




